それぞれの思惑 4
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「はあ、憂鬱だ……」
「それはこっちのセリフですよ、狐陛下」
二人きりになった執務室で、だらしなくも執務机に突っ伏しているジュールを、イザックは冷ややかに見下ろした。
「狐言うな!」
「狐が嫌なら性悪陛下でも腹黒陛下でもいいですよ」
「……狐でいい」
ジュールが拗ねたように口をとがらせているが、イザックはもちろん無視をする。オリヴィアを泣かせたこいつにかける同情などこれっぽっちもない。
「言っておきますけどね、これでもしオリヴィアが泣く結果になったなら、私は即座に辞表を提出しますからね。そのつもりで」
「出しても受理しない」
「なら出仕しないだけです」
「…………冷たいぞイザック」
「冷たくて結構」
ジュールは顔を上げて、バーバラに殴られた頭を撫でながら、はーっと息を吐きだした。
「お前にしてもサイラスにしても冷たい。私だって今回の件には参っているんだ。わかるだろう?」
「何が参っているですか。そんな顔をしても無駄です。だいたい、私にわかるはずないじゃないですか。何も知らされていないんですからね!」
そう、イザックにとっても、オリヴィアとサイラスの婚約の内定が取り消されるという話は寝耳に水だったのだ。長い付き合いであるから、ジュールがおそらくまたろくでもないことを企んでいるのだろうという勘は働いたがそれだけだ。
「説明する気はあるんですか?」
「……まだ言えない」
(まだ、か。……そう言えば、いつもと少し様子が違うな)
だいたいジュールは、何か企んでいるときはニヤニヤ笑っている。悪戯を思いついた子供のように楽しそうに。けれども今日は、ずっと拗ねた顔をしていて、それは彼らしくない表情だった。
(何かは企んでいるが、陛下の思い通りの展開ではない……そういうことか?)
だが、そうだとしても、やはり同情の余地はない。
「イザック、ここ見てくれ。たんこぶになっている気がする」
「ああ、あなた、たんこぶできやすいですからね。……ざまあみろ」
バーバラに容赦なく殴られた場所には、ジュールの言う通りたんこぶができていた。もちろんこれにも同情しない。
「妻も息子も、どうして私に冷たいんだろう」
「……自分の胸に聞いてみたらどうですかね」
本気でわからないならいろいろ破綻している気がする。
イザックはあきれ顔を浮かべて、ついと執務室の入口を見た。
先ほど、あの扉を壊す勢いで蹴り飛ばして憤然と出て行ったサイラスの姿を思い出す。
(サイラス殿下があそこまで怒ったのははじめて見たな)
いつも冷静沈着で、感情の読めない穏やかな笑みをたたえているサイラスが、本気で怒っていた。
――父上、約束が違いますよ。
オリヴィアとバーバラ、そしてグロリアが出て行ったあと、サイラスは氷のように冷たい声でそう言った。
サイラスは、オリヴィアと結婚する権利を得る代わりに、次期王になるという約束をジュールと交わしていた。オリヴィアをサイラスから奪えば、この約束は成立しない。サイラスの性格なら王位継承権を放棄するくらいやってのけるだろう。そうなれば、サイラスを王にしたいジュールの望みは永遠に叶わないことになる。
(そもそも今回の決定にはいくつか矛盾が残るな)
だからこそ、ジュールが何か企んでいるとイザックは確信しているわけだが、今回ばかりは全く読めない。
(それにしても、サイラス殿下にバーバラ王妃……被害が大きくなりそうだな)
本人には否定するだろうが、サイラスはジュールによく似ている。
本当に大切なものは、どんな犠牲を払ってでも守りに行く。意外とジュールにも、そういうところがあるのだ。
――そちらがその気なら、今回の件は僕も本気で行きますよ。
冷気すら漂ってきそうなほど冷ややかなサイラスに、ジュールは何も言わなかった。
――オリヴィアは絶対に奪わせない。そして僕は、僕からオリヴィアを遠ざけようとするおばあ様を絶対に許さない。父上、もしあなたが僕の邪魔をすると言うのなら、一切の容赦はしませんからそのおつもりで!
正直なところ今日まで、イザックはそれほどサイラスに期待はしていなかった。
能力的には高いものがある。王になるならアランよりもサイラスが向いているだろう。だが、オリヴィアの嫁ぎ先としてサイラスが最良なのかどうかは、わからなかった。
サイラスはいつも穏やかでどこか気迫に欠けていて、何かが起こったとき、オリヴィアを守り抜くだけの気概があるとは思えなかったから。
ただオリヴィアがサイラスを選んだから。アランとの婚約破棄のあと、イザックはオリヴィアが心から望む相手と結婚させてやりたいと思った。それがサイラスだったから、オリヴィアのために認めただけだ。
サイラスのオリヴィアへの気持ちは疑わない。でも果たして、オリヴィアを一生守り抜く力が、覚悟が、彼にあるのだろうかと――そう疑っていた。
(杞憂だったみたいだがな)
ここでもしサイラスが少しでも諦めるようなそぶりを見せていたら、イザックはオリヴィアが何と言おうとサイラスとの婚約は認めなかった。でも、彼は何も諦めていない。だから信じることにした。サイラスなら、オリヴィアを幸せにできるだろうと。
(まあ私が何を言ったところで、オリヴィアはもう選んでしまっているのだがな)
自分より他人を優先する傾向にあるオリヴィアが、自分の意思で選んだのがサイラスだ。サイラスの隣にいることが自分の幸せだとオリヴィアが判断したのならば、親とは言え、外野が口を出す権利はない。
これ見よがしにずっとたんこぶを撫でているジュールに、イザックは苦笑する。
(十二年前……陛下が王妃殿下のために王太后様を城から追い出したのを思い出すな)
十二年前、ジュールとグロリアの間にどんな話し合いがもたれたのかは知らないが、グロリアが城を出て行くことになったのは、十中八九、ジュールがバーバラのために動いたのだとイザックは思っている。
バーバラとグロリアはずっと折り合いが悪かった。
相手はジュールの母親だからと、バーバラが相当我慢していたことは、妻のブロンシュから聞いて知っている。
ジュールとバーバラは幼いころに婚約を決められた政略結婚だが、ジュールはバーバラを心から愛している。ジュールの優先順位は、昔からバーバラが一番だ。
(ま、サイラス殿下は、陛下みたいに性格が破綻していないけどな)
ただ、一つだけ信頼していることもある。
――ジュールの企みによって、物事が最悪の状況になったことは、一度もない。











