それぞれの思惑 3
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――とはいうものの。
(相手はエバンス公爵家……慎重に進めないといけないわ)
バーバラの自室から、城の中に与えられている自室へと向かいながらオリヴィアは考える。
エバンス公爵は、イザックのように城での要職についているわけではない。
そのため城への出入りは少ないが、社交シーズンのため領地から王都へ居を移している。オリヴィアの行動に不信感を覚えれば、即座に対応してくるだろう。
グロリアも王都のエバンス公爵家に滞在しているらしいので、こちらも警戒しておかなくてはならない。
(……レモーネ伯爵の金の密輸事件のとき、陛下が言う通り褒章をもらっておけばよかったわ)
夏前に暴いたバンジャマン・レモーネの脱税と金の密輸。
その証拠を突き止めたオリヴィアは、けれどもそれに対する褒章を断った。
大臣たちの前で不正を告発したため、大臣たちはあの一件でのオリヴィアの活躍を知っているが、褒章を断ったため、その功績はあまり知られていない。
今更それを掘り起こしてあれは自分が解決したと言って回ることはできないし、できたとしてもするつもりもないけれど、あの時褒章を受け取っておけば、オリヴィアの世間の評価も多少は上向きになっていただろう。
(悔やんでも仕方がないけど……、あの時褒章を受け取っておけば、この状況には追い込まれなかったかもしれないわね)
一か月半と言う短い時間。
まだ多少のためらいはあるものの、エバンス公爵家を探り、何らかの不正や疑惑の証拠をつかんで糾弾することが、現状ではベストな方法だと思う。
時間があれば国交や慈善活動、公共事業などで功績を遺す方法を探ることができただろうが、一か月半では到底不可能だ。
しかし、貴族裁判でしか裁くことのできない公爵を糾弾し罪に問うには、多少の不正疑惑では不可能である。断罪できるほどではないが多少の痛手が負わせられるレベルの疑惑では、むしろ手を出すべきではない。のちのち、こちらに降りかかるであろう火の粉が多すぎるからだ。
確実に罪に問える、もしくは問えなくともエバンス公爵家の力を大きく削げるほどの疑惑を手に入れる必要があり――正直、そのレベルの疑惑が存在するのかどうかも怪しい。
(エバンス公爵家に不正疑惑がなかった時のことを考えて、ほかの手段も探しておいた方がよさそうね)
バーバラが言うくらいだ。エバンス公爵家に何らかの怪しい動きがあるのは間違いないだろう。問題はその大きさなのだ。
(別の方法を候補に入れるとしても、国の事業に首を突っ込むなんて不可能だし)
オリヴィアは文官でないので、何かしらの国の事業に口出しして主導権を握ろうとすれば、強引すぎて反感を買うだろう。評価を上げたいのに、それでは逆効果だ。
(新しい教育機関の設立とか、総合医療施設の建設とか……やってみたいことはあるけれど、今のわたしができることじゃないし、できたとしても一か月半じゃ無理だし……)
そのほか、貧困問題や労働環境の問題など、気になっている問題はたくさんあるが、どれもただの公爵令嬢が口を出せるものではない。
王子妃や王妃ではないオリヴィアができることは、とても限定されている。
博打を打つみたいでいやだが、やはり、エバンス公爵家の疑惑を探すことに絞って行動するのが効率的だろうか。
エバンス公爵家に疑惑がなければ、そのときまた考えればいい。……相当慌てることになるだろうが。
部屋までたどり着くと、衛兵が扉を開けてくれた。
「オリヴィア!」
衛兵に礼を言って部屋に一歩踏み入れた瞬間、大好きな香りに包まれる。
「サイラス様?」
突然抱きしめられたオリヴィアは、サイラスの腕の中で目を丸くした。
どうやらサイラスは、オリヴィアの部屋で彼女が戻ってくるのを待っていてくれたらしい。
「よかった。母上が連れて行ったままなかなか戻ってこないから心配していたんだ。大丈夫? ごめんね。僕がおばあ様に言い返せればよかったのに……」
「大丈夫ですよ」
それに、あの状況では仕方がなかった。どこにも反論の余地がなかったからだ。かばおうとしてくれただけでも充分嬉しかった。
サイラスと並んでソファに腰かけると、サイラスから事情を聞かされたのか、心配そうな顔をした侍女のテイラーがお茶を用意してくれる。
「ありがとう、テイラー」
心配をかけまいとして微笑んだのだが、逆にテイラーに不満そうな顔をした。
「こんな時にわたくしの心配をしなくても大丈夫です! お嬢様はすぐそうやって人のことばかり心配するんですから!」
「そんなことは……」
「あります!」
断言されて、オリヴィアは苦笑するしかない。
テイラーこそ、オリヴィアのことなのに、まるで自分のことのように怒って心配してくれる。人このことを気にかけるのはテイラーも同じだ。
「テイラーも座って。……バーバラ様とお話ししたことを、あなたにも聞いてほしいわ」
オリヴィアが言い、隣でサイラスが頷くと、テイラーが躊躇いがちに対面のソファにちょこんと腰を下ろす。
オリヴィアはバーバラと話した内容をかいつまんで説明して、エバンス公爵家を探ることにしたと結論を告げた。
「正直、まだ悩んでいるのは本当なんです。エバンス公爵家は陛下や……サイラス様の血縁の方ですし、下手を打てばお父様……アトワール公爵家にも大きな影響が出ます」
「でも、オリヴィアは決めたんでしょう? 僕の血縁とか、そう言うのは気にしなくていいよ。血のつながりがあるから多少は気を遣っているけど、別にあの家と仲がいいわけでもないからね」
「公爵家のことだって、旦那様ならお嬢様の好きにすればいいとおっしゃると思います!」
テイラーが拳を握りしめて言う。彼女の言う通り、イザックならオリヴィアを止めないだろう。父は、悔いのないようにしなさいと背中を押してくれる人だ。でも、だからこそ躊躇いも残る。
「それに、母上が味方に付くんだろう? もし何かあっても、最悪な事態にはならないよ。母上はあれで、自分が守ると決めた相手は全力で守りに行く人だからね」
「……はい」
バーバラは厳しい人だと思う。けれど、とても優しくて愛情深い人だ。バーバラが味方になってくれるのはとても心強い。
「母上は勝てない戦をするタイプでもないからね。エバンス公爵家を探るべきと判断したのなら、そこになにかあるのは確信しているんだと思うよ」
エバンス公爵家は国で一番力を持っている公爵家だ。王家と言えど下手に手出しはできない。バーバラがエバンス公爵家に何らかの疑惑を抱いていて、けれどこれまで公に調査できていなかった可能性は充分にあった。
「だけど慎重にはなるべきだ。エバンス公爵家を探っていると気づかれないように、カモフラージュが必要だね」
「そうですね」
「僕も協力するし、大丈夫だよ。オリヴィアなら。……それに」
サイラスがオリヴィアの頭を撫でて微笑む。
親密な雰囲気を察したテイラーが、そっと立ち上がって控室へ下がった。
「何があっても、僕はオリヴィア以外と結婚する気はないから。僕は一生君しか愛せない。断言できるよ。……だから、一か月半後、もしもオリヴィアが僕から遠ざけられるようなことがあれば、そのときは、君を連れてこの国から出て行こうかな。王位継承権なんて放棄して、何のわずらわしさもないところで二人きりで暮らすんだ。……どう?」
オリヴィアは小さく笑った。
サイラスと二人きりの生活。それはそれでとても幸せだろう。正直惹かれるものもある。でも、それができないことはサイラス自身がよく知っているはずだ。
オリヴィアが遠慮がちにサイラスの方に頭を預けると、サイラスがオリヴィアの肩に腕を回す。
「僕は絶対に君を手放さない。覚えておいて。何があっても絶対に守るよ。君も、君が大切にしている人も、まとめてね」
何が起こっても、サイラスは絶対にオリヴィアの手を離さないでいてくれる。それが確信できるから、オリヴィアの肩から力が抜ける。
「だから君は、後ろは振り返らずに前だけ見て進めばいい。君が取りこぼしそうになるものは全部、僕が拾い集めていくから。大丈夫だよ」
サイラスの「大丈夫」と言う言葉は、どうしてこうもオリヴィアの心に安堵を生むのだろう。
彼がいるから大丈夫。彼が言うから大丈夫。本心からそう思える。
繰り返される「大丈夫」に、オリヴィアは顔を上げる。
(大丈夫……諦めない)
結局、いくら悩んだところで結論は一つしかないのだ。
――サイラスの隣は、誰にも譲れない。奪わせない。
サイラスがゆっくりと顔を近づけてきたので、オリヴィアはそっと目を閉じる。
唇に触れる優しさと熱に、いつの間にか、後には引けないくらいに強くサイラスを好きになっていたのだと、あらためて気づかされた。











