31
お気に入り登録、評価ありがとうございます!
「すべて自分の責任です。姫は何も悪くありません」
フロレンシア姫とレギオンを連れて宿に戻ったあと、さめざめと泣くフロレンシア姫を背中に守るようにして立って、レギオンが言った。
その様子は、まるで手負いの獣のようだとオリヴィアは思った。ひどく過敏になっていて、全身で威嚇している、そんな感じ。
宿のアランの部屋の中で、扉の前にも外にも兵士を立たせているし、念のためレギオンの手は後ろで拘束している。逃げられるわけはないと思うけれど、油断していると何をするかわからない危険を感じた。
何を訊いてもフロレンシア姫は泣くばかりで、レギオンも「姫は悪くない」と繰り返すばかり。さすがに埒が開かないので、人目もあるここでこれ以上の尋問は無理だとアランが判断して、すぐに準備を整えて翌日には王都に向けて帰途につくことにした。
「なんだか、大変なことになりましたわね」
フロレンシア姫とレギオンをそれぞれ見張りのつけた別の部屋に閉じ込めて、オリヴィアが自分の部屋に戻ると、テイラーがそう言いながら甘めのミルクティーを出してくれる。
「そうね、まさかこんなことになるとは思わなかったわ」
「ええ。でも、フロレンシア姫様がすぐに見つかってよかったですわね」
「……うん」
オリヴィアはミルクティーに口をつけながら小さく頷いた。
テイラーが主の浮かない様子に首をひねる。
「どうかなさいました?」
オリヴィアはまったりと甘いミルクティーを飲み干して、ソファの上にごろんと横になった。
「……なんだか後味が悪いというか、これでよかったのかしらね、って思うのよね」
「と、言いますと?」
「ブリオール国的にはフロレンシア姫を無事に捕らえたことは正解だったと思うわ。でも……、二人の幸せの妨害をしちゃったのは確かでしょ?」
こんなことがあったのだ。フロレンシア姫は今まで以上に自由がなくなるだろうし、間違いなくアランとは破談になる。そしておそらく、二度目を恐れたレバノールの国王が、適当な自国の貴族との縁談をまとめて、さっさと結婚させてしまうだろう。レギオンは当然身分は剥奪、投獄が妥当だろか。さすがに極刑までは行かないだろうが、重刑はあり得る。二人がこの先、幸せになることはないだろう。
そう考えると、オリヴィアは気分が重たくなる。ブリオールの公爵令嬢として、そしてサイラスの婚約内定者として、オリヴィアの取った行動は間違ってはいない。この結果を招いたのは、逃亡を図ろうとした二人の責任でもある。でも、だからと言って、二人の今後がどうなろうと自分には関係ないと割り切れるかと言えば、別の話だ。
薔薇園でラ・ポートを見つめていたフロレンシア姫は、思いつめたような顔をしていた。レバノール国でのレギオンの身分がいかほどかは知らないが、姫との結婚を許されるような身分ではなかったのだろう。二人が一緒にいられる方法は、逃亡しかなかったのかもしれない。
オリヴィアが重たい溜息をついたときだった。
控えめに部屋の扉が叩かれて、テイラーが様子を見に行くと、廊下にはフロレンシア姫の侍女であるポニーニが立っていた。
「ポニーニさん、どうなさったんですか?」
ポニーニはフロレンシア姫についているはずだ。テイラーが目を丸くすると、ポニーニは弱り切った顔で、部屋の中にいるオリヴィアに目を向けた。
「申し訳ございません。それが、姫様がどうしてもオリヴィア様にお会いしたいと……。身も世もなく泣くばかりで、ようやく少し落ち着いてこられたので、ご迷惑とは存じますが顔だけでもお出しいただけると……」
つまり、オリヴィアに会いたいと言い出したフロレンシア姫の希望を却下して、また泣きだされるのを避けたいのだろう。
「お嬢様……」
テイラーが心配そうに振り返った。
フロレンシア姫はオリヴィアに会いたいというが、どんな用事だろう。恨みつらみでも言いたいのだろうか。そう考えると会うのは少し怖いが、だからと言って無視もできない。二人の幸せの妨害をしたオリヴィアは、フロレンシア姫に恨みを言われて当然だ。
オリヴィアはテイラーを安心させるように微笑んで、立ち上がった。
どれだけ泣いたのか、フロレンシア姫の目は真っ赤に充血していた。
オリヴィアが部屋に入ると、フロレンシア姫はきゅっと唇を噛んでから、何かを我慢するような表情で頭を下げた。
「……この度は、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」
感情をすべて押し殺したような静かな声だった。
ここで何を返してもフロレンシア姫の感情を逆なでする結果になりそうな気がして、オリヴィアは何も言わずに彼女の対面に腰を下ろす。
フロレンシア姫が謝罪をするためだけにオリヴィアを呼んだとは思えなかった。
しばらく待ってみると、フロレンシア姫はうつむいてドレスのスカートを握り締めたまま、ぽつりと言った。
「こんなこと、お願いできる立場ではないことはわかっています。でも、……無理を承知でお願いします。せめてレギオンだけでも逃がしてあげることはできないでしょうか? このまま国に帰ったら、彼は……」
「それは……」
フロレンシア姫の言いたいことはわかるが、それはオリヴィアの一存でどうこうできる問題ではない。
フロレンシア姫は顔を上げて、真っ赤に腫れた目でまっすぐオリヴィアを見つめた。
「全部、全部わたくしが悪いんです! わたくしの我儘なんです! レギオンは何も悪くない……、全部わたくしが、わたくしが彼と一緒にいたかったから、それで……」
フロレンシア姫の目に涙が盛り上がる。けれども姫は気丈にもそれを袖口でぬぐうと、まくしたてるように続けた。
「わたくしがすべて企てました。レギオンと一緒にいたかったから。安易なことをしたとはわかっています。でも、こうしなければわたくしとレギオンは一緒にいられなかったんです。レギオンはハインリーベ伯爵家の次男で、わたくしの結婚相手の条件は満たしておりません。でもわたくしは……、わたくしはレギオン以外の男性と結婚するのは嫌なんです! それで我儘を……、レギオンはわたくしの我儘を聞いてくれただけなんです!」
「ハインリーベ伯爵家……」
確かに、伯爵家の嫡男ならまだしも、次男では姫の降嫁先としては認められないだろう。せめて嫡男――、欲を言えば侯爵家以上。そのあたりであれば、頑張れば許可が下りたかもしれないが、どうあってもレギオンでは釣り合わない。だがーー
(ハインリーベ伯爵家って、どこかで……)
小さな引っ掛かりを覚えて、オリヴィアは顎に手を当てた。ハインリーベ伯爵家。どこかで聞いたことがある名前だ。ブリオールの貴族名鑑はすべて頭に入っているが、さすがにレバノール国の全員の貴族を覚えているわけではない。それなのに記憶に残っているということは、おそらくどこかでその名前を聞いたことがあるからだ。
どこでその名前を聞いたのか、ものすごく気になったが、今はそんなことを考えるよりフロレンシア姫である。
オリヴィアはフロレンシア姫の手を取った。
オリヴィアにフロレンシア姫の願いをかなえてあげることはできない。けれども、何もせずに知らん顔はできなかった。
「できるだけ……、できるだけのことはさせていただきます。でも、申し訳ございません、レギオン護衛官を逃がすことはできません」
フロレンシア姫は顔を絶望に染めて、泣き崩れた。











