20話:救いと導き
「カイ!!」
ウィザードを拘束したカイの元に周囲の探査を終えたソフィアが悲鳴じみた声をあげて慌てて駆け寄って来た。
傍から見てもカイの体は全身火傷、控えめに言って重傷だ。
「すぐに治療します」
「頼む」
「動かないでください。――癒しを」
ソフィアの手が白い光に包まれ、患部にそっと触れる。
治癒術式を受けた部分は見る間に爛れていた皮膚が治っていく。
とはいえ、単純に傷を塞ぐのではなく、既に皮膚を張り替えるレベルの大怪我だ。治療するだけでもかなりの痛みを伴う。
薄く脂汗をかいているが、それでもカイの表情は変わらない。
横で見ているミハエルの方が逆に慌てている位だ。
「カ、カイ、痛くない? 大丈夫!? 痛みがなかったら逆に危ないって先生が――」
「落ち着け。ソフィア、その位でいい。時間が惜しい」
「今は、表面を繕った応急処置です。帰ったらちゃんと続きをしますからね」
「……ああ」
数度拳を握って状態を確かめたカイは、改めて二人に向き直った。
「そちらは怪我はないか?」
「だいじょうぶです」
「うん……大丈夫」
「そうか。救援が遅れてすまなかった」
「違いますよ、カイ」
謝罪するカイに、ソフィアが静かに首を振る。少女は真摯な表情で祈るようにその事実を告げる。
「ミハエルも一緒に戦ったのです。ですから、違います」
「お姉ちゃん……」
「――ああ、そうだな。よく頑張った」
「あ……」
ポンと頭に置かれた不器用な手にミハエルの目尻が滲んだ。
自分は足手まといでしかないと思っていた。
だが、侍の簡潔で真っ直ぐな労いに沈んでいた心が浮上する。
「ぼ、僕……」
「だがミハエル、お前にはまだ為すベき事がある」
「え?」
「こちらです」
ソフィアがミハエルの手を引いて暗く沈んだ街を歩き出す。
静まったスラム街に敵は既におらず、住民も避難し、その歩みを阻むものは誰もいない。
戦場を突っ切ったさらに奥に崩れかけた屋敷がひとつ建っていた。
壁は腐食し、人の住んでいる気配もない、スラムにはよくある廃墟だ。
一見して不自然な所はないが、ソフィアの感応力は仕掛けられた魔法罠を見抜いていた。呪術による隠ぺいも、二度目となれば彼女には通じない。
「――溢れよ」
ソフィアは莫大な魔力を流し込んで魔法罠を焼き切る。力技だが、少女の魔力量を以てすれば最も確実な解除方法でもある。
少女は罠を踏み越え、感応力の導くままにそのまま奥へと進んでいく。
加護“神秘の祈り”で魔力生成が強化されている少女は戦闘後にも関わらず魔力量は既に平常時の八割近くまで回復している。廃墟の探索と罠の解除に使う程度では回復量の方がまだ多いほどだ。
先を行くソフィアの後ろには、罠の存在からか再び緊張してきたミハエルと、気絶したウィザードを担いだまま無言で周囲の警戒をしているカイが続く。
そうして、屋敷の広間を抜け、奥まった場所にある閉じられた扉だけ妙に新しい部屋の前でソフィアが足を止めた。
元は倉庫か何かだったのだろう。人が出入りするだけでは大いに余るほどの巨大な扉だ。
「ここですね……思考を読みました。中に囚われたウィザードの方達がいます」
(気配は四つ。衰弱はしているが死んでいる奴はいないか)
「呪術の気配はもうありませんが、私は念の為、警戒に回ります」
「了解」
扉には巨大な鍵が掛かっているが、カイがガーベラを一閃して扉ごと両断した。
四つ切りにされた扉が音を立てて崩れる。
真っ暗だった部屋の中に急に光が差す。
ミハエルは思わず目を細めた。
暗さに目が慣れないが、中では隅の方に複数の人影が蹲っているのがかろうじて分かる。
「救助に来た。状況を説明できる奴はいるか?」
「た、助かったのか?」
「あいつらは?」
「ひ、光だ……」
カイの声にふらつきながらも虜囚となっていた者たちが立ちあがった。
見れば、成人したとみられる男女三人。自分達の体を盾として小柄な少女を庇っている。
少女の歳はミハエルと同じくらいだろうか、ブルネットの巻き毛の下の表情は状況についていけず当惑しているのが見てとれる。
「ああ……」
少年の口から感嘆が漏れる。
見間違えようがない。その少女こそ少年が命を賭けた理由だ。
少年は心のままに踏み出そうとして、止まった。
自分の手は先程、人を殺したばかり。その事実が少年を躊躇わせた。
だが、カイの無骨な手がその背をそっと押した。
「カイ?」
「声をかけてやれ」
「い、いいのかな? 僕は……」
「お前の依頼だ。過程も、結果もお前のものだ」
「……うん」
その声と大きな手に背を押され、ぐっと背筋を伸ばしたミハエルが一歩を踏み出す。
大人たちは警戒するが、ミハエルの顔を見た少女の顔がパッと輝くのを見て、杞憂であることを悟った。
「ミハエル!!」
「あ……フィフィ!! っとと」
飛び込んで来た幼馴染をよろめきながらも確かに抱きとめる。
二人は言葉もなく、互いの存在を確かるように抱きしめ合う。
幼く、無垢であるが故に、その再会は純粋な喜びに満ちていた。
「ミハエルがどうしてここに?」
「俺達はそいつの依頼を受けて来た者だ」
「え、ミハエルが?」
首を傾げる少女にカイが端的に事情を説明する。
そうなの、と問うような視線にミハエルは頷きを返した。
「もう大丈夫。怖い人たちはいないよ」
「うん……うん!!」
フィフィと呼ばれた少女は安心したように大声で泣き出した。
少年は少女を抱きしめたままそっと背中をさすってあげた。
◇
警備隊への説明など面倒なことはベガに投げることにした。
こちらをこき使うつもりなら、自分もそうされるべきだろう。
――というつもりだったのだが、ベガが捕まえたウィザードを引き摺ったまま嬉々として警備隊本部へ向かって行ったので、カイは特に文句を言うことも言われることもなかった。
「あの様子だと貸しは高くつきそうだな。警備隊も運がない」
「彼らが悪い訳ではないでしょう。ただ、因果は巡るものです」
「……かもしれないな」
カイとソフィアが事後処理を眺めている内に、虜囚だった者達の検査や取り調べなども終わり、それぞれに迎えの馬車が来ていた。
フィフィを迎えに来ていたニミュエス家の家令からは随分と感謝されたが、二人は依頼だったからと手柄とその礼をミハエルに譲った。
「今日はほんとうにありがとう、ミハエル……またね」
「うん。またね、フィフィ」
後日、再会を約束するミハエルとフィフィ。
去り際、少女は感謝の念を込めて少年の頬に軽く口付けをした。
お互い真っ赤になる様子は幼いながらも、二人の間に流れるのは歴とした男女の空気だ。
ソフィアが何か期待するような目でカイを見ているが、男は無視して淡々と手続きを終えた。
その内に出発の時になり、名残り惜しげに二人は別れる。
カイ達はその場で見送り、貴族街へと去っていく馬車を見送る。
そして、馬車が見えなくなると同時にミハエルの腰が抜けた。
今日は少年にとって今までの人生の中で最大の激動の一日だったのだ。仕方のないことだろう。
「大丈夫か?」
「うん…………僕は人を殺したんだよね」
「そうだ」
「カ、カイは辛くないの!?」
ミハエルが必死に言い募る。
あの命を絶つ感触は、他者を殺すという重みは――
「いいや、それはいつまで経っても辛いし、怖いものだ」
「じゃあ、どうやって乗り越えたの?」
「誰も乗り越えてなどいない。忘れるか、狂うか、背負い続けるだけだ」
カイはひょいっと少年を背負い、そのまま歩き出した。
幼くも命を賭けた戦士を送り届けるくらいは年長者の役目の範囲内だろう。
ソフィアは無言でついてくる。今回はこちらに任せるという意思表示だ。
「なら、カイはどうしたの?」
「自分でもわからない。五歳の時にはじめて人を殺した……それから、ずっと考えている」
「五歳……そんな小さなころから……」
ただの人殺しがこんな説教まがいなことを宣ってどうするつもりなのか、男は心中で自嘲した。
だが、それでも言わねばならない気がした。
なぜなら――戦乱の才とでも言うべきか、戦いを呼び込む運命をこの少年も持っている。
きっとこれから先、いくつもの戦いを経験する。そんな予感がする。ここで躓いているようでは生き残れない。
だから、それが“失敗した”者の言葉でも無いよりはマシだろう。
生半可な道を歩んできたつもりはない。故に、導くことはできずとも、選択肢を示す位はできる筈だ。
「ミハエル、人を何かを犠牲にして生きる。俺もお前も――殺した相手も命はひとつだ。そうして命を奪い合うのが人の一生だ」
「……それで?」
「それだけだ。殺した命を背負うも良し。助けた命で忘れるも良し。考え続けて狂うのもお前の自由だ」
「――――」
「始めた以上、その答えを出す為に人は戦い続けることになる」
肯定も否定もない。
そこに他者の心を動かす何かはなく、ただ、求道を貫く刃金の信念だけがある。
背負われた少年からはカイの横顔しか見えない。その目が何を見ているのかは分からない。
それでも、男の言葉は少年の心の深い部分に記憶された。
慰めにはならない。だが、少年が再び戦場に立つ時、その言葉はきっと助けになるだろう。
「僕もそうなるの?」
「逃げるのも自由だ」
「カイは、答えを見つけたの?」
「……いいや。まだだ」
「じゃあ、僕も探してみる。見付けたら教えて――あ、あそこの家だよ」
半刻程歩いただろうか、貴族街区を歩き通してようやくディメテル家に着いた。
門の外から見える邸内では慌ただしく人が行き来している。
門番に尋ねると、どうやらミハエルに捜索願いが出ていたようだ。
背負っている少年の顔を見せると驚愕され、この場で待っておくように言い残して、伝令に走っていった。
「お前はクルスと同じで目が良い。案外、お前の方が見つけるのは早いかもしれない」
「そっか………僕、頑張るよ!!」
背から下りた少年は自らの足ですっくと立つ。
その顔には生来の明るさが戻っている。つられるようにソフィアも笑みを零す。
親戚だからか、二人の笑みは少しだけ似ているとカイは思った。
「また会いましょう、ミハエル」
「うん!! またね、カイ、ソフィアお姉ちゃん!!」
「ああ、またな」
笑顔を取り戻したミハエルが元気よく帰っていく。
間を置かず屋敷から飛び出してきたのは少年の祖父だろうか、拳骨を頭に食らった後に抱きしめられている。
少年の冒険は終わったのだ。
「あれ、カイにソフィアじゃない?」
「兄さん、イリス」
タイミング良く邸内から二人が出て来た。
いつもの戦闘装備ではなく、略式ながら準正装だ。親戚に会うということで、二人とも華美にならない程度に服装を調えたのだ。
「どうしてここに?」
「ミハエルの依頼に付き合っていた」
「な!? お前達な……」
「もー、こっちがてんやわんやしてたっていうのに」
「すみません……」
「……まあいい。あちらも忙しいようだから今日は帰る。お前達はどうする?」
「そうですね。カイ、報酬は後日にしませんか?」
お忙しそうですし、と提案するソフィアにカイも頷きを返す。
「構わない」
「んじゃ、帰ろっか」
「――ん」
そうして四人連れ立って歩き出すと、カイの心は少しだけ軽くなる。
戦いの中で感じた加速する狂気も今は失せ、どこか落ち着く暖かさが心中を占める。
「どうしたんだ、カイ? いきなり微笑んだりして」
「笑っている? 俺が?」
口元に触れてみれば、確かに頬が歪んでいる。
笑みになっている自信はないが、クルスがそう言うのならそうなのだろう。
「そうか。俺は笑っているのか」
「別に今までも怒ったり笑ったりしてましたよ?」
「そうだったか?」
「なーにー? 楽しいことでもあったの?」
「ああ、そうだな」
ふと、思い出したという風にカイが口を開く。
背後の笑顔のソフィアにつられるように、確かな微笑が生まれる。
男は自分の為に笑うことはない。ならば、この笑みは未来の戦士の為だろう。
「え、なになに? ホントになんかあったの?」
「ああ――もしかしたら、ギルドのメンバーが増えるかもしれない」
ミハエルはサブメンバー的な扱いの予定です。




