表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

折れ鶴の病院

作者: ぽてと

「びっきー!びっきー!」

「はいはい、ミッキーね。ちゃんとスリッパ履いておとなしくしてようね」


 ぬいぐるみが所々に置いてある待合室で、私はスマホを開く。安物のマスクが顔を擦ってむず痒い。あとで保湿しとかないと、ニキビになりそうだ。


 平日だと言うのに病院は著しく混んでいる。消毒臭いこの施設にはもう慣れた。


「しょうたくーん。坂本翔太くん」

 看護師の声が少年を呼ぶ。どこの病院でもどの看護師でも同じ呼び方をする。マニュアルでもあるのだろうか。

「はーい」

 少年の母親が返事をして、待合室の椅子から少年の手を引く。少年は名残惜しそうに、某テーマパークのぬいぐるみを元あった場所に戻した。


 子供が別のフロアへ行くと、私はスマホのインカメを起動し、前髪を整える。以前はぱっつんだったが、この年になって触角を作った。自分では悪くないと思う。ゆみさん、褒めてくれるかな。


 時々このようにインカメを起動させながら、退屈なショート動画をスクロールし続けていると、何かぶつぶつ言いながらその場を徘徊する、やたら内股な男の人が受付に行く。

「あの、せんせい。しんさつ」


 両肩に掛かるリュックの紐をぐっと掴みながら、その男の人は受付に必死に何かを訴えている。対して受付の女性は困惑の色を一つも見せず、華麗に対応している。


 男の人は受付を終えると、きょろきょろと首を振り、受付の椅子に座る。右斜め前。誰もいない長椅子の真ん中にどっしりと座り、貧乏ゆすりをしながら青年向けアニメか何かの動画を見る。リュックは背負ったままだ。音漏れがこちらにも聞こえてくる。私は有線のイヤホンをスマホにつなぎ、右耳に入れる。


「のあさーん、山川望愛(やまかわのあ)さーん」

 数分後、左耳に抑揚のない声が入る。私の番だ。



「山川望愛さん。体調等、なにか気になる点はございませんか? 」

「ええ、健康です。本当に」

 先生の問診は驚くほど早く終わる。


「そうですか。では、私はこれで」

 そう言うと先生は別室に行く。




「のあちゃん! 久しぶり~」

 待ち望んだ声が聞こえる。

「お久しぶりです。ゆみさん」

 立ち上がって頭を下げる。


「ちょっとやめてよー。あ、のあちゃん、スマホケース新しくしたんだ!かわいいね」

 ゆみさんは私に会うなり、お気に入りのキャラクターが描かれた私のスマホケースを褒めてくれる。

「うん。好きなの。これ」


「言ってたね! うんうん、めっちゃかわいい! いいなあ。ここの病院、みんな地味なのしか使ってないから、私もそういうのにしたい」

 ゆみさんは先生が座っていた椅子に腰かけ、身体を揺らしながら答える。


 ゆみさんと話すのはとても楽しい。カウンセリングで業務の一環だと知っていても、ゆみさんとの時間は私にとってかけがえのないものだ。他愛もない話、それだけでうれしい。休職中で夫も去った私の数少ない社会とのつながりだ。


 子供を流した私を彼女は肯定してくれる。



「そう言えばのあちゃん。髪__」

 ゆみさんの発言は、耳をつんざく絶叫で断ち切られた。


「びいややあああああ!いやああああ!」

 男の子が泣き叫ぶ声。ミッキーマウスを指さしていたあの少年の声だと気づく。


「しょうた!しょうた! 」

 お母さんの声が後に続く。

 少年は、私とゆみさんの診察室に逃げる。


 少年はゆみさんを見るなり、駆け寄って背中に隠れる。

「あらあら。どうしたの?」

 ゆみさんは私に対するものと同じ口調で少年に告げる。少年は首を振るだけだ。



「すいません。こらっ、しょうた!」

 母親が少年を追いかけ、私とゆみさんを確認するなり、平謝りする。


「大丈夫ですよ。予防接種ですか?」

「ええ、そうなんです」


 ゆみさんは少年の頭を優しく撫でている。

「しょうた! 迷惑かけて! もうお兄ちゃんなんだから頑張るって言ったじゃない」


「いやだ!」

 少年はまた駆け出し、私の横を抜けて診察室を抜け出そうとする。その際、私の椅子に軽くぶつかる。膝の上に置いたスマホが床に落ちる。

「こらこら」


 ゆみさんは少年を捕まえる。

「中山さん! 申し訳ありません!」


 若い看護師が、部屋の構成員に追加される。子供を含め五人も部屋にいると窮屈だ。

「ああ、みーちゃんが担当だったのね」


 部下に対してもゆみさんはゆみさんだ。

「そうなんです。ごめんね。しょうたくん、すぐ終わるから、こっち戻ってくれる?」

 みーちゃんと呼ばれる若い看護師の声に、少年は首を振る。


「もう、しょうた! ごめんなさい」

 母親は無理やり少年の手を引こうとする。

「いやだあああ!」

 少年は叫ぶ。拾ったスマホで殴りつけたい衝動に私は心中、首を振る。


「じゃあ、私が注射してあげる。だから、頑張ってみない?」

 ゆみさんは頭を撫で続ける。

 少年が泣き止むと、ゆみさんは少年の手を引き、母親、新人の看護師とともに別室に行った。

「ごめんね。のあちゃん。待合室で待ってて!」


 私の数少ない楽しみは、また子供に奪われた。あいつらは当たり前のように人の幸福を吸い上げる。好きな人も、未来も、ゆみさんも奪っていく。


 髪型を褒めてもらうことすら、あいつらは許さない。あの子は私が犯した罪の代弁者か。



 大きなため息をつきインカメで自分を見る。大丈夫、私は醜くない。外見だけでも、私はちゃんとしたい。






 ばたん、急に大きな音が聞こえた。


「ああ、あえ、え、えへへ」

 その男は私が目に入るなり、口角を上げ、鼻を膨らませる。私はとっさに、身体の前で腕をクロスさせる。十字とハートが描かれた赤いカードのようなものが、リュックにぶら下がっている。


 左手は落ち着かなさそうに胸の当たりを擦り、右手はズボンの中心をぎゅっと握っている。


「タカユキさん! 勝手には入っちゃだめですよ!」

 受付にいた看護師が男の手を引き、診察室の外へと連れ出す。そして勢いよく引き戸を閉めた。


 私の息は上がり、全身に鳥肌が立っている。ぞっとする。おぞましくいやらしい目が頭から離れない。



 数分後、呼吸が落ち着くと私は立ち上がり、診察室から出る。しかし、引き戸を開けるなり、立ち眩みが私を襲った。視界がぼやけ、ふらつく。転倒を抑えるために右足を踏ん張ろうと地面に足を付けると、何か軽いものを踏んだ。


「ぼくの__鶴さん」

 落ち着いて下を見ると、先ほど号泣していた少年がそこにいた。その下__私の足元には、ぺしゃんこになった折り紙の鶴がいる。オレンジ色の折り紙で作られた、普通の鶴。ゆみさんのだ。私にも作ってくれたことがある。


「ご、ごめんなさい」

 私は少年、そして母親を見て謝罪した。

「いえ、大丈夫です」

 母親は驚いた表情を見せたが、私を責めるつもりはないという意思表示か、身体の前で手を振る。


 だが__

「お姉ちゃんがやった!!お姉ちゃんがやった!」

 少年は潰れた鶴を持って、病院を駆け回る。




「お姉ちゃんにやられた!!」

 男の人は泣きながら叫んだ。子供のそれだ。騒ぎになり、目線が自分に集まるのを感じる。看護師、患者、いろんな人が私を見ている。


 なに、なんなの。私が悪いっていうの。確かに立ち眩みして踏んじゃったのは申し訳ないけど、わざとじゃない。傷つける意図なんて微塵もなかった。


 周りの視線が痛い。吐き気がする。最低の気分だ。


 私はその場から走って逃げだす。途中で腰の曲がったおばあちゃんとぶつかりそうになった。腰を抜かしその場に尻もちをついても私は気にしない。こんなところにいたくない。スリッパを放り出し、ヒールに履き替える。


「のあちゃん!のあちゃん!」

 看護師のゆみさんが追いかけてくる。今更なんだって言うのだ。逃げようと早足になるが、ヒールだ。


「どうしたの? 大丈夫?」

 ゆみさんは顔を覗きこもうとするが、必死に反対方向に背ける。どうせ泣いている。化粧の落ちた顔を見られたくない。醜悪な内面を晒した。だけどせめて外側だけでも取り繕いたい。


 ああ、そういえばお金を払っていなかった。そうだよね。お仕事だもんね。


 鞄から二つ折りの財布を取り出し、札を探す。千円がない。じゃあこれでいいや、私は一万円札を宙に投げた。

「これでいいよね」


 ゆみさんはそれを上手くキャッチし、私の手を掴んだ。そしてもう一度顔を覗きこもうとする。

「のあちゃん、何かあったんだね? いいよ。このまま帰っても。私上手く言うから。お金なんてどうとでもなるから。ね?」


 ゆみさんはとことんいい人だ。

「なんで”普通”に生きようとしている私よりも、”普通”じゃないあいつが大事にされるの? 」


 思わず口に出てしまう。

「どういうこと? 」


「なんで病院で大騒ぎする子供とか、マスクもつけないで勝手に診察室に入ってくる知恵遅れが許されて、私が許されないの!?」

 自分の金切り声が頭痛を引き起こし、ふらふらする。


「なんでそんなこというの」

 ゆみさんは目に涙をためて言い返してくる。


「あなたは考えることが出来るのよ。社会が望むことが分かる。でもあなたの言う子供や知的障碍者は分かろうとしても分からないのよ? 子供は成長できるだろうけど__。一生”普通”になれない人だっているんだよ? あの子供は__小3でも字が書けない。クラスにはなじめない。あなたが辛いのは私だって知ってるけど、一生懸命生きている人を、あの子を馬鹿にするのは許さない」



 ああ、やっぱり世間は事情とか背景じゃなくて、私の人間性を許さないんだな。正しくないといけないんだ。何もかもうんざりする。

「でもあの人には旦那さんがいるじゃない。そしてなによりも__」

 もう、どうにでもなれ。


「産めたんだからいいじゃない」

 私は財布をひっくり返して万札__八枚くらいだろうか__を地面に捨てる。


「私が子供のために用意したお金。あげる。」

 ゆみさんは何もしゃべらない。怒りか哀れみか、様々な激情を抑え込んだ顔をこちらに向ける。


 ヒールを脱ぎ捨て、走り去る。砂利道だが痛みも何も感じない。逃げる__逃げる。





 アパートに戻る。幸い、誰ともすれ違わなかった。誰かを追い越しはしたが、顔は見られていない。


 冷蔵庫を開け、ロングのストロング缶を取り出す。マスクを外すと口の周りがむず痒くなってきた。私は手を上に伸ばし、文字通りストロング缶を浴びるように飲んだ。酔いか冷たさか、痒みは薄れていく。


 心の底からアルコール臭いその飲料を美味く感じた。鼻に入って咽ても、お構いなしだ。2本目はブドウ味だ。あっという間に飲んだ。3本目はいつも通りストローで飲んだ。


 眠くなってきた。薬に頼らずに寝れるのはいつぶりだろう。フローリングの冷たさと継ぎ目のでこぼこした感触を背中に感じる。

「あっ」


 テーブルの上の睡眠薬と目が合った。酒のように錠剤を口に注ぎ入れ、ぼりぼりと噛む、ストロー越しの酒で流し込む。気管に入ったのか、むせる。苦しい。フローリングにぶちまける。それを拾いまた飲む。



 意識が遠のいていく。とても気分がいい。汚れた自分を受け入れてくれたあの人との初めての夜のようだ。精神的に不安定になった自分を最後まで支えようとしてくれた。放り投げたのは、自分だ。

 もう、楽になりたい。







「のあちゃん。じっとしててね」

 かんごしのゆみさんは、私の手に注しゃをする。ほかの人がする注しゃはきらいだけど、ゆみさんならこわくない。いたくない。


「今日はツインテールにしたんだ。前髪もぱっつんで、かわいいね」

 ゆみさんはいつも私のことをかわいいと言ってくれる。美人だねって言ってくれる。


 ゆみさんの方がずっとかわいい。むずかしい言葉を話すし、お顔がとってもきれいだ。

「はい。おしまい。よく頑張ったね」

 あたまをなでられる。とってもうれしい。


「また、来るんだよ?」

「うん!」

 私は大きく返事をする。ゆみさんは大好きだ。でもいつも、帰るときはなんだか悲しそうな顔をする。そしていつも、悪いことをしちゃったんじゃないかって、泣きそうになる。



 注しゃをする部屋をでる。でも、次にどっちに行けばいいか分からない。ちょっと右に行って、また左に行く。よそ見をしてたら、おばあちゃんとぶつかった。どこかで見た気がする。


「あなた、また! よく見なさいよ!」

 おばあさんは私を見てどなった。ごめんなさいとあやまった。私は悲しくなってその所で、すわって泣いた。

「あ、えっと、ご、ごめんなさい」

 おばあちゃんは私の肩に手をやってあやまった。おこっている人が急にあやまっているなんてふしぎだ。でも出てきたなみだは止まらない。すると、ゆみさんがでてきた。


「すみません! 申し訳ございません!」

 ゆみさんはおばあちゃんにあやまっていた。なんでゆみさんがあやまるのか、わからない。


「ごめんね!ほんと ごめんね!」

 ゆみさんは何回もあやまった。私と同じように泣いている人の声だ。なんだか、おばあちゃんにじゃなくて私にあやまっているみたいだった。


「だいじょーぶ。だいじょーぶ」

 私はゆみさんの頭をなでてあげた。さっきゆみさんがしてくれたみたいに。


「私が__悪いの」

 ゆみさんは私をぎゅっとだきしめた。気持ちがいい。わたしはこのびょういんに来ると、いつもみっきーをだっこする。だいていると、なんか安心するから。


 ゆみさんも、安心したいのかな。なら、たくさんぎゅーしてほしいな。



 でもゆみさんはずっとないてあやまってた。何か悲しいことがあったかな。


 わかんない。わかんないよ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ