79.悪夢と欲望の期末テスト⑥
その後――勉強会は途中で食事休憩を挟んで、午後10時まで続けられた。
浩一郎に敏腕家庭教師を取られはしたものの、それでも1人で勉強するよりはずっと効率良く学習を進めることができた。
まだテスト範囲すべてを網羅してはいないが……ありがたいことに、春歌が事前にノートにテスト範囲をまとめておいてくれた。
おかげで、成績上位とまではいかないものの、赤点を回避するくらいの点数は取れそうである。
「そろそろお暇の時間だな……今日は助かった。誘ってくれてありがとう」
荷物をまとめ、玄関で靴を履いてお礼を言う。浩一郎は先に玄関の外に出ており、道路に立っていた。
「どういたしまして……月城君、ちゃんと家に帰ったら早く寝るのよ? 勉強した内容は睡眠中に記憶に定着するんだから、夜更かしはダメだからね」
見送りに出て来た春歌が、人差し指を立てて念押しをしてくる。
まるで母親のような口ぶりであり、同級生の男に向けるような口調ではない。
それでもスッと自然に耳に入ってくるのは、春歌の性格が……ついでに身体も、母性的だからであろうか。
「えー、真砂君、帰っちゃうの? 一緒に泊まっていけばいいのに―」
などと言ってきたのは、悪戯っぽい顔をした早苗である。
俺と浩一郎は当然ながら帰宅するのだが、どうやら早苗と彩子の2人はこのまま春歌の家に泊まっていくらしい。
気心が知れた友人らしく、お泊り会はよくあることのようである。
「そういうわけにもいかないだろう。女の子の家にお泊りとか、レベル高すぎて心臓破裂するって」
「ざーんねん。せっかく真砂君を抱き枕にして寝ようと思ったのになー」
早苗はニマニマとからかうように笑い、指先で唇をなぞりながら「そうだ!」と爆弾を投下する。
「だったら、お風呂だけでも入って帰ったら? 背中を流してあげちゃうよ? もちろん、お返しに私の背中も流してもらうけど」
「……勘弁してくれ。鼻血で失血死するよ」
「あははは。それじゃあ、お楽しみは次の機会に取っておこうかなー? 次は私の家で、2人っきりでお泊りね?」
「…………」
冗談だと言って欲しいのだが、早苗は「約束したからねー」と一方的に言い捨てて廊下の向こうに消えていく。
これからお風呂に入るらしく、浴室に入った早苗を追いかけることは不可能だ。なし崩しで、約束をされてしまった。
ちなみに、彩子はまだ春歌の部屋で参考書と睨めっこをしている。
随分と勉強熱心だが……どうしてそこまでテスト勉強に入れ込んでいるのだろうか?
「早苗のことは気にしなくていいわ。私のほうからちゃんと言っておくから」
「……そうしてくれ。それじゃあ、藤林さん。今日は本当にありがとう」
「ええ、また学校で」
外に出て、玄関を閉める。
そのまま家の敷地から道に出ると、浩一郎が声をかけてきた。
「月城さん。今日はすいやせんっした!」
「おいおい、何だよ急に……」
突然、頭をガバリと下げた浩一郎に、俺は怪訝に尋ねた。
謝られるようなことをされた覚えはないはずだが、頭を上げた浩一郎の顔には申し訳なさそうな表情が浮かんでいる。
「いえ……自分と彩子が割って入ったおかげで、月城さん達の勉強を邪魔しちゃったみたいで……本当に面目ないっす」
「ああ……そんなことか。別に構わないぞ? 俺だって、藤林さんに誘われて後から参加することになったんだからな」
「いえ……彩子から聞いたんすけど、元々、藤林さんと桜井さんは月城さんだけ誘って、3人で勉強会するつもりだったみたいなんすよ。だけど、そこに後から彩子が割って入っちまったみたいで……」
「ふうん?」
それは知らなかった。
てっきり、女子3人での勉強会に、俺と浩一郎という2人の男子が割り込んだ形なのかと思っていたのだが。
「事情はよくわからんが、君の彼女――山吹さんは随分と勉強熱心だったな。1人だけ、テストへの意気込みが違うように見えたぞ?」
彩子は終始、一心不乱に勉強に取り組んでいた。
それこそ、自分の彼氏である浩一郎を春香に任せきりにして。
「……彩子の家は、成績に厳しいっすから」
浩一郎がわずかに表情を暗くして、ポツリとつぶやいた。
「アイツの両親、どっちもすごいインテリなんすよ。父親は大学の先生で、母親は弁護士をやってるみたいで。彩子にもすごいプレッシャーをかけてるみたいで……」
「……苦労しているわけか。それは可哀そうに」
「それに……俺ってバカだから、彩子の両親にも交際を反対されてて……高校に入ってから彩子の成績が落ちてるのも、俺みたいな奴と付き合ってるせいだって」
「…………」
なるほど、その話を聞いて納得した。
彩子がひたすら勉強に打ち込んでいたのは、親を見返して浩一郎との交際に反対されないようにするためだったのだ。
そのため、成績上位の春歌に浩一郎を託して、自分も全力でテスト勉強に取り組んでいたのだろう。
「そういう事情があるのなら、ピリピリするのも無理はないな。俺は気にしてないから、田崎君も気にしないでくれ」
「あざっす。やっぱり、月城さんっていい人っすね」
「何だよ、ヤブから棒に」
「いえ……彩子から友達2人が同じ人を気にしてるみたいだって聞いて、どんな人かと思ってたんすけど……月城さんだったら、あの2人が一緒になって好意を寄せるのもわかる気がしやす。よくわかんねっすけど、なんかメチャクチャ強そうというか、すごい人っぽいオーラ出してます」
「……スピリチュアルの人みたいなこと言われてもな。オーラとか知らんよ」
どうやら、浩一郎はかなり勘が鋭い男のようである。
クエストボードやスキルのことは気づいていないだろうが、一瞬だけドキリとさせられてしまった。
「もう夜も遅いし、さっさと帰ろうぜ」
「うっす! お疲れっした!」
「ああ、そっちもテスト頑張ってくれ」
などと別れの言葉を交わして、俺達は別々の道へと分かれて帰路についた。
テスト勉強はかなりしんどかったが、彩子と浩一郎という新しい友人との出会いもあった。トータルで考えるのならば、充実した1日ではなかったのだろうか。
「……藤林さんの言う通り、帰ってさっさと寝るか」
ポツリとつぶやいて、俺は夜道を歩いて行った。
しかし――この時の俺はまだ、気がついていなかった。
この勉強会が、新しい友人との邂逅が、艶めかしくも恐ろしい、新たな事件の幕開けになることを。
俺はまだ、夢にも思っていなかったのである。




