26.最終日は……ぎゃああああああああ!?②
「…………」
俺は無言のまま冷蔵庫から麦茶を取り出してコップについだ。
自分のぶんを用意して――少し考えて来客用のグラスにも麦茶をそそぐ。
「…………どうぞ」
「ありがとう、先輩」
グラスを差し出すと、聖はおかっぱ髪を揺らして会釈をしつつグラスに口をつける。
俺は彼女の対面の椅子に腰かけて麦茶を一気に飲み干した。
「ふう……」
うん、美味い。
香ばしい麦の香りが鼻から抜けていくようだ。
ランニングでの疲労は【治癒魔法】によって癒すことができるが、汗によって消耗した水分までは回復することはできない。
こうして冷たい麦茶を飲むと、身体の芯まで瑞々しさが行きわたるようだった。
俺はお代わりの一杯を注ぎ、今度はゆっくりと味わって飲む。
「……って、違う!」
少し和んだところで、俺は叫んだ。
バンッとグラスをテーブルに叩きつけるように置く。
「なんで君が俺の家にいるんだよ! そんでもって、なんで当たり前のようにリビングに座って麦茶を飲んでるんだ!」
あまりの驚きに思考停止をしてしまい、思わずお茶まで出してしまったではないか。
「麦茶は先輩が出してくれたから……それに、質問が遅い」
聖はチビチビと麦茶を飲みつつ、俺の問い詰めに答えた。
こうして正面から見てみて改めて気がつくことだったが、彼女は随分と綺麗な顔をしている。
黒髪のおかっぱという純日本人な容姿だったが、白い肌と青みがかった目からわかるように顔立ちは妙に西洋人っぽいのだ。
「不法侵入をしたわけじゃない。妹さんから許可はもらった」
「真麻から?」
「うん」
俺はそこでようやく妹の姿がないことに気がついた。
しっかりした性格の彼女が、来客を放っておいてどこに行ったのだろうか?
「妹さんだったらどこかに出かけた。『ついにお兄の彼女が来た! お赤飯を炊かないと!』とか言いながら」
「テンパりすぎだ!」
赤飯の材料を買いに行ったのか!?
そもそも、彼女などいない!
昨日もそう説明したのに、いつまで勘違いをしているのだ!
「いや、えーと……うん、どこから聞けばいいのかよくわからないんだが、そもそも君、何をしに来たんだ?」
「……先輩に会いに来た」
「俺に?」
まさか一目惚れされたのだろうか、などと都合のいいことが一瞬だけ浮かぶがすぐに頭から振り払った。
これまで女にモテたことなど一度だってないというのに、いまさら後輩女子に一目惚れなどされるわけがない。
「そりゃまた、どうして……」
「昨日、先輩のことを町で見かけた。女の子とデートしてた」
「うん? あ、君も町に出てたのか?」
思わず真顔になって尋ねると、聖はコクリと頷いた。
「すれ違った。先輩は気がつかなかったけど」
「……そりゃ、悪かったね。慣れないデートで余裕がなくてね?」
初めてのデート。それも相手は美少女2人。
精神的に余裕を失っていて、知り合いとすれ違ったことにも気がつかなかったようである。
クラスメイトに知らないうちに見られてないかと思うと、ちょっとハラハラする。
「女の子2人をはべらせてた。一夫多妻は大罪。いやらしい」
「……君が想像しているようなことは何もないよ。2人とは健全な友人関係だ」
俺はたまらず言い返した。
やましいことなど何もしていないというのに、どうしてまともに話したことのない後輩女子に責められなければいけないのだ。
そもそも、俺はまだ聖から来訪の用件も聞いていない。
「それは別にいい。そんなことよりも、先輩から臭いがした」
「臭い……?」
「とても気持ちの悪い臭い。今もしてる」
「う……そんなに汗臭いか?」
聖のあまりの言い草に、自分の脇に鼻を近づけた。
たしかに臭い。
ランニングのあとで、汗のにおいがたっぷりとする。
(あれ……今日は匂うのは仕方がないけど、昨日も臭かったのか? デイリークエストで運動はしたけど、ちゃんとデートの前にシャワーも浴びて着替えたぞ? 春歌と真麻だって何も言ってなかったけど……)
まさか臭いと思われてたけど、我慢してくれていたのだろうか?
そうだとすればかなり落ち込んでしまうのだが……
「はい、飲んで」
「はあ?」
意気消沈している俺に、聖が水筒を取り出して中に入っていた液体を麦茶が入っていたグラスに注いだ。
それを自分で飲むのかと思いきや、俺の前へグイッと差し出してきた。
「えーと…………なんだこれ?」
「いいから、飲んで。冷めないうちに」
「いや、そもそもホットじゃないんだけど……」
有無を言わさぬ様子で言ってくる聖に、俺は怪訝に眉根を寄せた。
高校の後輩女子から得体の知れない液体を差し出された。
いや、どんな状況だよ。
「うーん……飲めといわれてもなあ」
グラスを手に取って鼻を近づけてみる。
おかしな匂いはしない。むしろ香りのよい紅茶の匂いがする。
(麦茶のお礼? それとも、お土産のつもりか?)
ちらりと聖を一瞥した。
聖は青っぽい目でじっとこちらを見つめてくる。
吸い込まれそうな瞳に、俺は何も言えなくなってしまう。
「まあ、いいけどさ。別に……」
俺はグラスに口をつけて、中の液体を慎重に口に含む。
(ん? 美味い?)
どうやらこの液体の正体はレモンティーのようである。
柑橘系の爽やかな風味と、砂糖の甘さが舌を優しく包み込む。
紅茶はあまり飲まないのだが、これは美味い。
ひょっとしたら人生で飲んだ紅茶の中で一番、美味しかったかもしれない。
(美味い。美味いのはいいんだが……これって間接キスじゃないのか?)
このグラスは聖が先ほど口をつけたものである。
子供でもあるまいしそんなことを気にするタイプでもないのだが、自宅に女子と2人きりというシチュエーションもあって変に意識してしまう。
『ワールドクエストを達成。【毒耐性Lv1】を修得した!』
「ぶふっ!」
俺は頭の中に流れたアナウンスにレモンティーを噴き出した。
ちょっとだけ甘酸っぱい気分になっていたというのに、それも一瞬で吹き飛ばされる。
(毒!? なんでっ!?)
慌ててクエストボードを呼び出してワールドクエストを確認する。
『毒物を摂取せよ』というクエストが達成されており、その報酬として【毒耐性Lv1】を修得していた。
ステータス欄も確認してみたが、表示されている文字が真緑になっていて、名前の横に『状態:毒』と付け足されている。
(一服盛られた!? 俺が何をしたっていうんだ!)
会ってから2日しか経っていない後輩女子に、どうして毒を盛られなければいけないのだ。
毒を飲まされたことを意識したせいか、妙に舌がピリピリしてなんか指先も小刻みに震えてきた。
俺は理不尽に叫びだしそうになりつつ、この状況を打開する手段を考える。
(そうだ、さっき便利なものを覚えたじゃないか!)
俺は先ほど修得したばかりの魔法を使うことにした。
【聖属性魔法Lv2】 キュア
状態異常を回復させる魔法によって、俺の身体から毒物が浄化される。
舌や指先の痺れも消えてステータスの表示も正常に戻った。
「……ああ、美味しい紅茶だったよ。ありがとう」
俺は紅茶の入ったグラスを聖の手元へと押し返した。
自分の目の前に帰ってきたグラスに、おかっぱ頭の少女が首を傾げる。
「ん……効かない?」
「……え、何の話かな? 何が効かないって?」
俺は慎重に答えを選びながら尋ねた。
どうしてこの少女が俺に毒を盛ろうとしたのかはまるで心当たりがなかったが、対応を間違えればとんでもないことに発展してしまいそうな気がする。
理想としては何も知らないままに片づけたい。
自分は毒など飲まされていないし、この後輩も先輩に毒を盛っていない。
何事もなく、波風も立たせず、彼女をさっさと家から追い出して終わりにしたかった。
「そっか……やっぱり、効かないんだ」
「は? やっぱり?」
しかし、聖はどこか納得したようにつぶやいた。
その言葉に宿っているのは、何かを確信した色である。
「えーと、そろそろ帰ってもらえるかな。俺もこれから人と会う約束があるし、さすがに長居をされるのは困るんだけど」
聖の様子に不穏なものを感じて、俺はさっさとこの場を切り上げようとする。
用事をでっちあげても彼女を追い出そうとリビングの扉を開いて……そこでぞわりと背中に悪寒を感じた。
「うわあっ!?」
直感で感じるがままに横に飛んだ。
俺が先ほどまでいた空間を銀色の刃が通り過ぎる。
慌てて振り返った俺が見たものは、銀色のナイフを構えた聖の姿だった。
「だったら死んで? 先輩」
「ちょ……だったらって何が!?」
俺は泡を食って叫ぶ。
しかし、おかっぱ頭の後輩は有無を言わさず飛びかかってきた。
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