021 会いたかったよ、マイハニー
ナチス・イン・ワンダーランド――一見してどっかのパクリみたいなタイトルの映画だけど、はじめて上映されたのは2006年のことだ。
物語は西欧のとある田舎町で、奇妙な行方不明事件が多発するところからはじまる。
そこで主人公らしき男性警察官が調査をするところから始まるんだけど、彼は主人公なんかじゃない。
途中でたまたま街に立ち寄った女子大生が、やたら冴えた勘でその犯人が“半人半獣の化物”であることを突き止めるけど、彼女も主人公じゃない。
じゃあ誰が主人公かと言えば、強いて言うのなら――やはり“ヨズア博士”ってことになるんだろう。
ガスマスクをかぶり、血に汚れた白衣を纏ったなかなか強烈なヴィジュアルで、物語中盤頃に登場するヨズア博士は、視聴者に強烈な印象を刻みつける。
なにせ、これまで主人公ムーヴしてきた主要登場人物たちを、謎のガスでことごとく化物に変えてしまうのだから。
その後も、銃弾の雨を浴びようが、毒ガス攻撃を受けようが、岩石に押しつぶされようが、最終的には核ミサイルの直撃を受けながらも、彼は死なない。
死なずに、己の目的――すなわち“独裁者の蘇生”を成し遂げ、地球は化物の星となり、狂った高笑いを響かせながら映画は幕を下ろすのだ。
誰もがスタッフロールのあとに救いを求めるが、そんなものはない。
むしろ、それを読んだヨズア博士――まあ実際は監督や脚本家のせいなんだけれど――がいきなりスクリーンに現れ、『残念だったね、この映画はここで終わりだヨ』と言いのこすほどの徹底っぷりだ。
そんなだから、ナチス・イン・ワンダーランドという映画にはある種のカルト的人気があって、日本でも定期的に上映イベントが行われたり、続編が作られたりしていた。
まあ、この手の続編のお約束として、5まで乱発した挙げ句に2以降は全部駄作なんだけども。
もっとも、1の時点でB級ではあったのだ。
明らかな低予算、なぜかやたら力の入ったゴア描写、耳に残る単調なBGM、そして次々と現れる大根役者たち。
ヨズア博士の存在がなければ、そのDVDは今ごろ、ワゴンセールにおいて100円ほどで売買されていたことだろう。
「それが、この街に潜むイレギュラーの正体なのね」
キルシュは戸惑いながらも、私の話を受け入れてくれた。
でもさすがに……記憶喪失って話は、もう通りそうにないかな。
まあ、キルシュもとっくに気づいてるとは思うんだけども。
ウィリアお姉ちゃんも同じく。
メイルも、よくわかっていなさそうだけど、私の話を疑ってはしてないみたい。
でもティンクルだけはそうもいかなかった。
「やっぱり納得できないんだけどぉ★☆ 要するにそのエイガってのは、演劇を記録してるものなんだよねー★☆」
「そういう認識でいいと思う」
「じゃあさ★ それってあんたの世界の“創作物”ってことよね★」
「それは……この世界もそうだから」
「それが納得出来ないって言ってるんですけどー★ なんでティンクルたちの世界がぁ★ あんたたちに作られなくちゃならないわけー?★★」
つっかかりたくなる気持ちもわかる。
だってそれはつまり――自分の出生そのものを否定されるようなものなんだから。
「こらティンクル、今はそんなこといいじゃない!」
「よくないんですけどー★ ねえウィリア、わかってるぅ?★★ こいつはね、ティンクルたちの人生はぜーんぶ作り物でしたーって言ってんの★★★」
「どうしてそうなるのよっ!」
「たしかにー、モミジの言葉が本当ならー、この世界が生まれたのっていつになるんだろうねー」
「……私が知る限りでは、二年前かな」
「じゃあ、ティンクルたちの生まれたのは二年前ってことぉ?★★★」
「待ってティンクル! 彼女の魂がアーシャの中で十年間眠っていたとしたら、最低でもそれだけの時間は――」
「今はんなこと話してんじゃねえんだよぉッ!」
ティンクルは怒鳴ると、目の前のテーブルに拳を叩きつけた。
うへぇ、すっごい威力。
殴られたとこ、粉々に砕け散ってるんだけど……。
「二年前ぇ?★★★ ティンクルぅ、クラスⅩの執行者なんですけどぉ?★★★ 少なくとも百年以上は組織で生きてきたの★★ 今と違ってイレギュラー退治のお仕事じゃなかったけどね★★★ それがさぁ、全部作られたものだって言ってんでしょ―?★★★★」
「それをモミジに当たったってしかたないわ」
「あぁ? 小娘は黙ってろよ!」
睨みつけられるキルシュ。
けれど彼女はひるまない。
その姿を見てると、胸が痛くなってくる。
だって、今日までキルシュのこと騙したっていうか……いや、そのつもりはないんだけど、大事なこと黙ってたのに、それでもかばってくれるんだから。
「いいえ、黙らないわ。誰だって同じことよ。自分が、過去の記憶にある出来事を実体験してきたかどうかなんて確証がないもの」
「そりゃそうですけどー★」
ティンクルは喧嘩腰で答える。
今はお姉ちゃんが隣にいるから抑えてるけど、イレギュラーである私たちを殺したくて仕方ないって、雰囲気でわかる。
怖いな、この人。
でも怖気づくわけにはいかない。
キルシュが私のために勇気を持って発言してくれてるんだから、私が黙ってちゃだめだよね。
「あの……私もね、必ずしもこの世界が、私たちの世界で生きる誰かが作ったものだとは思ってないんだ」
「なにを言いたいわけ?★」
うぅ、睨まれてるだけで変な汗でてきちゃった。
殺気ってやつかな、これ。
「偶然似ていただけかもしれない。だって、本当にここがゲームの世界なら、もっと沢山の“勇者”の記録が残ってないとおかしいから!」
「どういうことー?」
メイルの相づちが、ほんの少しだけ場の空気を和ませた。
「どう説明したらいいのかな……えっと、そのゲームはね、たくさんの人が同時に遊ぶようなゲームで、それこそ何千人とか、何万人って人がこの世界で“勇者”として活動してたはずなんだ。でも記録には、そんなの残ってないよね?」
「そうね、勇者は一人だけだわ」
お姉ちゃんの言葉が事実なら、その時点で私の知るマジサガの世界とは異なる。
「偶然似てるだけかもしれないし、ゲームを元に神様が作ったのかもしれない。逆に、この世界を見て私の世界の人がゲームを作った可能性だってあるし……」
「……はぁ。わかった★ わかりましたぁー★☆ ティンクル、ちょっと大人気なかった★☆ そこは素直に謝りまーす☆☆☆」
「今はそれどころじゃないってやっとわかったみたいね」
「そこでウィリアが偉そうにするのもムカつくんですけどー★」
ジョークなどではなく、本気で苛立っている様子のティンクル。
お姉ちゃんとこの人って、仲間だけど仲はよくなさそう。
「ねえモミジ、そのヨズア博士って人に弱点はないの?」
「うん……無いから困ってるんだけど。だって、核ミサイルの直撃を受けても生き残ってるような人だよ?」
「かくみさいるー?」
「すっごく強い爆弾、って言えばわかる?」
「どれぐらいの強いのー?」
私は言葉に詰まった。
すっごく強いし、めっちゃ焼き尽くしちゃうのはわかるけど、具体的にどうって言われるとなぁ。
「ネキスタの街があるでしょ?」
「うんうん」
「それが、ぜーんぶ更地になっちゃうぐらいの威力」
「……うわぁ、強いねー。わたし、干物になっちゃいそうだねー」
相変わらず気の抜ける……いや、この場だとそれが癒やしになってるのかもしれない。
ちなみに、ナチュラルに人型になって椅子に座ってるメイルだけど、もちろん起きてすぐに私の唇は奪われている。
ついでにキルシュにも奪われた。
私、風紀の乱れが激しすぎると思います。
なーんてふざけてる余裕、本当はないんだけどね。
お姉ちゃんとティンクルは、眉間にシワを寄せてなにやら考え込んでいる。
「それに加えて、あの化物もうようよいるわけでしょう? ちょーっときついかもしれないわね、私たちだけじゃ」
「夜が明ける前に応援は呼んだからー☆ そろそろ来ると思うんだけどー☆」
「ゴールドマンを呼んだのよね。こんな街中で大丈夫なの?」
「あいつを戦わせるならぁ☆ 敵を外まで連れてかないと、街ごと焼いちゃうよねー☆ でもモミジって子の話が事実だとするとぉ★ ゴールドマンの魔法でも焼ききれないかも★」
「そのための私たち、でしょう?」
「勝手にひとくくりにしないでくれるー?☆★☆」
相変わらず仲がいいのか悪いのか。
「援軍、来るみたいね」
隣に座るキルシュが顔を近づけながら言った。
ふいの接近に心臓がどくんと高鳴る。
気づけば視線は唇に向いていて……私、こんな綺麗な女の子と、キス……しちゃったんだよ、ね。
メイルだって美人さんだけど、あっちはなんていうかな、ムードが無いっていうか、からっとしてるというか。
別に、キルシュのキスがねっとりしてるってわけじゃないんだけどね!
「ご、ゴールドマンって言ってたけど、変な名前だよね」
「私、まだ二人の戦いを見ていないのだけれど……リーガよりも強いのかしら」
「ティンクルをリーガとかいうゴミと一緒にしないでくれるー★★」
ひそひそ話だろうと、執行者の地獄耳からは逃れられないみたい。
ティンクルは歯を見せながら悪ぅい笑みを浮かべ、キルシュに言った。
「あいつはぁ、できそこないだから★ クラスⅨのくせにぃ★ 子どもたちを利用してようやく執行者になれたザ、コ★☆★ キャハハッ☆」
なんでこういう頭おかしい系の人って、『キャハハ』って笑うんだろう。
「死人の悪口は感心しないわ、ティンクル!」
「そうは言うけどさー★」
「気持ちはわからないでもないけど……そうね、私たちあいつよりは遥かに強いわよ。並のイレギュラーには負けないわ」
もし二人が執行者としての美学のようなものを持っているのだとしたら――子供を爆弾にして利用するリーガのやり方は、あまり気に入らないのかもしれない。
私もあいつは嫌いだ。
でも、殺すのはさすがに――今も、手に感触が残っているような気がする。
実際の死体は見もしてないけど、人を殺してなにも感じないわけがない。
少なくとも、私は。
「ていうかさ、一応ゴールドマンは呼んだけどぉ☆ 実際のところさー★ そのヨズア博士ってのも、隠れてこそこそ逃げ回ってるだけでしょ?☆ ティンクルさぁ、そいつがそんなに強いとは思えないんだよねー☆☆」
「確かに私も、映画の知識だけだから絶対に強いとは言えないけど……」
実際、ヨズア博士本人が戦うシーンというのは、劇中にほとんど無い。
戦うのはもっぱら気持ちの悪い化物ばかりで、彼はそれを見てきゃっきゃと喜ぶばかりだ。
核ミサイルの中から生き残ったのも、その攻撃を読んでいた博士が、あらかじめシェルターに隠れていたという説がファンの中では有力視されている。
「まあなにはともあれ、まずは捜すところからよ! 人魚伝説とマルス・ジェノス。ヨズア博士は2つの隠れ蓑を失ってるわ。今までのようにコソコソと活動するのは難しいはず」
「チーム分けは?☆ イレギュラーを野放しにするわけにもいかないと思うんだけど☆」
「わかってるわよ。私はそっちのキルシュって子と、メイルって子を連れて街の北側を――」
お姉ちゃんがきびきびと指示を出している途中、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
言葉が止まる。
全員の視線が扉のほうに向いた。
「朝食をお持ちしました」
そんな男性の声が響く。
ティンクルはにらみつけるように、私たちを見回した。
「誰か頼んだの?★」
するとキルシュが控えめに手を上げた。
「食堂で食べるよりは、ここで食べたほうがいいと思って。食事抜きじゃ戦うのも辛いでしょう?」
「はぁ……別にティンクルたちは食事ぐらい抜いたって平気だけど★ ま、呼んだんなら敵の罠でもないか☆ 誰か出てよ、ティンクルはめんどくさいからここから動きたくありませーん☆」
仕方ないので私が立つと、同時に立ち上がろうとしたキルシュを「いいよ」と止めた。
そしてドアのほうに近付こうとすると――
「あのぉー、朝食をお持ちしました。鍵を開けていただいてもよろしいでしょうか?」
待ちぼうけさせられた宿の人が、困ったような声で言う。
「あぁ、すいませんすぐに開けますー!」
せっかくご飯を持ってきてくれたのに、待たせるなんて失礼だ。
私はドアノブに手をかけ、ひねる。
開いたドアの隙間から、食事の載った台車と、人の良さそうなおじさんの顔が見えた。
「はい、こちらご注文いただいておりました朝食と――」
全員の視線が彼の顔に集中している。
だから、誰もが違和感に気づいた。
口が動いていない。
声は聞こえるのに――いや、違う、この人は喋ってないんだ。
喋っているのは、その後ろにいる別の誰か。
宿のおじさんは、すでに死んでいる――
「サービスの、不老不死となっておりまぁス!」
もはやそいつはものまねすら放棄した。
ハイテンションな声が部屋に響き渡ると、おじさんの体はがくんと震え、胸から赤さびたパイプのようなものがせり出してくる。
そこから吐き出されるのは紫色のガス。
「ッ!?」
現れた何者かの言葉が事実ならば、そのガスを吸えば待っている末路は――半分人外の化物。
私の背後で窓ガラスが割れる音が聞こえた。
お姉ちゃんがキルシュを、ティンクルがメイルを抱えて、部屋の窓から飛び出したのだ。
できれば私も同じルートで逃げたかったけど、この距離じゃ無理に決まってる。
ガスを吐き出し、おじさんの体はしぼんでいく。
その背後に立っているのは、ガスマスクを被った白衣の男。
彼の正体を考えるより先に、私は短剣を握り、シャドウステップを発動していた。




