プロローグ
第4話ですがノベル③の内容となります。
全体を通してノベル③で一区切りとなりますので、ここまでWebに上げることにしました。
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――それは、何の前触れもなく訪れた嵐のようだった。
オリヴィアがサイラスとともにジュール国王の執務室へ呼び出されたのは、フィラルーシュ国王の誕生祝いを終えてブリオール国に戻って来た一週間後のことだった。
葉の色の移り変わりとともに秋が巡り、もうじき木枯らしが冬の訪れを知らせるであろうという季節。
ブリオール国はすっかり社交シーズンに突入し、王都では毎夜どこかの邸で華やかなパーティーが催されている。
今年の社交界の話題はもっぱら、一か月半後に迫っている第二王子サイラスとオリヴィア・アトワール公爵令嬢の婚約式だった。
春に第一王子で現在も王太子の地位にいるアランから婚約破棄をされたオリヴィアが、そのあとすぐに求婚されてサイラスと恋人関係になったことは、ブリオール国では広く知れ渡っている。
アランの命令で幼いころからずっと愚者のふりを続けてきたオリヴィアは、馬鹿な公爵令嬢というありがたくもない二つ名とともに有名だ。
オリヴィアの代わりにアランが婚約したティアナ・レモーネの父、バンジャマン・レモーネが罪の問われたせいで、アランが近く王太子の位を返上するのではないかと噂されていて、次期王太子はサイラスかとささやかれている。
そうなれば「馬鹿な公爵令嬢」は再び未来の王妃になるのかと、事情を深く知らない者たちの中には、一体何がどうなっているのだと首を傾げる人も多いとか。
不足する情報は人々の想像力を駆り立てるもので、退屈な貴族社会においてはそういった想像は娯楽の一種でもある。
皆が皆、自分の想像をさも真実のように面白おかしく吹聴するから、ありもしない事実をたくさんつけられたオリヴィアは、ゆえに、本人がそこにいようといまいと否応なく話題の中心と言うわけだ。
さて、そんなオリヴィアは現在、十七年の人生のうちで一位二位を争うほどに動揺していた。
大きなエメラルド色の瞳は不安に揺れて、しかし表情は抜け落ち、瞬きすら忘れて、ただ立ち尽くす。
オリヴィアの隣に立っているサイラスも瞠目しているが、彼の方はすぐに我に返ると、サファイア色の瞳を怒りに染めて、ジュールの執務机に両手を叩きつけた。
「どういうことですか⁉」
「言った通りだ。オリヴィアとサイラスとの婚約の話を、白紙に戻す」
執務机の上に両肘をついて指を組んだジュールが、淡々と先ほど聞いたのと同じ言葉をくり返す。
ジュールの隣にはオリヴィアの父イザック・アトワールが立っていて、渋面を作って黙り込んでいた。
(どうしよう……何も考えられない)
サイラスがジュールに向かって怒鳴っている声が聞こえるが、彼が何を言っているのか、ジュールが何を返しているのかも聞き取れないほどに、オリヴィアの思考回路は凍り付いていた。
指先の感覚がなくなって、足元からゆっくりと氷漬けにされて行くように体が冷えていく。
なぜ、という疑問が頭の中に浮かぶけれど、怖くて、それを口にすることすらできなかった。
だって、訊ねてしまったら、答えが返ってくるから。
答えを聞いてしまったら、それですべてが終わるような気がするから。
怖くて怖くて、できることなら耳を塞いでうずくまってしまいたかった。
サイラスの声が徐々に大きくなって、オリヴィアの鼓膜をびりびりと揺らす。
(わたし……何か、してしまったのかしら?)
知らないところで、何か。
取り返しのない過ちのようなものを。
だからサイラスの隣に立つ資格を失うのだろうか。
彼とともに歩む未来を失うのだろうか。
彼のぬくもりを――永遠に失ってしまうのだろうか。
(寒い……)
秋と冬が交差する季節。
部屋を暖めるために暖炉に火が焚かれていて、とても暖かいはずなのに、信じられないくらいに寒い。
(何か言わなくちゃ……何か……)
でも、何を?
とてもではないが「はい」と頷くことはできない。
だったら何を言えばいい。何を言えば状況が好転する? どうすれば――オリヴィアはサイラスを失わなくてすむのか。
凍りついた思考ではいくら考えても答えは導き出せなくて、焦燥と恐怖がオリヴィアのただただ追い詰める。
追い詰められたオリヴィアの瞳から、自覚もなく、ぽろりと涙が零れ落ちた瞬間、芯まで冷えた体が暖かい腕に抱きしめられた。
「オリヴィア、泣かないで。大丈夫、僕が何とかするから」
ぎゅっと力いっぱい抱きしめられて、慣れた熱がオリヴィアを優しく包み込む。
冷えた体がじんわりと温められていくのを感じて、オリヴィアはゆっくりと目を閉じると、大きく息を吸い込んだ。
シトラスと、ほんの少しの薔薇の香りが混ざったような、サイラスの匂い。
凍った思考が溶かされて、彼の腕の強さと香りに、少し冷静さを取り戻した。
(落ち着いて……情報が足りなさすぎる。まずは現状の整理から)
この状況を覆したくとも、反論できる材料がなければはじまらない。
オリヴィアは何度か瞬いて涙を落とすと、顔を上げた。
「陛下……わたくしも、理由をお伺いしたく存じます」
オリヴィアが訊ねると、ジュールは少しばかり不貞腐れた顔をした。
「それを説明するのは私ではない」
まるで、ジュールも自分の先ほどの発言を納得していないかのような顔と声に、オリヴィアは疑問を持つ。
どういうことなのかと再び訊ねようとしたそのとき、オリヴィアの背後で執務室の扉が開いた。
「揃っているようね」
年を重ねた、けれどもピンと張った弦をはじくような空気が張り詰めるような声。
サイラスに抱きしめられたまま背後を振り返ったオリヴィアは、ゆっくりとこちらに歩んでくる人物に息を呑んだ。
白に近い淡い茶色の髪に、薄茶色の瞳の、姿勢のいい七十前後ほどの女性。
「おばあ様?」
サイラスもびっくりした声を上げる。
そこにいたのは、ジュールの母――王太后グロリアだった。
グロリアは、夫である先王を亡くしたあと、ジュールが王になってからもしばらく城で生活をしていたが、十二年ほど前に実家であるエバンス公爵領に移り住んだのちはほとんど王都を訪れていなかった。
ゆえにオリヴィアも、グロリアとはほとんど面識がない。
グロリアが部屋に入ってくると、ジュールがさらに機嫌の悪そうな顔になった。
グロリアはそんなジュールを一瞥し、オリヴィアとサイラスの前で足を止める。
オリヴィアはハッとして、サイラスの腕の中から抜け出すと、グロリアに向かってカーテシーで挨拶をしようとした。けれどその前に、グロリアが手をかざしてそれを止める。
「挨拶は結構。長居をするつもりはございません」
ぴしゃりとはねつけるように言って、グロリアはサイラスに顔を向ける。
「サイラス。そこのオリヴィア・アトワール公爵令嬢との婚約の話しを白紙に戻させたのはわたくしです。あなたにはわたくしの甥の娘、レネーンと婚約していただきます」
「な――!」
サイラスが反論しかけたが、「よせ」と背後からジュールの制止があり口をつぐむ。
レネーン――レネーン・エバンス公爵令嬢の名前が出て、オリヴィアは大きく目を見開いた。
エバンス公爵ラドルフはグロリアの甥で、その娘レネーンは、昔、サイラスの婚約者候補として名前が挙がったことがある。
しかしその話は昔のことで、立ち消えになったはずなのに、今更なぜレネーンの名前が出てくるのだろうか。
「王太后様、理由をお聞かせいただけないでしょうか? わたくしに何か落ち度がございましたか?」
グロリアはオリヴィアを見、それから薄く笑った。
「落ち度ならあなた自身が一番よく知っているのでは? 王太子――アランとの婚約破棄、長年にわたる『愚者』という評価。それでよく、サイラスと婚約しようなどと思いましたね」
(――っ)
確かに言われる通りで、オリヴィアが反論できずにいると、サイラスがオリヴィアの肩を抱き寄せて代わりに言い返す。
「婚約破棄は兄上が勝手に言い出したことです。オリヴィアの落ち度ではありません。愚者と言う評価だって、兄上の命令で演じていただけで、本当は――」
「だからなんですか。原因や理由、真実など、何の意味も持ちませんよ。そんなものをいくら並べ立てたところで、彼女が婚約破棄をされて愚者と呼ばれていた令嬢である事実は消えません」
「だからと言って――!」
「サイラス。やめなさい」
「父上‼」
「やめなさい」
「く……っ」
ジュールに止められてサイラスが悔しそうに唇をかむ。
グロリアの言う通り、そこにどんな理由があっても、事実は何ら変わらない。それに、きっかけが幼い日のアランの一言だったとはいえ、その命令に従い続けたのはほかならぬオリヴィアの意思だ。自分の落ち度ではないという言い訳は通用しない。実際、オリヴィアも自分の落ち度でもあると認識しているのだから。
だが、ここで引き下がれば、サイラスを奪われる。彼を奪われるのは絶対に嫌だ。
(何か……何か、言い返さないと……)
グロリアの決定をひっくり返せる何か――だめだ、いくら考えても思いつかない。
何を言おうと、どんなことをしようと、過去の上書きはできない。そこにある過ちも、それにより生まれた現在も、決して別の何かに塗り替えることはできないのだ。オリヴィアにできるのは未来だけ。その未来も、この場で摘まれてしまったら、どうすることもできない。
(これから挽回しますという言葉は……きっとこの場では意味をなさない)
そんな薄っぺらい言葉では、グロリアは納得しないだろう。
このままだと、サイラスと別れなくてはいけなくなる。
焦りは思考を鈍らせて、まるで沼の底に引きずり込まれるがごとく、身動きが取れなくなっていく。
「話は以上です。サイラスはレネーンとの婚約の準備を。それからオリヴィア。わたくしも鬼ではございません。アランが王太子から退くのであれば、あなたは再びアランと婚約すればいいでしょう。悪評の立つ王妃は認められませんが、王子妃くらいなら許容して差し上げます。いいですね」
部屋の中に落ちた重たい空気。誰も言葉を発することができず押し黙る中、ぎい、と執務室の扉が押し開けられる音がした。
「勝手に進めないでくださいませ、お義母様。わたくしは認めておりませんわよ」
穏やかで、けれども思わず息を呑むほどの迫力を持った声。
広げた扇で口元を隠し、目元に凄みのある笑みを浮かべた王妃バーバラが、カツンと高くヒールを鳴らしながら歩いてくる。
「サイラスとオリヴィアの婚約は陛下が認めたものです。どんな権利があって、隠居した方が陛下の決定に否を唱えるのでしょうか。越権行為ですわよ、お義母様」
グロリアはバーバラをまっすぐ見据え、薄く笑った。
「人聞きの悪いことを。わたくしは一番穏便にすむ方法を取っただけですよ。それとも王妃であるあなたが、国が荒れることを望みますか? エバンス公爵はこちら側ですよ」
それは脅しにしか聞こえなかった。グロリアの決定を退けるつもりなら、自分の甥であるラドルフ・エバンス公爵を使って徹底的に潰しに来ると言っているに等しい。
エバンス公爵家は、アトワール家よりも歴史の古い公爵家だ。歴史を紐解けば、何人もの王妃を輩出し、また何人もの姫を娶っているエバンス公爵家は、王家とのつながりも深い。エバンス公爵自体も王位継承権を持っていて、現在十一位だったはずだ。そんなエバンス公爵家が本気でサイラスとオリヴィアの婚約を潰しに来ればひと悶着どころの話ではない。
しかしバーバラは艶然と微笑んだ。
「あら、国を荒らそうとしている張本人が、何をおっしゃいますやら」
「どういう意味ですか?」
「我が国では王妃は国王と同等の権力が与えられています。もちろんご存知ですね」
すっとグロリアが目を細める。
バーバラの笑みは崩れない。
「そちらがその気なら、わたくしも徹底抗戦を辞さないと言うことですわ。本気で潰しに行かせていただきますが、お義母様は可愛い甥やその家族が路頭に迷うのをお望みですか?」
グロリアとバーバラの間でバチバチと火花が散る。
そんな二人に待ったをかけたのは、それまで気まずそうに黙っていたジュールだった。
「二人とも落ち着きなさい」
徹底的にグロリアをやり込める気満々だったバーバラが、忌々し気にジュールを睨む。
「二人そろって、冗談でも言っていいことと悪いことがあるぞ」
ジュールははーっと息を吐き出して、それから言った。
「ここで言い争ったところでいつまでも平行線だろう。だったらこうしよう。オリヴィアとサイラスの婚約については一度置いておく。どちらにせよ、再来月にサイラスの婚約式をすることは他国にも連絡済みだ。今更なかったことにはできない。だからそれまでに、オリヴィアとこのまま婚約させるか、レネーンと婚約させるか、判断することにする」
再来月――あと一か月半。
その一か月半で、何を基準に判断しようと言うのだろう。
バーバラとグロリアが揃ってジュールの真意を測るような顔をした。
サイラスも怪訝そうな顔をして、彼に肩を引き寄せられたまま、オリヴィアは不安に押しつぶされそうになりながら続くジュールの言葉を待つ。
ジュールは全員の顔を順番に見渡して、言った。
「一か月半までに、オリヴィア自身が、婚約破棄と『愚者』と言う悪評を消しなお余るだけの評価を得る――サイラスと婚約するだけの能力が……王妃の器であることを自分の力で知らしめること。それが、オリヴィアとサイラスの婚約を取り消さない条件とする」











