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018 騒がしい夜だ、私が望んだ通りの

 





 ワタシはアーシャではない。

 けれどアーシャと名付けられた何か。

 ひょっとすると他に何かいいネーミングがあったのかもしれませんが、私のボキャブラリーではそれが限界でした。

 だから――


「いいえ、ワタシはアーシャですよ。ただし、あなたの知るアーシャでは……いえ、それも語弊がありますね。あなたは知っているけど、知らないアーシャとでも言うべきでしょうか」


 そう答えるしかありませんでした。

 お姉ちゃんは目を細め、鎌を握る手に力を込めます。

 すごい殺気……今のワタシで彼女の動きについていけるとは思えませんし、うかつなことを言ったら即死かもしれませんね。


「私がどうして怒ってるかわかる?」

「わかります。アーシャではない誰かが、可愛い妹の名前を名乗っているから、ですよね」

「そうよ。でも私はあなたを問答無用で殺せるほど割り切ってもいない。その理由もわかっているんでしょう!?」

「はい、わかります。ワタシは紛れもなくアーシャの一部だから、ですよね」


 頷くお姉ちゃん。

 そう、ワタシはわかっているんです。

 だってワタシは、アーシャでなくとも、アーシャと繋がりはあったんですから。


「モミジは知らない体でいたようだけど、あなたは答えてくれそうね。教えて、その体の元の持ち主だったアーシャ・アデュレアはどこに行ったの!?」

「死んだんじゃないですか」

「……断言、できる?」

「断言はできません。ですが、命を放棄するだけの理由はあったはずです」


 それはワタシの中に――正確にはこの肉体(・・)に、記憶として残っている光景。

 モミジがこの世界で目を覚ます直前、あの森では“蠱毒”と呼ばれるテストのようなものが行われていました。

 それは生き残った者が執行者になれる、下っ端である実行者にとっては命よりも大切な儀式。

 というより、私たちには命などゴミ以下の価値しかないのですが。


「蠱毒において、アーシャは誰よりも信じていた友人に殺されかけました。ですがとっさに反撃し、逆にその友人を殺してしまった」


 本当はその死体、モミジのすぐそばにあったんですよね。

 でもそういうの、彼女の管轄(・・)ではないので、見て見ぬふりをしたみたいですけど。


「それは聞いているわ。でも、だからって!」

「もみ合った拍子に突き飛ばされ、木で後頭部を強打したアーシャは、消えゆく意識の中で怨嗟を吐き出す友の姿を見ました。それは彼女にとって、この世を捨てるに十分すぎる理由だったのでしょう」


 ワタシはポケットからカード状の物体を取り出し、お姉ちゃんに向かって投げました。


「ソウルカートリッジ……」

「そこにアーシャの魂が入っています。サンサーラ・アルゴリズムに取り込めば、生まれ変わってクラスⅢの実行者として新たな命を得られるはずですよ。もっとも、お姉ちゃんの妹として生きてきた記憶は持ち越せないでしょうけど」

「どうしてそうなるの? 死後、カートリッジに封じられた魂はある程度記憶を引き継ぐはずよ!」

「ここに記憶があるからです」


 トントン、と胸を叩きます。

 ワタシには、ワタシではない別の誰かの記憶がありました。

 おそらくそれが、アーシャのものなのでしょう。

 だから名もなき私は、アーシャを名乗った。


「まあ、お姉ちゃんにとっては魂などどうでもいいことでしょうけど」

「……」


 黙り込むお姉ちゃん。

 図星だから。

 アーシャの魂になんて本当は興味が無いから、そんな顔をするんでしょう。


「アーシャを妹のように可愛がったのは、顔が大昔に死んだ妹にそっくりだったから、でしたっけ」

「……そうよ。そこまで知っているということは、本当に記憶はあなたが保持しているのね」


 お姉ちゃんから殺気が失せ、鎌の刃がぐにゃりと歪んで消えました。

 ただの棒になった武器を背中のホルダーに戻すと、彼女はカートリッジを胸元に仕舞いました。


「殺さないんですか?」

「最初からできるわけないじゃない。その顔で、その声で、そんな顔で……っ!」


 お姉ちゃんは、まだ組織に属していなかった頃、妹を自らの手にかけました。

 それが組織に入る条件だったからです。

 妹は喜んで姉に命を捧げましたが、あれから9度人生を繰り返したお姉ちゃんは、今だってその罪から逃げられないまま。


「アーシャは……あなたではなく、元のアーシャは、きっとあなたの存在を知っていたのね。だから、簡単に肉体を捨てることができた」

「この奇跡とも呼べる肉体が失われれば、お姉ちゃんが悲しむことを彼女は知っていたはずです。ですが……ワタシの存在をはっきりと認識していたような記憶は残っていません。違和感のようなものはあったようですが」

「その肉体で眠っていた頃のことを覚えていないような口ぶりね」

「事実、そうですから。なるほど、ですがそうなると、ワタシは10年ほど意識を失っていたことになりますね」


 つまりあの――業火の中でゲームの世界に逃げ場所を求めた瞬間から、すでに10年以上が過ぎているということ。


「もう一つ、確認しておくわ。あなたはイレギュラーなの?」

「イレギュラーの定義――“別の世界から来たもの”という意味ではそうなんでしょう。ですがワタシにとっては、この世界の方がイレギュラーのようなものです」

「何が言いたいの?」

「ワタシの世界から見て、この世界はゲームの……わかりやすく言うと、“物語の中の世界”でした。それがこの世界を作り上げた人間の手を離れ、まるで、一つの独立した世界のように振る舞っている」

「神の世界から来たとでも言うつもり!?」

「神を名乗るつもりなんてありません。しかし現実として、ワタシにとってこの世界は作り物だった。だから、“物語の読み手”であるがゆえに、こんな力が使えるんです」


 ワタシは彼女の前に、インベントリから取り出した死体を投げました。

 そしてすぐにインベントリ内に戻します。

 彼女はその死体を視線で追ったあと、難しい顔をして地面を見つめたまま固まってしまいました。


「これは、ゲームのプレイヤーにのみ許された権限。ひょっとすると昔、似たような力を使える誰かが居たかもしれませんね」

「魔王を倒した、勇者……」

「おそらくそれと同じです。ですから……ええ、考えようによっては“元からこの世界に居たもの”でもあるわけですから、イレギュラーではないとも言えるかもしれませんね」

「……私の推測と同じ」


 ぼそりと呟いた声は、ワタシにも聞こえていました。

 どうやらお姉ちゃんは、その可能性も考えていたようです。

 さすが執行者、頭もいいですね。


「何者かがその世界からやってきた魂をソウルカートリッジに捕らえ、アーシャの魂と一緒にサンサーラ・アルゴリズムを用いて一つの肉体に宿した……」


 それをワタシは――紅葉は“異世界転生”と呼んだ。

 いえ、実際それは正しかったわけですが、じゃああのときに見た人間は誰だったんでしょう。


「他のイレギュラーを呼び出した方法と比べると遥かに回りくどい方法。何らかの意図があって行われたと推測できる。10年前……いえ、ソウルカートリッジに封じるのならそれよりも前でもいい。魂を異世界から呼び出す。なぜ魂だった? 実体の無いものを何のために? 規模は小さい、アーシャの話が真実ならこの世界と元から繋がりはあった、時期を考えると黒点が発生するより前。まさか、それが呼び水だった……? いえ、だったらわざわざアーシャの肉体に宿らせる必要は無いはず。この時期でなければならない理由があった? 誰かと会わせるために? ひょっとすると、私の意志すらも――」


 思考のブレイクスルーでも起きたのか、お姉ちゃんはさらにぶつぶつと何かをつぶやき続けています。

 ですが壁の向こうに待っているのは、また新たな壁。

 あまりに大きな木の根に至るには、まだ遠いようです。

 待っていると長くなりそうなので、ワタシがしれっと元の通りに戻ろうとすると――


「待ちなさい、どこに行くつもりなの!?」


 お姉ちゃんはいつもの調子で説教してきました。

 まあそれも、ワタシを心配してのことなのでしょうが。


「マルス・ジェノスについて調べに」

「だったら私も一緒に行くわ、文句ないわよね?」


 頼もしい、けれどめんどくさそうだ。


「断っても付いてきますよね」

「もちろんよ!」


 じゃあ聞くだけ無駄じゃないですか。

 ワタシがため息をつくと、お姉ちゃんはニコリと笑って隣を歩きました。

 そして通りに出ると、店主のいなくなった露店に薬物中毒者(ジャンキー)が群がっているではありませんか。

 ワタシはナイフを抜いて殺そうとすると、お姉ちゃんがそれを止めました。

 そして彼らに近づき、問いかけます。


「ねえあなたたち、この薬について聞かせて――」

「いっひひひひっ、ひゃはっ、ひゃはっ、っべぇ、べぇよー! 女じゃーん! 気持ちよさそうな女! 目! 目とか! 好き! いっひいぃぃぃっ!」

「あー、あー、あー、あー」


 一人はお姉ちゃんを見るなりズボンを脱ぎだし、もう一人は露店に売ってあった粉を吸い込みながら口の端から涎を垂れ流しています。

 これ、絶対に話通じませんよ。


「お姉ちゃん、こういう人たち相手に普通に聞いても無駄ですよ」

「……そうね、他に行きましょう」

「いえ、こうすればいいんです」


 ワタシは今度こそ短剣を抜いて、まず話が通じそうにない『あーあー』言ってる男の首に突き刺します。

 そこから缶詰を開けるみたいに刃をぐるりと滑らせると、傷口はくっぱりと開き、大量の血が溢れ出ました。


【EXP200 武器EXP250 を得ました】

【パーティメンバー ウィリア EXP200 を得ました】

【パーティメンバー ウィリア は武器を装備していないため、武器EXPを得ることができません】


 ひどいものです、生きててもゴミなのに死んでも役に立たないなんて。

 いつの間にかパーティ扱いになったようで、お姉ちゃんにも経験値が入りましたが、レベル135じゃこんなの雀の涙程度にしかなりません。

 無言で倒れていくそいつを、ワタシは汚れないようにとっととインベントリに収納します。


「……ひゃは?」


 これにはさすがに残る一人の男も驚いたみたいで、でもまだ意識の半分はあちらの世界に言っている様子。

 なので痛みで引き戻そうと、戸惑う彼の太ももに刃を突き立てました。


「あっ、ぎゃ……!」


 薬のおかげである程度痛みは麻痺しているのか、リアクションは薄めです。

 しかしそれなりに効いたらしく、その虚ろな視線がワタシの方を見ました。


「お姉ちゃん、これで聞けると思いますよ」


 ワタシは賛辞を催促するように、お姉ちゃんに笑いかけました。


「アーシャ、あなた……」


 でも褒めてくれません。

 難しいですね、姉妹って。


「殺すのを楽しんでるんじゃないでしょうね!?」

「そうですよ、人殺しはとても楽しいですから、殺せる相手はできるだけ殺していきたいですね」

「……それは、あなたの望みなの?」

「ええ、一方的に暴力が振るえる人間になりたかったんです。ですからワタシは今のワタシに満足してします」

「そう……なら、何も言わないわ。快楽殺人でも、味方には手を出していないようだから」


 姉ならそこは怒るべきだと思うんですが、お姉ちゃんも人殺しですもんね。

 そうこうしているうちに、男の出血は増え、少しずつ意識が薄れていっている様子でした。

 早く聞かないと、死んじゃいますよそいつ。

 それに気づいたお姉ちゃんは、彼に目を合わせて聞きました。


「ここに置いてあった薬は、このあたりでは普通に流通しているの?」


 お姉ちゃんが言っているのは、露店に並ぶ、袋に小分けされた白い粉のことのようです。

 男はその問いに、頭を縦に振りました。


「いつごろから?」

「い……いっは、へふ……」


 ろれつが回っていません、ですが“一ヶ月”と言っていることはなんとかわかります。


「その前から、同じぐらいの品質の薬が出回っていたの?」

「ひゃい、ひん……いひなり、ひょく……なっ、なっ、た……」


 最近良くなった、と言っているようです。

 つまり、以前まではもっと粗悪な薬が出回っていた、と。


「マルス・ジェノスが誰かと新たに取引を始めたってこと?」

「わひゃら、なひ。わひゃ、ひひっ、ひゃひひひっ」

「……そう、ありがとう、助かったわ」


 律儀ですね、そんな男にもお礼を言うなんて。

 薬のせいか、傷のせいか、以降、彼はもはや意味のある言葉を発することはありませんでした。

 失禁もしているようなので、汚れる前にさっくりと首を突き刺し、とどめを刺してインベントリに仕舞います。


【EXP300 武器EXP320 を得ました】

【パーティメンバー ウィリア EXP300 を得ました】

【パーティメンバー ウィリア は武器を装備していないため、武器EXPを得ることができません】


 無事に経験値もゲット。


「死体の処理に悩まなくていいなんて、理想的な能力ね」


 お姉ちゃんは皮肉っぽく言いました。

 でもワタシは、それを素直に褒められたと思うことにしました。


「お姉ちゃんも死体処理や隠蔽で困ったらいつでもワタシに言ってくださいね」

「……強いわね、あなた」

「ふふふ。ところで、さっきの質問はどんな意味があるんですか? 薬について聞いてましたけど」

「聞いての通りよ、見たこともない薬が売ってあったから尋ねてみただけ。少なくとも以前ネキスタに出回っていたものとは段違いの質の良さよ」


 薬の良し悪しはわかりませんが、依存性が高くてより気持ちよくなれるとか、そういうのでしょうか。


「匂いも感触も未知のものね。不純物も極端に少ない。こんなもの、プロフェッサーでも作れるとは思えないわ」

「つまり……イレギュラーの仕業である可能性が高いということですね」

「ええ、これをマルス・ジェノスが流通させているとしたら、その男が薬物に関連するイレギュラーを飼っているのかもしれないわ。不老不死も人魚の肉ではなく、その薬物によるものなのかも」

「それをカムフラージュするために、メイルを利用した……」


 そんな目的で下半身を切断されるなんて、メイルも不憫ですよね。

 性格の明るさで誤魔化してますけど、捕まっているときはかなり辛い思いをしていたようですし。


「もう少し聞き込みをしてみましょう、行くわよ」


 いつの間にかお姉ちゃんにリードされながら、ワタシたちはマルス・ジェノスとイレギュラーに関する情報収集を開始しました。


 話の通じないジャンキーの相手は可能な限り避け、絡まれたら迷わず殺害。

 首を刺したり、心臓を一突きしたり、喉を貫いたり、色んな殺り方を試しながら、隙あらば殺していきます。


【EXP400 武器EXP450 を得ました】

【パーティメンバー ウィリア EXP400 を得ました】

【パーティメンバー ウィリア は武器を装備していないため、武器EXPを得ることができません】


【EXP500 武器EXP530 を得ました】

【パーティメンバー ウィリア EXP500 を得ました】

【パーティメンバー ウィリア は武器を装備していないため、武器EXPを得ることができません】


【EXP200 武器EXP230 を得ました】

【パーティメンバー ウィリア EXP200 を得ました】

【パーティメンバー ウィリア は武器を装備していないため、武器EXPを得ることができません】


【EXP330 武器EXP220 を得ました】

【パーティメンバー ウィリア EXP330 を得ました】

【パーティメンバー ウィリア は武器を装備していないため、武器EXPを得ることができません】


【EXP800 武器EXP890 を得ました】

【キャラクターレベルアップ! 53→54】

【“アサシンダガー”武器熟練度レベルアップ! 1→2】

【短剣適性上昇! 13→14】

【パーティメンバー ウィリア EXP800 を得ました】

【パーティメンバー ウィリア は武器を装備していないため、武器EXPを得ることができません】

【パーティメンバー ウィリア キャラクターレベルアップ! 135→136】


 あ、お姉ちゃんのレベルが上がっちゃいましたね。


「うわぁっ、何よこれ!?」


 いきなりのシステムメッセージ出現に、キルシュ同様に驚いてるようです。


「レベルが上がったみたいですね」

「レベルぅ?」

「強くなったってことです。敵を倒すと経験値が入って、それが上がっていくんですよ」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! それはあなたの能力でしょう? どうして私にまで効果があるのよ!」

「協力して情報収集してるからじゃないですか」

「そんな簡単に……うぅ、イレギュラーの影響を受けるなんて、あとでプロフェッサーになんて言われることか」


 そもそもワタシ以外に認識できない数字なんですから、気にしなければいいだけなのに。

 ワタシは全く気にせずに、どんどん薬と金と性欲に溺れたアレとよく似たゴミを殺していきます。

 死ねば死ぬほど世界は秩序に満ち、綺麗になっているように感じられました。

 お姉ちゃんは複雑な表情をしていましたが、彼らがゴミだという認識は同じらしく、特に止めたりはしませんでした。


 恐怖と苦痛による拷問のおかげか、ワタシたちは順調に情報を集めることに成功し――

 いくつかの貴重な証言を得ることができました。


 まず、ちょうど二ヶ月ほど前から、マルスの屋敷に見知らぬ男が出入りし始めたこと。

 間違いなくネキスタの人間ではないそうで、何らかの取引を行っていたと思われます。


 次に、一ヶ月前、同じくマルスの屋敷に大きな荷物が運び込まれたこと。

 それと時をほぼ同じくして、質のいい薬が出回りはじめたようです。


 最後に、ネキスタで奇妙な死体が発見されるようになったこと。

 ある人は犬と人間の混血だと言い、またある人は熊と人間のハーフだと語っていました。

 ひょっとすると、それは同一の死体を指しているのではなく、すでに犠牲者は数人出ているのかもしれません。

 共通して言えることは、その死体は決して表に出ることはなく、マルス・ジェノスの手によって存在を隠蔽され、ひっそりと処理されるということ。


 そしてワタシたちは偶然にも、今、まさにその状態になり、死ねずに苦しんでいる犠牲者と対面することができたのです。

 そこは路地裏に立ち並ぶ店と店の間、人一人がかろうじて通れるレベルの細い道を抜け、店舗の裏側に回った場所にあるスペース。

 彼は、そこで舌を出して「はっはっはっはっ」と息を吐き出しながら、横たわり、足をジタバタさせていました。


「犬人間……」


 お姉ちゃんがつぶやきます。

 ワタシも、それ以外の呼び名が思いつきませんでした。

 顔は大半が犬となり、しかし目と歯は人間のもの。

 体はけむくじゃらながら人の形をしており、しかし両手と左足は犬、右足のみが人。

 その動きは、完全に犬になることができずに苦しんでいるようにも見えました。


 さらに、彼の傍らには股間から血を流した男性が倒れています。

 犬人間の口元が血で汚れているところを見るに、咥えさせようとして噛みちぎられ絶命したのでしょう。

 頭がイカれてます、どいつもこいつも。


「でも、話に聞いていた“死体”ではないわね」

「噂が流れてたのも、そう見えただけで死体じゃなかったんじゃないですかね」

「生きていたって言うの?」

「ワタシ、これ……あのお店で見た、魚になりかけの女性と似ていると思うんですよ」


 不老不死。

 しかし再生すればするほど、肉体が魚に近づいていく女性。

 ワタシはそれを確かめるために、人の形をしている右足に短剣を突き刺しました。


「きゃううぅぅんっ!」


 犬人間は、成人男性の喉で、犬の鳴き声を響かせました。

 そしてふくらはぎにざっくりと刻まれた傷はみるみるうちにふさがっていき、そこにはまるで犬のように茶色い毛が生えてきます。


「ね?」


 お姉ちゃんにそう言うと、彼女は眉間にシワを寄せました。


「不老不死……その代償として肉体の変質が発生する……それがイレギュラーの能力」

「これ、たぶんモミジならわかると思いますよ」

「何が?」

「イレギュラーの正体です。確信を得られずにいましたが、この犬人間を見てきっと思い出したはずです」

「記憶は共有しているんじゃないの?」

「共有していますけど、こういうの(・・・・・)はモミジの担当なんです」


 それはワタシたちにしかわからない感覚なのでしょう。

 ですが役割分担はちゃんとしないと、存在意義が揺らいでしまいますから。


「わかったわ、朝になったら聞いてみましょう」

「そうしてください。それでお姉ちゃん、これでマルス・ジェノスが完全に黒だとはっきりしたと思うんですが、どうしますか?」

「そのイレギュラーがどこにいるかがわからないのが怖いわね。利用して金を稼いでるってことは、庇ってマルス本人とイレギュラーのみ逃走する可能性も考えられるわ」

「大きな荷物が運び込まれたって言ってましたけど、そんな簡単に逃がせるものなんでしょうか」

「そこも含めて不確定だってことよ。ひとまず……こいつ、殺せないのよね」

「だと思います」


 経験値は入ると思いますけど、そのかわり精神がすり減っていきそうです。

 殺すのは楽しくても、こんな化物だとちょっと話は別ですから。


「ならひとまず表に戻りましょう、これを見ていると頭がどうにかなりそうだわ」


 お姉ちゃんはそう吐き捨てると、ワタシと共に店の表へと出ていきました。

 通りに人の気配はありません。

 一人か二人ぐらいは常に通りそうな道なんですが、ワタシが殺しすぎたせいでしょうか。


「お姉ちゃん、まだ情報収集を続けますか? それとも――」

「いえ、情報はもういいわ。ひとまずマルスの屋敷に行ってみましょう。もちろん踏み込まないわよ、周囲の様子を探ってみるだけだから!」


 どうせ忍び込むことになりそうな気がしますけど。

 そこなら少しは、経験値のおいしい獲物がいたりするんでしょうか、楽しみです。


 こうしてワタシとお姉ちゃんはマルスの屋敷を目指して、路地から、夜はほぼ人の往来が無い表通りに出ました。

 表向き普通の商人ということになっているマルスの屋敷は、街の目立つ場所に建てられているのです。

 そのまま進んでいくと、屋敷に辿り着く前に――ワタシとお姉ちゃんの前に、一人の少女が立ちはだかりました。

 お姉ちゃんが足を止めるのと同時に、ワタシも止まります。


「あんた、なんでここに……」


 ピンクのドレスめいたフリルだらけの服を纏い、頭にはファンシーなリボン、手には魔法少女のようなステッキ。

 かと思えば、そのステッキはお姉ちゃんの鎌と同じように、中から溢れ出した液体によって形を変え、デザインは可愛らしいステッキそのままに、3メートルはある巨大な鈍器に姿を変えました。

 少女はそれを片手で軽々担ぎ、不敵に笑います。


「私情は挟むなって警告したと思うんだけどなー★ そいつ、イレギュラーだよねー★★」

「待ってティンクル、プロフェッサーにはちゃんと許可を取ってるわ!」

「ティンクル難しいことわかんなーい★ あんなクソ眼鏡とかどうでもいいからー★★ イレギュラーと乳繰り合ってるバカと★ その元凶であるその化物★ ぶっ殺さないと気がすまないんですけどー★★★」


 ワタシ――というかアーシャは、彼女のことを知っていました。

 クラスⅩ執行者、組織最強の鈍器使い、自称みんなのアイドル、ティンクル・スターベル……27歳。


「このマジカルステッキでー★ てめえらのこと★★」 


 彼女は巨大な鈍器を振り上げると、その腕に血管が浮き上がるほどの力を込めます。

 しかしこの距離で、鈍器による攻撃が届くはずがありません。


「アーシャ、逃げてぇぇぇぇっ!」


 鎌を手にしたお姉ちゃんが声をあげます。

 ワタシも、以前のアーシャはまだ、知らなかったのです。

 本物の(・・・)執行者の本気が、どれほどのものなのかを。


「ぶっ殺してあげるゾっ★★★」


 地面に叩きつけられるマジカルステッキ。

 それは地面をえぐり、嵐を起こし、大量の瓦礫を巻き上げ――気づいたときには目の前まで迫り、ワタシはその中に飲み込まれていきました。





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