予想外の味方 2
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「いいですかオリヴィア。これが過去五十年間のエバンス公爵領の収支報告書です。ちなみにわたくしが気になった部分についてはすでにしるしを入れています。確認なさい」
どーん、と積まれた書類の山に、オリヴィアはぱちぱちと目をしばたたいた。
オリヴィアはサイラスとアランに割り振られている仕事を手伝うため、ほとんど毎日城に出向いている。
今日の分の仕事をしていたオリヴィアは、突然バーバラに呼び出されて彼女の私室へ向かった。
そこに用意されていたのがエバンス公爵領の過去五十年分の収支報告書だったのだから、驚きもするだろう。
(そして今日も今日とて、お菓子がいっぱい……)
資料の横には二人分のティーセットと、三段のケーキスタンドに並べられている色とりどりのお菓子たち。
「バーバラ様……この資料、どうしたんですか?」
「税務大臣に用意させました」
バーバラは簡単に言ったが、間違いなく持ち出し禁止の重要書類だ。
「よ、よろしいんでしょうか?」
「本人がいいと言ったのだからかまいません。ちなみに税務大臣はこちらの味方です。あなたとサイラスの婚約の危機だと言えば二つ返事で協力してくださいました。まあカモフラージュとしてほかの領地の収支報告書も持ってこさせましたけどね」
オリヴィアは、五十代半ばの法務大臣の顔を思い浮かべた。アランの仕事をこっそり手伝っていたころ、よく困った顔をしてオリヴィアの部屋を訪れていた。お菓子持参で。あの頃からオリヴィアに優しかったが、機密資料を横流しして大丈夫なのだろうか。
バーバラが向けた視線の先には、カモフラージュとして用意された大量の書類の山があった。エバンス公爵領以外に用がないので、部屋の隅の方に置かれている。
積み上げられたエバンス公爵家の収支報告書に、オリヴィアはごくりと唾をのみ込んだ。
エバンス公爵家を探ることに異論はない。覚悟も決めた。だが、オリヴィアが失敗すれば、その対価を支払うことになるのはオリヴィアだけにはとどまらない。
(お父様にもお兄様にも迷惑をかけるかもしれないし……)
藪をつついた結果出てきた蛇がオリヴィア一人にかみつくのであればそれほど躊躇しないが、アトワール公爵家への影響も必至となれば、まだ少しのためらいが残る。
そんなオリヴィアの懸念を感じ取ったのか、バーバラが笑顔を浮かべた。
「あなたが心配しているのは家のことでしょうけど、アトワール公爵はこちら側ですよ。娘に手出しする家は許さないのだそうです。そうそう、あなたの母君――ブロンシュにも確認したところ、こちらのことは気にする必要はないから好きに動きなさいと言っていましたね。まあ、ブロンシュも好戦的なところがありますからね」
オリヴィアが知らないところでバーバラは父や母に連絡を入れてくれていたらしい。
「え?」
「あら、知らなかったの? ブロンシュはかつてイザックの婚約者だった相手を容赦なく蹴落として自分が妻に収まったのよ。この話とても面白いのよ。ふふふ、この件が落ち着いたら詳しく教えてあげましょう」
知らなかった。二人が恋愛結婚なのは知っていたけれど、そんな過去があったとは。オリヴィアは目を丸くする。
(お母様って実は気が強い人だったの?)
そう言えば、オリヴィアがまだ小さいころ、父が仕事に行きたくないとごねていた時に容赦なく家から叩きだしていたような気がする。それを考えると意外ではないのか。不思議な気分だ。
「ともかく、これであなたの懸念はなくなりましたね。さあ、はじめますよ。狐ババアには散々煮え湯を飲まされてきましたからね。……腕が鳴るわ」
「その……陛下のことはよろしいんでしょうか?」
エバンス公爵はジュールの外戚だ。エバンス公爵家への糾弾が、ジュールにまで累を及ぼすことになるのは避けたい。
けれど、バーバラはあっさり頷いた。
「あの狐のことは気にしなくていいのよ。どうせいつも通りだんまりですもの。わたくしと狐ババアがやりあっていても、どっちつかずで傍観するのがいつものあの人のスタイルなの。たまには妻をかばうぐらいの気概を見せてほしいものだけど、期待するだけ無駄なのよ」
オリヴィアはほんの少しジュールに同情した。バーバラとグロリアがバチバチ火花を散らしているところにはオリヴィアだって入りたくない。大やけどをしそうだ。
「それに、あの人は自分に降りかかる火の粉は自分で何とかする人ですよ。エバンス公爵家がたとえ取り潰しになったところで、あの人にとって深爪するほどの痛手もないわ」
「そうですか」
なんだかんだ言って、バーバラはジュールのことを信頼しているのだ。だから自由に動けている。妙な賭け事はしているし、いつも喧嘩しているようにも見えるけど、実は仲がいい。それがずっと不思議だったが、少しわかった気がする。二人の間にある信頼は、本物だ。
オリヴィアは最後の躊躇の欠片を振り払うように首を横に振って、資料の一枚目に手を伸ばす。
五十年分の収支報告書。五十年前と言うと、ちょうどグロリアが王家に嫁いだころだろうか。
(エバンス公爵家はもともと力のある公爵家だったけれど、先王陛下のときが一番力を持っていたのよね)
先王の時代、宰相を含め、国の中枢はエバンス公爵家に連なる者たちで固められていた。ゆえに政は、ほとんどが彼らの思惑通りにすすめられていたと言っても過言ではない。
王が変わり、玉座についたジュールが政務者を一新してエバンス公爵家を政治の中心から追い出すまで、それは続いたという。
(だから収支報告書もおかしいわけね)
ざっと見た限り、先王の時代とジュールの時代で、提出されている収支報告書が明らかにおかしい。
「先王時代……国からエバンス公爵家にかなりの額が動いていたんですね」
「ええ。でも、褒章とか給与という形で与えられていますからね。あきらかにおかしくてもこのあたりは正攻法ではつつけないわよ」
「そうですね……」
不自然な褒章、給与、特別報酬。毎年のようにエバンス公爵家に与えられているそれらは、誰が見てもおかしな金の動きだが、国から正当な手順で与えられている以上どうすることもできない。そもそも王から与えられる褒章にルールなんて決められていないから、国王の裁量次第。褒章に異議を唱えるのは国王の決定に異議を唱えるのと同意だ。王の威信にも関わる問題で、少なくとも、将来王族に名を連ねる予定のオリヴィアが簡単にしていいことではない。
先王時代のエバンス公爵領の収支報告書は怪しいところがたくさんあるが、真正面から糾弾できそうなものはそう多くなかった。
バーバラもいったん先王時代のものは後回しにした方がいいだろうと判断して、玉座がジュールに移ってからの収支報告書に目を通す。
(……わかってはいたけど、すぐにほしい材料が手に入るほど、簡単ではないわね)
焦らず探していくしかないだろう。
そう自分に言い聞かせて、オリヴィアは新しい報告書に手を伸ばした。











