彼の愛する劇的ビフォーアフターについて
──マジで?
エディサル・アーサー・フォンス・アルガディ国王は思った。
国民の文化や流行、特にナウでヤングな若者たちについて熱心に情報収集をしているエディサルは、こういうときに使うんだよな、と思った。
マジで?
エディサルは、自分の前に立つ「これで文句ないだろう」とばかりに憮然とした顔のアルマティス・フォーディアを見て「文句しかないんじゃけど」と言いたかったし、にっこり綺麗に隙の無い笑顔を浮かべるレディに「なんで?」と言いたかったが、言えなかったので。
「陛下、先ほどプロポーズをして頷いてもらえたのです。どうか祝福していただけませんか」
と、のたまうアルマティスには恥じらう様子など微塵も無いし、ちっとも嬉しそうでもない。明らかに「これ嘘じゃろな」って無表情に「俺たち結婚します♡」と告げられても、それでも、エディサルは「嘘をつくな」と言えなかった。
エディサルは、公衆の面前で国境を護る騎士を罵る程恥知らずでは無いし、隣で王女が「まあ! おめでとうございます」と涙を浮かべているのだ。
周囲の貴族やらご令嬢だって、驚いたりハンカチ噛んだりしていたくせに、王女が涙ぐんだものだから「良い話だなあ」とばかりに拍手をしている。
誰が異を唱えられようか。
第一、これを嘘だと断定できる証拠はどこにもないのだ。
もしも万が一億が一。エディサル的には「世界がひっくり返ってもこの顔はねーじゃろ」と思っていようとも、本当に二人が愛し合っていたとしたならば。
結婚の邪魔をしたエディサルは、アルマティスの忠誠を失うだろう。
それでは何のために王女との結婚を画策したのか、わからなくなってしまう。
エディサルはフォーディア家の血筋を繋げるべきだと考え、アルマティスの忠誠を繋ぎとめておきたいと、王女の名を挙げたのだ。
そんなに自分の娘と結婚するのが嫌か、と不快に思わないでもないが、手段を目的にしてはならない。
かくして、エディサルは溜息を飲み込み、どう見ても愛なんざなさそうな二人の結婚を祝福してやったのだ。
だから、エディサルは思った。
──マジで?
さて、エディサルの目の前にいる男は一体、誰だろうか。
桃色に輝くピンクブロンドに、眩い緑の瞳。男でも思わず見惚れそうな端正な容姿。
エディサルのよく知るアルマティス・フォーディアの特徴と一致するが……一致するが、とても本人だと思えない。
「陛下、妻のシュヴィアです」
「ご無沙汰しております陛下」
「あ、うん」
何その間抜けなお返事、と自分でも思ったが、エディサルの心情も察していただきたい。
だって、アルマティスときたら、いつだって見事な営業スマイルと社交辞令で、それなりに付き合いがあるはずのエディサルとの間にすら、深い深い溝があったのだ。
忠誠心を疑った事は無いが、儂王様じゃよね、と誰かに聞いてみたくなるくらい、尊敬を感じなかった。
仕事だから、貴族だから、義務だから、そういうものをくるっとお綺麗な笑みでくるんで、さっさとこの場から立ち去りたい、という空気を、いつだって隠しもしないのだ。
不敬だ、と咎められないのは、この家門は昔から華やかな場を好まない男が多かったことと、縁談をせっついている自分が鬱陶しいのだろうなあと。同じ男として、そして自分にも「若者」だった過去はあるので、その気持ちがわからんでもなかったからだ。
だのに。
まあ、なんということだろうか。
目の前にいるアルマティスは、いつも機嫌が良いのか悪いのかわからなかったキリッと走る眉を下げ、感情が見えなかった瞳を柔らかく細め、口元には温度のある笑みを乗せているのである。
つまり、隣にいる妻が愛しくて仕方が無い、というだらしない顔をしているのである。
「……なんというか、元気そうで何よりじゃな」
「お気遣いくださり有難うございます」
「夫人は、見違えるように美しくなったな」
まあ、と微笑む妻、シュヴィアの浮かべる笑みも、ひどくやわらかだ。
エディサルの記憶が正しければ、このレディは一年前、愛だ恋だなどと無縁そうな、隙の無い笑みを張り付けていた。自分が知るご令嬢方よりも瘦せていて、ドレスは流行遅れで、けれどその瞳には妙な必死さがあったことを、エディサルは覚えている。
ところが、今。
シュヴィアは一年前と比べ、少しふっくらした頬を薔薇色に染め、幸せでならないとばかりにとろけた瞳で微笑んでいる。
身に着けているアクセサリーも、ドレスも、一級品。それらに少しも劣ることなく、否、より輝かせる、内側から弾けるような美しさと愛らしさに、先ほどからチラチラと男たちが視線を送っている事に、本人は気付いているのだろうか。
娘を持つ親として少し心配になったエディサルであったが、
「陛下、妻に色目を使わないでいただきたい」
「アルマティス!」
ちょっと褒めただけで、射殺さんばかりに睨みつけてくる夫がいるので大丈夫だろう。
儂国王じゃよね。
エディサルは薄く笑った。
「アルマティスよ、儂にも愛する妻がおる故、無用な心配はするな。警戒すべきは儂ではなかろう?」
暗に、こちらを気にしている男連中について言葉に乗せるエディサルに、アルマティスは「ええ」と額に血管を浮かせた。
「陛下の許しさえいただければ、今すぐ殲滅するのですが」
「許すかいな」
おっそろしい事を言うアルマティスにどん引きするエディサルであるが、あのアルマティスが、これほどまでに恋に狂うとは。
本当にちっともさっぱりとも予想できなかった姿を受け入れ始めたエディサルは、おもしろくなってくる。
国王と呼ばれ、数えきれないほどの臣下を抱えるエディサルの生きがいは、人の変化を見守る事だ。
指をくわえてよちよち歩きをしていた子供は立派な礼を見せ、やんちゃで手が付けられなかった子供は分厚い書類の印を求め、そして、好意の一切を跳ねのけていた若者は人を愛し、その愛で妻を輝かせる。
時間を置き去りにしていく己とは違い、弾けるような未来を前に変容していく若者を見守ることが、なにより楽しい。
それこそが、王であるエディサルの誇りであり、エディサルにとっての王としての人生の醍醐味であった。
「どれ、夫人よ。儂と一曲いかがだろうか」
「えっ」
「は?」
ついでに、そんな若者たちを、ちょっとつついてみるのも、エディサルの楽しみの一つであった。
そういうところが、若者たちに「鬱陶しい王様」と認識されていることすら楽しいエディサルは、はっは、と髭を撫で笑う。
「こんなジジィと踊るのは嫌かね」
「め、滅相もありません。わたくしで良ければ、ぜひ」
す、と腰を落とし見事な淑女の礼を取るシュヴィアに、エディサルは手を差し出す。
すっかり老いさらばえた己の手に、白い手が重なった。
「なんじゃアルマティス、儂と踊りたいのか」
「謹んでご遠慮申し上げます。どうぞ愛しの王妃様と踊り狂ってください」
ぎしり、と握られた手に、エディサルは笑った。
「こやつマジ不敬~」
痛い。が、騒ぎ立てるほどでもない。絶妙な力加減にアルマティスの、性格は悪いが根が真面目な性根が出ている気がして、エディサルは笑いながら手を握り返してやる。
なに、こう見えて日々の鍛錬は欠かさない生涯現役を宣言している剣士の一人だ。若造の手を赤くなるほど握り返してやるくらい、わけないのである。
ギシギシと音が鳴る互いの手は、けれど、ぽん、とほっそりとした手が重なり、力が抜けた。
もう随分と昔にエディサルが贈った、エメラルドの指輪をした白魚のような手が、するりと己の手を撫でる。
「陛下、それくらいに」
きり、と吊り上がった瞳が、何十年たっても魅惑的な妻が、そうして微笑むので、エディサルはぱっとアルマティスの手を離した。
握るならそりゃあ、武骨な男の手より、愛する妻の手だろう。
「ラディ、妬いてくれるのかい?」
そっと手の甲に口づけると、エディサルの最愛の妻は「そうねぇ」と意地悪く笑った。眼光が鋭いので誤解されがちだが、愛情深く心の優しい妻は、その見た目通り意地悪なので、赤い唇をにやりと歪ませた。
「あんなに熱く手を握り合って……やっぱり若い子の方が良いのかしら」
「オルラドール王妃様、おやめください」
心底嫌そうな顔を隠しもしないアルマティスに、ふふ、と美しく笑う妻を、エディサルはうっとりと眺めた。だから、ひょい、と妻がシュヴィアの手を取って、すいと身体を寄せるのを見送ってしまう。
「ラディ?」
「わたくしだって、薄情な陛下より若い子の方が良いわ。フォーディア夫人、わたくしに口説かれてくださるかしら」
オルラドールは、淡いラベンダー色の瞼を伏せ、自分よりも背の低いシュヴィアを見詰めた。
オルラドールは背が高いうえに、ヒールの高い靴を好んで履くので、エディサルとほとんど背が変わらないのだ。
年を重ねても、否、年を重ねる事に魅惑的になる国母に間近で微笑まれたシュヴィアは、ぽ、と頬を染める。
隣から冷気が漂ってきた気がしたが、エディサルは微笑んだ。
最愛の妻が美しい女人を楽しそうに誑かす姿は、なんか、良かったので。
「寂しいことを言わんでおくれ、ラディ」
「いやよ。さあ、行きましょうフォーディア夫人」
「は、はい」
ぽーっとオルラドールに見惚れたシュヴィアは、そのまま操られるように手を引かれ、ホールの中央に足を向けた。
「……そんな顔で儂を見るでない」
「陛下のせいですよ」
残されたのは、妻に置いていかれた夫二人だけ。
突然の女性同士のダンス、それも王妃と長年浮いた話の無かったアルマティスが連れて来た妻、と夜会の注目の的が二人そろって躍り出たのだ。人々の視線を集め、男女問わず頬を染めたが、シュヴィアの視線はオルラドールに釘付けだ。
オルラドールはもとより人の視線など気にするような肝の細い女ではないし、年若いシュヴィアに熱のこもった視線を向けられて嬉しそうだった。
全てを預けられる妻の、そうした時折見せる奔放さを愛していたので、エディサルは相好を崩す。
「良いではないか。楽しそうだ」
「…………そうですね」
悔しそうな声こそが、エディサルは楽しくて仕方が無い。
シュヴィアの熱い視線に負けず劣らずの熱い視線、というか、ねっとりじっとり念のこもった視線をホールに向けるアルマティスに、エディサルは笑みを深めた。
「お前の、そういう姿を見られるとはなあ」
「どういう意味ですか」
じと、と見てくるこの若者に結婚をせっついたのは、何もその血を惜しんでのことだけではない、と。
言って、信じてもらえるだろうか。
エディサルは、こちらを訝しむ新緑のような瞳を眺めた。
この瞳が、一層頑なになったのは、アルマティスが家門を継いだ頃だっただろう。
突然両親を失い、爵位を受け継ぐことを申し出たアルマティスの瞳は冷たく、何をも寄せ付けない暗い光があった。
ただ両親の死を嘆いているには、あまりに無機質な瞳は、けれど確実に仕事をこなし、武功を築き、それが、エディサルの心配を煽ったのだと。
言っても、信じてはもらえんだろうなあとエディサルは髭を撫でた。
ま、言うつもりはないんじゃがな。
エディサルは王だ。
全てを見守る義務があり、それは平等でなくてはならない。
人様の家庭事情に首を突っ込むには大義名分が必要で、「おかしいな」と不自然さを感じたからといって、そのたびに大義名分を用意していてはキリが無いのだ。
だから、今更。
今更、その身を案じていたのだなどと、口にしてなんになろう。
「アルマティス」
はい、とアルマティスは静かな声で返事をする。
「変わった事は無いか」
「はい。この一年は他国が侵略してくるような気配もありませんでした」
「そうか。いや、報告書は読んでおる。お前のは昔から読みやすくて良い」
「勿体ないお言葉です」
「収穫量も安定しておるようじゃな」
「はい。今年は日照りも良く、雨もよく降りました」
「そうか。良い一年だったのだな」
エディサルは、ホールの中央でくるくると美しく回る、オルラドールとシュヴィアを眺めた。
男性パートを軽々踊るオルラドールの紫のドレスと、楽しそうに踊るシュヴィアの薄いブルーのドレスが、広がり、絡まり合い、ほどけ、ひらひらと舞うのが、とても美しい。
恐ろしいほどに平穏で、なんだか泣きたくなるほどに愛おしい光景だった。
「はい」
アルマティスのやわらかな声に、エディサルは視線を隣に向ける。
シャンデリアの光が降り注ぐダンスを、アルマティスは眩しそうに、目を細め、眺めていた。
頬を染め、ほどけるように唇の端を上げる。眩い程の新緑は、光の反射だろうか。少し、濡れている気がして。
エディサルは、そっと若者の背に手をやった。
「儂らも踊るか」
「断固お断りします」
力強い言葉を背に、ダンスが終わり礼を取る二人の元へアルマティスは歩き出す。
一刻も早く妻を回収したいと、威嚇のオーラをまき散らすその背中に、エディサルは笑った。
目が合ったオルラドールが、気の強そうな切れ長の瞳を、にい、と細める。
「なんです陛下、フラれてしまわれたのですか!」
「いいや。フラれてやったのじゃよ。踊ってくれるかな? ラディ」
周囲を睨んでいたアルマティスの瞳が、シュヴィアの手を取ると同時にやわらかくなる。初恋に踊る少年のような、何十年も連れ添った戦友を見詰めるような瞳は、甘く優しい。
それを受けるシュヴィアもまた、少女のように無邪気に、愛らしく笑い、その瞳には愛おしさしか見えない。
ぴったりと寄り添う若い夫婦に、オルラドールは満足げに笑い、エディサルを見た。
何十年経っても、猫のようにキュートな瞳に、エディサルは妻の頬に口づける。花が咲き誇るような若い夫婦にあてられたのかもしれない。
オルラドールは、くすぐったそうに笑った。
「わたくしと踊りたいの? アスラート」
ナウでヤングな若者も、辺境を護る騎士も、国を預かる王も、服従し決して逆らえぬその鼓動。
「唇にキスしてくれなきゃ嫌よ」
くだらなくも素晴らしい、愛とか恋だとかに、エディサルは声を上げて笑った。
「マジで?」
リクエストにお応えして番外編です。
皆様たくさんの感想有り難うございました。




