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第215話 寄り道

「逃げても良い……」


 独り言のようにそう呟きながら俯いてしまったナタリアを横目にヴァネッサに小声で耳打ちする。


「勢いでああ言ってしまったが、そう簡単な話じゃ――」

「外野の私達が無責任な事を言っていい問題じゃないのは分かってるよ?」


 先程まで聞いていた限りでは投げやり気味に発言していた様に聞こえたが、ヴァネッサの声色の変化に驚く。


「ナタリアさん、かなり追い詰められて思考が狭まってたから……あれ位極端な事を言わないと思考が堂々巡りになると思って……」


 ――そういう事か……かなりの荒療治だが……


 ヴァネッサの言いたい事は分からなくもない。実際は逃げないにしても、最悪逃げるという選択肢があると思えれば心の余裕を取り戻せるは可能性はある。


 ――それにしても不可解だな……


 一時は憧れていた相手に対してこれほどの反応を示す理由が何なのか気にならないと言えば嘘になる。


 ――宰相令息のリカルドが婚約者に選んだだけでなく、殿下が俺達を任せられると考えた様な方だ。余程の理由がなければ俺達の前でこんなに取り乱さないだろう。


 単純な性格の不一致が原因だけではなさそうだが、その理由は推し量れない。


 ――あまり深く踏み込まない方が良さそうだな……


 変わらず独り言のように呟くナタリアから視線を外し、焚火を見つめる。


 吹き止まない風が木々の隙間を縫い、焚火の薪がバチバチと爆ぜる音しか聞こえない森の中。沈黙が続き、とうとう完全に日が暮れてしまった。


 月明かりに肌が晒されないよう上着のフードを深く被り、手をズボンのポケットに隠す。


「ナタリア様!! お待たせいたしました!!」

「……到着したみたいですね」


 ボルデの街から派遣された使い達が、焚火を囲んでいた空地に入ってくる。


「森の際に馬車を停めています!」 

「ご苦労様ですレイリー……行きましょう」


 ――ナタリアが名前を読んだと言う事は、顔見知りか……


 現れた人間に敵意がない事が分かり安心しながら、ヴァネッサと共にナタリア達の後を追う。


「デミトリさん、ヴァネッサさん……一つお願いをしてもよろしいでしょうか」


 こちらに振り向かず、ナタリアが問いかけて来た。


「馬車に乗ったらそのままボルデを迂回してアムールに一直線に向かいます」

「事前にそう説明されていたが……?」

「……途中で一か所だけ、寄り道をしても良いですか……?」


 振り返ったナタリアの物悲しい表情を見て、戸惑い言葉を失ってしまった。


「わ、私は良いよ? デミトリは?」

「……俺も構わない」

「ありがとうございます……」


 おじぎをしたナタリアが、少し歩く速度を上げて迎えに来た使いに何かを耳打つ。


 ――咄嗟にああ答えてしまったが、実際の所少し寄り道をした所で問題ないだろう……


 なるべく早くアムールへ向かう事が目的だが、ガナディアの使節団はまだ城塞都市エスペランザにも到着していないはずだ。


 森を後にしてしばらく歩いた場所に、メリシアでブレアド平原へ向かう時頻繁に利用していた定期馬車と良く似た馬車が一台停まっていた。


 迎えに来たレイリーにエスコートされながらナタリアが馬車に乗り込み、後に続く形で馬車の屋形に入る。乗りやすいようにヴァネッサの手を引き馬車の中へと迎え入れると、レイリーが扉を閉めてくれた。


「出してください、レイリー」

「承知致しました!」


 ゆっくりと動き出した馬車の窓を眺めながら、ナタリアが深く息を吐いた。


「寄り道はどこに行くんですか?」

「そうですね……どこかに行くと言うよりも、道すがら少しだけ停車すると言った方が正しかったかもしれません」


 申し訳なさそうに眉を八の字に曲げたナタリアが、ヴァネッサの問いに答える。


「アムールの国境まで、それこそヒエロ山を通り過ぎる位で他には何も無いと聞いているが――」

「まさしくそのヒエロ山の麓で停車したいんです……追悼碑に手を合わせたくて……」

「「追悼碑……?」」


 俺とヴァネッサの問いにナタリアが俯く。


「幽氷の悪鬼は神出鬼没ながら……現れる際は必ずボルデの街を目指し、歩んだ道に破壊と死を残していきます。ヴィラロボス領の戦士は、その命を捧げて民の平穏を守ってきました……」


 ――幽氷の悪鬼と戦った者達を追悼しているのか……


「わがままを申してしまい申し訳ありません。傍を通るので、祈りたくて……」

「気にしないでくれ。その申し出を拒否するほど俺達も無粋ではない」


 素直な気持ちを伝えると、花開くようにナタリアが微笑む。


「ありがとうございます。そう言って頂けると助かりますわ……」


 ――異名を持つほど強力な化け物……しかも討伐されていないと言う事はそれだけ危険と言う事か……


 今更ながら、そんな化け物にちなんだ二つ名を付けられたが俺程度の実力では名前負けしていると思う。


「到着しました!」


 ナタリアの言っていた記念碑の前で馬車が泊まり、俺とヴァネッサも降りようとしたがそこまで気を遣わせるわけにはいかないとナタリアに固辞されてしまった。


 開いた馬車の屋形の扉から、記念碑の前で屈み手を合わせるナタリアをヴァネッサと共に見守る。


 しばらくすると静かに祈っていたナタリア肩を不規則に上下させ、押し殺したような涙声が聞こえて来た。


「お兄様……どうして……」


 聞いてはいけないと思いヴァネッサと共に素早く馬車の扉から身を引き、座席に体を寄せた。


 ――家族を失くしたのか……


 ヴィラロボス家は辺境伯家として、当然ながら国境だけでなく領民を守る責任がある。


 領地を脅かす異名持ちの怪物が居るのであれば、ナタリアの親族が領民を守るために戦い犠牲になっていてもおかしくない。


 ――幽氷の悪鬼、か……

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― 新着の感想 ―
さすがヴァネッサだなぁ。こういう気遣いはなかなか出来るものじゃない。
これは、兄の死因に宰相かリカルドがなんらか係わっていることがリカルドの何気ない話から・・・などと要らん妄想するより、デミトリの呪いまみれの数奇な冒険が早く読みたい
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