71.俺が知らない世界の裏側⑪
「真砂君っ!」
藪の中へと飛び込んで行く俺に、沙耶香が鋭く叫んだ。
「山の頂上まで誘導してくれ。こことは別のお堂がある! そこまで両面宿儺を連れてきて!」
「っ……!」
沙耶香の声を背中に受けながら、俺は振り返ることなく木々の合間を駆けて行く。
頂上のお堂とやらに何があるのかは知りようがないが、俺一人では両面宿儺を対処できないのは間違いない。
沙耶香のことだから、何か考えがあるに違いない。
ここは言う通りにしておくのが吉だろう。
「とはいえ……簡単じゃあなさそうだけどね!」
『オオオオオオオオオオ!』
「うわあっ!?」
背後から迫るただならぬ気配に気がついて、咄嗟に頭を下げる。
俺の頭上をとんでもない速さで『何か』が通り抜けていき、髪の毛が数本ちぎれて宙に舞う。
直後、ズダンと鋭い音と共に前方にある木に棒状の物体が突き刺さる。見れば、それは矢羽根のついた弓矢のようだった。
「弓なんてどっから出したんだよ!?」
振り返ると、少し離れた場所で両面宿儺が弓矢をこちらに構えていた。
8本の腕に4セットの弓矢を器用に持って、俺のほうを鋭い眼差しで狙っている。
「おい、マジか!? 飛び道具まで持ってるとか反則だろっ!?」
『アアアアアアアアアッ!』
「うおわああああああああっ⁉」
次々と矢が飛んできて、周囲の木々に突き刺さっていく。
俺は【回避強化】のスキルをフル稼働して飛んでくる矢を躱しながら、この場を切り抜ける手段を考える。
先ほど【闇属性魔法】でつけた炎はすでに消えている。
おそらく、逃げるのに必死で怒りの感情が消えてしまい、『ラース』の魔法が解除されたからだろう。
「マッピングで頂上までの道のりはわかるけど……あんなもん、どうやって誘導しろって言うんだ!?」
パワーは両面宿儺が上。スピードはわずかに優っているように感じるが、手数は文字通りに4倍だ。
おまけに遠距離攻撃までできるとなれば、対処のしようがなかった。
弓矢を避けながら逃げていると、前方に幹の太い大木が見えてきた。木の中ほどにはしめ縄が巻かれているため、神木かもしれない。
この太さの木であれば、矢が多少刺さったところでビクともしないだろう。
「よし、とりあえず緊急避難だ!」
木の陰に隠れると、反対側からバシバシと音が鳴って弓矢が突き刺さっていく。
しかし、大木は揺らぐ様子もなく、両面宿儺の射撃にしっかりと耐えることができていた。
「とりあえず小休憩……とはいえ、どうしたもんかな」
【索敵】と【地図化】で確認をすると、両面宿儺は弓矢を撃ちながら、その場からすぐに動く様子はない。
近づくことで反撃を受けることを警戒しているのだろうか。思いのほかに慎重な行動である。
両面宿儺がただの怪物ではなく、人間並みの知能を持っていることがわかる対応だ。
「ここから頂上までは直線距離で1㎞ほど。それほど遠くはないけど……」
だが、あの怪物に命を狙われながらだと思うと、たった1㎞の距離が永久ほどに遠く感じられた。
少なくとも、運任せで無策に飛び込んで突破できるとは思えない。
武術系統のスキルは通用しない。
接近戦では8本腕の両面宿儺にはとても敵わないし、そもそも、弓で狙われている現状では近づくことさえままならない。
魔法系統のスキルはこの場所からでは命中するか微妙なところ。迂闊にこの場所から顔を出せば、狙撃の的にされるだけである。
可能性があるとすればアイテムだろうが、現在所有しているアイテムで有効打になるものは思いつかない。
さっき鬼に使ったように『魔物捕獲用ネット』を使ったとしても、あっさり振り払われるのが目に見えている。『スライムローション』など論外だ。
「聖水とかも通用しないよな。神様っぽいし、神聖な攻撃とか効かなさそう……ん?」
――と、そんなことを考えているとふと疑問がよぎる。
俺は両面宿儺に有効打となる攻撃手段を持っていない。ならば、どうして両面宿儺はわざわざ距離をとって、安全策で攻撃を仕掛けてくるのだろうか。
両面宿儺は現在進行形で、休みなく弓矢を撃ち続けている。
俺が隠れている大木の反対側はすっかりハリネズミになっており、もはや何本矢が刺さっているのかわからない状況だ。
「アイツも俺をビビってる……? 何で?」
少し考えて見ると、すぐに答えは出てきた。
俺が両面宿儺に対して仕掛けた攻撃で、まともに通用したのは一つしかない。闇属性魔法――『ラース』だ。
「なるほどな……相手は神様。闇っぽい攻撃が弱点ってことか」
そこに気がつくと同時に、百本以上も矢を撃たれた大木がメキメキとしなった音を鳴らして倒壊する。
あの怪物の攻撃をよく耐えた方だろう。流石は御神木。御利益があったようである。
俺は心の中で礼を言いながら、倒れていく木の陰から飛び出した。
「シールド!」
無属性魔法の盾を使って飛んでくる矢を防御する。盾は数本の矢を喰らってすぐに消滅してしまうが、盾が消える前に別の木の後ろに飛び込む。
『アアアアアアアアッ!』
当然のように、両面宿儺は俺が隠れた木に矢を撃ち込んでくる。
神木よりも細い木はあっさりと折れてしまうが、またシールドを出して別の木に向かって走る。
先ほどまでと異なるのは、今度は逃げるのではなく距離を詰める方向へ駆けていることだ。
「ぐうううううううっ! 怖いなあ、もうっ!」
距離を縮めれば縮めるほど、矢が到達する速度もまた増してしまう。両面宿儺に近づくのは明らかな自殺行為。
それでも、反撃の活路を見出すとすればこれしかない。
【闇属性魔法】を確実に当てられる距離まで、接近するしかなかった。
「っ……!」
弓矢の1本が肩に刺さり、激痛が走る。
飛び込むように近くの木の陰に転がり込み、手でつかんで矢を引き抜く。
傷は浅い。すぐさま【治癒魔法】を使って傷口を処理するが、痛みまでは消すことができない。
「とはいえ……これで射程範囲内だ!」
距離を詰めた俺は【闇属性魔法】を使用した。
発動した魔法は『スロウス』――『怠惰』の名前を冠した魔法である。
俺の手から黒い影のようなものが放たれて、両面宿儺の身体に絡みついていく。
『アアアアアアアアアッ!?』
「やっぱり効いたか! 効果はバツグンだ!」
両面宿儺は2つの顔を怒りに染めた。
手に持っていた弓矢が消失して、代わりに銅剣が出現する。今さらではあるが、武器を自由に出し入れする能力まで持っているらしい。
『アアアアアアアア……あ?』
距離を詰めてきた俺に斬りかかろうとする両面宿儺であったが、不自然にその動きが鈍る。
【闇属性魔法】――『スロウス』は怠惰の魔法。相手に倦怠感をもたらして動作を阻害することができる。
こちらに斬りかかってくる両面宿儺の動きは明らかに精彩を欠いており、十分に避けられるものだった。
ボスキャラには状態異常が効かないのがゲームのお約束であるが、闇属性が苦手らしい両面宿儺にはちゃんと通じたようである。
攻撃するならば、まさに今!
だったのだが……
「……この魔法を使ってると、俺も攻撃できないんだよなー。あー……だるー」
ラースが相手に怒りを抱いている状態でなければ使うことができなかったように、スロウスも発動中、俺が持っている『やる気』が減衰してしまうという欠点があるのだ。
また、攻撃を受けると刺激によって状態異常が解除されてしまうため、この隙に攻撃することもできなかった。
「あー、めんどくせ……さっさと上まで逃げて、あとは沙耶香さんに押しつけちゃおう」
『アアアアアアアア……』
俺は気怠い声でつぶやいて、さっきよりもやや緩慢になってしまった足取りで山頂までのルートをたどって行く。
両面宿儺もまた緩慢な動きで追いかけてきて、俺達はノロノロと山頂まで鬼ごっこをすることになったのである。




