第290話 医務室と再会
記憶が繋がりハルピュイアという単語を呟いた瞬間、まるで時が止まったようにベルナルドが硬直した。何事かと身構えた直後、途轍もない魔力の揺らぎがベルナルドから発せられる。
「俺は悪くない……俺のせいじゃ……うわぁああああ!!!!」
錯乱状態のベルナルドが放ったのは石魔法の雨だった。
小石程度の大きさの大量の土魔法の塊が、俺だけでなく修練場の傍に寄っていた生徒達まで巻き込みながら降り注ぐ。
「クソ!!」
「「「「うわああああああああああ!!!!!!」」」」
身体強化を発動して自身の身を守りながら、魔法攻撃を受けて狂乱状態の生徒達を氷の半球で覆った。氷の障壁は度重なる土魔法の殴打によって所々罅が入ったものの、なんとか割れずに持ち堪えてくれた。
「あああああああああああ!!!!!!」
魔力暴走を引き起こしたのか叫び続けるベルナルドは一向に魔法を止める気配が無い。
生徒達と違い身体強化だけで土魔法の礫に晒されている頭から、当たり所が悪かったのかだらりと血が垂れ落ち左目の視界を奪われる。
「いい加減にしろ!!!!」
腕を交差して頭を守りながら石の雨の中ベルナルドの元へと突き進み、彼の腹に渾身の蹴りを入れた。くの字に曲がったベルナルドの体が修練場の地面に到達するのと同時に、石の雨がようやく止む。
沈黙したベルナルドが動かないのを確認し、事態が収束したことを悟って体から力が抜けていく。
「デミトリ!!」
地面に膝をつくのと同時に背後からエリック殿下の叫び声が聞こえて来る。できれば無事を伝えるために立ち上がって応えたかったが、想像以上に無理をしてしまったのか体が言う事を聞いてくれない。
「くっ……!!」
そのまま修練場に倒れてしまいそうだったが、『両者戦闘不能になったので引き分けだ』とクリスチャンに後から騒がれたら面倒だ。意地と根性だけでなんとか膝をついた姿勢を維持していると、誰かに掴まれ体を持ち上げられる。
ぼやける視界の中横を見ると、アルセが俺の腕を取って肩を貸してくれていた。
「エリック殿下、デミトリ殿を医務室まで連れて行きます!」
「ありがとう!」
「すま、ない……」
アルセの助けを得ながらゆっくりと修練場から出て校舎に向けて歩く。氷の半球の中に放心状態の生徒達が見えるが、誰も大きな怪我をしている様子が無い事に安心する。
「デミトリさん!!」
「デジレ先生。この件については後ほど正式にヴィーダ王家として学園とアムール王家に抗議させて頂きます。今はデミトリの治療を急ぐので道を空けてください」
「……! 分かりました」
エリック殿下の毅然とした対応に、対面していたデジレ教諭よりもその背後に居たクリスチャンの方が動揺していた。こんな惨事を引き起こしておいて、第一王子だからと言って無罪放免にはならないと察したのだろうか……。
牛歩の歩みで校舎に辿り着き、一階の廊下を進んで行く。
「まったく、模擬戦を強要した癖に救護班の手配もしていないとは……!!」
アルセが怒り心頭な様子でクリスチャンを非難しているが、全くその通りだと思う。真剣を使って武器も魔法も無制限の模擬戦なんて怪我人が出ないはずが無い。彼は一体何を考えていたんだ?
「デミトリ殿、後もう少しの辛抱だ。医務室はすぐそこだ」
「僕、先生に事情を話して来るね!」
エリック殿下が廊下の少し先にある部屋に駆け込んだので、本当に医務室はすぐそこのようだ。血を流し過ぎたのか力が入らなくなってきた足を無理やり動かしながらなんとか前へと進む。
――アムールに来るまでにポーションを使いすぎたな……中級ポーションはギルドで買えるはずだが、薬屋を見つけて品質の高いポーションを補充しなければ……
朦朧とした意識の中呑気に考え事をしていると、視界が徐々に暗くなっていく。寝台の上に寝かせられた事で、初めて医務室に到着した事に気付いた。
「事情は分かったわ。治療をするから二人は外してくれないかしら?」
「でも――」
「心配しなくても大丈夫よ。しっかり治してあげるから、放課後になったら迎えに来てあげなさい」
誰かに頭を撫でられ、聞こえてくる会話がどんどん遠ざかって行く。気づけば何も聞こえず、暗闇の中で完全に意識を手放した。
――――――――
「ここは……」
「ゆっくり休めたかしら?」
「あ―― ぁ!? トリス、ティシアちゃん!?」
「久しぶり、デミトリ」
見慣れたドレス姿ではなく、白衣と必要が無いはずの眼鏡を着用したトリスティシアが、寝台の端で足を組みながら座っている。
「ティシアちゃんが、どうしてここに……!?」
「ふふ、愛称で呼んでくれるのはうれしいけど他の生徒達が居る前ではモネ先生って呼んでね」
悪戯っぽい笑みを浮かべながらウィンクするトリスティシアに、状況が飲み込めずどう反応すればいいのか分からない。
「そんな事より――」
神であるトリスティシアがアムール王立学園で養護教諭として働いているのは、『そんな事より』の一言で片づけていい事ではないのだが……。
「――どうしてあんな怪我をしてたの? 私が少し目を離した隙に……困った子ね」
されるがままの状態で頭を撫でられながら、混乱している思考を何とか落ち着かせて絞り出した言葉は……曖昧で意味の成していないものだった。
「ヴィーダを出てから色々……本当に、色々あったんだ……」
「色々あったのね? アムールは国柄がおかしいから大変だったでしょ?」
神の視点から見てもおかしいのか……。




