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赤月さん、大上君に伝える。

 

 ばたんと扉を閉めてから、大上君は私の肩に触れていた手を一度離して、今度は左手首を握りしめ直してきます。

 そして、こちらを振り返ることなく、この建物の外へと出るまで無言のまま歩き続けました。


「あ、あの……」


「……」


 大上君は私の呼びかけに応えることなく、その場を離れるように進みます。


 いつの間にか、建物と建物の間の細い通路まで歩いてきてしまっていました。

 今は昼の十五時前くらいの時間ですが他の場所では講義中であるため、この細い通路を通る学生は誰もおらず、私と大上君の二人だけしか見当たりません。


 大上君はやっと立ち止まってから、私の手首を握っていた手をゆっくりと離していきます。


「……今頃、大慌てで彼氏達に事実確認しているだろうなぁ」


 どこか他人事のように大上君は呟きました。その呟きは明らかに米沢さん達に向けられたものです。


「大上君……」


 もしかして、最初から米沢さん達がどういう感情を持って大上君に接していたのか気付いていたのでしょうか。


 その上で、何か誘われても全てを拒絶するために、彼女達しか知らない情報をこっそりと集めていたというならば、その手腕には口が開くばかりです。まるで探偵みたいだと思ってしまいました。


「急に割り込んで、ごめんね? でも、赤月さんが俺を庇ってくれたのが嬉しくて。……本当はもう少し穏便に出来れば良かったんだけれど、これ以上、俺と赤月さんとの関係を邪魔されたくはなかったから……悪い芽は早めに摘んでおこうと思って」


 そう言って、大上君はどこか自嘲気味に笑います。ゆっくりと歩き出した方向は四限目の講義がある教室が入っている建物に向けてでした。


「まぁ、見ての通り、俺は赤月さん以外の人間には優しく出来ないんだ。……ちょっと腹黒いよね。うーん……。あまり本性を晒すようなことはしたくはなかったんだけれどなぁ……」


「……本当の大上君は腹黒い人なのですか」


 歩き始めた大上君に付いて行きながら、私は世間話のように訊ねます。彼は少しだけ苦笑してから、困ったような表情を浮かべました。


「だって、自分が欲しいと思っているものを手に入れるために、子犬の皮を被っているんだから、腹黒いだろう? ……でも、こんな本性を知られたら、きっと君に嫌われ──」


「嫌いません」


 いつの間にか、私は立ち止まっていました。誰もいない二人だけの空間に、私の声が静かに響きます。


「私は、どんな大上君でも嫌いません。確かに私から見た大上君は、全ての中の一部にしか過ぎないと思います。でも……」


 私が立ち止まったことで、大上君も同じように立ち止まっていました。ゆっくりと顔を上げていけば、そこには目を少しだけ瞠っている大上君の姿がありました。


 一か月半前までの私ならば、大上君と接することに怯えていたでしょう。ですが、ずっと傍で彼と接してきて、その考えは少しずつ改まっていきました。

 もしかすると、大上君に感化されてしまったのかもしれません。


 けれど、最初に会話した時とは違って今、抱いている感情は私の中では確かに「本物」だと言えるものでした。


「それでも、私はそんな大上君が好きです」


 感情を言葉に乗せるのはとても難しいことです。伝えたいことが相手に正しく伝わるかどうかは自分次第だからこそ、人は言葉で想いを伝えるのでしょう。


「まだ私は大上君の一部しか知りませんが、とても優しいですし、いつも気遣ってくれることを嬉しく思っています。……それに私が今までずっと踏み出せなかった一歩を踏み出すことが出来たのは、大上君が私に勇気をくれたからです。大上君が私に色んなものを与えてくれたんです」


 怖くて、逃げてばかりいた私に勇気を与えてくれたのは紛れもなく目の前に居る人です。


 彼が一緒に頑張ろうと言ってくれたから、私は縛られていた過去にちゃんと目を向けて、そして一歩ずつ前に進もうと決心することが出来たのです。


「大上君が本当の自分を前に出すことを怖がっているならば、無理をしなくてもいいと思います。でも、これだけは知っておいて下さい」


 波打つことがなかった水面に波紋を呼んでくれたのは、確かに「大上伊織」という人でした。


 動けなかった私に手を伸ばしてくれたのは、他の誰でもない大上君です。だからこそ、どうか自分自身で彼の全てを否定して欲しくはありませんでした。


「大上君。大上君は……あなた自身が想像しているよりも、ずっとずっと素敵な人です。私に勇気を与えてくれた恩人です。だから、自分を貶めることをしないで欲しいんです。……私まで、悲しくなってしまいます」


「……」


 想いを伝え切った私はふぅっと呼吸を整えてから改めて大上君へと視線を向けます。彼は目を見開いたまま、棒のように突っ立っていました。

 表情も固まったままなので、どのような感情を抱いているのか察することも出来ません。

 

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