それぞれの思惑 5
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夕方になって、オリヴィアがアトワール公爵家に帰ると、サイラスは自室に補佐官のリッツバーグを呼びつけた。
「リッツバーグ、頼みたいことがある。エバンス公爵家についての情報を調べられるだけ調べてほしい。どんな些細なことでもいい」
リッツバーグは困った顔をして、ちらりと扉の所に控えているサイラスの護衛官コリンに視線を向けた。コリンが表情を変えないのを確認して、ため息交じりに言う。
「殿下……エバンス公爵家は敵に回すと厄介なところですよ。それに、殿下の親族でもいらっしゃいます。下手を打てば、すべてご自分に戻ってくるかもしれません」
リッツバーグの懸念はよくわかる。
エバンス公爵家は歴史の古い家だ。何人もの王妃を輩出し、何人もの王女が嫁いだ。それゆえ、王家に次ぐほどの権力を持っている。歴史を紐解けば、強引な手段で王へ退位を迫ったことも幾度となくある。ゆえに歴代の王は、エバンス公爵家の出方を窺い、機嫌を取り、決して敵に回さないようにしてきた。
だからこそバーバラも、グロリアに苛立ちつつも、これまでは自分の方が一歩引いて接してきた。けれど母は、今日、はじめてグロリア相手に啖呵を切った。エバンス公爵家を潰しに行くがそれでいいのかと。あれには正直驚いたし、ひやりと背筋が冷えた。母がそこまでしてオリヴィアをかばうとは思わなかった。
そして、バーバラの部屋から戻ってきたオリヴィアも、エバンス公爵家を探ると言った。探れば必ず何かが出てくるだろうとサイラスも確信している。そうなれば、エバンス公爵家と真っ向から対立することになるだろう。情報は多い方がいい。
(それに、母上に負けてはいられないからね)
バーバラの味方は心強いけれど、サイラスだってオリヴィアを守りたいし彼女の役に立ちたい。
それにおそらく、一か月半という短い期限で探るからには、バーバラは城に残っている過去のエバンス公爵家の資料から糾弾材料を探すだろう。
(城にない情報は仕入れられないし、現在の情報も手に入れておいて損はない)
エバンス公爵を糾弾する場合、最後の関門は貴族会議だ。そこでエバンス公爵の有罪判決を勝ち取らなければ、すべての努力も水の泡。ならば、調べられることは徹底的に調べ上げておかなくては、勝てない。
(ま、母上のことだから僕が動くのも見越しているんだろうけどね)
バーバラはサイラスが動くことも計算に入れているはずだ。バーバラのチェスの癖を思い出せば、だいたいわかる。もっとも、サイラスは成人してからチェスを打たなくなったから、久しくバーバラとも勝負をしていないけれど――、たぶん、それほど変わっていないと思う。
ならば、バーバラがサイラスの動きを計算に入れているように、バーバラの計算ごとサイラスが自分の計算式に当てはめてしまえばいいだけの話だ。
(オリヴィアは僕が守る。僕の大切な人だから)
オリヴィアはサイラスのもので、サイラスはオリヴィアのもの。これは絶対に譲らない。そこに第三者の――レネーンの影は必要ない。
「覚悟はできているよ。それに、オリヴィアが僕たちの将来のために戦おうとしてくれているのに、僕一人傍観者ではいられない。身内を陥れるなんて正直気分がいいものじゃないけど、最初に僕のオリヴィアに手を出したのはあちらだ」
オリヴィアをサイラスから遠ざけようとして、オリヴィアを泣かせた。だからサイラスは、グロリアを絶対に許さない。
リッツバーグはコリンと顔を見合わせてから、肩をすくめた。
「わかりました。私も覚悟を決めることにします」
「ありがとうリッツバーグ。でも無茶はしなくていいから」
「大丈夫ですよ、知っているでしょう? 隠密行動は得意なんです」
リッツバーグは元税務官だ。平凡であまり特徴のない顔立ちを生かして、怪しい動きのある所に潜り込んでは、数々の不正を摘発してきた。サイラスはその能力を買って税務大臣と交渉してリッツバーグを補佐官にしたのだ。彼の有能さはサイラスが一番わかっている。
リッツバーグはふと考え込むように顎に手を添えて、それからサイラスからペンと紙を借りるとさらさらと何かを書きはじめた。
「こんなのでは足りないでしょうけど、私が現在把握できているのはこれだけです。……正直蜂の巣をつつくようで怖いですけどね、ちょっとだけ、わくわくしますね」
サイラスはリッツバーグから渡された紙を見て、ぽかんと口を開ける。
「リッツバーグ……君ね」
「そこに不正があれば首を突っ込みたくなるのが、元税務官の性分でして。でも、それ、証拠までは押さえきれていないんで、それはまだご内密に」
それでは行ってきますと、リッツバーグはのんびりした笑顔で言って部屋を出て行った。
エバンス公爵領は王都の東に位置していて、かなり距離があるが、王都の北東にあるレプシーラ侯爵領から、レバノール国の国境と平行にエバンス公爵領まで一本の鉄道が通っている。馬車で何週間もかかる距離でも、鉄道を使えば数日で到着できる。リッツバーグはすぐに何かしらの情報を持ってきてくれるだろう。
「何が書いてあるんですか?」
リッツバーグが出て行くと、コリンが興味津々に訊ねて来る。
サイラスはコリンに紙を渡して、肩をすくめた。
(原因は不明だが、労役地から囚人が大勢消えている、ね。消えている人数まで把握しているとか、リッツバーグ、怖すぎるよ……)
エバンス公爵領はレバノール国とスルベキア国の二つの国境に触れている。そのうちスルベキア国との国境付近に、現在密入国防止のための壁を建設中で、罪を犯した囚人たちの労役地となっている。
スルベキア国との関係は悪くないのだが、かの国は経済状況があまり芳しくなく、一部のスルベキア人がブリオール国に密入国しては強盗などの犯罪に手を染めることが近年多発しており、両国の話し合いの末、密入国できないように壁と関所を設けることにしたのだ。
リッツバーグのメモによると、そのスルベキア国の国境の壁の建設にあたっている囚人が大勢行方不明になっているとのことだった。
国境を越えてスルベキア国へ逃げた可能性も完全には捨てきれないが、囚人を働かせるため、国境付近には大勢の見張りがいる。その見張りはエバンス公爵領の兵士たちで、囚人が国境の外に逃げたならば、エバンス公爵経由で国に報告がされるはずだ。それがされていないということは、この問題には何らかの裏があるはず。
「……よくこんな情報を集めて来ましたね」
「リッツバーグはあちこちに協力者がいて、独自の情報網を持っているからね」
「リッツバーグは、殿下が取り立てなかったら結構いいところまで出世したんじゃないですか?」
「それは僕も思うよ」
リッツバーグにはいつも助けられている。だからこそ、もしも彼が望むなら、それなりの地位を用意するつもりでいるのだが、リッツバーグは出世欲が希薄なようで「給料がいいからサイラス殿下の補佐官でいいです」と言うのだ。サイラスとしてはとてもありがたいのだが、いずれはその功績にきちんと報いたいと考えている。
(これで、エバンス公爵家に何かがあるのはほぼ確実になった)
サイラスはコリンから紙を回収して、表情を消す。そう言えばこの労役地には「彼」がいるのだと、思い出した。
☆
エバンス公爵令嬢レネーンは、大叔母グロリアの話を思い出して眉を寄せた。
(一か月半後までにオリヴィア様がご自分の評価を払拭できれば、サイラス殿下との婚約は取り下げない……なにそれ!)
グロリアはオリヴィアからサイラスと婚約する権利を奪うと言った。
それなのに、ジュール国王がオリヴィアにチャンスを与えてしまったらしい。国王が判断したのならば否を唱えることはできないと、グロリアはあっさり引き下がってきたそうだ。
(やっとサイラス様が手に入ると思ったのに……!)
レネーンはずっとサイラスが好きだった。
だから何度も父やグロリアにサイラスと婚約させてほしいと頼んできた。けれども、父やグロリアがジュールに掛け合おうとも、「考えておく」以外の返答が戻ってきたためしはなかった。そして、今年になってオリヴィアに横やりを入れられた。アランとの婚約を解消したオリヴィアがサイラスの隣を奪ったのだ。
レネーンがずっとほしかった場所にオリヴィアがいる。アランと婚約破棄された無様で無能な公爵令嬢。あの女に、レネーンの何が劣ると言うのか。
無能なオリヴィアでは一か月半後までに自分の評価を払しょくすることはできないだろう。
そう思うのに、不安がぬぐえない。
バーバラもサイラスもオリヴィアの味方だとグロリアが言ったから。あの二人がオリヴィアの味方に付けば、この状況をひっくり返してしまうかもしれない。
「手段は選んでいられないわ」
レネーンは何としてもサイラスがほしい。
ならばレネーンが取る行動は一つだけだ。
「敵には情け容赦は無用だって、大叔母様もいつも言っているものね」











