第百二十九話 「クリスの魂」
「──『業火の息』!!」
声を張り上げると同時に、俺の口から真紅の炎が吐き出された。
轟音を伴って噴き上がる業火は、大木を根本から包み、たちまち燃え広がっていく。
ごうごうと唸る炎の音が、耳の奥に響いた。
「おぉっ、すげえ」
「ふむ……」
サイファーが腕を組みながら唸った。
しかしその目は決して緩まず、鋭い光を湛えたまま俺の一挙手一投足を観察している。
プレーリーの山奥に戻ってきてから、早くも一週間が経っていた。
アステリア大陸へ渡る手段を失った今、俺はこうして再び彼に稽古を見てもらっているのだ。
理由は単純。
この先、どれだけ強い魔物が現れようと、それに応じた力を持っていたかった。
セルベリア大陸で俺が戦ったのは、ボルクス・ビースト、ゴブリン、そしてグライオス──
俺の冒険者ランクは今なおD止まりだが、まあ、それは別に上げる必要もないからいい。
だが今の俺じゃ、きっとまた守れないと確信していた。
もちろん神威を使えば、格上の相手にも渡り合える。
だが、あれは諸刃の剣だ。
使えば体力をごっそり持っていかれるし、長丁場の戦闘──特に、旅の最中に連戦を強いられる場面では致命的なリスクになる。
特にグライオスの群れと戦ったあのときの俺は、勝ち続けていた慢心があった。
敵の実力は神威を使わない俺と同等。
だけど、先手を取られて焦って攻めた。
なんとか食らいついていたが、多勢相手には気が回らず、結果マリィが犠牲になり、セリエスさんが手伝ってくれなかったらどうなっていたかはわからない。
慎重さを失い、マリィを催眠ガスの直撃から守れなかった。
ヴェインとの死闘だってそうだ。
あのときマリィが変化していなければ、俺は確実に死んでいただろう。
だから……もっと強くなりたい。
今度こそ、マリィを守るために。
まだ、業火の息じゃ足りない……。
「随分と……魔素が体に馴染んできたようじゃのう」
サイファーが、俺の吐き出した炎を見届けると、満足そうに呟いた。
──そう、俺の身体にはあの"エルダードラゴン"の魔素が刻み込まれている。
さらに、なぜかレイアさんの魔素まで混ざっている。理由は未だによく分かってないが。
今俺が使った『業火の息』は、今まで俺が使っていた『火炎の息』よりも一段階強力な魔物術だ。
サイファーが「今のお前ならできる」というので、やってみるとこれまた意外と簡単にできた。
「復習するが、魔素は魔物や魔族にとっての力の源。魔物を形成する一つの物質でもある」
「あぁ、ちゃんと覚えているよ。魔物使いは魔素を体内に取り込むことで肉体を魔物化し、炎や吹雪……その他の魔物術を使いこなすことが出来る……だろ?」
自嘲混じりに笑うと、サイファーは鼻を鳴らした。
「そう、それが魔物使いの極意じゃ。そのために薬学も魔物学も教えた。知力に問題があったがな」
ちら、とサイファーの目がこちらを見る。
……もうその話はいいだろ。
「フェイ、お前は強くなりたいと言うが、ワシが渡したエルダードラゴンの魔素を調合した薬。あれを常用すれば、いずれ強力な魔物術が使えるようになる。それではダメなのか?」
「ダメじゃないんだけど……魔素が体に馴染んで強力な魔物術が使えるようになるには長い年月が必要なんだろ? 俺はその、もっとはやく……」
ヴェインとの遭遇を経て、改めて思い知った。
この世界は、優しさなんて微塵も考慮してくれない。
弱ければ、あっさりと死ぬ。
「……なら、薬の量を増やせばいい」
静かに返されたその一言に、背筋が冷たくなる。
「でも、それじゃ──」
「そう。短期間に多量の魔素を取り込めば、強力な魔物術が使えるようになる。だが──肉体がついてこず、取り返しがつかなくなる」
サイファーは無言で、自らの袖を捲った。
「このようにな」
「……っ」
俺は思わず、目を逸らしていた。
腕は無惨だった。
関節でもない箇所が異様に曲がり、肌は黒く壊死しかけ、浮き上がった血管が蛇のように絡みついている。
──これが、代償。
「これはお前に初めて魔物術を教えた時に見せたが、忘れたか?」
「…………」
「目に焼き付けろと言ったが忘れたか?」
「……いえ」
サイファーの声は、静かだった。
それだけに、余計に胸に刺さった。
蚊の鳴くような声で、俺はかろうじて否定する。
サイファーは袖を下ろし、そっとため息をついた。
「……何かを得るには、時間が必要なのじゃ。焦るな。気持ちはよくわかる。ワシにも同じ経験がある」
言いながら、そっと俺の肩に手を置いた。
厚く、荒れた手のひら。
どこか、親のような温もりがあった。
「これ以上強くなれないと決まったわけではないじゃろ。……気を落とすな」
「……あぁ」と、なんとか搾り出した声は、震えていた。
──だが、心の中では、どうしても割り切れなかった。
俺は、才能があるわけじゃない。
ラスボスと同じ波動やらを持っているからといって、ベルギスやエミルのようにスマートに強くなれるわけでもない。
マリィだって──最弱の魔物から神威を覚醒させ、ステータス上では、俺なんかじゃ到底届かない領域にいる。
……情けない話だ。
焦燥と、自己嫌悪が、喉元まで込み上げる。
「はぁ……」
サイファーが、深く重たいため息をついた。
「フェイクラント。お前は無職歴が長かったせいか、たった一度の失敗で自分を否定し、引きずるクセがある。だがな──」
言葉を区切り、俺の目をじっと見据える。
「お前は、もう無職じゃない。自信を持て」
──ぐらり、と、胸の奥が揺れた。
サイファーは拳を俺の胸に当て、ぐっと押し当てる。
「完璧な奴などおらん。誰だって常に最良の選択を得ることは難しい。だが、最良を目指して努力することはできる」
その目は、どこまでもまっすぐだった。
「ワシが誰かにお前のことを問われたら、こう答えるじゃろうな」
──拳を、ぐっと強く胸に押し当てながら。
「あいつは、“人のために努力できる者だ"、とな」
言い切ると同時に踵を返し、サイファーはさっさと背を向ける。
「ワシからは以上だ。さあ、帰るぞ」
いつも通りの、ぶっきらぼうな口調。
だけど、確かに伝わった。
(……ありがとう、サイファー)
俺は、そっと目を伏せた。
温かい焔のような、じわりと広がる自信が、胸に宿った気がした。
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「──おかえりなさい」
「ん?」
いつもなら俺が帰ると飛びついてくるハズだったマリィの声音は、いつもより少し低く、軽く俺の方をみる程度だった。
「あぁ、ただいま」
俺はそう返しながら、家の軒先に差す光の下、彼女の顔を改めて見つめた。
キッチンではレイアさんとマリィが一緒に夕食の支度をしてくれている。
あの後、『この子は神威を制御できていない』とレイアさんに言われ、マリィをみてもらっているのだ。
それもそうだろう、いきなり神威位階が最上位まで到達したのだ。
誰もが急に大きすぎる力を手に入れたところで、それを使いこなすことはできない。
抱き着こうとして俺を吹っ飛ばしたり、巨大すぎる落とし穴を作ったりしたことがその影響を受けてしまっているのは明白だ。
ちなみに一度、俺がレイアさんに稽古をつけてもらった時みたいに、マリィにも『土壁』に思いっきり殴ってもらった結果、高さ五メートル、厚さ三十センチある土壁は粉々になるどころか、その拳から生まれた衝撃波は土壁の向こう側にある木々すらもなぎ倒していった。
俺とサイファー、唖然。
レイアさんも似合わずに目を見開いていたが、すぐにぶつぶつと「いや……そうか、あの子の魂なら……」と一人で納得していた。
が、やはり制御ができてないのか、初めて神威を使ったミーユの時みたく、マリィの腕も悲鳴を上げていた。
レイアさん曰く、日常生活の上で力の抜き加減を覚えていけばいいということらしい。
白銀の髪は柔らかく陽を弾き、青い瞳は影を落としながらもこちらをしっかりと見据えている。
けれど──その足は一歩も近づいてこなかった。
「あれ、どうしたマリィ。いつもなら真っ先に飛びついてくるのに」
「……べ、べつに。そういうのはもういいかなって思って」
苦笑まじりに問うと、マリィは目を逸らして、ぷいっとそっぽを向いた。
その言い草に、思わず言葉を失う。
何だろう、この──言いようのない、違和感。
いや、違和感なんかじゃない。
これは、明らかな“変化”だ。
昨日まで、彼女は俺の影のようにぴったりと寄り添っていた。
言ってしまえば、四六時中一緒にいたし、どんな時でも俺に触れていたがった。
犬の姿の頃であれ、人の姿になっても、その“距離の近さ”は一貫していたのに。
それと、マリィの身長もまた少し伸びている。
ヴェインと戦った時は十歳くらいに見えていたのに、今は十三、もしくは十四に見えてもおかしくない。
成長期、という言葉では片づけられないスピードだ。
食べる量もすごいが、それ以上に身体と魂が急成長しているのが目に見えて分かる。
──まるで、想いと神威の濃度に応じて、“少女”が“乙女”へと進化していくように。
「今日は、レイアさんと何を作ったんだ?」
「……いつもと同じスープ」
沈黙を破るように問うと、マリィは小さな声で答える。
その一言に、レイアさんがキッチンから顔を出した。
「おお、そうじゃそうじゃ。今日のはマリィがほとんど作ってくれたんじゃよ。刻みから火加減まで、もう覚えがはやくてのう、助かるわい」
「そうなのか? すごいな、マリィ!」
素直に感嘆の声をあげる。
だって、本当にすごい。
つい最近まで“食べる側”だったはずのマリィが、“作る側”になっているなんて。
だけど──
「……う………べ、別に……」
そう言って顔を真っ赤に染め、斜め下へと視線を逸らすマリィの姿は、どこか見覚えがあった。
褒めたことが、どうやら思った以上に効いてしまったらしい。
そのまま"よくやった"という意味で、彼女の肩に手を置こうとすると──
──バシッ!
小さな手が、俺の手をはたいた。
「え、いてて……」
「あっ……えっと、違うの。触られたくないとかじゃなくて……」
叩かれた部位をさすっていると、ハッとこちらに向き直り、おずおずと言い訳をしてくる。
その瞬間、記憶の中で何かが一致した。
この感覚、この空気、この温度──
まるで、かつての俺の恋人のそれだ。
試しに、戯れで言ってみたことを伝えてみる。
「マリィ、お前なりに料理、がんばったんだな。好きだぞ」
言った直後、空気が震えた。
「──〜〜ッッ!! フェイのバーカ!!」
火がついたように叫びながら、マリィは後ろを向いて逃げていく。
顔を真っ赤に染めながら、耳まで赤くなっているのが見て取れた。
──ああ、そうか。
やっぱり、お前の中には……クリスの魂が残ってるんだな。
俺の中で、確信に近い何かが胸に落ちた。
あのとき、彼女が同じように怒った。
からかった俺に、全力で恥じらいながら声を荒げた。
その仕草を、今マリィがそっくりな温度で見せていた。
クリスの魂が、どこかでマリィと繋がっていて、彼女の中に宿っている。
それが“意図したもの”か、“偶然の結晶”かはわからないけれど──
俺の目からは、涙が溢れて止まらなかった。




