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刃金の翼  作者: 山彦八里
幕間
32/144

幕間:料理

 クルスとソフィアが外出している昼食時、家事も一通り終わってリビングでくつろいでいたイリスの元に珍しい要望を携えてカイがやって来た。


「料理を教えて欲しい?」


 ソファに寝っ転がっていた体を起こしてイリスは訊き返した。

 テーブルの向こうではカイがいつもの無表情な顔をして頷きを返している。


「何でまた急に?」

「ソフィアと一緒に料理をする約束をしたのだが……現状では足手まといだ」

「そりゃそうね」


 イリスはにべもなく肯定した。

 目の前の侍は料理を狩りか何かと捉えていた元世捨て人なのだ。


「それに、料理を教わるという約束もしていた」

「あ、うん。確かに言ったわね。覚えてくれてたんだ」


 無言で頷く侍に、イリスの心は少しだけ弾んだ。

 他人の為に働くというのは従者にとって喜びなのだ。何気ない約束もちゃんと覚えてくれていたことも嬉しかった。


 だから――明らかに困難が予想される依頼でも――笑顔で応える気になったのだ。


「それじゃ、一丁やってみようか!!」



 ◇



「まず何からすればいい?」


 イリスとお揃いの白のエプロンを着けて台所に立ったカイが尋ねる。

 その雰囲気は料理人と言うよりも鉄人だ。

 まったく料理をしたことがないという一点を除けば、手先が器用で几帳面なカイは割と向いているんじゃないかとイリスは予想した。


「んじゃ、まずは味覚を診るわ。カイって食べられない物とかある?」

「特にない」

「まあ、今までの食事でも嫌いな物とか無かったしねー。じゃあ好きな食べ物は?」

「特にない」

「あ、甘いとか辛いとかは分かるわよね?」

「……おそらく」

「ん、んー。大丈夫だと思うけど……」


 イリスは昼食用に煮込んでいたスープをお玉でひと掬いしてカイに渡した。


「んじゃ、これの中身当ててみて」

「……塩、胡椒、ワイン、牛肉、豆、トマト。舌触りに微かにバター。匂いはニンニクか?」

「味覚は正確ね……もしかして毒物対策受けてる?」

「一応は」

(その所為って訳じゃないわよね……)


 とりあえず一通りやらせてみることにした。

 作るのは朝から弱火で煮込んでいるスープと同じ物だ。問題があまり無ければあとで足してしまえばいいからだ。

 

 倉庫からとって来た材料の内からトマトを一つを取って、カイに投げ渡す。


「それの皮むきをしてみて」

「……皮と実を分ければいいのか?」

「そうだけど?」

「皮はどうなってもいいか?」

「あー、うん。いいわよ」

「では――」


 次の瞬間、カイが触れたトマトが爆発し、その薄皮が四散する。イリスは咄嗟に手を翳して皮の破片から顔を庇った。

 後には皮を剥がされた無傷の瑞々しい中身だけが残っている。


「……何、今の?」

「透剄だ。気を透して皮と実の“隙間”を拡げた」

「……次は普通に包丁で皮むきしなさい」

「駄目だったか?」

「良いか駄目かなら駄目よ。台所が無駄に汚れるし」

「……それもそうだな」


 その後の皮むきは問題なかった。

 侍の刃物への適性を考えれば当然だろう。皮と実が元から別々だったのではないかと錯覚するほど完璧だった。この行程だけは既にイリスよりも上だ。

 故にイリスは特に何も対策することなく次の段階へ進んでしまった。


「次はこの野菜を切ればいいのか?」

「そうよ。均等な大きさになるように切るのがコツよ……どしたの?」

「……難しいな」

「何でよ?」


 カイは無言で包丁を下ろした。

 傍目には机にコップを置いた程度の動きで、特に力を込めたようにも見えなかった。


 だが次の瞬間、ただの包丁は野菜を突き抜け、熱したバターでも切るように、まな板まで一刀両断して台所に半ばまで食い込んでいた。


「――――」

「――――」


 気まずい沈黙が二人の間に流れる。


「……ふむ、もう少し硬い板はないか?」

「加減しなさい、バカ!! アンタの腕なら表面を撫でるようにしただけで十分切れるから」

「う、うむ……」


 皮むきは野菜を手に持っていたので気付かなかったが、刃物への適性が高すぎるというのも考えものだ。

 黒神との契約により、サムライは武器の扱いに長けている。ただの包丁を人斬り包丁に変貌させてしまう程度は朝飯前だ。

 十の力を一の力へ加減するよりも、百の力を一の力へ加減する方が難しいのは自明だろう。台所に持ち込むにはこの侍は明らかに過剰戦力だ。


 棒きれでも持たせた方が良かったかとイリスは思案したが、最終的に空中で切り返したら楽なことが判明して事なきを得た。

 ただ、イリスの目には一閃にしか見えない包丁の一刀が野菜をみじん切りにする光景は若干恐怖だった。



 ◇



「次は味付けね。この分量を覚えて」

「塩は、塩で舐めればいいのでは?」


 元・騎士団所属の侍は行軍中の事を思い出したのか、純粋に問いかける。

 普通の人なら既に投げているであろう面倒臭さだ。

 しかし、イリスの従者根性は並みではない。そして、カイが『知らない』だけだということをイリスはもう知っている。


「いい、カイ。料理は贅沢なの。今ある物を使う分だけ使うのが料理なの。そんなところでケチっちゃ駄目」

「……成程」

「それじゃあ煮込みよ。この温度、この順番、このタイミングで入れるのよ」

「了解」


 事前にイリスが魔力を補充しておいた二つのコンロの前に鍋を持って並んで立つ。

 バターを溶かし、水を入れ、野菜を順々に投下していく二人の動きは完全にシンクロしている。


「ていうか、異常に覚えはいいわねー」

「この位の精度でいいのなら」

「精度?」


 改めてイリスは自分の鍋とカイの鍋を見比べる。

 野菜の切り方、大きさ、水の分量までイリスが作った物と同一といってもいい位だ。

 スープの味を比べてみる。

 ほとんど同じだ。イリスの舌を以ってしても判別はつかない。

 マスタークラスのサムライの集中力を存分に無駄使いしている。


「……いえ、これで構わないわね。料理はまず模倣から。それが完璧に身に付いてから自分なりの料理を探求する。それでいいのよ!!」


 そうだ。余計な物を足されたりアレンジしたりするよりも何倍もマシだろう。

 料理のレシピは先達が残した知識の集大成なのだ。それを素人考えでアレンジしても惨劇しか起こらない。


 前にソフィアが火力を足すのに魔法を使った時は何年か振りにマジギレしたわねー、などと回想しつつ従者は鍋の底を軽くかき混ぜる。

 侍も寸分の違いもなく同じ動きをする。鍋の中の具材の動きまでかなり近い。ここまでくると軽い恐怖を感じる。次の一瞬で鍋を取っ替えられても分からないかもしれない。


(これなら私も……)


 従者は心中の望みを隠して指導を続ける。

 多少のトラブルはあったが、その後は特に問題なく料理は完成した。



 ◇



 カイは色々と問題もあったが、矯正に若干時間のかかったソフィアはおろか、イリスの同期の従者と比べても模範的な生徒だっただろう。


 夕飯として二皿のスープが食卓に上ったが、クルスはどちらがカイが作った物か分からなかった。

 ソフィアは正解したが、その眼が魔力で光っていたのを誰も見逃していない。


「……」


 そうして、いつもより少しだけ賑やかな食卓でイリスはカイの作ったスープを銀のスプーンで掬う。

 トラウマの克服の為だ。講義の報酬代わりにカイには了承を貰っている。


 少しだけ動悸が速くなる。

 従者は他者が作ったものを食べるのに抵抗がある。物心ついた時、森の中で独りで暮らしていた時には意識すらしていなかったことだ。

 人の間で暮らすようになってからそれを自覚した。


 ――おそらく自分は人間が怖いのだろう。


 自分の作った物、毒見を済ませた物なら抵抗は薄れるからだ。

 だが、そんなのは嫌なのだ。

 他者を愛すると決めたのだ。全てを捧げて愛すると。その夢をこんな所で挫かせる訳にはいかない。

 意を決してスープを飲みこむ。


(……おいしい)


 完璧に近いだろう。

 自分が作ったスープの方が味が良い気もするが、錯覚な気もする。そんなレベルだ。


 ふと見れば、対面に座るソフィアが微笑んでいる。

 従者を森から連れ出しのはソフィアだ。当然、その悩みも共有している。貴族の娘であるソフィアが料理を学ぼうとしたのもその克服の為だ。

 その結果、イリスは自分とソフィアの作る物なら抵抗なく食べられるようになった。

 そして、今日、従者はまた一歩進むことが出来たのだ。


(良かったですね、イリス)

「あう……」


 読心をするまでもなく見透かされた恥ずかしさで頬が熱くなる。

 それを堪えてイリスも笑みを返した。


 今度はみんなで料理をしよう。きっと楽しい一時になる。


 声にすることなく従者はそう心に誓った。


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