第416話 朝食を終えて
夜が完全に明け、ヴィラロボス伯爵邸に努める使用人の案内でそりから館の食堂まで案内されたものの、その場には無人のテーブルに一人着席した殿下とその傍で待機しているイバイしかいなかった。
てっきりヴァネッサ達は遅れて合流するのだと思っていたが、話を聞くとどうやら違うらしい。
「全員体調不良……? 見舞いに――」
「デミトリ殿。止しておいた方が良いだろう」
踵を返して食堂を出ようとした所をイバイに制止されてしまった。
「体調を崩されているなら、無理矢理三人が泊まっているナタリア様の部屋に押し掛ける訳にもいかないだろう?」
「それに、三人同時に体調を崩すのはあり得なくはないけど……体よく朝食を一緒に取るのを断られたって受け取った方が良いかもね」
エリック殿下の発言を聞いて心臓が締め付けられる様な感覚に襲われる。思った以上に深刻な状態の様だ……顔を合わせたくもない程とは――。
「心配なのは分かるが取り敢えず座らないか?」
「……あ、ああ」
「イバイも座って一緒に食べよう」
「いえ、私は――」
「僕とデミトリしかいないのに護衛してても仕方がないでしょ? それに、デミトリも居てヴィラロボス伯爵邸の私兵に加えて本邸の周りには王家の影まで警戒してるんだ。この状況で僕が襲われたらイバイが立ってても座っててもあまり変わらないよ」
「はぁ……そういう問題ではないのですが」
エリック殿下とイバイのやり取りは聞こえているし見えているはずなのに、どこか他人事の様に思えてしまう程ヴァネッサ達について思考が巡る。
不服そうに首を振りながらイバイが着席した後も呆然としていたが、こちらに手招きするエリック殿下に気付き俺も殿下達に歩み寄って適当な席に座った。
「失礼致します」
全員が着席したのを見計らったかのように食堂の扉が開き、朝食をトレーに乗せた使用人が入出する。
――ヴァネッサ達の事が気掛かりだが、いつまでも呆けてる場合じゃないな。
「……エリック殿下」
「うん?」
「俺はヴィラロボス辺境伯に挨拶をしていない。ナタリア嬢も居ないのに、勝手に館に上がって朝食を頂くのは失礼に当たらないか?」
「ヴィラロボス辺境伯夫妻は幽炎対策の現場でずっと指揮を執ってるから不在だよ! それにデミトリが朝食を食べられるように館に呼んだのはナタリアだから大丈夫」
辺境伯夫妻は不在なのか……幽氷の悪鬼亡き今、もう幽炎に襲われる心配はないので幽炎対策で行った作業の撤去の指示をしているのだろうか?
幽炎が発生してからその後処理が終わるまで、館に戻らずずっと現場で指示を出し続けているなら領主の鑑だな……もしかするとそんな領主夫妻との対比で、余計に避難した冒険者達に対するボルデの住民の評価が落ちてしまったのかもしれない。
「大体、幽氷の悪鬼討伐の立役者をヴィラロボス辺境伯が無下に扱うわけないよ」
「そうか……」
配膳を終え会釈した使用人が部屋を後にしてすぐ、エリック殿下がテーブルに置かれた籠からパンを一つ掴み取った。
並べられた銀製の食器からナイフを選び、上品な仕草でパンを切り開くと軽く湯気が上がり、香ばしい麦の香りがこちらにまで届いて来るがあまり食欲が湧かない。
「美味しい!」
籠の横に添えられていたジャム状の何かをパンに塗るまでは食器を使っていたが、準備が終わった後は切り分けたパンを手で掴み口に運んだ殿下を見ながらイバイがため息を吐く。
「行儀が悪いですよ、殿下」
「三人だけだからいいじゃん」
「全く……デミトリ殿、我々も頂きましょう」
「……ああ」
――――――――
軽めの朝食だったがヴァネッサ達の事を考えると喉を通らなかった。ほどほどに食べて紅茶を飲んでいると、それまで黙々と食べる事に集中していたエリック殿下に声を掛けられる。
「今日の予定は決まってるの?」
「ヴァネッサとセレーナと話すつもりだったんだが……それ以外は特に……」
「デミトリ殿の無事も伝わっているし、彼女達が少し時間を必要としているならそっとしておくのも手だと思うぞ?」
そっとしておく、か……。
「体調を崩しているなら見舞いに行きたかったが……イバイ殿の言う通りかもしれないな……」
「だったら、早速冒険者ギルドで依頼を請けちゃうのはどうかな?」
話し合いを済ませずに行動するつもりが無かったため、エリック殿下の提案に面食らってしまう。
「ずっとそりの個室に籠っているよりは建設的かもしれないが……何か理由があるのか?」
「さっき言った通り幽炎対策の後処理でヴィラロボス辺境伯夫妻が不在でしょ? 僕もボルデの現状を確認した王家の影に報告されただけだから現状は見てないけど、結構大掛かりな防衛機構の撤去だったりとにかく人手が必要みたいなんだ」
「人手不足か……イーロイも言っていたがボルデに滞在している冒険者が減っている分、本来ギルド側で労働依頼として処理出来ていたはずの作業も滞っている可能性が高いな」
イバイが飲んでいた紅茶のカップをテーブルに置いてこちらを見る。
「ギルドマスターのイーロイは遠慮していたが、本心ではデミトリ殿にすぐにでも協力してほしかったと思う」
「そうだね……デミトリ、これは個人としてだけじゃなくて、ヴィーダ王国を憂う一人の王族としてのお願いになっちゃうけど、もし他の予定が無いならデミトリの力をボルデに貸してほしいんだ」
「もちろんだ。何が出来るかは分からないが……取り敢えずこのあとボルデの冒険者ギルドを訪ねようと思う」
「ありがとう!」




