29:芋くさ夫人は力持ち!
薄暗くなり始めた通りを、気分良く『花モグラ亭』から帰っている途中、ふと道の端で何かが蠢いているのが目に入った。
「魔獣かしら?」
魔獣は森や海に多く生息し、このような街中に出ることは希だという。ただし、何事にも例外はあった。
不安に思いつつ、少し近づいて観察すると、それが魔獣ではなく人間の男性だとわかる。気分が悪くなったのか、道の端でしゃがみ込んでいるようだ。
私はとっさに駆け寄って、男性に声をかけた。
「あの、どうされました?」
男性はゆっくりと顔を上に向け……私を認識して大きく目を見開く。
「あ、あなたは……」
「あっ……!?」
私も驚いて声を上げてしまった。というのも、倒れていた男性が知っている人だったからだ。
「ヘンリーさん!!」
「ア、アニエス様……なぜ、メイド姿……」
しまったぁ! 気軽に街を出歩けるよう、メイド服に着替えていたんだった!
「こ、これには、ちょっとした理由があるんです」
私は微笑みを浮かべながら、話を逸らそうと試みた。
メイド服でのお忍びを詮索されたくないし、ヘンリーさんの体調が心配だ。
「ヘンリーさんは、どうしてこんな場所にいるのですか。具合が悪いのなら、誰か人を呼びましょう」
しかし、ヘンリーさんは慌てた様子で私に声をかける。
「いや、気にしないでくれ。いつもの目眩と貧血だ。慣れている」
「た、大変……! 目眩に貧血……!?」
なんということだろう……!!
それは、私とは無縁な病気だった。対処の方法もわからない。
「と、とりあえず、屋敷に運ぶべきよね。ここから近いし……うん、そうしよう」
さっさと結論づけ、ヘンリーさんを「よいしょ」と肩に担ぐ。
若干引きずり気味だけれど、ここに置いておくよりはいいだろう。「力持ち」なのは、ナゼル様のお墨付きだ。実家で、いつも重いドレスを着ていたからかな。
古くさいドレスも、悪いことばかりではないのかも。二度と勘弁だけど。
「アニエス様!? おやめください」
必死に私を止めようとするヘンリーさんを引きずりつつ、私は屋敷に戻った。
屋敷へ着くと、ケリーが出迎えてくれる。
「お帰りなさいませ、ご無事で何よりです。アニエス様……そちらは?」
「拾っちゃった」
ケリーが小さく悲鳴を上げ、彼女にしては珍しく、大慌てで客室を整えに走る。幸い、掃除は済んでいたようだ。
ぐったりしたヘンリーさんをベッドに寝かせていると、仕事を終えたナゼル様が帰ってきた。
「これは……」
私たちのいる部屋を訪れたナゼル様は、ベッドに寝かされているヘンリーさんを見て微妙な顔になる。
「……ヘンリーが、どうしてうちの屋敷に?」
「道で倒れていたので、拾いました。目眩と貧血だそうです」
「動かさない方が良さそうだね。ご家族に知らせて、医者を呼ぼう……こういうとき、人手が足りないのが痛いな」
確かに、誰にも頼めないのは不便だ。
「俺が出るから、アニエスはヘンリーを見ていてあげて?」
「わかりました! ナゼル様、暗くなってきたので、お気を付けて」
「うん、すぐ戻るから」
ヘンリーさんの家は職場の近くだという。医者の家もそれほど遠くないそうなので良かった。
しばらくすると、ナゼル様が医者を連れて帰ってきた。
診断では働き過ぎによるものだと言われ、ヘンリーさんは数日の療養を言い渡される。
しかし、本人は納得していないようだ。
「駄目です、私は仕事を休むわけにはいかないのです」
勝手に起き上がっては地面に崩れ落ちるヘンリーさん。そのたびに、私とナゼル様で彼を抱えてベッドに戻す。
「ヘンリーさん、ご家族にも連絡しましたから、しっかり休んでください。顔色も悪いですよ」
「違います、これは生まれつきです」
「じゃあ、なおのこと無理は禁物です。お医者さんが血の巡りを良くする薬を出してくれましたから、ご飯を食べた後で飲んでくださいね。『花モグラ亭』のシチュー、おいしいですよ」
私たちも、揃って食事を済ませた。
「そうだ、ナゼル様。お願いしたいことがあるんです」
「何かな? アニエスのお願いなら、なんでも聞いてあげたいけれど」
「これから、使用人を雇いたいと思うのですけれど、ケリーを侍女頭にしたいんです。彼女なら気心も知れていますし」
普通なら、貴族ではないケリーは、私の侍女になれない。
でもまあ、ここは辺境だし、他に侍女のなり手もいないので、ナゼル様さえ許可してくれれば、彼女を侍女にすることが可能なのだ。
「ケリー本人は、いいと言っているのかな?」
「……平民だからと遠慮していますけど、私がどうしてもと伝えたら折れてくれました」
「なら、問題ないよ。俺はアニエスの意思を尊重したい」
「ありがとうございます! 近々、他の使用人の採用面接を行いたいと思います」
「屋敷のこと、任せきりにしてしまってごめんね」
「いいえ、私はナゼル様の妻で、スートレナの領主夫人ですから」
きっかけは国王陛下の命令であっても、そうなったからにはしっかり役目を果たすつもりだ。
答えに満足したのか、ナゼル様は嬉しそうな表情を浮かべていた。




















