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第392話 発情バイクロップス

 ヒエロ山の麓に停めたそりの周辺で待機していた対策部隊員達は、幽氷の悪鬼討伐の報せに喜ぶ暇も無く突如として現れた二人の来訪者達……特にほぼ全裸で雪の上を闊歩する発情バイクロップスによって混乱へと陥れられた。


 バチン。


 ぎこちない動きで野営用の天幕の布を運びながら、そりの前に集まった俺達を通り過ぎようとしていた隊員が発情バイクロップスに尻を叩かれ、張り詰めていた空気が破裂したのかと疑う程軽快な音が辺りに響き渡る。


「良い筋肉ね! 誰かを守るために鍛えた男子の肉体は素敵よ!」 

「え!? あ、ありがとうございます……??」


 隊員が困惑している隙に、発情バイクロップスが隊員に片手を添えたままもう片方の手で隊員が抱えていた荷物を持ち上げた。必然的に荷物にしがみついていた隊員の背筋が伸びる。


「でも姿勢を正しく保たないとせっかく鍛えた筋肉の全量を発揮できないわよ? 怪我の原因にもなるからしゃんとしなさい!」

「は、はい!」

「オネエフィットネストレーナー……」

「ぶふっ!? げほっ」


 聞こえるか聞こえないかぎりぎりの声量で呟いたユウゴの発言に思わず吹き出してしまった。綺麗な姿勢で走り去って行った隊員を見送った発情バイクロップスが、咳込んでいる俺の方に振り向いた。


「さっきは驚かせちゃって悪かったわ! 野良のワイバーンに掴まって移動してたんだけど、言う事を聞いてくれなくて飛び降りるしかなかったの」


 野良のワイバーン……??


「改めて色々と話しましょう!」

「あ、あー……バイクロップス殿、二つ名では呼び辛いので、我々からも自己紹介させて頂くので名前を伺わせて頂けないだろうか」


 アルセがかなり慎重に言葉を選びながらそう提案すると、発情バイクロップスが元気良く答える。


「一介の冒険者相手にそんなに畏まる必要はないわ! 私の事はレオちゃんって呼んで頂戴!」

「レオ……殿、私はセヴィラ辺境伯家嫡男のアルセだ。エリック殿下より今回の幽炎対策の指揮を任されている」

「よろしくお願いするわ、アルセ様!」

「そしてこちらがガナディアの勇者のユウゴ殿だが……先程声を掛けていたが面識があるのだろうか……?」

「な、ないよ!?」

「黒髪黒眼の男の子だって知ってたから見分けがついただけよ! 髪の毛の色が暗めだから、一瞬この子が勇者かもって思ったけど……」


 ずいっとレオが俺の方に身を寄せて無意識に身構える。相変わらず満面の笑みを浮かべているが、凄味のある夕焼けの様な色をした瞳に覗き込まれ首筋がひりつく。


 空から落ちて来る規格外な登場をした時点で気づいていたが、相当な強者なのだろうと本能的に悟る。


「俺は……」


 ……今更だが、俺のこの場での立場は何なんだ? 


「デミトリさんは王家の勅命で動いています。我々王家の影がこの場に居るのも、幽炎の襲来に対抗するために行動するデミトリさんを補助する為です」

「そうだったのね!」


 言葉に詰まってしまったがカミールの助け舟のお陰でなんとかなった。納得した様子のレオがうんうんと頷く。


「民が困ってたらちゃんと人員を寄越すなんてヴィーダ王家は相変わらずね……感心しちゃうわ」

「……それは当たり前の事じゃないのか?」

「それを当たり前だと思えるってだけでヴィーダ国民は幸せ者よ。私は色々な国を旅して来たけど、そうじゃない国の方が多いくらいよ?」


 悲し気な表情で遠くを見つめてしまったレオは、今まで一体何を見て来たんだ?


「『ヴィーダ王家は冒険者に頼らなすぎだ、自国の兵力で問題解決する傾向が強いから商売上がったりだ』って、ぴーちくぱーちく愚痴を溢す冒険者も居るけど……国としてはそっちの方が健全よね。私はヴィーダ王国のそういう所、嫌いじゃないわ!」

「あ、ありがとう……?」


 どの立場で言葉を受け止めれば良いのか良く分からないため曖昧な返事になってしまった。容姿と行動の奇抜さに圧巻されてしまい色眼鏡を掛けて彼の事を評価していたが、意外と思慮深い人物なのかもしれない。


「早速だけど勇者ちゃん――」

「ユウゴです……!」

「あら、ごめんなさい。ユウちゃん」

「ぐっ……」


 俺の記憶が正しければ聖女と賢者から『ユウ君』と呼ばれていたが、他人に気安くそう呼ばれるのは抵抗があるのか?


「レオ殿、勇者殿の事はユウゴと呼んでやってくれないか?」

「不快にさせてしまったのならごめんなさいね、他意はなかったわ! ちゃん付けは、私なりに初対面の人と距離を縮める友好の証のつもりなの」

「そう、なんだ……えっと、ユウ君呼びされるの、苦手なんです」


 友人に許している愛称と言う訳ではなく、そう呼ばれる事自体が苦手なのか……?


「安心して!これから仲間になるのに嫌がる事を率先してやるような意地悪なんてしないわ。改めてよろしくね、ユウゴ!」

「よ、よろしくお願いします!」

「ありがとう、レオど――」


『私の事はレオちゃんって呼んで頂戴!』


 ユウゴの呼び方を訂正して貰っておいて、俺がレオの事をレオ殿と呼ぶのは筋が通らない気がするが、ちゃん付けか……。


「――レオ、ちゃん……」

「まぁ! まぁまぁまぁ、うふふ。幽氷の悪鬼なんて大層な二つ名を持ってるからどんな子なのか気になってたけど、存外やさしい子なのね! 私と同じで不本意な二つ名を付けられたのかしら?」

「そんな所だな」

「私の本名はレオンよ。愛称のレオって呼んでくれるだけでうれしいから、ちゃん付けじゃなくても全然気にしないわ」


 気付かぬ内にしれっと愛称で呼ばされていたのか……。


「……だが、ちゃん付けの方が好みだろう?」

「呼ばれたいからと言って他人に強要して良いものでもないでしょ? ふふ、本当に律義でちょっぴり損な性格をしてるのね。気を付けないと悪いお姉さんに捕まっちゃうわよ?」


 ()()()()()()か……俺は一切悪感情を抱いていないが、広義で言えば悪神を自称しているトリスティシアが当て嵌まるかもしれないな。


「もう間に合っているから大丈夫だ」

「あら!」

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