2話:歌姫
草原の向こうに日が沈むのと前後して、一行は街道横に馬車を寄せて野営の準備を始めた。
皆で枯れ木を拾って焚き火を組んでいる内に斥候に出ていたイリスが兎を獲って来たので、その日の夕食は少し豪華になった。
従者が手早く処理し、焚き火の上に吊った木箱で燻し始めると、においにつられてカーメルが馬車からふらりと出て来た。
携帯食料も十分に積み込んでいるが、やはり目の前で燻煙される肉の迫力には負ける。
「カーメルさんも食べられますか?」
「え、いいの?」
調理しながらの気軽な提案にカーメルは目を瞬かせた。
最近は特別扱いされることはあっても、その逆はとんとなかったのだ。
「大丈夫ですよ。塩漬けにする以外はスープにするつもりでしたから。トニアさんもどうぞ」
「あら、ありがとうございます。では、微力ながらお手伝いさせていただきます」
「お願いします。ソフィア、器だして。2つねー」
雪が降るほどでは無いが、まだまだ冬の気配がそこかしこに残っている。
六人は身を寄せるように焚き火を囲み、しばしイリスとトニアが作った料理に舌鼓みを打った。
「そういえばあなた達ってこの前の防衛戦争にも参加したのよね? なにか面白い話とかある?」
車中で聞いたソフィアの話が意外とお気に召したらしく、カーメルの顔からは青国を出た当初の険が取れている。
「面白いかは分かりませんが、無数の腕と首を持つ巨人の話をしましょう」
「自分の話をしたらどうだ? 司令官付の盾は誇るに足る経験だろう」
「騎士は自分の手柄を誇らない。生き残った仲間の存在こそが誉れだ」
「時間が許すならどっちも聞くわよ?」
見るからに興味津々な様子の歌姫に、一行は肩の力を抜いて笑みを返した。
「んじゃ、そうしましょう。“水晶鈴”に歌って貰えるなんて普通はない経験じゃない」
「歌になるかどうかは話次第ね」
「では――」
クルス達にとっては何でもない話でも、歌姫にとっては新鮮な体験談だったのか。
その日、焚き火が消えるまで彼らの話は続いた。
◇
あくる日も旅は順調だったが、異変は白国の四等家の領内に入った時に起こった。
カイが偵察の為に先行して付近に散在する森の中に分け入っていたが、正午を前に突然、気当たりを発した。
過たずソフィアがそれを感知し、即座に御者台の兄に告げる。
「兄さん、カイから合図が来ました。――敵です」
「分かった。イリスはカイと合流しろ。その後は手筈通りに。こちらは時間を稼ぐ」
「了解!! 気をつけてね」
イリスが隠蔽技能を駆使して視界から消える。
カイは森の中にいくつか符丁を残している。常人ならば気付かない微細なものだが、森の中ならば加護『森の番人』の効果により見逃すことはない。
クルス達も馬車の速度を落として警戒しつつ進む。
そして、幾ばくと経たずに周囲の森から複数の足音が聞こえてきた。
(来たか!!)
現れたのは盗賊と思しき一団だった。装備は皆バラバラなのに妙に統率がとれており、あっという間に馬車の周りを包囲してしまった。
数は約二十。前衛のほかに森の中から弓兵がこちらに狙いを付けているのも見て取れる。
(兵の展開が早い。ただの盗賊ではないな)
(微かに魔力を感じます。隠れてウィザードもいます)
(……突破するかはカイ達次第だな)
戻ってこないのはその必要がないからだ。ましてや捕まるなどという不手際は犯さない。あの二人が逃走に徹したら馬を使っても追い付くことは至難なのだ。
同時に、この状況は信頼の表れでもある。カイ達はクルスとソフィアの二人がいれば馬車を守りきれると判断したのだ。
「トニアさん、手綱をお願いします」
「……承知いたしました。どうかお気を付けて」
クルスは御者台から飛び降りて馬車を庇うように盾を構える。
応じるように包囲の中から頭領と思しき顔に傷のある男が進み出てきた。
「武器を捨てろ。馬車の中身を置いて行くならお前達は助けてやってもいい」
交渉もなく告げられる一方的な宣告にクルスは眉を顰める。まるで馬車の中に誰がいるか判っているような言い草だ。
「俺たちはただの旅人だ。ここで襲われてもお前たち全員の腹を満たすことはできんだろう」
「御託はいい。言う通りにしろ。所詮は雇われの身、命を賭けるなぞ馬鹿らしいと思わんか?」
(雇われた所まで掴んでいるか。ふむ……)
クルスは心中を表に出さず、戦意を目に込めて視線を返す。
相手も素直に勧告に応じるとは思っていないだろう。あくまで包囲を完了させる為の時間稼ぎ、加えてこちらの士気を削ぐ意味合いもあるのだろう。
成程、クルス達には効果はなかったが、馬車から覗いているカーメルは見るからに動揺している。御者台のトニアも表情が硬くなっている。
騎士と傷の男。両者の睨み合いが続く。
最初に耐えきれなくなったのはカーメルだった。諦めの表情で馬車から降りてきた。
「……無理しなくていいわよ。こういうことにも慣れてるの。アイツ等は初めからあたし狙いでしょう? なら、手荒な扱いはされない筈よ」
(もし女をご所望されているなら私が身代わりになります。お二人もお逃げになるなら、どうか主を連れて……)
「――ッ!!」
タニアが小声で告げた内容にクルスは一瞬怒りで我を忘れた。
この場を収めるという目標がなければすぐさま敵に斬りかかっていただろう。
敵に怒ったわけではない。カーメル達にでもない。その怒りは依頼人を不安にさせた自分に対してである。
(カイとイリスが帰って来ないのは逃げたからだと思われているのか……)
こういった場合にカイ達が撹乱に向かうというのは予め説明していた筈だが、信用されていなかったらしい。
仕方のないことではある。客観的に見ればクルス達は二十歳前後で構成された四人だ。その若さを考えれば、どれだけ位階が高かろうとこういった場に不慣れだと思われることも決して少なくない。
さらに言えば、自分が今現在装備している鎧は普通のアイアン一式だ。不朽銀の輝きはない。
見かけは普通の学生ギルド。カーメル達の目にどう映っているかは想像に難くない。
自分はそうして何度も歯痒い思いをしてきたのではなかったのか。
学園での扱いに慣れていて依頼人へのフォローが足りなかったとクルスは自省した。
だからこそ、歯を噛み締め、怒りを丹田に沈めて力となす。
信用は行動で以て勝ち取る。今までも、そしてこれからも、それは冒険者の不文律だ。
「二人とも隠れていろ。大丈夫。心配するな」
「クルス……」
「クルス様……」
クルス達のやり取りを見ていた傷の男はため息をついて矛先をソフィアに変えた。
「そっちの嬢ちゃんはどうだ? こんなとこで死にたくないだろう?」
「……」
ソフィアは無視しつつ敵手に風声が届くのを妨害している。まだ気付かれてはいないようだ。
そろそろ三分経ったかとクルスは心中で数えていた秒を止めた。
「さあ、歌姫を渡してもらおうか」
「――断るッ!!」
クルスは一言、熱の籠ったあらん限りの大声で宣言した。思わずカーメルが耳を押さえる程の一喝が辺り一帯に響き渡る。
騎士の声は戦場でもよく通る。クルスの中で最も神に愛された部分だ。
周囲を囲む兵達も驚き、武器を取り落とした者もいるが、傷の男だけは僅かに顔をしかめただけで動じていない。
「なんつー大声だ……だが、いいのか兄ちゃん? アンタ一人ならどうにかなるかもしれんが、そっちの足手纏いを守りながらじゃ、分が悪いだろう?」
「それがどうした!! 交渉の余地など初めから無い!! 俺達は彼女を“護る”!! 貴様等には指一本触れさせん!!」
「あ……」
その時、クルスの誓いはたしかにカーメルの心の奥底まで届いた。
騎士が本気であることがわかる。雨が上がるように歌姫の不安は払われた。
「クルス……ありがとう」
「礼にはまだ早い。馬車の中で待っていてください」
「……うん」
カーメルがトニアと共に馬車に戻るのをクルスは背中で感じた。
そして、固定した視線の先、交渉を諦めた傷の男は腰の鞘から赤胴色の剣を抜き、切っ先を天に掲げた。射撃部隊への合図だろう。
「もう少し賢ければ長生きできたものを――弓兵、撃て!!」
「おい、どうした!?」
予想していた矢の雨は降らなかった。
敵陣に動揺が走る。傷の男が慌てて周囲を見渡す。その時になってやっと異常に気付いた。
森が静かすぎるのだ。
(まさか射撃部隊は――)
刹那、鋭い痛み共に男の体に焼けるような熱が走った。
「ガ、ハッ!?」
周囲に意識が散逸したその一瞬で男の脇腹に深々と短剣が突き刺さっていた。
その柄を握るのは、いつからそこに居たのか、コートを目深に被ったイリスだ。
隠蔽技能を全開にした今、位階が低い者はこの瞬間にも目を離せばイリスを見失ってしまうだろう。
「みんな動かないでね。動くと刺すよ?」
「テメエ、もう刺し、て、……クソ、こ、麻痺……」
「自害なんてさせないから。観念なさい」
全身にダガーの麻痺毒が巡り、男は痙攣を起こしつつ倒れてしまった。
従者は素早く男の両腕を縛って確保する。
「チィッ!! すまねえ、団長!!」
「……行け!!」
敵の判断は早かった。遠距離攻撃が潰され、リーダーが確保されるや否や素早く逃走に移った。
だが、それでも尚、遅すぎた。
彼らが反転した瞬間、閃光が走り、宙に無数の腕が飛んだ。
いつの間に回り込んだのか、カイが無言で刀を構え、相手の退路を塞いでいた。
位階が上がり、更に鋭さを増した侍の剣は今の一瞬で三人の腕を斬ったというのに血の一滴も零していない。
盗賊たちは何が起こったのか理解できず、呆けたように自らの腕の断面を見ていた。
しばしの後、ボトボトと目の前に断たれた腕が落ちてきた段になって漸く悲鳴を上げだした。
「カイ、それで十分だ。逃がしてやれ」
「了解」
カイが刀を納めて道を譲る。
盗賊達は後ろを気にしつつも恐怖が勝ったのか散りじりに逃走していった。初めからバラバラに逃走するよう示し合わせていたのだろう。
後にはイリスに押さえられた頭領だけが残った。
「クルス、お前はカーメル達に付いていろ。ここは俺だけでいい。イリスは警戒に、ソフィアは腕の処理を」
「ひとりで大丈夫か?」
「問題ない。俺の父も元は傭兵だった。流儀は心得ている」
その気はないとはいえ、既に追いかけて殲滅するのは困難な程に相手は逃げるのが上手い。逃走方法一つとっても盗賊には見えない。
どう考えてもカーメルの誘拐を依頼された傭兵かそれに類する集団だ。
「わかった。任せる」
(正直、カイをひとりにしたら尋問と称して相手を寸刻みにしかねない気もするが……)
しかし、クルス達の仕事はあくまで護衛だ。クルス自身、カーメル達へのフォローを欠いていたことを自省したばかり。優先すべきはそちらだろう。
「んじゃ、ちょっと先行してくるね」
「何かあればすぐに言ってくださいね、カイ」
それぞれ自分がなすべきことをするのもチームワークだ。クルス達はカイを残してその場を後にした。
「喋れる程度に麻痺は抜けただろう。誰に依頼されたか吐け」
倒れ伏す相手を見下ろしたまま、カイは早速尋問を開始した。
クルスが危惧したようなことにはならず、あくまで普通の尋問だ。
無論、侍は必要なら表情一つ変えずに腕の二三本を斬り飛ばす。痛みと暴力は原始的なコミュニケーション手段だ。ただ、今回は必要ないだけだ。
「……傭兵にも仁義がある。依頼主は死んでも明かせねえ」
傷の男は両腕を縛られたまま上半身だけ起こした。
圧倒的に不利な状況だが、矜持故かカイを見上げる視線には力がある。
「なら、仲間の命か仁義か選べ。複数人の腕が斬り飛ばされた傭兵団。探すのは難しくない」
「テメエ、その為に……」
端的に告げられた事実に男が低い声で唸る。
傭兵団は言わば戦争専門の冒険者である。その性質上、ギルド連盟とは相容れないが、傭兵同士の横のつながりは十分に発達している。
男の団も白国ではそこそこ名の知られた傭兵団だ。探して見つからないということは無いだろう。
「選べ。それとも、貴様等を捨て駒扱いした相手に仁義を貫くか?」
「……何?」
「貴様等が隠れていた森の奥にもう一団兵士が潜んでいた。予備部隊かと思って斬ったが、装備が随分と統一されていた」
殺気の漏れ出した男にカイが投げて寄越したのは真一文字に切り裂かれた胸当ての一部だった。
決して良い装備ではないが、妙に真新しい。表面は汚されているが内側に使い込んだ跡が無く、新品なのは疑いようがない。
「ウチの団のじゃねえな。……チッ、オレもヤキが回ったもんだ。おい、そいつらは生かしてあるのか?」
「……おそらく」
「うぉい!? そっちには尋問しねえのかよ!?」
「斬っている途中でお前たちとは別の集団だと気付いたからな」
対人戦闘はカイの最も得意とする分野だ。クルスに言い含められていなければ容赦なく人数分の首が飛んでいただろう。
気配を隠しているとはいえ、侍が自分たちとは格が違うことは先ほどの一戦で男も理解していた。
「……まあいい。テメエ等が尋問した後でいい。そいつらを引き渡してくれ。たっぷり礼をしなくちゃいけねえ」
「いいだろう」
「よし、契約成立だ。オレは赤剣傭兵団の団長のルッツだ。よろしく頼むぜ、おっかない兄ちゃんよ」
その後、ルッツは自らの知る限りの情報を吐き出した。
自分たちが白国のとある貴族に雇われたこと。歌姫を誘拐し、引き渡すよう依頼をされたこと。後ろ暗い依頼ではあるが報酬が破格であり、歌姫を害するつもりはなかったことを話した。
特に嘘は無いことは一通り吐かせた後でソフィアが確認し、クルス達はルッツを逃がすことにした。
ルッツ側からすれば読心の存在は知らないので随分と甘い処置に感じるだろう。
「人質にでもされるかと思ったんだがな」
「必要ない。それと、ここに来る前に襲われた商人の馬車があった。お前たちの仕業ではないな?」
「当たり前だ。仕事の前に目立つ真似してどうするんだよ」
「だろうな。では、これは返しておく」
カイが布の包みを投げ渡した。
ルッツが首を傾げて包みを開き、中を見てちょっと嫌そうな顔をした。
中に入っていたのは氷漬けにされた無数の腕だ。
「腐る前に処置を施せば接げるだろう」
「まあ、このおっそろしく綺麗な切り口ならできそうだな」
「弓兵とウィザードも両手足を折って気絶させただけだ。回収してやれ」
「……チッ、情けをかけられた訳か」
「リーダーの指示だ。それに、そちらこそ包囲が完了した時点で問答無用で攻撃する手もあっただろう」
その場合はクルスとソフィアで馬車の周りに障壁を張って防いでいる間にカイとイリスで殲滅する手筈だった。カイとしてはそうなる確率の方が高いと踏んでいたのだ。
「ハッ、雇われの身とはいえ、下らん依頼で部下に余計な手傷を負わせたくなかったんでな」
「傭兵らしくない気質だ。むしろ冒険者のそれに近い」
護衛や討伐などの依頼はギルド連盟という強力な背景のある冒険者が圧倒的に有利だ。
それ故に、仕事の多くを奪われがちな傭兵の受ける依頼は危険で、後ろ暗く、場合によっては切り捨てられる可能性のあるものが多い。
真っ当に命の計算が出来る実力者なら普通は冒険者になる。
「言われんでも分かってる。だが、こちらにも譲れないモンがあるだけだ」
「それは?」
「故郷を守れない」
「……」
「国境に近い村だ。オレ達はその時になって後悔したくねえ」
ギルド連盟に所属した者は国家間の争いに関わることを禁じられている。
各領の騎士団に入っても戦場に出るだけだ。国境に近い村となれば、あるいは見捨てること前提の場所なのかもしれない。
そこだけを守るならば、確かに傭兵は選択肢として機能する。
「理解した。それで、どうする?」
「……情けはありがたく貰っておく。何かあれば連絡しろ。アンタらの依頼なら安値で受けてやる」
「覚えておこう」
それから数日後、とある白国貴族の屋敷前に無残な死体が吊るされるという事件が起こった。また、その家には優れた歌声を持つバードの娘がいたが、その光景を見たショックで暫く歌えなくなったという。
クルス達がそれを知ったのは依頼を終えてからであった。
◇
「ねえ、ホントに逃がして良かったの?」
ルッツが去った後、恐る恐る馬車から出てきたカーメルがクルスに尋ねた。
再び襲撃される虞がないのは理解できたが、だからといってすぐに納得できるほど肝が太いわけではない。
「相手は傭兵です。彼らは依頼に従ったに過ぎません。護衛主に危険が及ぶようなら加減をするつもりはありませんでしたが、無駄に命を奪うことはしたくなかったのです」
それが偽善であり、一種の驕りであることは騎士も理解していた。
それでも、騎士は出来るだけ仲間に人を殺させたくなかった。
自分たちの力は容易く人間を殺せてしまう。だが、心のままに力を振るってしまえば、そこに魔物との差はどれだけのあるのか。
命じられれば誰の頸でも落とせる侍が、一声で一軍を容易く凍てつかせる少女が、それでも“人間”であるのはその心の中に神がいるからだ。
実力的にみて、クルス達にはカーメルを庇いながらでも十分以上の余裕があった。
赤剣傭兵団は人間相手にしては錬度が高かったが、それでもクルスとソフィアが護りに徹すれば打ち破ることはできなかっただろう。
あるいは、真っ先に遠距離攻撃を潰して戦術的優位を得た後なら悠々と逃走することも、逆に相手が逃げる間も与えず殲滅することもできた。
互いの間にはそれだけの差があったのだ。
クルスの言うすべてを理解したわけではないが、説明を聞いたカーメルは納得したように頷いた。
「あなた達って凄腕だったのね」
「いえ、まだ結成して1年経たない新米ギルドです」
「……へ?」
改めてクルス達の位階を聞いたカーメルは随分と驚いていた。
「ごめんなさい。あなた達が若いのもあって白国に安く見られたと思ってたの」
本心から頭を下げるカーメルにクルスは微笑みを返した。
失った分の信頼は取り戻せたのだ。それだけ十分だった。
「顔を上げてください。貴女の歌声を聞いてそのような態度を取る者はいません」
「あ、ありがとう。そう言ってもらえるのは嬉しいわ」
◇
その後は襲撃されることもなく、旅は順調に続いた。
アクシデントのおかげか、カーメルも一行と随分打ち解けてきた。
特にソフィアとは気が合うようで、暇を見つけては二人で話に花を咲かせていた。
読心のことを明かした時は流石に嫌な顔をされたが、それでも歌姫の態度が変わることはなかった。
想像以上のカーメルの度量の広さにクルス達は秘かに感嘆した。
そうして最後の野営の日となった。
一行は皇都までもう三日という所まで来ていた。ここから先は宿場町に泊まることになる。
「お礼に一曲歌ってあげるわ、クルス!!」
夕飯の済んだ後、おもむろにカーメルが切り出した。
クルス、と言う所でイリスが「またか」と苦笑したが、緊張気味のカーメルは気付かなかった。
カーメルの耳の奥にはいまだにクルスが傭兵たちを前に切った啖呵の熱が残っている。歌姫の心はここ最近にはなかったくらいに昂ぶっていた。
バードである彼女がロハで歌うことは珍しい。己の歌を安売りすることはお金を払ってわざわざ聞きに来てくれる人達を蔑にする行為だからだ。
それでも依頼以上に尽くしてくれたクルス達に自分が報いるにはこれしかないとも理解していた。金銭には代えられないものを貰ったからだ。
カーメルが箱を開け、中から『鈴環』と呼ばれる輪の内部に複数の玉が封入され、振り方で音の変わる楽器を取り出した。
鈴環は手足に装着して演奏する楽器だが、両手足に装着する者は少ない。
多くて両手の二つ。それだけ扱いの難しい楽器なのだ。
歌姫は体の一部と言い切ったその表面にそっと触れる。とあるメロウから譲り受けた水晶鈴に曇りはなく、己の出番を静かに待っている。
一口に歌い手と言ってもいくつかの形態がある。歌う者、踊る者、楽器を演奏する者、様々だ。
その中で、カーメルは歌って踊り、鈴環を鳴らして演奏するスタイルを取っていた。
元は駆け出しの頃に伴もおらず、一人で全部こなさなければならないが故の苦肉の策だったのだが、今では他のどんなやり方よりも自分に合っていると感じていた。
「――いくわよ、水晶鈴」
まるで初めから一体であったかのように鈴環は手足にぴたりと嵌まる。
魂が静かに熱を持つ。
この瞬間に、ただのカーメルは歌姫“カーメル・クリスタルベル”に変わるのだ。
「トニア、笛を出して。あと、誰かリュートを弾けるかしら?」
「あー、さすがにカーメルさんの歌には及びませんが……」
控え目に手を挙げたのはイリスだ。従者教育の一環でいくつかの楽器は演奏できる。
「腕なんて関係ない。あたしと一緒に演奏するなら、何処であろうと誰だろうと一流の舞台にしてみせるわ!!」
旅が始まってから最高の笑顔と自信で以ってカーメルが宣言する。
その顔を見てクルス達はこの歌姫が本当に音楽を愛しているのだと実感した。
「好きな曲を弾きなさい。こっちで合わせるから」
「りょ-かい!!」
「では、僭越ながらこちらも」
カーメルがゆるやかに腕を振り、しゃらんと一度鳴らして音を合わせる。
イリスがリュートの弦に指を添わせ、トニアが横笛に息吹を入れる。
合図もなく、歌と演舞は静かに始まった。
<La――――>
森に涼やかな音が響く。
リュートと笛の奏でる音に乗って歌姫がしなやかに舞い踊る。
手足を振るのに合わせて鈴の音が響き渡り、即席の舞台の上を軽やかに、伸び伸びと、音とひとつなったその身が躍動する。
水色の髪が自ら光を発するかのように輝き、ともすれば単調になってしまう鈴の音が重なり合い、確かな旋律となって歌姫を彩る。
クルスは声も発せず、ただ歌姫に魅せられていた。
――ああ、これは豊穣を言祝ぐ歌だ。
騎士は唐突に理解した。
カーメルの背後に収穫を喜ぶ農夫の姿が、大地の恵みに感謝する女たちの姿が見えるようだ。
歌と聞いていたが、カーメルが発する声の多くは単音で、意味を成す言葉はない。
だが、その声と踊りと鈴の音が合わさった時、それは確かに『歌』となっていた。
いつしか彼らの周囲には動物すら集まり歌に聞き入っていた。
万物を魅了する歌。
芸術と学問の神『青神』に愛されし水晶鈴の本領であった。
魔法や術式の一切に頼らず、ただその身と技で以て生まれた幻想はあっという間に終わってしまった。
いまだ音の余韻が残る中、歌姫が片足を引きスカートの裾を摘まんで優雅に一礼する。
歌の出来は続く拍手の音が証明していた。
クルス、ソフィア、カイ。たった三人の拍手だが、その音は歌姫の心を震わせた。
カーメルは駆け出しの頃、まだ舞台もなく街の広場で歌っていた時のことを思い出していた。
自らの心のままに歌うこと。ただあるがままに歌うこと。それを思い出していた。
「今日は気分がいいわ。もう一曲歌ってあげる!!」
歌姫の言葉に応じて、トニアがリードを取り、先ほどよりも少しだけアップテンポの曲が始まる。
カーメルは頬を上気させ、自らの内から湧き出る喜びのまま歌い、踊った。
「……いい歌だ」
クルスが感慨深げに呟く。
癒されるとはこういう気分のことを言うのだろう。強張っていた心が解されていくようだった。
ふと視線を向ければ、向こうで肩を並べて観ているカイとソフィアの表情も心なしか柔らかい。
二人のそんな姿をみれただけでもこの依頼を受けた価値はあった。騎士はそう思った。
歌は高らかに。美しい音色と共に夜は更けていった。
◇
皇都アルヴィス
白神を祀る“聖なる丘”の周りに出来たこの街は近場で産出されるのが大理石ということもあって白亜の建物が多い。
また“聖なる丘”が白神の聖地であることから、その契約クラスであるクレリックが集まり医療方面も発展している。
巡礼者の他に怪我や病の治療を目的に訪れる者も多い。
そんな加護と慈愛の街をひとしきり眺めてカーメルは大きく頷いた。
「相変わらずキレイな街ね。……うん、いい歌が出来そう!!」
「ギルド連盟から引き継ぎが来ましたので、自分たちはこれで失礼します」
「そう、寂しくなるわね」
一瞬、カーメルは本当に寂しそうな顔をしたが、それもすぐに笑顔に変わった。
自分は歌い手、彼らは冒険者。いつまでも一緒にはいられないのだ。
「楽しい旅だったわ。ありがとう」
「こちらこそ思い出に残る歌でした」
「うん……また依頼を出すわ。その時は話を聞かせてね」
「ええ、勿論。お待ちしています」
そうして去っていくクルス達の背中に向けて歌姫はこっそり宣言した。
「――それでね、いつか歌ってあげるわ。あなた達の歌を」




