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雪ノ下沙耶香の悩み


「あー! 私は何てはしたないことを……!」


 私は自室で布団にくるまりながら、悲鳴のような声を上げた。

 頭の中に思い返されるのは、先ほどの山での会話である。


『これからは本気で誘惑させてもらうから、覚悟しておきなさい……未来の旦那様?』


「た、戦いの後で興奮していたのか!? あんな恥ずかしいことを真砂君に向かって……! うー、もう顔を合わせられないではないか……!」


 バタバタと水中で藻掻くように足を動かして、私は頭を抱えて転げまわる。


 私の名前は雪ノ下沙耶香。

 代々、退魔師を担っている雪ノ下家の嫡女だ。


 雪ノ下家は渡辺綱の流れを汲む家系であり、平安の時代より剣で魑魅魍魎を討つ『鬼斬り役』を務めてきた。

 100年ほど前に『結社』に組み込まれてからは、この近くにある霊山の管理と、出没した怪異の討伐を任されている。


 そんな数百年の歴史を持つ雪ノ下家であったが、その由緒ある血筋には強力な呪いがかけられていた。

 先祖が討伐した鬼によってかけられたそれは『男子絶縁』という呪いであり、雪ノ下家には女性しか生まれることがないのだ。


 男と女。どちらが剣士として大成するかと聞かれれば、残念ながら前者である。

 男女平等などという問題ではなく、生物学的に筋肉の量が違うのだ。同じ剣才を持つ男女が同じだけ努力をすれば、よほどのことがない限り男のほうが勝ってしまう。

 この呪いをかけられたことにより、雪ノ下家は間違いなく剣士の家系として弱体化することになった。


 しかし――そこで雪ノ下家の祖先は考えた。

 呪いによって家系が弱くなってしまったのであれば、外部から力を取り込んで補えばいいではないか。

 雪ノ下家は代々女性が当主となり、外から婿を迎えることで血筋を強化することを考えたのだ。

 剣術の名家に限らず、陰陽師、神職、僧侶、外法使い、名のある格闘家まで。あらゆる強者の血統を取り込んだことにより、雪ノ下家は退魔師としてさらなる力を得ることになったのである。


 男を誑かし、巣に引き入れる魔性。

 雪ノ下家のことを『娼婦の一族』や『絡新婦じょろうぐもの家系』などと揶揄する者は、結社の内部にも少なくはなかった。


(初めて会ったときから気になってはいたけど……まさか、真砂君が神を討てるほど強かったとは思わなかった。やっぱり、『雪ノ下の眼』は正しかったみたいだ)


 外部から男を取り込むという行為を繰り返していたためか、雪ノ下家の女には優れた男を判別する審美眼のようなものが備わっていた。


 道場の門下生である月城真麻が兄の真砂を連れてきたとき、初めて彼を見た時から、不思議な魅力を感じていた。


 一見すると穏やかで頼りなさそうで。弟のように守ってあげたくなる。


 それでいて、妹の前で頼れる人間でありたいという、兄としての面があって。


 聖の暴走に巻き込まれて実害を被りながら、それを最終的に許してしまう器量と包容力を持っており。


 私の身体にさりげなく視線を這わしてくるあたり、ちゃんとした『男の子』であることを感じさせられる。


 月城真砂という人間は様々な顔を持っており、噛めば噛むほどに味がにじみ出てくるような、飽きさせない魅力があるのだ。


 そして――今回、両面宿儺という古代の神を共に撃破したことで、私は完全に真砂の虜になってしまった。

 雪ノ下家に取り込んで婿にして、一緒に子供を作るのであればこの男しかいない――そうはっきりと、確信したのである。


『そうか……お前が決めたのであれば、それでいい』


『絶対にその男を手に入れなさい。手段は選ばなくて構いません』


 前者が父の言。後者が母の言である。


 真砂について説明をした際、父は非常に複雑そうな顔をしていた。

 父はいかにも厳格そうな顔立ちをしており威厳があるように見えるのだが、実際は婿養子のため家中での発言権はなかったりする。

 それでも、私に対しては世間一般の父親と同程度には愛情を抱いてくれていた。娘が将来の結婚相手を選んだことについては非常に面白くないが、雪ノ下家の特殊な事情を鑑みて、文句を言うことなどできないのだ。


 母は全面的に賛成。

 やはり雪ノ下家の女性らしく、娘が突然、将来の相手を選んだことをあっさりと受け入れた。母自身もそうだったのだから当然である。

 応援してくれたのは非常に有り難いのだが……彼を誘惑するためにと、怪しげな薬や卑猥な衣装を用意してくれたのは、本当に有難迷惑だった。


 ともあれ、これで正式に月城真砂が雪ノ下家の婿候補になった。本人から了承はまだ得られていないのだが……これから雪ノ下家はあらゆる手段を使って、月城真砂という男を手に入れるために動くことだろう……


「でも……男を落とすって、いったい何すればいいのだろう? で、デートに誘う? 私のほうから?」


 どうやって誘えばいいのだろう。

 突然、メールや電話をしても迷惑じゃないだろうか?


 うまく誘うことができたとして、どんな服を着ていけばいいのか。

 流石に学校の制服や剣道着でないことはわかるのだが。


「あうー……こんなことなら、恋愛マンガとか読んでおけばよかった! どうしろっていうのだ……!」


 私は枕に顔を押しつけて「うーうー」と唸る。


 両面宿儺という神の出現。

 それを裏で糸を引いているらしい『クエストボードの神』の存在。

 結社に対する報告。


 考えなければならないことは色々とあるのだが……そんなことよりも目先の恋愛のことを考え、私は悶々とした眠れない夜を過ごすことになるのだった。


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