第6話 肩凝りへのワインゼリー②
いつものエナジードリンク程度に飲んでいるゼリーとは、まるで別物。
よくある文字通りの言葉になってしまうが、久しぶりのちゃんとした洋菓子のそれを口にしたときの思いは、そんなだった。
「ワイン、って言ってたのに……苦くない」
酒はあまり得意でない雅樹は、成人したての頃に飲みやすいハウスワインをがぶのみしたせいで中毒症状に陥った思い出がある。それ以降、ビールも飲むことなく飲み会もほとんど食事目的で行く以外なかった。
「基本、アルコール分は熱を加える時点で飛んでしまうからね。あと、甘味の砂糖はかなり使うからさ」
「……へぇ」
食事系の作品は、そこまで多く書いた経験はないが忘れないようにしておこう。しかし、どこを食べても好みの甘さと少しの酸味が絶妙。中で沈んでいるベリーの甘煮はほんのり酸味がある、というのがまた雅樹の好みにドンピシャだった。
ゼリーはひと匙すくうごとに、つるんとした触感を舌の上でも味合わせてくれるようで。口腔から食道、さらに胃へ到達する流れがわかりやすく身体で感じ取れるくらいに、優しい感触だ。
無くなってしまうのはもったいないが、きちんと代金を支払ったらしいので最後まで食べ終える。最後にぬるくなってしまっていたが、ブラックのコーヒーが甘さをきゅっと締めて整えてくれるようなのも、また快感だった。
「どうかな? 痛みの方は?」
「……全然、痛くないです」
店長に聞かれて腕を軽く動かしても、軋むような痛みがちっともない。夢まぼろしにも思えたが、腕を下したときの違和感が逆に怖くなってきた。食事をしただけで、悩み以上の痛みが消えるだなんてファンタジーでもエリクサーとか言いたげになる代物。
ここは、本当に現実なのかと店長にもう一度質問しかけたのだが。
あの軽やかな風鈴の音に、なぜか遮られた。
気が付いたら、雅樹は部屋のベッドで寝ていたのだ。いきなり起き上がったが、しまったと思っても酷かったはずの肩凝りは全然起きなかった。
「……夢? けど、美味しかったのは覚えている?」
明晰夢にしても、現実味があり過ぎる内容だった。夢まぼろしとかのジャンルを好んでいないわけではないが、書く技術が乏しくてWEBでもあまり認知されないことが多い。文芸のつくラノベジャンルで本が出ることが多くても、続けて人気作を出せる人間はほんの一握りだ。
雅樹の得意とするのはハイファンと呼ばれるダークファンタジーなので、正反対と言ってもいい。
だけど、今は少しもったいない気分になってしまっている。
「書き溜めだけして、どっかのコンテストに投げるのもいいかも」
仕事は仕事にして、趣味範囲で書くには路線の違うジャンルを、たまには書き上げるのもいいかもしれない。それがどこかの編集の目に留まって拾い上げもあり得ることも、なくもないのだ。同じジャンルを書き続けて、最近は事務作業になりがちな作品が少し低迷していたのもあったが……ここいらで、心機一転という機会に傾くのもいいだろう。
「けど、お菓子とかの描写。……口に入れたときの感想以外?? ま、それは電子書籍とかにもあるからあとでコミカライズから探すか」
それと、食事系を書きたいのなら実体験も込み……などと、聞いた謳い文句を思い出して部屋を見渡せば。まあまあな汚物に近い状態だったので、バイトの掃除業務並みに片付けることにした。結構動いても、肩の凝りはやはり再発しなかったが。
回収ボックスに入れてから、まず作るのもいいがコンビニの出来合い弁当でもスナックでもなんでもいいから食べようと決めたものの、あの店にもう一度行けないかスマホで検索しても……洋菓子店は見つかったが、同じ店名はどこにも見当たらない。
「めっちゃ美味しかったのに。マジで、神様の仕業とか? いやいやいや……」
もしそうなら、次の作品は未発表になってもいいから丁寧に書こうと心に決めたのだった。
*・*・*
「基礎教育だけじゃ、補えないものは多い……ね?」
真宙はタイの留め具を外して次の依頼人への菓子を調理していく。今時ならメレンゲも専用のミニ家電で簡単に作れるのに、わざわざ手仕込みというこだわり様だ。
「まだまだ若い子だもの? 店長のお菓子で、いい刺激ももらえたんじゃないかしら?」
店員の若葉は、今日もディスプレイに使っていた見本のケーキをひとつ食べながらの会話。客はあの鈴の音が鳴らないと来ない仕組みなので、表で待機していても意味がない。真宙も承知なので、彼女がここにいることを許しているのだ。
「うーん。まだまだ発展途上にも乏しいし。社会経験が少し増えればいいけど……僕の薬菓子でどこまで『痛み』が取れたか」
「『怖い』って『痛み』ねー?」
「避けたことへの心の痛みさ」
わざわざ大学まで行っても、やりたいことを優先して後ろの目を閉ざしてしまうのは……若い人間にはよくあること。成功を経験したからこそ、目を閉じてしまうのが早い。失敗してしまうのを恐れるのではなく、そのものを怖くて堪らないという『ストレス』が雅樹の痛み。
肩凝りに擬態した肉体面の痛みは、整体やクリニックでもきっと取れなかっただろう。半分以上、あの痛みは『妬み』も含まれていたのだから。似た思いをした真宙には分野は違えど、気持ちはわからなくもない。
「でも、かわいい顔して食べていたわね? 店長の腕、また上がった?」
「そうだといいけど。あの年の子にも美味しく食べてもらえて何よりさ」
通常のケーキもいいかもしれないが。胃をびっくりさせないようにゼリーにしたのはたまたまの予想的中ではあったけれど。満足そうに食べてくれたときの笑顔は、『痛み』が抜けたときの最上だと真宙はこの仕事を継いだときかた常々思っていることだ。
先代が自分の娘以外に残してくれた店や道具たちを大事にして行けば、次が見えてくるのは本当だったと……今日もまた感じ取れた。
メレンゲが仕上がってきたので、次の依頼に向けての薬菓子をまた楽しく仕込んでいく。
この日常は、まだまだ長く続いていくのだから。
次回はまた明日〜




