74.悪夢と欲望の期末テスト①
日本の霊的守護を担っている謎の結社との接触。
雪ノ下沙耶香と訪れた修行場と、そこに現れた古代の神――両面宿儺。
かつてない強敵と戦うことになった俺であったが、沙耶香と力を合わせることで辛くも危機を乗り越えることに成功した。
しかし――これで問題がすべて片付いたわけではない。
クエストボードに表示されたメッセージによって、いずれやって来るであろう『本番』の存在を示唆されたのである。
はたして、クエストボードの『神』がいうところの本番とは何なのか?
俺をこれから待ち受けているものはいったい……!?
〇 〇 〇
「……と、そんな状況でもテストはやって来るんだよなー」
うんざりした声でつぶやいて、俺は机に突っ伏した。
初夏が訪れた7月。場所は学校の教室である。
夏休みを控えたこの時期であったが、長期休暇が始まるよりも先に1学期の期末テストが待ち構えていた。
今は授業中であったが、すでにテスト範囲の内容は終わっている。そのため、授業は自習となっており、教室には先生の姿もない。
クラスメイトは各々が好きな科目のテスト勉強をしており、授業中にもかかわらず、教室にはザワザワと喧騒が生じていた。
「むう……」
俺は机に広げた教科書に額を付けたまま、悩ましげに唸った。
元々、勉強は得意な方ではないが、今回の期末テストは輪をかけてヤバそうである。
ゴールデンウィークにクエストボードという能力に目覚めてから、2ヵ月ほどの期間をクエストとスキルの検証に費やしてきた。
学校の勉強はほとんど手をつけておらず、教科書の内容はわからないところだらけである。
「ヤベエ……これはヤバい。赤点かもしれない……」
周りにクラスメイトがいるにもかかわらず、思わず独り言をつぶやいてしまった。
しかし、自習中の教室はクラスメイトがあちこちで喋っており、俺の言葉など誰も耳に止めてはいない。
ある者は黙々と学習を進めており。ある者は友人とだべりながら、ダラダラと勉強をしている。
教室の片隅には、余裕の顕われなのか諦めの境地なのか、イビキをかいて眠っている者までいた。
「よー、お勉強は進んでるか―?」
そんな騒がしい教室の中で、俺に声をかけてくる男子生徒がいた。
予期せぬ人物の登場に、俺は愕然と目を見開く。
「お前は……猿彦!」
「誰だそれ!? 幹彦だ、笹塚幹彦!」
「あー…………そんな名前だったか?」
俺は机にヘタったまま、曖昧な返事を返した。
「笹塚……そういえばいたな、そんな奴……アイツは良い奴だったよ。いやまったく惜しい男を無くしたもんだ」
「死んだのか俺は!? いや、マジでお前、いい加減にしろや!」
笹塚がバシバシと机を叩いてくる。俺は仕方がなしに顔を上げた。
「すまんすまん、悪かった。久しぶりに会ったからつい」
「久しぶりって……毎日、教室で顔を合わせてるだろうが」
「そうだったかあ? 何か月も会ってないような気がするんだが……」
どうもこの数ヵ月、濃い体験をし過ぎたせいで、日常パートの登場人物がかすれてしまっている。
美少女でもなければ吸血鬼でもないようなモブの顔など、記憶から抜け落ちてしまっていたのだ。
「……お前、スゲエ失礼なこと考えてるだろ。そんなキャラだったか?」
「悪かったって……それで、笹原は何の用だ?」
「笹塚だ! いや……お前が困っているだろうと思って、耳寄りな情報を持ってきてやったんだよ!」
「耳寄りな情報、ねえ……」
胡散臭そうにつぶやくと、笹元?はふふんと得意げに笑う。
「なんと……今日の放課後、俺の家で集団勉強会を開いてやるぜ! 現国学年トップの飯島、数学ベスト3の岡田、それに総合2位の赤井まで参加してくれて、俺達――迷える子羊を赤点回避に導いてくれるんだぜい!」
「おー」
俺はとりあえず、パチパチと拍手をしておいた。
「今のところ、俺を含めて7人ほど参加するんだが……あと1人くらいだったら、ギリギリで客間に入れそうだからな。特別にお前をメンバーに入れてしんぜよう!」
「ほほう……それはそれは……」
確かに……1人でのテスト勉強に限界を感じていたところだ。
もはや自分が何処がわからないのかすらも、わからなくなっている。
こうなった以上、誰かの力を借りたほうがいいのかもしれない。
「会費は1人2000円だ。後払いは認めないぜ」
「金取るのかよ……そこは入場フリーにしてくれよ」
「ばーか、何が楽しくて男を家に呼ぶのに、無料にしなくちゃいけねえんだ。これはショバ代と晩飯代だ。お前が成績優秀者だったら逆に奢ってやるんだが、教えてもらう立場なんだから、金くらい払いやがれ!」
「む……」
2000円……それくらいならば、ないことはない。
今月はそれほどお小遣いも使っていないし、牧師さんから受け取った例の裏金も少しだったら残っている。
とはいえ、高校生にとって2000円というのは意外と大金だ。簡単に支払えるとは即答できない。
「どーしたー? 学年2位の赤井が勉強教えてくれるんだぞー? たった2000円くらい、安いもんだろうが」
「足元を見やがって……竹原め」
「笹塚だ! もう植物、変わってんじゃねえか!?」
突っ込む自称・笹塚を横目に、俺は考え込んだ。
2000円は惜しいが、それ以上に赤点を取るわけにはいかない。
赤点を取って補習になどなれば、海外に赴任している両親からお説教を受けることになってしまう。
ちゃんと高校に通って勉強することを条件に、日本に残ることを許されているのだ。
最悪の場合、両親の赴任先まで連れて行かれて強制的に海外留学をすることになってしまう。
「背に腹は代えられない、か……わかったよ」
俺は諦めて、肩を落とした。
「アラスカは寒いからな……2000円くらい、払ってやるさ」
「あらすか……? 何じゃそりゃ」
松田?が怪訝な声を上げるも、俺は無視してカバンから財布を取り出す。
紙幣を2枚取り出して手渡そうとするが……その直前で、背中に声がかかった。
「あの……月城君」
「ん?」
声に振り返ると、そこには我がクラスが誇る三つ編みメガネ委員長――藤林春歌が立っていた。
「ああ、藤林さん。どうかしたのか?」
「ええっと……」
尋ねるも、春歌は何故か口を噤んだまま、校則通りの膝丈スカートを指でつまんだり離したりしている。
こちらを上目遣いで見て、目が合うと恥ずかしそうに目を逸らして……その挙動はとんでもなく可愛いのだが、いったい何の用事だろうか?
「その……月城君、今日の放課後は空いてるかしら?」
「は……」
「早苗と他のクラスの友達と、勉強会を開く予定なんだけど……よかったら、月城君も来ないかしら? その友達に月城君のことを話したら、どうしても会ってみたいって」
「えーと……いいのか、俺が参加しても」
それは女子会というものではないだろうか。
どう考えても、俺が参加するのは場違いな気がする。
「あ、友達も彼氏を連れてくるって言ってたから、むしろ居てくれた方がいいかなって」
「ふーん、そういうことなら是非とも……会費とかないよね、念のため」
「もちろんないわ。晩御飯は私が作るから、それも心配しないで」
この学年で2位の成績優秀者は赤井という男子なのだが、1位は何を隠そうこのエベレストおっぱい委員長だった。
そんな委員長と一緒にお勉強。それも会費は無料で、晩御飯付き。
なにそのボーナスイベント。最高じゃないか。
「参加させてください。お願いします」
「ああ、よかった! それじゃあ、私の家でやるから……放課後、一緒に行きましょうね?」
春歌は安堵に表情をほころばせ、軽い足取りで去って行く。
その動きに合わせて、胸部の二つの山がふわりと軽快に揺れている。
「…………」
「…………」
俺は黙って話を聞いていた山田?と目を合わせる。
友人は無言。表情の全てが消えており、まるで能面のような顔をしていた。
俺は渡しかけていた2000円を財布へと戻して、グッと親指を立てる。
「そういうことだ。そっちも頑張ってくれよな!」
「この裏切り者おおおおおおおおおおおおおっ!!」
敗北者となった男の悲痛な叫びがこだまする。
自習中とはいえ廊下の端まで轟くような大声を上げた笹塚は、隣の教室にいた先生にとんでもなく怒られることになってしまった。
結果、我が友人は放課後まで居残りを命じられて、勉強会も中止になったらしいが……それは俺とはまったく関係のないことである。




