廃竜の封印
「……トリスタン。
街に伝わっている伝承はどこまでが本当なんだ?」
俺は黙ったままのトリスタンに、気になっていることを尋ねる。
「大体は合ってるよ。
生贄を捧げる相手が僕か、廃竜かの違いあるけどね」
そしてトリスタンは昔起こったことを思い出すように語り始めた。
『過去に子供達がここの祠を壊してしまったことは事実だよ。
当然だけどそんなことで僕は怒りはしなかったし、怒ったところで何も干渉することは出来ないんだけどね』
トリスタンは淡々と話し続ける。
『だけど祠の破壊を知ったロスト教団の人間が、それを利用することを思いついてそれを実行に移した。
そして街の人を攫ってこの祠で殺害し、そのまま生贄として捧げた。
これが御伽噺に出てくる、街の人が1人、また1人と消えていったという話の元凶さ』
「ここで人が死ぬとどうなるんだ?」
『それは実際に見たほうが早いだろうね。
タスク、魔物の死骸とかそういった物を持っていないかい?』
俺の問いにそう答えたトリスタンの言葉に、何か持っていたかとと記憶を探る。
「あ、リナさん。
ゴブリンの耳を出してもらえますか?」
俺の突然の申し出に、精霊の話が聞こえないリナさんは困惑をした顔をしながらも、指輪からマルコさんを助けるときに倒したゴブリンの耳を取り出してくれる。
それを受け取りリナさんに礼を言ったあと、再びトリスタンに尋ねる。
「これをどうすればいいんだ?」
『大岩の前に投げてみればいいよ』
俺は言われるがままに手に持ったゴブリンの耳を、祠の奥にある大岩に放り投げる。
投げられた耳は地面にポトリと落ちたが、特に何かが起こる様子はない。
「何も起きないじゃ――」
突然体をものすごい悪寒が襲う。性質の悪い風邪を引いたときより何倍も酷い悪寒だ。
周りを見るとこの場に居る全員が顔を青ざめていた。
そして俺が投げたゴブリンの耳に視線を向けると、黒く光ったかと思うと跡形もなく消失してしまった。
「これはいったい……」
『これが雷精が人を喰らうという噂の正体さ』
トリスタンが言うには、ここで捧げられた死体は神に捧げられて消失するらしい。
それが廃竜の封印が解ける時間を早めているそうだ。
何故そんなことが起きるのかというと、ロスト教の連中はこの場所で多くの命を使った儀式によって、この祠をそういう場所に作り変えてしまったらしい。
ここで死んだ者は神に捧げられ、その代償として神の力が廃竜の封印に流れ込んでそれを弱めるという仕組みだそうだ。
つまりこの場所はロスト教団の生贄の祭壇になっている。
そして自分達で作った祭壇に、雷精の怒りを鎮めるとためと言って街の人を唆し、この場所に子供を捧げるように仕向けた。
ここで死んだり、殺された死体は跡形もなく消え去るために、雷精が人を喰らっているという噂が出回り、伝承が形作られていく。
言葉にすると簡単だが、これを長い年月をかけて行っている。
精霊を貶めるためだけにここまでするという執念。
人はそこまで何かに妄信できるのかと思い、寒気がした。
「誰も生贄をやめようとは言い出さなかったのか?」
雷精を信仰していた人達が、生贄に何の疑問を持たずに動くというのはおかしいと思い尋ねる。
『もちろんそういう人達はかつては居たよ。
だがロスト教団はそういう事も見越して、生贄が捧げられなくなると封印に注がれた神の力が、少しずつ外に漏れ出す仕組みを儀式に組み込んでいた』
「漏れ出すとどうなるんだ?」
『神の力というのはこの世界に仇なす力だ。
だからこの世界に生きている人間にとっては毒でしかない』
「じゃあ生贄が滞ると――」
『原因不明の体調不良が街を襲うことになる。
不安を煽るには十分すぎる効果が出るね。
そして不安な時ほど人は信仰に縋りたくなる』
「そして生贄は続くわけか……」
「しかし良かったのか? ゴブリンの耳とはいえ捧げてしまっても」
『うん、問題ないよ。
それぐらいじゃもう何も変わらないぐらい、廃竜の封印は綻んでしまっている。
それに魔に魔を捧げてもあまり効果はないからね』
確かにトリスタンの言うとおり、邪悪な気配が岩から漏れ出ててきて、この場所が危険だと告げている。
「ここに邪悪なものが居るのはわかるが、いったいどうやってこんな事を……」
岩から漏れ出てくる危険な気配に遠ざかりつつそう呟く。
『君も知っていると思うよ。
別の空間に物を閉じ込める、似たような手段を』
その言葉にすぐその手段が思いつくが、同時に疑問も浮かぶ。
「この岩が晶石だって言うのか?
でも収納の晶石は生き物しか収納できないはずじゃ……」
『だからもう生きてはいないんだよ、廃竜は。
死んでいるのに邪教の刻印によって無理矢理動かされているんだ』
トリスタンは悲しそうにそう告げる。這竜のことを思い出しているのだろうか。
『それに厳密に言えば、この封印に使ってある晶石は収納の晶石とは違う。
研究によって体系化された現在の魔導具と違い、多くの矛盾を孕んだ封印だ。
封印というわりに、外部から干渉を受けてしまっていることからも分かるようにね。
それに今はもう晶石としての力は使い果たして、ただの岩だ』
トリスタンがそういった瞬間、ピシッっという音を立てて、岩に大きな亀裂が入る。
『タスク……急いで逃げてくれ。
僕が思っていたよりも封印が解けるのが早い』
トリスタンは少し焦った様子でそう告げる。
レインさん達はその声を聞いて、ライト君を庇うようにしながら岩から離れている。
「逃げろって、心配してくれてるのは分かるが、こんな危険な気配の奴を放っておけないだろ?」
俺は笑みを浮かべながらトリスタンに尋ねる。
『…………』
俺の言葉にトリスタンは無言のままだが感謝と戸惑いの感情が伝わってくる。
『分かった。それじゃあ、タスク。
君に渡しそこなっていた最後の術式構成を渡すよ』
雷精最後の術式構成は確か、【加速】だったはずだ。
俺は目を瞑って、そのときを待つ。
「…………」
だがいくら待ってもパーシヴァルの時のように、頭に術式が浮かぶことも、体が光に包まれることもなかった。
「トリスタン?」
『トリスタン……あなた、迷っているわね。
この街の人間に救う価値があるのかと』
俺の問いかけと同時にパーシヴァルの気配が強くなり、悲しい感情を含んだ言葉を投げかける。
「え?」
『無理もない話だと思うわ。
いくら邪教徒に唆されたといっても、何も疑わずに罪もない子供を生贄に捧げ続け、そんな子供達が死ぬところを目の前でずっと見てきたのなら。
そんな行いを続けた街の人間に疑問を持っても仕方ないわね。
彼らが悪くないと分かってはいても、心の奥で疑念を持ってしまうのね』
パーシヴァルは優しい声色でそう告げる。その言葉からはトリスタンを責めるような感情は伝わってこない。
そうだ、トリスタンはずっと見てきたんだ。
目の前で自分の怒りを鎮める名目で、自らの命を絶っていった子供達を。
それをただ指を咥えて見てきたんだ。
俺なら耐えられるだろうか……そんな拷問のような年月を。
トリスタンは俺がこの世界に来る直前こう言っていた、「なるべき早く会いに来てくれるととうれしいな」と。
あれはトリスタンなりのSOSだったのだろうか、初めて会った別の世界の人間に助けを求める程、こいつの精神は磨耗していたのだろうか。
俺がそう考えている間も、岩の亀裂はどんどん大きくなり、ついにその中心に大きな穴が穿たれた。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
地獄の底から聞こえてくるかのような、不気味な叫び声が穴の中から響いてくる。
それと同時に全身にひりつくような気配を感じて、俺の脳内が危険だと警鐘を鳴らす。
「……来る」
バリンという音ともに岩の前の空間が歪んだかと思うと、体長5mはあるかという巨大な竜が姿を現した。
その造形は翼がない以外、向こうの世界の物語で見た竜そのものだったが、全身が腐って異臭を放ち、腹部にいたっては肋骨が丸見えの状態で、竜と呼ぶには余りにも化け物然としていた。




