君の、輝かしい未来のため
朝まで歩き回って、壁をよじ登り、モンスターを倒し、ヘトヘトの状態で、僕とウェンディはようやく地上へ到着した。
まさか一晩で到着できるとは思って居なかったが、ウェンディ基準ではこれでも遅いに入るらしい。
ウェンディは魔力回復と体力回復の最後のポーションを飲み干し、戦闘態勢のまま地上に突入した。既に朝日が差し込んでいる地上には、クリストファーがひとり。
その周りに彼の子供たちが集まって話をしていた。クリストファーの遮光装備はテントと化していた。
「く、クリストファー」
「ウェンディ!」
「僕は?」
ウェンディが瓶を投げ捨てながら呼びかけると、クリストファーは傷を負ったままの肌が焼けるのも構わずテントから飛び出した。
ウェンディは肌が焼けていくクリストファーを渾身の力で押し戻し、テントへ戻らさせる。
「あ、アイザックも無事なら良かったわ」
「このやろう」
クリストファーは初めて気付いたようにヘラヘラ笑って僕に手を振った。待て、僕だって君の心臓の持ち主だぞ。心配をしろ。
「助けに行けなくて悪かった」
「僕も」
クリストファーが謝った瞬間、テントの少し後ろから少女が姿を表す。
「タバサお姉様」
ウェンディが惚けたようにタバサを拝んだ。
「ごめん、ウェンディ。僕も行かないことを選択した。下がどんなに大変な環境かはわかっていたけれど」
「それは私を信じてくださったからですか」
「うん、君とアイザックを…君たちを信じて、ただ待つ、その選択をした…」
タバサは目に涙を溜めて、泥と血に塗れたウェンディをそっと抱きしめた。
「君の、輝かしい未来のため。最初の困難を、僕の手柄にされてしまわないために」
ウェンディはぱっと顔を両手で覆った。おそらく、泣き出してしまったのだろう。
「おーいタバサ、僕は?」
「お前が死なないのは最低限だ」
僕だって死ぬほど頑張った。なのに、タバサは冷たい。
「ウェンディ、痛いとこだらけだよな。大丈夫か?タバサ、回復を」
「怪我はほとんど治してます」
「さすが僕の妹だ」
タバサが抱きしめたウェンディを、クリストファーが取り返す。クリストファーは火傷を負いながらテントにウェンディを連れて行き、血だらけになった額に頬擦りした。
「一人にして、ごめんな」
「一人じゃありませんわ、アイザックお兄様が一緒でしたもの」
「アイザックじゃ役に立たな」
「聞こえているぞクリストファー」
僕への罵詈雑言は残念ながら事実なので、叱責できない。
僕は明確にウェンディに助けられた。魔術師としても、退魔師としても、まだ駆け出しのウェンディに。
テントの中で縮こまっている3人の吸血鬼は、それぞれに顔を見合わせていたが、クリストファーに睨まれると意を決したように頭を下げた。
「お見それいたしました、ウェンディ、さま」
エレナが絞り出したようにそう言うと、ウェンディは首を傾げた。
「太陽が怖いからですか?」
「ち、違いますわっ」
シャザが首を振り、ベルが身を乗り出す。
「私たち、本当は仲間になりにきたのっ」
「仲間に?」
「お父様と一緒なら、文句ないから」
ベルがツンと唇を尖らせて言った。
「退屈なのよ。一生このまま何も変わんないのは」
「そういうことですわ」
ベルの意見にシャザが同意し、そっと両手をウェンディに差し出した。
「クリストファー様が敬愛する貴方になら、私たちも仕えても構わないと、そう言っているのです」
「態度でけぇな」
「おっお父様」
シャザのへし折れないプライドにクリストファーは呆れ顔だった。
「ウェンディ、さま。我々は…我々の心臓を託すに相応しい方なのかどうかを、見極めておりました。この迷宮から生きて戻って来れたことが何よりの証明と思います」
「そう言っていただけて、本当に嬉しく思います」
ウェンディはぺこりと頭を下げる。タバサが溜息を吐き出して、ウェンディの隣に立った。
「では今回もアイザック様と半分に」
「無理。アイザックを殺す気か?」
タバサはバッサリと切り捨てた。僕からも遠慮させてほしい。クリストファーたった1人の心臓で死にかけていた僕からすれば、残りの3人の心臓は重すぎる。完全に身体が魔に傾いて、戻れなくなるだろう。
「良いのですか?アイザック様」
「僕も死にたくない。クリストファーだけで十分すぎる」
本音で言うと、吸血鬼達はクスクス笑った。もとより彼女達も僕のことは眼中にないらしい。
「いやでも、僕の下僕になりに来たんだよね?」
「なので嫌だなと思っていたのですけれど、ウェンディ様なら、と…」
「思い直したんだ…」
僕なら殺してクリストファーを取り戻し、ウェンディなら、生きて迷宮から戻って来れた場合に限り配下となると。そう決めて、そうクリストファーに言ったのだろう。
クリストファーは、僕たちなら大丈夫だと思ったのだ。そう思ってくれたことに、ウェンディは涙目になっていた。
「アイザック、悪気は無いんだが、俺たちは才能の違いが目に見えてしまうんだ。だから俺の子達はアイザックに心臓を預けるのを嫌がっているってだけの話で」
「今の発言が一番刺さった」
「そりゃニカレスタの一族と比べたらって話で、俺はそれでもお前に心臓を預けるくらい信用してる。嫌なら取り返してるさ」
クリストファーは笑いながら僕の胸を押した。
実際そうだと思う。僕の命令は絶対だけど、クリストファーは裏をかく能力がある。今回みたいに迷宮へ落とされてしまったら、僕一人ではどうしようもなかった。
「さっそく儀式を始めようか。まずは、君たちが動きやすいように太陽を隠そう」
タバサが両手で太陽に手を翳すと、分厚い雲が太陽を遮った。吸血鬼達がざわめき、テントからゆっくりと指を出す。熱いらしいが、焼けはしないことを確認し、3人はテントから出て天を仰いだ。
「ウェンディ、ここに来て。クリストファー付きでもいいから」
「はい、お姉様」
「この儀式のやり方も教えてあげないとね」
「お願いします」
体力の回復やら魔力の回復までポーションでこなしてはいたが、気力までは回復しないため、ウェンディは歩くのも辛そうだった。気丈に振る舞うウェンディの限界を察したクリストファーが、ウェンディを抱き抱えて移動する。
「無理すんな」
「もう少しだけ、頑張りますから…その後はお願いします」
クリストファーが囁きかけ、ウェンディが頷く。それだけの動作に愛が溢れていた。
人間と、元人間。生きているものと死んでいるもの。被捕食者と捕食者。決定的な違いしかないのに、お互いを慈しみ、信じ難い程の優しさで包み込む関係。ウェンディとクリストファーの、喜劇とも悲劇とも、奇跡とも言える関係が、僕には眩しかった。
そしてウェンディの配下になる3人の女吸血鬼達も、そんな2人を神々しいものとして、崇めているように見えた。
ただ強さなら、タバサにひれ伏すだろう。しかしクリストファーが自らの意思で大切に守り、愛して、服従しているのは、無限の強さを誇るタバサではなく、ウェンディなのだ。だからこそウェンディのモノとなることを彼女らは選んだ。
タバサが珍しく微笑み、両手で魔法陣を切る。詠唱が始まり、3人の吸血鬼とウェンディが眩い光に包まれた。




