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王道RPGのモブに転生した俺は、転職を繰り返し【努力】と【原作知識】を駆使して世界を『改変』する!  作者: 神田義一
第六章 モブ勇者編

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第二百二十四話 「復活の予感」

 水粒が空で縫い留められている。

 飛沫の一粒一粒に光の縁取りができ、糸ガラスみたいにきらめいたまま落ちない。蒸気は綿埃のようにふわりと張りつき、波紋は紙をめくる前の折り目で止まっていた。


 スローモーションカメラの中に、俺だけが通常速度で差し込まれている――そんな異様。


 サイファーの特大ブレスを、俺の咆哮で呑み込み切った。

 そして第四位階を解放したレイアさんさえ、最後は吹き飛ばした――はずだ。


 見えた。覚えている。

 だが、感じていない。


 体感の針をずらし過ぎると、こうもなるのか。

 掌に残る反動の熱も、骨を伝う重みも、ぜんぶ“遠い”。

 俺の拍だけが別室に隔離され、世界の音が防音材でふさがれている。


 これで勝利できたのか?

 俺は二人を圧倒したのか?


 未だ確かめる術はない。

 そして、解除の術も。


 どうすればいい。

 どうやって“戻す”?

 引き伸ばされた無限の一秒が、俺の世界を独占する。


 それを――


「戻ってこいボケェ!!」


 ――密度の暴力で、正面から叩き割る者がいた。


 拳の面に乗った存在の重さ。

 薄氷みたいに、俺の“独奏”の膜がはぜて砕ける。


「────ッ!」


 全ての感覚が強制的に戻される。

 音が雪崩れ込み、色が飽和し、肺が怒鳴り、神経が火花を散らす。

 皮膚に残っていた水の冷たさ、鼻の奥の金属臭、こめかみの鈍痛――一斉に押し寄せる。


 背後には、吹き飛ばしたと思っていたレイアさんが立っていた。

 額の生え際が割れ、血が細い糸になって頬をつたっていた。


「う、ぐぅッ……!」


 そのまま彼女は痙攣し、膝から崩れる。


 視界の端、浅い泉の向こうでは――サイファーが仰向けに転がったまま、こちらを見てニィと口角だけ上げていた。

 衣服はところどころ焦げ、鱗も黒く煤けている。

 焦げた布と角質のにおいが遅れて鼻に届いた。


「……ワシらを殺す気か……」


 わずかな声。

 だが冗談を言えるくらい余力はあるらしい。


「……もう動けん。参った」


 足元でレイアさんが短く言って、目に入った血を払おうとして失敗した。

 その言葉を合図に、ふつふつと――胸の底から、遅れて熱が湧いてくる。


 ……俺が、勝った……のか?


 白い世界に、鼓動だけが誇張される。

 あれほど遠かった背中。

 届かないと決めつけていた壁。

 何度も踏みにじられて、顔を水に叩きつけられて、それでも――


 今は俺だけが立っていて、二人は起き上がることすらできない。

 ──届いたのだ、俺の地力が、二人の力量まで。


「よっしゃぁぁぁああ!! 勝ったぁぁぁあああ!!」


 叫びと同時に、張り詰めていた弦がぷつりと切れた。

 力が抜け、遅れてやってきた重さに背中を引っ張られる。

 白い天井も空もない世界を、俺はそのまま後ろへ倒れながら見上げた。



---



「大丈夫か? 二人とも」


 まだ旅の扉の“内側”。

 白の泉は、さっきの騒ぎが嘘みたいに静かだ。


「あぁ、大丈夫じゃ」


 先に返ってきたのはサイファーの声。

 大丈夫、という言葉にしては見た目がひどい。

 とはいえ、“目”が笑っているので問題なし、たぶん。


「大丈夫ではない……が、死にはせん」


 レイアさんは、額を自分の袖で乱暴に押さえながら、じろりと俺を睨む。

 押さえた指先からまた赤い筋がのぞいた。

 俺を引き戻すために無理をさせた自覚が胸に刺さる。


「……悪い。助かった。あのままだと俺……」

「気にするな。少なくともああなるとは思っていたからの」


 暴走する、とは思われていたらしい。

 それでも、そうなったとしても絶対に止める予定だった、と。

 

 この上ない安心感だ。

 思わず泣きそうになる。


「一度解いてやれば、分かるじゃろ? 感覚が」

「あぁ……なんとなく」


 ――要は、“戻す”拍だ。


 独奏は渇望で目盛りをずらし、俺だけを別室に閉じ込める術だ。

 なら解き方は逆。

 外の拍に、もう一度合わせてやる。


 やり方は単純だった。

 レイアさんに拳で膜を割られてから、頭の奥に自然とコツが残っている。

 次回以降は、自力でも戻すことはできそうだ。


「まぁ、レイアが気を失ってなくて本当によかったわい」

「あぁ、完全に考えてなかった……」


 あとから聞いたが、もし俺の一撃でレイアさんが落ちていたら危なかったらしい。

 彼女の“夜”は、千年前の英雄全員の命を支えている。

 眠る分には問題ないが、意識を外的要因で断絶されるとダメらしい。


 あぶなかった……

 俺が四人のじいさんばあさんたちを殺すところだったかもしれないと思うと、背筋が凍る。


「四人まとめて葬られるところじゃったわ。やれやれ……」

「いやほんと、ごめん……」

「まぁ、あれほどとは思わんかったからの」


 レイアさんは血の筋を拭いながら、わざとらしく肩をすくめる。サイファーは、焦げた鱗をぽりぽりやってから、にやりと牙を見せた。


「しかしまぁ……一日で何があったかは知らんが、やると決めた時のコイツの力はすごいものがあるの」

「まったくじゃ……顕現のときもそうじゃったが、独奏にようやく立ったばかりでワシを上回る力、か。年甲斐もなく身震いしたわ」


 うれしい言葉に、頬が勝手に緩む。


「へへ、褒めても何も出ないぜ」

「褒められて伸びるタイプじゃろ、お主は」

「図星……」


 でも、分かってる。

 ここまで来れたのは俺だけの力じゃない。

 背中を押してくれた手がある。

 彼女がいる。


 ――マリィ。

 お前のおかげだ。


 胸の奥が、あたたかく鳴った。


「うむ、じゃから改めて言おう。短期間でここまで成長できる者はいない。やはりお前は逸材じゃった」

「……もう、合格ってことか?」

「あぁ、文句は何もない。たった二週間弱じゃが、やるべきことはすべてやった。あとはお主次第じゃ」


 レイアの紅が、真っ直ぐに射抜く。


「あぁ、任せてくれ!」


 力は手に入れた。

 あとはやるだけだ。

 魔王を倒し、塔を止める。


「で……俺はとりあえずアステリアを目指せばいいんだよな?」

「そうじゃ。そこで待つベルギスたちと合流せい。塔攻略の計画を進めておる。詳しい話は現地で聞け」

「あぁ」


 塔攻略――単独なのか、隊を組むのか。

 ……いや、現場次第だ。

 アステリアの状況がどう転がっているか分からない。


「あれからまた時が経っているから情勢がどうなっておるかはわからんが……ここまで持ち堪えたアステリアがたった二週間弱で壊滅しているとは思わんが……」

「だな。とにかく急いで、ベルギスやミーユと合流する」


 修行はここまで――

 合わせ鏡の問題も解決した。

 決意も十分に固まった。


 あとは、行くだけだ。


 そう思った、そのときだ──


「……ぐ、ぅ……!」


 突然、なんの前触れもなくサイファーが崩れた。

 鱗の隙間から黒い瘴気が、煙のように漏れ出す。

 泉の水がざわめき、白の空気がうっすらと煤けた。


「サイファー!?」

「まさか……!」


 狼狽することしかできない俺に対し、レイアさんは目の色を変えてサイファーに傅いた。

 彼女は即座に夜を重ね、瘴気の流れを封じるように手を翳した。


「ぐ……ッ…………おォォッ…………」

「だ、大丈夫か!? なんなんだよ、急に!?」


 老人の胸が荒く上下し、牙の間から熱と冷がくぐもって漏れる。

 黒は彼の影に絡みつき、一瞬、見慣れた“白の間”が別の階層に落ちる錯覚がした。


 そして──


「……っ、はぁ……っ、大丈夫……じゃ。その、まさかじゃ……」


 サイファーから一瞬にして吹き出た汗が顎から滴り、泉に落ちてぱちりと弾ける。

 荒い息のまま、こちらを見て、薄く唇を曲げた。


「──魔王エルジーナが……動き出した」

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