第1話 歯痛のマカロン①
完全新作!!
アイシングで綺麗にデコレーションされている淡い色合いの二つのマカロン。間にはジャムかクリームたっぷりでとてもとても美味しそうにしか見えないのだけれど。
本当に、これを食べるだけで『痛み』とやらが取れるのか信じがたい気持ちでいたけれど、限界に程近い痛みに耐えきれないのも事実。
店長の言葉を信じ、ひとつつまむのだった。
*・*・*
納戸佳代子はただいま、歯痛に酷く悩まされていた。箇所が前歯とか下顎ではなく、奥の奥歯。一番痛いとよく言われる親知らずだ。抜くにも歯茎の下に埋まっている埋没タイプ。手術確定で、先ほどかかりつけの歯医者に病院の紹介状を書いてもらったところだ。クリニックだと手術機材が足りないのをどうにかしてほしいのに、現実的には無理らしい。
「う~~。縫ってもらうの覚悟で行ったのに……ダメ、か」
しゃべるとまたズキンと痛みがはしるがもう無視することにした。痛みが酷過ぎるので、会社は休むしかない。親知らずの酷さを知ると、話すことも困難になると上司がわざわざ半休を取るように勧めてくれたのだから……さっきも連絡したところ、手術日まで有給するかとまで返事をくれたのでありがたい。
手術が無事に終わってから、美味しい茶菓子でもお礼に持っていこうと少しどけちの佳代子が思うくらいだ。だけど、あと一日以上もこの痛みに耐えて家で過ごさなくちゃいけないのがしんどい。
「……痛み止めは飲んだけど。聞いたかどうかって感じ」
それでも腹は減るので少しばかり何か口にはしたい。染みはしないので、さっきも適当にペットボトルのお茶で流し込むことは出来た。寒い時期に冷たいものはあまり飲みたくないが、熱いのも口の中で刺激になるの、と思うことにしてマシな方を選んだつもりだが。腹の減りについてはどうもならないらしい。
とは言え、まだ夕飯にはだいぶ早い時間なので、どこかカフェかチェーン店のレストランでもと探していたが見つからないでいた。大通りを逸れてしまっていたので、スマホのマップで戻ろうとしたところ。
チリン……リン。
冬手前なのに、風鈴の音。重厚感のある音ではなく、軽く風に揺られただけのベルのそれに近い。
探してみると、小さいが洋菓子店のようなものが見えた。ガラス窓越しに無人の席があったので座れるかもしれないと思うと。そこそこ歩いた佳代子は迷わずにドアを開けた。自動ドアじゃない、木の扉は案外軽くて勢いをつけそうになる。
「いらっしゃいませ」
姿は見えないが、接客の店員らしい可愛い声が聞こえてきた。よく見れば、佳代子よりもだいぶ小さな女性がエプロンドレスとヘッドドレスを身に着けながら、にこっと微笑んでいた。女性からそんな風に笑いかけられることがあまりないので、つい苦笑いになってしまう。
「おや、いらっしゃい」
バックヤードから出てきたのは、やけに背の高い男性だ。パティシエみたいな制服を着ていたので、作り手は彼かとショーウィンドウのケースを見てみれば。
「か、かわいい!!」
基本的なショートケーキやっムースケーキなどがあることは当然と思っていたのに。ケースの中にあったのは、それらをオリジナルにデザインしたかのような可愛くて美しいケーキたち。マカロンもあったが、チョコペンかアイシングで装飾しているのか……花柄や模様が鮮やかで見ていて楽しかった。
「ありがとうございます。僕がいちから手掛けたんですよ」
「……お兄さんが?」
「お兄さん、っていってももうおじさんって歳ですが」
「三十一ですもんね、店長」
「そういう君だって、二十八だろう?」
「え!? おじょ……お姉さん?」
色々びっくりして、忘れかけていた歯痛がぶりかえしてきてしまう。手で押さえていると、ふんわりあったかい手が佳代子の腕に触れてきた。
「お疲れ様ですね。すぐに痛み止めを処方しましょう」
「あ、はい?」
「店長は依頼通りに」
「はいよ。可愛く素敵な依頼をこなしましょうか」
「お客様。こちらのお席に」
無人の席に座るよう促され、荷物は組み立てのキャリーボックスに女性店員が丁寧に入れてくれることになった。店長と呼ばれたパティシエは佳代子がぼうっとしているときに向かい側へいつの間にか座っていたらしいが。さっきは襟元に何もなかったのに、深い紫のタイと星形の襟止めを身に着けていた。上品に見えて、素直にかっこいいと思うのに……なにも注文していないのはずが、彼は佳代子の前に薄ピンクと青のマカロンの皿を置いてくれたのだ。
飲み物は、店員の方が紅茶ではなくホットのハーブティーらしき黄色のカップを添えてきたが……今から、何が起きるのかわからないのが正直言って怖い。佳代子はちょっと休憩するだけのつもりで寄っただけなのに、目の前の彼ら先ほどと打って変わって佳代子に悪徳商法でもするんじゃないかの出で立ちでいたから……つい、椅子からお尻がはみ出して、こけそうになった。
「おっと、危ない」
向かい座っていたのに、店長は佳代子の横で倒れそうだった彼女を受け止めてくれた。すぐに椅子には座らせようと手を貸してくれたが、佳代子はもう思い切って聞くことにした。
「あの。依頼ってなんですか? 私、まだ注文も何も」
「いいや。お姉さんはきちんと注文をしたよ? その『痛み』で」
「痛いのが? 明日手術しますけど」
「うん。それもあるけど……この店に来た理由は必然でしかない。一日でもはやく、さっさと取りたい痛み。だったら、それは『痛み抜きマカロン』を処方するのが僕の役目」
「……ファンタジー?」
「まさか。一種のおまじないに等しい。しかし、大昔から等価交換はリサイクル以外にもなんだってされていたんだ」
「だからこそ。お客様がこの店にこられ、『痛み』を取る必要があれば……我々は痛みを代価に薬に近いケーキなどを提供するのです」
「砂糖は、それこそ舶来品としては薬の代用にもされていた」
「……もう、わけわかんな、いだだ……」
だけど、きちんと目を見て話せているし。香りのするハーブティーも目の前にちゃんとある。であれば、おまじないついでに『痛み』とやらを渡せばこれを……実質ただで食べていいという欲望に勝てず。
店長に、もう一度目を合わせれば『召し上がれ』と言わんばかりに手を前に出した。
「その『痛み』に見合う代価はその菓子。お代は本当に『痛み』のみ」
「……いた、だきます」
ハーブティーで軽くのどを潤してから、まずは花模様が可愛らしい薄ピンクのを手に取り。大口を開けずに、そっと端からかじりついてみた。




