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第29話 魔法実験

 窓辺だけが赤く夕焼けに染められた薄暗い部屋の中で、先程まで振るっていた木剣を本棚に立て掛ける。ジステインとの会話後、早速食事時に部屋を訪れた給仕にお願いし手に入れたものだ。


 ――あれ以降、中々目線を合わせてくれないな……


 お願いした時、引いていた給仕の顔が印象深かった。


 引いていたのが鍛錬を娯楽と捉えている事に対してなのか、部屋の中で木剣であっても剣を振り回そうと考える非常識さに対してなのかは今となってはもう聞けそうにもない。


 ――それでも恥を忍んで頼んでよかった。


 ジステインと話してから既に三週間が経っている。その間ずっと鍛錬を出来ずにいたらと思うと身震いがする。傷が癒えたとは言え、療養中になまってしまった体をなんとかするのには想像以上に苦労した。


 ――やっと、本調子に近い状態まで回復できた。


 備え付けのシャワールームで汗を流し、ズボンだけ履いた状態で髪を手拭いで乾かす。寝室に移り、日が落ち切って暗闇に包まれた部屋に明かりを灯す。


 ――夕食までは、まだ少し時間があるな。


 テーブルの横の椅子に腰を掛け、栞を挟んでいた本に手を伸ばしたのと同時に扉が開いた。


「デミトリ君! ……風邪を引きますよ?」

「こんばんは、クリスチャンさん」


 クリスチャンの急な訪問にも流石に慣れてしまった。ぼさぼさの髪を揺らしながら我が物顔で部屋に入ったクリスチャンを横目に見ながら、事前にテーブルの上に置いておいていたチュニックを着る。


「準備ができたら早速実験をしますよ!」

「分かりました」


 ――あまり、期待はしないで欲しいんだが……


 クリスチャンととある実験をするハメになってしまった原因は、数日前の会話まで遡る





――――――――





「魔力を意図的に枯渇させたら回復魔法の治癒速度が上がるのか、ですか?」 

「先日魔力感知について色々と教えて頂いた時疑問に思ったんです。自身と他者の魔力は、基本的に混じりあわないんですよね?」

「その通りです」

「そして回復魔法を掛ける為には、相手の魔力に自身の魔力を浸透させる必要があると仰っていましたよね?」

「これまた、その通りです」

「であれば、回復魔法を掛ける相手の魔力が枯渇していたらどうなるのかなと思――」

「実験しましょう!」





――――――――





 テーブルの上に片手を乗せる。


「本当にやっても良いんですね?」

「治療して頂いた恩もありますし、ちゃんと治して頂けるのであればいくらでも協力します」

「ありがとうございます!」


 クリスチャンが目を輝かせながら、持ってきていた医療鞄のなかをがさがさと漁る。少しすると、その手には銀色の刃が輝く小型の医療用ナイフが握られていた。


 ――目がぎらついているが……いや、信じよう。


 敢えて呪われている疑いのある自分ではなく、普通に回復魔法が通る他の兵士に協力をお願いしたほうが良いのではと一応確認はした。


 クリスチャン曰くそうしたいのは山々だが、いつ不測の事態が発生しても対応できるように気を付けている仲間を実験台にするわけにはいかないと言われてしまった。


 ――俺は良いのか? と思わなかったと言えば嘘になるが、あんなに真剣に頼み込まれたら断れなかった……


『治癒術士の信条は日進月歩。仲間が生きて帰ることができる可能性を、少しでも上げられるかもしれない情報は調べずにはいられないのです』


 そう言ったクリスチャンの目は、決意に満ちていた。


「こちらの準備は出来ているので、いつでも大丈夫です。身体強化も自己治癒も発動していない素の状態です。体から魔力が漏れ出ないように、制御だけはしていますが」


 ストラーク大森林で過ごした成果なのか、魔力漏れの制御はもう意識をしていなくても常時行っている。


「分かりました、それでは失礼します」


 クリスチャンが、慎重にテーブルの上に置かれた俺の手の甲に医療用ナイフで切り傷を付ける。流石治癒術士と言うべきか、綺麗に真っすぐと手の甲の肌が裂けられたが痛みはほぼなかった。


「治療します」


 医療用ナイフに付いた血を丁寧に拭き取り横に置き、クリスチャンが回復魔法を発動する。手の甲についていた切り傷は、見る見るうちに塞がっていく。


「やっぱり、遅いですね」

「十分早いと思うんですが……」


 不満げにそう言いながら、クリスチャンがノートに検証結果を書き込んでいく。


「次は、身体強化だけ発動します」

「お願いします」


 先程と同じように、クリスチャンが俺の手の甲に傷をつけようとしているが苦戦している。ぎこぎこと医療用ナイフを前後させ、皮膚が引っ張られる。


「刃が通りません……」

「そんなはずはないと思うんですが……」


 ――そんな超人じみた芸当が出来ていれば、グラードフ領であんなに死にかけない。


 身体強化のおかげで肌の強度が上がっているのは事実だ、恐らく先程と同じ深さの傷を付けるための力加減に手古摺っているのだろう。


「ちょっと検証の条件が変わってしまいますが、切り傷を付けてから身体強化を発動しましょうか?」

「そうして頂けると助かります」


 実験を続行する。今回は、先程よりも切り傷が塞がるまで少し時間が掛かった。


「仮説通り、回復魔法の通りが悪くなっている。デミトリ君が特別な例なのか? 特別じゃないと仮定して、負傷した兵士達は治療を受ける際身体強化を発動しているだろうか? 重傷を負った兵士は発動していない可能性が高いが、軽傷を負った兵士については個別に聞き取りを――」


 物凄い早口で独り言をしながら、ノートを纏めるクリスチャンを待つ。

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― 新着の感想 ―
デミトリはんの戦闘基準が下の下だったら、仮想敵国はそれ以上だとわかるのかな?
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