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第436話 逃避本能

「知り合いなの?」

「そう言う訳ではないんだが……」

「また僕を無視して女の子とイチャイチャして……舐めてるのか!?」


 激昂した様子の冒険者の視線がミラベルに移る。


「は……? メリシアであんなに綺麗な子を連れてたのにもう鞍替えしたのか? ガナディアで辛い思いをしたのか知らないけど、青春を送れなかったからってやって良い事と悪い事があるぞ!!」


 大声で人聞きの悪い事を――待てよ、ガナディアで辛い思い?? なんでそんな事まで知って――。


『噂話って火が付いたら鎮火するのに苦労するでしょ? 逆に言えば燃え広がった噂はそのまま放置したら事実として受け入れられる。それを逆手に取って僕達に有利な噂を流布するんだ』


 ふとエリック殿下が言っていた事を思い出す。


 想像でしかないが王家が幾ら俺の存在と俺に関する情報を秘匿しようとしても、開戦派の貴族や彼等を先導していたラベリーニ枢機卿が教会の影響力を利用して俺について悪評を流していたら、余計な混乱が発生し手が付けられない状況になっていただろう。


 確認もせずに決めつけてしまうのは良くないが……俺をアルフォンソ殿下の賓客として迎える事を公表した後、折を見て誤情報を流される前にある程度事実に基づいた情報操作を行っていたと考えるのが自然かもしれない。


「なんだ? また話してる最中に黙り込んで……なんとか言ったらどうだ!」

「……大声を出さないでくれ。周りに迷惑だろう?」

「その手にはもう乗らないぞ!?」


 別に今回は巻こうとしている訳ではなく、本当にただ単に迷惑だから指摘しているんだが……。


「デミトリってガナディア出身なの?」

「だ・か・ら!! 僕を無視するな!!!!」

「……さっきからうるさいなぁ。本当に……五月蠅い」

「ピーー!!!!」


 声を落としたミラベルから重苦しい魔力の揺らぎが発せられたのと同時に、シエルが鳴き声を上げて突然俺の肩から飛び立ってしまった。


「シエル!?」

「何だ急に!?」

「見失ったら大変だから俺はこれで失礼する! ミラベル、すまない!」

「え、わっ!」


 魔力の揺らぎを発していたミラベルをあの冒険者と一緒に放置するのは危険だと判断し、有無を言わさず抱えてから身体強化を掛けてシエルの後を追う。


 後方であの冒険者が何やら叫んでいるのと市場の人間の視線が痛いが気にしてる場合じゃない。


「デミトリは女の子を持ち上げるのが趣味なの?」

「……あの場に置き去りにする訳には行かなかっただろう。軽口を叩けるなら、少しは落ち着いたのか?」

「私はずっと落ち着いてるよ?」


 逃げ続けるシエルから一瞬だけ目を離してミラベルを確認すると、抱きかかえられている状況に一切動じず器用に串焼きを食べていた。


「落ち着いているなら魔力を収めてくれると助かる」

「へー、結構ちゃんと制御してたのに良く気付けたね?」

「あれだけ重苦しい魔力の揺らぎに気付かないわけないだろう……」

「多分あの場ではデミトリとシエルしか気付いてなかったよ?」


 てっきりあの場の人間全員が揺らぎを感じ取れていたと思っていたが、真横に居たから感じ取れただけなのか……?


 そうなると、俺は理由も無くミラベルを抱き上げて走り出した風に見られたのでは……。


「……とにかくシエルが怯えてしまったのが魔力の揺らぎのせいかもしれないから収めてくれると助かる」

「分かった」


 丁度市場を抜けた辺りでミラベルが魔力を収め、一直線に市場から離れていたシエルの飛ぶ速度が少しだけ落ちる。そのまま後を追っていると、住宅に囲まれた小さな庭の中に立つ一本の木の枝にシエルが止まった。


 庭先で足を止め、勝手に入って良いのか悩んでいると優しく胸を叩かれた。


「私は楽だからこのままでも良いんだけど、シエルが逃げたのが私の魔力のせいなら近づく前に降ろした方が良いんじゃないかな?」

「そう、だな」


 初めてのシエルの行動に動揺していたのか、自分でも気づかない内に取り乱していたのかもしれない。ミラベルの一言で拍子抜けしてしまったが、大分心の余裕を取り戻せた。


 ミラベルを降ろしてから、シエルを迎える為なら後で怒られても仕方ないと割り切って庭の中に足を踏み入れ庭の中央にある木まで進む。


「シエル、大丈夫か?」

「……」


 こちらを見てから翼で顔を隠してしまったシエル相手にどうすれば良いのか悩んでいると、いつの間にか横に並んで立っていたミラベルが話し出した。


「ご主人様を置いて逃げちゃったのが恥ずかしいのは分かるけど、心配して追ってきてくれたデミトリをもっと困らせるのは違うよね? それともシエルにとってデミトリはその程度の相手なのかな?」

「……ピ!!」


 何を言っているのか分からなくても、相当な怒りが混じっていると分かる声を上げたシエルがキッとミラベルを睨み、木の枝から俺の肩に飛び移った。


 ミラベルと反対の肩の上でぴたりと俺の首元に寄ったシエルが、怒りで震えているのが分かる。


「勝手にきつく言っちゃってごめんねデミトリ。私は嫌われちゃったみたいだから……シエルが落ち着けるようにここで別れよっか」

「分かった……さっきの件だが、巻き込んでしまって申し訳ない」

「あの頭のおかしい人の事? ふふ、あれはデミトリのせいじゃないよ」


 ミラベルがひとしきり笑ってから、ひらひらと手を振って歩き出す。


「またねデミトリ、シエル」


 名前を呼ばれてびくりと震えたシエルの方を確認して、振り返った時にはもうミラベルの姿が無かった。


「……シエル、ありがとう」

「……ピ?」

「身の危険を感じたら俺の事はいいから逃げてくれ。そうしてくれた方が俺は安心する……シエルに何かあったら……」

「ピー……」


――――――――


 ふふ、また助けられちゃった……デミトリには感謝しないと。我慢してたけどあのままあの場に居たら――。


「おい、君!!」

「……」

「聞いてるのか!?」


 本当に……五月蠅い……。

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