虎の尾 3
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「お父様が?」
黙っておくわけにもいかないので、オリヴィアが昼間の話をすると、ティアナは息を呑んで瞠目した。
襲ってきた相手がバンジャマンだとわかったオリヴィアは、至急サイラスに連絡を取り、彼の身柄を城へ移送してもらった。
身分が剥奪されているとはいえ相手は元伯爵で、さらには罪人として裁かれ労役につかされている。主に民間人を相手にしている警邏隊では対処のしようがないからだ。
本来エバンス公爵領で労役についているはずのバンジャマンがどうして王都にいたのかは、まだわかっていない。だが、脱走と公爵令嬢の殺害未遂が彼の罪に追加されるのは間違いないだろう。彼は金の密輸に脱税、そしてオリヴィアとサイラスが乗った馬車を襲わせた前科がある。そこに新しい罪が加われば、おそらくだが、死罪になる可能性が高い。
ティアナもそれがわかっているからか、目を見開いたまま固まってしまった。オリヴィアがティアナの手を引いてソファに座らせると、視線を下に落としたまま微動だにしない。
オリヴィアもティアナにかける言葉がわからず、ただ黙って彼女を見つめることしかできなかった。
「お嬢様、旦那様がお戻りになりました。お嬢様をお呼びです」
「ええ……」
執事のモーテンスが呼びに来て、オリヴィアは立ち上がる。
「テイラー」
「はい、フランはわたくしが見ています」
「ありがとう」
テイラーが力強く頷いたのにホッとして、オリヴィアはモーテンスとともにイザックの書斎へ向かった。
幼いころのオリヴィアの遊び場だった父の書斎は、相変わらず多くの本が置かれている。
昔はよく、父の膝に乗って本を読み聞かせてもらっていた。イザックが選ぶ本は、法律書とか歴史の本ばかりで、どう考えても幼い子供に読み聞かせるようなものではなく、毎回ブロンシュがあきれ顔をしては「絵本になさったらどうですか?」と言っていたのを思い出す。
ただオリヴィアは、たとえそれがどんな本であろうと父に読み聞かせてもらうのは嬉しかったし、質問をすれば嬉しそうな顔で何事も詳しく教えてくれる父が大好きだった。
「お父様、参りました」
書斎に入るとイザックは疲れたような顔でソファに腰を掛けていて、オリヴィアに対面に座るように言った。
「オリヴィア、襲われかけたそうだな」
「はい。幸いにして、護衛のおかげで何事もございませんでした」
「ならばいいが……さすがに今回は肝が冷えたぞ。頼むから外出時はくれぐれも気を付けてくれ。心配で四六時中ついていたくなる」
父のことは大好きだけれど、さすがに四六時中付きまとわれるのは勘弁してほしい。しかし心配をかけたのも本当なので、オリヴィアは素直に謝った。
「はい。すみません。気をつけます」
「それから、城に行くときも今後は護衛をつけるように」
「わかりました」
アトワール公爵家から城までが近いので、オリヴィアはこれまで、城へ向かうときに護衛を連れていなかった。城に行けば、城の兵士がオリヴィアの護衛につくからだ。
だが、今後は厳重な警戒が必要になるだろう。バンジャマンが王都へ一人で来られたとは思えない。誰か手引きした人間がいるはずで――それは、エバンス公爵の関係者か、クローレ商会の人間かもしれない。そうだとすると、あちらがオリヴィアの動きに勘づいた可能性が高い。今まで以上に注意が必要だ。
イザックはオリヴィアを見て、少しいいにくそうな顔をして口を開いた。
「オリヴィア、お前はこんな目に遭ってもサイラス殿下の婚約者になりたいか?」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ。正直なところ私は、無理をしてまでお前を王家に嫁がせたくない。ただお前が自分の意思でサイラス殿下を選んだから口を出さなかっただけだ。だが今の状況では口を出さざるを得ない。……王太后様を敵に回してまで、オリヴィアはサイラス殿下がほしいのか? もしお前にそこまでの意思はなく、サイラス殿下がお前を放したがらないと言うのなら、私が口を出してもいい。私は、娘に危険なことをしてほしくない」
オリヴィアはきゅっと唇をかんだ。
王太后グロリアを敵にすれば、失敗した場合、オリヴィアだけの責任ではすまなくなる。アトワール家が潰されることはないだろうが、父や兄にも迷惑をかけることになる。家族に迷惑をかけてまで、オリヴィアは自分の願望を突き通していいのだろうか。
(でも……離れたくない)
貴族令嬢は、父や兄の意思に従うべきだ。家のために父や兄が決めた相手に嫁ぐ。家に迷惑をかけるなどもってのほかだ。……だけど今、オリヴィアは自分の欲求を貫き通すことで家に迷惑をかけている。
どんなにつらくても――諦めるのが正解なのだろうか。サイラスを、彼の隣を、手放すことが貴族令嬢としての正しい選択なのだろうか。
オリヴィアはぎゅっとドレスのスカートを握りしめた。
(それに、もし本当にエバンス公爵が戦争を起そうとしているのなら……サイラス様の隣にいたいからという理由で動いていい問題ではなくなる)
本当にエバンス公爵が戦争を企んでいるのならば、公爵を糾弾するのに充分な理由になる。けれど、オリヴィアの独断で動ける問題でもなくなる。証拠を集めてからでなければ動けないが、早急に対処しなくてはならない問題だ。オリヴィアの悪評問題など二の次である。
その一方で、だからこそこの問題を自分の手で何とかしたいとも思ってしまう。
エバンス公爵、グロリア、そしてクローレ商会。
この三者は正面切ってやり合える相手ではない。
確たる証拠がない状況は握りつぶされてしまうかもしれなくて、そうなれば、相手をより警戒させて、調査もままならなくなるだろう。
(って……、言い訳みたいね)
諦めたくない。サイラスの隣にいるために、このまま続けたい。
そんな欲求を正当化するための、ただの言い訳。
何も言えずに沈黙したオリヴィアに、イザックが苦笑した。
「余計なことまで考えなくていい。素直な気持ちでいいんだ。オリヴィアは、サイラス殿下の側にいたいのか?」
「…………はい」
「わかった。では何も言わない。思うように動きなさい。ただ、自分の身の安全は優先するように。……さて、説教はこのくらいにして、本題に入ろう。バンジャマンの件だ」
あっさりと話が終わってオリヴィアは驚いたが、思えばイザックはいつもこうだった。
オリヴィアが決めたことには、その意志の確認はするけれど、最終的に反対はしない。
そこにあるのはイザックからの確かな信頼で、それがどのような結果になろうとも、きっと父は何も言わない。
けれどだからこそ間違うことも失敗することもできないと、オリヴィアは思うのだ。
(サイラス様に相談して動き方を考えましょう。手に余るようなら、無理はしてはいけない。優先すべきは国と国民。それは絶対に間違えてはいけない)
そしてどんな手段を使ってでも必ず証拠を集めて、本当に戦争を起そうとしているのならば絶対に糾弾して罪に問う。これは絶対に許せる問題ではない。
オリヴィアは息を吐き出すと、すっと背筋を伸ばした。
「何かわかったんですか?」
「大した情報ではないかもしれないがな。ティアナが持っていた手紙の件も含めて問い詰めてみたところ、一人の男が浮上した。バンジャマンと接触し、交渉を持ち掛けてきたらしい。男の要求はオリヴィア、お前を亡き者にすることだ。成功すれば、バンジャマンとその夫人、そしてティアナをカルツォル国へ逃がし、ティアナを王の側妃へ口利きしてやってもいいと言われたと言っていた。バンジャマンはその男に労役地から逃がしてもらったと言っていたが、男が何者かまでは知らないらしい。よくそんな怪しい男の言うことを信じる気になったものだがな」
「その男とは、ティアナに手紙を持って来たと言う監察官を装った男でしょうか?」
「その可能性はあるだろう。バンジャマンは灰色の髪の背の高い男としか言わなかったが、ティアナのもとに来た監察官も灰色の髪ではなかったか? まあ、灰色の髪の男なんてそれこそ山のようにいるだろうからな、それだけで同一視することはできないが」
「そうですね。ただ、この手のことは、あまり大勢の人間を動かすとどこかに綻びが生じるものですから、同一人物と考える方が自然かもしれません。どちらにせよ、バンジャマンの証言でその監察官を装った男を探す正当な理由ができましたね」
「それについては私の方で何とかする」
「お願いします」
ティアナに接触した男のことは気になっていた。だが、ティアナから預かった手紙を秘密にしている以上、その男を表立って捜索させる理由がなかったのだ。それが、バンジャマンの証言で道が開けた。
ポーンを一つ動かしてささやかな防御を敷いたような感覚だが、詰まっていた手が少しだけ動いた気がする。
頭の中にチェス盤を思い描いたオリヴィアが、相手が次にどこに斬り込んでくるかを考えていると、イザックが思い出したように言った。
「オリヴィア。明日、カルツォル国の第五王子が到着する。王の名代で婚約式に出席される方だ。第二王子が来るはずだったのだが、どういうわけか第五王子に代わったらしい。近く歓迎会を開くことになる。オリヴィアもサイラス様のパートナーとして歓迎会に出席することになるだろう。問題が起きることはないだろうが、一応気をつけておくように」
「ずいぶん早いおつきなんですね」
「招待状に書かれていた日付が三週間早かったそうだ。確かめたが、本当に三週間早い日付が書かれていた」
「どういうことですか?」
「わからん。ほかの国へ出した招待状の日付は間違っていないと思うが、確認をいれさせている。どちらにせよ、こちらの不手際だ。カルツォル国の第五王子には謝罪し、婚約式までの三週間と少しの間、丁重にもてなすことになる」
「わかりました。わたくしもご挨拶する機会があるでしょうから、お詫び申し上げておきます」
「そうだな。それがいい」
父の話は以上のようだったので、オリヴィアは一礼して、イザックの書斎をあとにする。
ティアナは少し落ち着いただろうかと心配になりながら自室に戻ったオリヴィアは、ソファにふんぞり返ってお菓子を食べているティアナの姿に目を丸くした。
「……フラン? 大丈夫なの?」
「何が?」
「何がって、ええっと……」
「お父様のことなら、もういいわ。びっくりしたし、まだショックだけど、別にお父様に何か期待してたわけじゃないし、あの手紙を受け取ったときから何となく馬鹿なことをしでかしそうな気がしてたし、むしろオリヴィア様に怪我がなくてよかったんじゃないかしら? 別にオリヴィア様の心配をしてるわけじゃないけど! オリヴィア様がいなくなったら、あの男が言った戦争とやらを止めてくれる人がいなくなるかもしれないじゃない!」
ツンとした態度でそんなことを言うが、オリヴィアはティアナの目が赤くなっていることに気が付いた。たぶん、オリヴィアが出て行ったあとで泣いたのだろう。テイラーがティアナのためにたくさんのお菓子を用意したのも、彼女を元気づけるために違いない。
(きっとわたしがいたら泣けなかったでしょうね。テイラーに感謝だわ)
いつもは文句を言うテイラーが、黙ってティアナのために紅茶をいれている。
オリヴィアが対面に座ると、ティアナがチョコレートを頬張りながら言った。
「お父様が一人でこんな大それた計画を立てるとは思えないわ。だってお父様にはもう何の力もないもの。お父様をそそのかしたやつが絶対にいるわ。……そいつ、捕まえられる?」
「そのつもりよ」
「そう。……なら、よかった」
ティアナはそれ以上何も言わず、黙々と目の前のお菓子を口の中に放り込んでいく。
オリヴィアは棚の中に納めてあった、お気に入りのチョコレートを出してきて、そっとティアナの前に置いた。
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