18
オリヴィアとサイラスが乗った馬車が賊に襲われたらしい。
知らせを受けたアランは真っ青になった。
報告によれば、サイラスが怪我をしたそうだが、オリヴィアは無事らしい。けれども、アランはすっかり気が動転してしまった。
「オリヴィアは無事なのか!」
二言目にはそう言っていることにも、アランは気がついていないほどである。
報告をしに来た事務官も、しまいには投げやりになって、
「アトワール公爵令嬢はご無事ですし、三日後にはこちらへ帰還される予定です!」
と言い切ってアランに引き留められる前にさっさと部屋から出て行ってしまった。
部屋に残されたアランは、猛獣が檻の中で歩き回るように部屋中を右往左往して、補佐官であるバックスに「少しは落ち着いてください」とあきれたように注意を受ける。
「オリヴィア様もサイラス殿下もご無事だそうなので、大丈夫ですよ」
「わかっている!」
いや、わかっていないだろう――、とバックスは嘆息する。
これはとばっちりを食らわないようにしばらく放置していたほうがよさそうだと、バックスはアランの部屋から出ていこうとして、そして扉を開けたところで足を止めた。
「……あー、殿下」
バックスの目の前にはティアナがいた。どうやら、ちょうど入室許可を得ようとしたところでバックスが扉を開けたらしい。
「なんだ!」
アランはイライラと問いかけて、バックスの奥にティアナの姿を見つけると、わずかばかり瞠目した。
「あの、アラン殿下……」
ティアナはアランの様子に微かな怯えを見せて、おずおずと口を開いた。
「どうかなさったんですか……?」
「いや、大丈夫だ。それよりも何か用かな?」
いつにないくらいに冷ややかな口調で問われて、ティアナはぎくりとしたあとで首を横に振る。
「い、いえ、なんでもありません」
「そうか。私は少し立て込んでいるんだ。申し訳ないが、しばらく一人にしておいてくれるだろうか?」
アランに冷たくされて、ティアナは愕然としたようだが、バックスが半ばティアナを締め出すように廊下に出て扉を閉める。
閉じられた扉を茫然と見つめるティアナに、バックスは少し申し訳なさそうに言った。
「すみません。じきに耳に入るかとは思いますが、オリヴィア様を乗せた馬車が賊にあったと報告を受けて――、ああ、もちろんお怪我はされていないんですが、殿下はそれで、気が立っているんですよ」
☆
ティアナはむしゃくしゃしながら城で与えられている部屋に戻った。
部屋に戻ると、片づけたと思っていた書類仕事がまた積みあがっていて嫌になってくる。
せっかく夕方の勉強の時間までの余暇に、アランと散歩でもしようと思っていたのに、当のアランの機嫌が悪かったなんてついてない。それも、その原因がオリヴィアなんて――最悪だ。
(オリヴィア様がどうなろうと、アラン殿下には関係ないじゃない! わたくしがいるんだもの。それこそオリヴィア様なんかが死んだところで誰も困らないし)
今日に限らず、最近アランがおかしい気がする、
どうもオリヴィアのことを気にかけているようなのだ。
この前も、城のメイドに聞いたことによると、オリヴィアと二人で図書館にいたらしい。図書館だ。オリヴィアはともかく、アランが図書館。あんまり本が好きではないアランが、だ。
どう考えても偶然ではない。オリヴィアとともに図書館に向かったと考えるのが自然だった。
(どうしてよ! この前だって、エドワール王太子の目の前でオリヴィア様に恥をかかせてやったのに! 殿下だってあきれたはずでしょ? どうして逆に気にかけるの!)
オリヴィアがどれだけ馬鹿で、ティアナがどれだけ賢いか、わかったはずだろう。用意される書類仕事だってすぐに片付けることができている。王妃教育が必要ないとわかったのか、最近あの忌々しい王妃教育の教育官であるワットールは姿を見せなくなった。それもこれも、ティアナが王妃に足る教養を持っていると証明されたからだろう?
「もしかして、まだ足りないの?」
ティアナは爪を噛む。まだ、どれほどオリヴィアが無知で無能であるかの証明がたりていないというのだろうか。
確かに、エドワール王太子の歓迎パーティーの時に、オリヴィアの口からフィラルーシュ国の公用語が飛び出したのには驚いたが、あれはきっと「たまたま」だろう。あんなもの、ティアナだってちょっと本気になれば喋ることができるはずだ。
オリヴィアの評判をどん底まで落とすにはどうすればいいだろう。オリヴィアがどうしようもないほどの愚者だとわかれば、アランだって彼女を気にかけることはなくなるはずだ。
ティアナはしばらく爪を噛みながら考えて、そしてにんまりと笑う。
「いいこと思いついちゃったわ。やっぱりわたくしは、天才ね」
☆
デボラの町から城に戻って、国王に子細について説明をしようと思ったところで逆に謁見の間に半ば連行するような形で連れていかれて、オリヴィアは瞠目した。
サイラスとともに謁見の間に入ると、そこには国王と王妃、それからレモーネ伯爵をはじめとする大臣たち、アラン王太子にティアナ、そして、父であるアトワール公爵がいた。
まるで婚約を破棄されたときのようだと思う。あの時と違うことと言えば、隣にサイラスがいてくれることだろうか。
サイラスはオリヴィアの手を握って、玉座に座る父王を仰いだ。
「これはどういうことでしょうか、父上」
すると国王はわざとらしく肩をすくめてみせた。
「ふむ。それについては私もまだ詳しくは聞かされていなくてな、レモーネ伯爵令嬢が言うには、重大な外交問題だと言うことらしいのだが、ねえ」
王はちらりとティアナに視線を向けた。
ティアナはまるで勝ち誇ったような笑みを浮かべて胸をそらして立っている。その隣で、アランはどこか困惑気味な様子だった。どうやら彼も何も聞かされていないようだ。
サイラスは今度はティアナを見やった。
「レモーネ伯爵令嬢。僕たちは旅から帰ったばかりで疲れているんだ。それを、まるで帰ってくるのを待ち構えていたかのように呼びつけたのだから、それ相応の理由があるのだろう?」
サイラスの声は固い。だが、ティアナは笑顔のまま「もちろんですわ」と答えて、もったいぶるように続けた。
「先日、エドワール王太子殿下がいらした時におっしゃられていたことについて、わたくし、ずっと疑問に思っておりましたの。覚えていらっしゃいます? ほら、あの、国境付近の町の税収の話ですわ」
オリヴィアは思わずサイラスと顔を見合わせた。
オリヴィアとサイラスもそれを調べるためにデボラへ向かっていたのだ。だが、その件について、ティアナが「笑顔」で話す「わかったこと」とは何だろう。少なくとも、彼女が笑顔を浮かべていられる理由はどこにもないはずだ。
オリヴィアはちらりと国王に視線を向けた。国王はあの何を考えているのかわからない薄い笑みを浮かべて黙っている。その隣では、王妃も同じく薄い微笑で沈黙を守っていた。この二人はよく似た夫婦だと思う。
「何がわかったのかな?」
とりあえず聞いてみることにしたらしいサイラスが続きを促せば、ティアナは勢いづいた。
「ええ! あのとき、わたくしは不思議に思っていたのです。サイラス殿下もおぼえていらっしゃるでしょう? あのとき、オリヴィア様は突然フィラルーシュ国の言葉を使われました。どうしてでしょう。それは、オリヴィア様こそが裏でフィラルーシュ国の国境付近の町の税収を横流しさせていた犯人だからですわ! 都合が悪くなったから、内緒話のようにエドワール王太子に言い訳なさったのです!」
鼻息荒く言い切ったティアナに、オリヴィアは茫然とした。アランもティアナの無理がありすぎる推理に何とも言えない表情を浮かべている。
国王と王妃は相変わらず笑っていて、大臣たちの顔は困惑に彩られた。――ただ、一人を除いてではあるが。
「言わせていただくが、僕もフィラルーシュ国の言葉はある程度理解できるんだ。あのときオリヴィアとエドワール王太子が交わしていた会話に不審な点はどこにもなかったよ」
「まあ! サイラス様! オリヴィア様をお庇いになるのね!」
ティアナがわざとらしい大声を上げる。
オリヴィアとサイラスが再び顔を見合わせていると、国王がどこか楽しそうに口を開く。
「だそうだが、オリヴィア、何か言いたいことはあるかな?」
オリヴィアは国王を見上げて、人の悪い笑みを浮かべる王の顔に、思わず嘆息したくなった。
本来であれば王も交えてもっと詰めたい「話」だったのに――
(本当は、こんな大勢の前で糾弾するようなことはしたくないんだけど……)
こうなっては仕方がないだろう。
オリヴィアはあきらめて口を開いた。











