第9話 擦り傷のショートケーキ①
ケーキの美味しいところは最後にとっておく派。
クリームたっぷりの頂点にあるつやつや大きないちご。
出来れば、カットされていないまんまるいちごが望ましい。そんな理想形のケーキが目の前にあったら、擦りむいた腕の痛みなんて忘れてしまいそうだった。お気に入りの服が破れて大ショックを受けたはずなのに、それでも目の前の三角じゃない円柱のショートケーキに釘付けになってしまう。
向かいに座っているやわらかい笑みが素敵なパティシエが『どうぞ』というので、小桃は痛いのを我慢して手を合わせたのだった。
*・*・*
名前は可愛いのに、苗字はかっこいいと言われる本条小桃。それが少しコンプレックスにはなっていたが、せめて見た目は可愛くしたいと春秋はシフォン系。夏冬はニットでそれらしく。おかげで読モからモデルまでデビューするのは早かったが、本名で活動しているほかのモデルたちが少しうらやましかった。
『苗字、しぶいね?』
『かっこいいね?』
その言葉が嬉しくないわけではないが、何故名前を可愛くしたのか両親には聞きにくいと思っている。母親は嫁いできた側でもしっくりくるし、父親は板についている感じだ。小桃以外は男兄弟なので皆それなりにかっこいい名前。反抗期、とやらはそれなりにあったらしいが。正直いって、拗ねていただけかもしれない。
ないものねだりだけだ……と思うことにして、活動名は下の名前だけにしている。けれど、最近の傾向だと本名をそのまま『イケてる』と売り出すパターンも多いと聞いて、少しだけどうらやましいと思ってしまったのだ。
(学校ではしょうがないと思ってたけど。世間に認めてもらう……か)
体型維持とかは気を付けているし、服の着こなしについても日々気を付けている。しかし、カメラマンやスタッフに呼ばれるときの『名前』を最近意識してしまうのだ。ほかのタレントと特集を組むときとかに『名前可愛いね』がなぜかしっくりこない。
キラキラ世界に憧れて飛び込んだはずなのに。どうしてか、最近は、しっくりこないのが悔しかった。
そして、オフの日に服巡りでもしようとした矢先、道端のコンクリに足を引っかけ……盛大に袖が破れるくらいの擦り傷をこさえてしまった。血がだらだら流れるくらいに、お気に入りのサマーセーターに無残にも沁み込んでいく。
「いったー!? ついてない!! これまだ、サンプルなのに!!」
目立つけど、どこか薬局で大きめの絆創膏でも買わなきゃいけない。薬局であれば、多分事情を話せば救急箱も貸してくれるだろうと踏んで。
チリン……リン。
風鈴に近いけど、もっと軽やかなドアベルかなにか。
その音が聞こえたと同じくらいに、目の前に影がかかったように見えた。小桃が上を見れば、なかなかにダンディな男性が困った表情で少しかがんでいたのだ。
「大丈夫? そこで怪我でもしたのかい?」
声もなかなか。タレントだと引っ張りだこになりそうなくらいに穏やかで耳どおりがいい。しかし、腕の痛みを思い出した小桃はすぐに頷いた。
「ドジって、ここ……すっごく擦りむいて」
「血が凄いね。救急箱もだけど、うちの店で休んでいかないかい?」
「お店?」
ゆっくり立ち上がらせてもらうと、痛みはまだ引いてなかったが看板らしきところを見れば。フランス語あたりで、『ル・フェーヴ』と書いてあった。英語の成績は悪くないが、モデルの仕事をしていてもブランド名の読み仮名くらいしかわかっていない自分でも、なんとか読めた。
よく見ると、男性はパティシエなのか。星の留め具がかっこいいコックスーツを着ていたので寄りかからないように注意あしてから、店の中に入らせてもらう。
「いらっしゃいませ」
誰もいないのに、女性の声……と、奥を見ればヘッドドレスが見えたので接客担当の店員がいたのだろう。小桃の身長はモデルにしては低めなので、すぐに気づけなかったせいかも。
「若葉くん。救急箱をお願い」
「もう持って来てありますよ。店長は、いつものを」
「そうだね。可愛らしいお嬢さんにとびきりのを」
「とびきり?」
椅子に座ってから気づいたが、カウンターの会計の横にはガラスのショーケースがあって……料理研究家でもなかなか作るのが大変じゃないかというレベルの菓子たちがたくさん入っていた。擦り傷を一瞬忘れるくらい見惚れ、手当のお礼関係なく食べたいし買って帰りたくなってしまうほどだ。
「砂……は服のお陰で傷口に付着してないですね」
「い゛っ」
手当に慣れているのか、若葉という店員は丁寧に手当してくれるものの……やはり、痛いものは痛かった。さっきの彼は店長らしいが、なにの『とびきり』を用意してくれるのだろう。少し期待してしまうが、お茶と一緒にお菓子まで用意してくれたりするのか。
昔から『お菓子いる?』と言われやすい顔立ちなせいか、ついつい美味しいものに目がないのだ。特に、ケーキだと甘ったるいだけのよりも酸味のある果物を使った……。
「はい、お待たせいたしました。痛み流しのショートケーキです」
「へ?」
ケーキセットを運んでもらえたのには嬉しくなったが、ネーミングセンスが少し変だというのに小桃はびっくりする。トレーからテーブルに置かれた、ケーキの皿の上には三角ではなく円柱のいちごのショートケーキがひとつ。デザートフォークの持ち手には小花模様が可愛らしく刻まれていた。
飲み物の有無を聞いていなかったのに、小桃が見た目に似合わないとこれも言われたことのあるブラックコーヒー。完璧とまで言いたいくらいのスペシャルなケーキセットはいいのだが、これの代金は普通の女子高生くらいだとためらう金額だ。小桃はモデル活動の仕事をしているから余裕は少しある。
「あ。お代はお金じゃないから、気にしないで」
「はい?」
店長は小桃の聞きたいことや困っていることをすぐに当てたかのように、ぽんぽんと答えをくれた。インタビューもそれなりにこなしてきたはずの小桃が口に挟めないくらいに。
「この店に来た理由。そのけが以外の『痛み』がこの店の代金なんだよ」
「……怪我しただけじゃない?」
「うん。それだけじゃない。コーヒー、冷めるからどうぞ?」
「あ、はい……」
熱々のコーヒーが冷めるのはたしかにもったいないが、ケーキのクリームも冷たいうちに食べたい。それに、てっぺんのいちごは最後にとっておきたいので……いつのまにか、手当が終わっていたあとだったため、手を合わせてからフォークでいちごを皿の上に置いた。
次回はまた明日〜




