86.悪夢と欲望の期末テスト⑬
俺が公園についてから5分ほどすると、自転車に乗った浩一郎がやって来た。
「うっす、月城さん!」
「ああ、悪いな。来てもらって」
「それはいっすけど……どうして彩子が目を覚まさないなんてことに……月城さんは、何か知らないっすか!?」
公園の入口に自転車を乗り捨てるようにして、浩一郎が詰め寄ってくる。
浩一郎の坊主頭は汗でビシャビシャになっており、どれほど焦ってここまで来たのかが見て取れた。
「えーと……悪いけど、俺も全く心当たりはないんだよ。俺達が帰ってから何かがあったとは思うんだけど……」
「そっすか……何も知らねっすか……」
浩一郎は肩を落として、少し離れた場所にある市立病院を見上げた。
すぐにでも病院にいる彩子のところに駆け寄りたいのだろうが、残念ながら面会謝絶になっており、特別な許可がなければ3人に会うことはできない。
「まあ……とりあえず座れよ」
先にベンチに座って、浩一郎にも座るように促した。
「……えーと、田崎君のところにも警察の人が来たんだよな?」
「はいっす、立花っていうスゲエ目の細い人が来たっす」
「……俺のところに来た人と同じだな。それで、何を聞かれた?」
訊ねると、浩一郎はしばし考え込んでポツポツと語り出した。
その大部分は、俺が立花に話したことと同じ内容である。勉強会の雰囲気、参加者、会話、時間……異なっているのは、浩一郎が彩子と会ってから春歌の家に行くまでの経緯くらいで、そこにも特に不審な部分はなかった。
「そうか……やっぱり、昨日は特におかしなことはなかったよな」
「うっす、警察の人からは変な薬物をやってるんじゃないかとか聞かれたっすけど……誓ってオレも彩子もそういうのには手を出してないっす」
「……だろうな。春歌と早苗もそうだろうよ」
俺は「ふう」と溜息をついて会話を一段落して、気になっていたことを尋ねることにした。
「ところで……山吹さんが不思議な色のネックレスを持ってたみたいだけど、知らないか?」
「え? そりゃあ、知ってますけど……なんで月城さんがアレのことを知ってんすか?」
「あー……前に早苗から聞いたんだよ。カバンに入れて持ち歩いているのを学校でも見たって」
「ああ、なるほど」
浩一郎は頷いて、病室にあったカバンに入っていたネックレスについて話し出す。
「アレは彩子の誕生日に、オレがプレゼントした物なんすよ。先月、駅前のフリマで見つけたんすけど、一目見て彩子に似合いそうだなって」
「フリマね……出品者とかわかったりするかな?」
「いや、知らねっすけど。20歳くらいの若い女の人が売り子をやってたっす」
「…………」
【索敵】が反応したということはタダの宝石ではないはずだが……残念ながら浩一郎は何も知らずに買ったようだ。入手ルートから、宝石について調べることはできそうもなかった。
「彩子も喜んでくれたんすけど……アイツの親、厳しいっすから。デートの時以外は親に見られないように、カバンにしまってるんすよね」
「厳しいって……ネックレスくらいで大げさだな。ピアスとかならまだしも、いちいち目くじら立てるような物じゃないだろ?」
「いやあ……厳しいのは、オレがあげた物だからっすよ。オレってば、アイツの両親に嫌われてますから」
浩一郎はうんざりしたような表情になり、ガリガリと坊主頭を手で掻いた。
「彩子の両親……2人ともすごいインテリなんすよね。父親は大学の先生で、母親は弁護士で。そのせいで、勉強できないオレみたいなのをメチャクチャ見下してるんすよ。中学の時から交際に反対されてて、オレがそっちの高校落ちて男子校に通うことになった時も、『ほら見たことか』って別れるように彩子に言ってて……アイツが高校に入ってから成績が落ちてるのも、オレと付き合ってることが原因だって思ってるみたいなんすよね」
「ああ……なるほど。それで山吹さん、あんなに勉強に真剣だったのか」
おそらく――優秀な成績をとることで、交際に反対している両親の鼻を明かしてやろうと思っていたのだろう。
鬼気迫る顔で教科書に向かっているかと思えば、そんな事情があったのか。
「オレって、馬鹿だから……せめて野球でスゲエところを見せて交際を認めてもらおうと思ってたんすけど、彩子の親父さんに『簡単にプロになれるわけでもないのに、スポーツなんてやる意味はない』って笑われて……それで一回、親父さんとケンカしちまって。そのせいで、余計に反対されるようになっちまったんすよ……」
「……そりゃあ、酷いな。スポーツやってる人を敵に回す発言だぞ」
俺は同情を込めて、浩一郎の肩を叩く。
明るく、悩みのなさそうな顔をしている浩一郎であったが、どうやらこの男なりに色々なものを背負っているようだ。
「……まあ、あまり気を落とすなよ。悩みなんてふとしたことで解決することもあるし、3人もすぐに目を覚ますさ」
「……あざっす。だけど、結局あの石も何の効果もなかったみたいだし。やっぱり、祈るだけじゃ何も変わらねっすね」
「ん……?」
ちょっと待て。今、コイツはなんと言った?
『祈るだけじゃ』……それはどういう意味だろうか?
「あ……彩子にやったペンダントなんすけど、あの石には『人の願いを叶える』って力があるみたいで。フリマの売り子さんがそう言ってたんすよ」
「願いを叶える力……?」
俺は怪訝につぶやいて、ポケットの上からペンダントを握る。
別におかしなことは言われてない。
パワーストーンなんて今時珍しいものではないし、商品を売るために売り子が話を盛ったという線もある。というか、そっちの可能性のほうが高い。
だが……妙にその発言が気になってしまう。
まるで確信に1歩近づいたような。求めているものにようやく出会うことができたような――そんな心の琴線に触れるものがあったのだ。
「あ……さーせん。そろそろ帰ってもいいっすか?」
「ああ、もちろん構わないけど、何か用事でもあるのか?」
「これから、彩子の両親に事情を説明に行くんすよ。警察の人が事情を説明しておいてくれるって言ってたっすけど……オレと会った日にこんなことになったんだから、彼氏として、ちゃんと自分の口から説明しないと」
「そっか……頑張れよ」
俺は心からのエールを浩一郎に送った。
ただでさえ彩子の両親との折り合いが良くないというのに、こんな事件が起こってしまったのだ。
浩一郎が責任を問われて、八つ当たりされるのは想像に難くない。
それでも、浩一郎は自分の口からちゃんと事情を話そうとしている。
口調はだらしないが、本当に真面目な男だと心から感心した。
「あざっす! 何かあったら連絡してください! オレもしますから!」
言って、浩一郎は自転車に乗ってさっそうと去っていく。
「…………」
公園に残された俺は、しばらく浩一郎が消えていった方向を見つめていたが、やがてポケットから彩子のペンダントを取り出した。
「……願いが叶う石、か」
確証はないが……やはりこの石が鍵であるように思えてならない。
石は太陽の光を受けて、今も鮮やかに色を変えている。
最初は幻想的で美しく見えていた色彩の変化も、今は不思議と毒々しく恐ろしいもののように感じられた。
「…………試してみるか」
俺は悩んだ末に、そう結論を下した。
石を手の中でギュッと握り締めて、目を閉じる。
「藤林さんと早苗に会うことができますように……藤林さんと早苗に会うことができますように……藤林さんと早苗に会うことができますように……」
この石がどんな力を持っているかはわからない。
例えば、この手の事情に精通した沙耶香や結社の人達に調べてもらうとか――もっと慎重に行動したほうがいいのかもしれない。
だが、魂を取られている3人にどれだけ猶予が残されているかはわからない。
ひょっとしたら、すぐに救出しなくては命に関わることだってあり得るのだ。
考えられる手段があるのならば、何でも試すべきだろう。
「……藤林さんと早苗に会うことができますように……藤林さんと早苗に会うことができますように……藤林さんと早苗に会うことがっ……!?」
――と、そんなことを念じていると、クラリと目眩のような感覚に襲われた。
目を開くと、周囲360度が虹色の色彩に染まっている。
「なあっ……!?」
それはまるで――あの石の中に閉じ込められたような、そんな鮮やかながらも奇妙な風景だった。
「っ……!」
目眩はさらに強くなっていき、やがて洗濯機に放り込まれたように自分の身体がグルグルと回転する。
何かスキルを使わなくては――そんなことを考えるよりも先に、俺の意識までもが虹色に塗りつぶされていった。




