36.スキルのある学園生活⑦
「陰キャのクソが……舐めたことを言いやがって!」
沖本がクラウチングスタートの姿勢をとる。
対する俺は立ったまま前後に脚を開いた姿勢。いわやるスタンティングスタートと呼ばれるスタート方法であった。
「位置について。用意……」
俺達がスタートラインについたのを見計らい、コース横に立っている日直の男子が右手を上げる。
沖本がグッと後ろ脚に力を込める。俺もまた、まっすぐ100メートル先のゴールを見据えて合図に備える。
「ドン!」
そして、日直の男子が右手を振り下ろす。
瞬間、沖本が素早く前方に飛び出した。
さすがは陸上部のエースだけあって、無駄のないスタートダッシュだ。
「フンッ!」
走り出す瞬間、沖本が横目でこちらを見て小馬鹿にしたように笑っていた。
随分と余裕なことだ。俺は沖本の背中を追いかけながら感心する。
余裕をかますのも無理はない。負けるはずがない勝負だ。
こちらは帰宅部。それもクラスで目立たないモブ中のモブなのだから。
沖本の脳内では、俺をぶっちぎりで負かせる未来がすでに見えているのだろう。
未練のある元カノと親しくしている男を自分の得意分野で打ち負かすのは、さぞや愉快なことに違いない。
「だけど……世の中にはもっと痛快なことがあるんだよな」
俺は走りながらポツリとつぶやく。
『自分が得意なことで相手を倒す』――それはとても気持ちがいいに違いない。
だけど、それ以上に気持ちがいいのは――『相手が得意としている分野で、相手を負かしてやる』ことだ。
「つまり…………こういうことだ!」
「なっ……!?」
俺は残り50mというところでスピードを上げて沖本の横に並んだ。
あからさまに見下していたはずの人間に並ばれて、沖本が驚愕に目を見開いている。
「っ……!」
沖本が焦りに顔を歪ませてさらに加速する。
その表情には先ほどまでの余裕は消え失せており、歯を食いしばっているのがわかる。
「へえ……」
沖本が俺よりも頭一つ前に出る。
さすがは陸上部。意地を見せてくれる。
俺はあえて現在の速度を維持して、沖本と付かず離れずの距離を保つ。
「フハッ……ハアッ、フッ……ハアッ……!」
ゴールが近づくにつれて、沖本の呼吸が荒くなっていく。
俺という『ビハインドプレッシャー』を受けて、焦りに呼吸が乱れてしまったのだろう。
「お前はとりあえず…………藤林さんに謝っとけ!」
「っ……!?」
俺は100メートル走の最中にあり得ないことに、走りながら沖本に声をかけた。
そして――同時に沖本の横に並ぶ。
さらに加速をして、愕然とした顔になっている沖本を追い抜いて距離を開ける
残り10メートルほどで、すでに沖本との間には明らかな開きができていた。
後ろから必死に追い上げてくる気配を感じたが、俺は構わずにゴールする。
「あ、ぐがっ……!」
ゴールと同時に沖本が転ぶ。
よほど俺に追い抜かれた事実を受け入れられなかったのか、動揺からバランスを崩してしまったようである。
「すげえ! 陸上部に勝ちやがったぞ!」
「しかも相手は沖本だ! 2年の中では1番速いぞ!?」
「彼女ができたらこんなに変わるのか!? 委員長の巨乳パワーだ!」
すでに走り終えて、ゴール付近で見守っていたクラスメイトが駆け寄ってくる。
ちなみに、最後のセクハラ発言は笹塚のものである。
わあわあと喝采の声を浮かべる友人達に、俺はうんざりと天を仰ぐ。
「…………やっちまった」
これで目立たない学園生活が一歩、遠退いてしまった。
春歌を馬鹿にした沖本を叩きのめしてやろうとは思ってやったことだが、少し短慮だったかもしれない。
「そんな……嘘だ。俺があんな奴に負けるなんて……」
「おい、沖本! ケガはないか!?」
「嘘だ、あり得ない……こんなこと……」
ゴール地点では、転倒した沖本に体育教師が駆け寄って声をかけている。
しかし、沖本はうずくまった姿勢のままブツブツとうわ言を口にしており、体育教師の声が聞こえていないようだった。
(まあ、いいか。調子に乗って女の子を中傷するリア充もどきにはいい薬だ)
俺は魂が抜かれたようになっている沖本を一瞥して、小さく肩をすくめた。
いつも応援ありがとうございます。
よろしければ下の☆☆☆☆☆から評価もお願いします。




