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91.悪夢と欲望の期末テスト⑱


 その後の顛末。

 ワンダーランドで謎の巨大クラゲを撃退した俺は、気がつけば公園のベンチで眠っていた。

 日はすっかり暮れている。公園は夜闇に包まれており、街頭の明かりだけが頼りになっていた。


 昏睡状態で病院に入院している春歌と早苗、彩子もまた、それからすぐに目を覚ましたようである。

 3人はワンダーランドでの出来事を忘れていたが、お見舞いであった彼女達はどこかすっきりした顔をしていた。

 特に彩子は「もう一度、ちゃんと両親と話をしてみます」と決意を込めた表情で口にしており、同じく面会に来ていた浩一郎と手を握り合い笑っていた。


 結社のエージェントである立花には、病院の方から連絡を入れてもらう。

 糸目の嫌味な男は何故か病院にはやってこなかったが、相棒の小野だけが事情を聴きにやって来た。

 スーツ姿の女性警官は、ワンダーランドで起こった出来事を一通り聞くと、「そうですか」と表情を変えることなく頷く。

 原因と思われるペンダントを手渡すと、いつの間にかひび割れていた石にわずかに目を細めながらも、「ご協力ありがとうございました」と直角に頭を下げて去っていった。


 大変だったのはそこから先。

 学校の期末テストのほうである。


 3人はそのまま検査入院となってしまい、退院したのはテストの前日。復帰してすぐに期末テストに挑むことになったのだ。


 元々、成績が凄まじくよかった春歌は問題なかったが、早苗のほうはテストが終わったらぐったりと落ち込んでいた。案の定、苦手科目の数学で赤点を取ってしまったらしい。


 彩子は平均以上をとれていたが、目標の成績を大きく下回ってしまったようだ。それでも、彼女が両親から叱られたとは聞いていない。

 どうやら、原因不明の昏睡状態になった彩子のことを、両親は気遣ってくれたらしい。成績に厳しいと聞いていたが、娘に対する愛情はきちんとあったようだ。

 浩一郎との交際については相変わらず反対されているようだが、それは根気よく説得していくと、早苗を通して聞いた。


 ちなみに――俺の方はというと、いつもよりも成績は良くなっていた。

 理由として、事前に春歌からテスト範囲をまとめたノートを受け取っていたのが大きい。

 わかりやすくまとめられたノートのおかげで、いつもより勉強は捗り、全体の7割以上を回答することができたのだ。


 1人だけ赤点になってしまった早苗は気の毒だが、無事に夏休みを迎えられるようになったのである。



     〇          〇          〇



「……なるほど、そんなことがあったのか」


 そうして夏休みを前にした、とある日。

 俺は雪ノ下沙耶香が暮らしている剣術道場へとやってきていた。


 沙耶香には、あの事件の後、すぐに電話で連絡を入れていた。

 ワンダーランドの一件では謎の結社とやらが関わってきたし、きちんと報告しておいたほうが良いと思ったからである。


 沙耶香は「詳しく聞きたいから、直接、話そう」と俺を道場に呼び出し、こうして1学期の終業式の後で剣術道場に寄ることになったのだ。


「それは大変だったね。無事に戻って来てくれてよかった」


 一通りの事情を聞き終えて、沙耶香は同情したような顔になってねぎらいの言葉をかけてくる。


「……ういっす」


 沙耶香と会って、俺はワンダーランドでのコスプレ姿を思い出してしまい、曖昧な返事をする。あの浴衣をはだけた沙耶香の姿を思い出すと、どうしても直視することができなかった。

 ブンブンと首を振って余計な欲望を振り払い、俺は気になっていることを沙耶香に訊ねることにした。


「それにしても……どうして、あの3人がこんな事件に巻き込まれたんですかね?」


 俺が心配していたのは、自分がクエストボードなどという特殊な能力を有したことで、3人を事件に巻き込んでしまったのではないかという危惧である。

 そうでもなければ、両面宿儺の1件から1ヵ月もしないうちに同じような超常生物と出くわしたことへの説明がつかない。


「いや……君が原因だとは、私は思わないよ」


 そんな懸念に、沙耶香はゆっくりと首を振った。


「そもそも……日本というのは非常に特殊な国であり、外国と比べて神や妖怪が関わる事件がとても多いんだよ。だから、真砂君の友人が異形の神に襲われてしまったとしても、それほど不自然なことではないんだ」


「結社の立花って人も似たようなことを言ってましたね。怪異絡みの事件がすごい多いって」


「ああ……そもそも、日本列島は北東の『鬼門』から南西の『裏鬼門』に伸びた地形をしているせいで、霊的に不安定になりやすいんだ。おまけに、ここは東の果て。ユーラシア大陸から様々な怪異が流れつく終着点でもある」


 沙耶香は道場に置かれた卓袱台から、湯飲みを取って口をつけた。上質な茶葉で淹れられた緑茶を喉に流し込み、説明を続けていく。


「さらに……これは日本人が良く言えば『寛容』で、悪く言えば『節操がない』国民性を有している。クリスマスやハロウィンといったイベントを海外から取り込んだように、よその宗教から悪魔や怪物を受け入れてしまう。最近では、マンガやアニメがその媒体になっているね」


「えっと……二次元の文化が、怪物を呼び出す原因になっているってことですか?」


「間接的な原因、というところかな。神や悪魔だって、見知らぬ土地よりも、自分を知っている人間がいる場所に行きたいというのは自然な感情だからね。外国から知識や文化が入ってくれば、それにまつわる怪異の出現も増えるということだ」


 まさか、日本のオタク文化が怪異現象の原因になっていたとは。

 あまりにも予想外の情報に、俺は顔を引きつらせて茫然としてしまう。


「おそらく……真砂君が戦ったという巨大なクラゲも、異教の神や悪魔、その眷族だったのだろう。すぐに退散したということは、それほど力が強いわけではないと思うけど」


「…………」


「どうかな、真砂君。これが世界の裏側。君がこれから生きていくことになる場所だ。恐ろしいかい?」


「…………ですね、ちょっとだけ怖いです」


 それは偽りない本心だった。

 クエストボードを手に入れて荒事には慣れてきたはずだが、自分が信じていた日常にあっさりと異形の者が侵入してくるのを見て、まるで溶けやすい氷の上にでも立っていたような気持ちになってしまう。


「私もね、昔は似たようなことを感じたことがある」


 沙耶香がポツリと口にする。


「小学生の時分。友人と下校している最中に、雪ノ下と敵対する鬼の怪異に襲われたことがあってね。巻き込まれてケガをした友人を見て、自分が生きている世界がどれだけ恐ろしいものか改めて痛感したものだよ」


「…………」


「だから……まあ、1人で抱え込まないでいい。君はもう雪ノ下の管轄なのだから。困ったことがあったら、何でも相談してくれ」


「…………ありがとうございます」


 年上の女性からかけられた温かい言葉に、俺は素直に礼を言って頭を下げる。


 春歌と早苗が『日常』の象徴だとすれば、目の前の女性は『非日常』の象徴だ。

 ワンダーランドでは春歌と早苗の好意にキチンと応えることを約束したが、沙耶香から向けられる誠意にも、いつか応えなければなるまい。


「ところで……真砂君、1つ確認をしたいのだけど」


「あ、はい。何ですか?」


 ふとかけられた言葉に沙耶香の顔を見ると……美貌の剣術少女はニッコリと、けれどどこか凄みを感じさせる笑顔を浮かべていた。


「ワンダーランドとやらで、君はコスプレをした女性に追いかけられたのだったね。そこに私もいたのかな?」


「あ……」


「私はどんな格好をして、君に迫っていたのかな? そのあたり、詳しく聞かせてもらおうかな」


 笑顔ながら有無を言わせぬ口調の沙耶香。

 俺は顔を引きつらせながら、美女からの尋問を乗り切る手段に悩むのであった。






悪夢と欲望の期末テスト 完

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