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第213話 スエルの森

「寒いね」

「着こんで来たのは正解だったな」


 転移魔法の光が治まるのと同時に乾いた冷風に晒され、衣類の隙間から忍び込んだ冷気に体熱を奪われていく。


 俺とヴァネッサが慣れない寒さに凍え急いで衣服の襟や袖を閉める横で、ナタリアは白い息を吐きながら平然と遠方の氷山を静かに眺めながら呟いた。


「予定通り城塞都市ボルデ近郊のスエルの森に転移したみたいですね。迎えが来るまでの間、焚火で暖を取りましょう」

「分かった、準備を進めるからナタリア様とヴァネッサは風を避けてくれ」


 ヴァネッサ達が近くの木の下で見守る中、収納鞄から事前に渡されていた薪用の薪を取り出し適当に並べて行く。積み上げた薪の周辺に転がっていた石で囲み終え、乾いた薪をヴァネッサが火魔法ですぐに点火したもののそう易々と暖を取る事は出来なかった。


 風の影響で風上は全く暖を取れず、風下は耐え難い暑さの熱風が風に拾われ吹き荒れる。出来損ないの焚火を前になんとかしようと四苦八苦していると、ナタリアが唐突に魔法を発動させた。


「風魔法で周囲に空気の膜を張りました。今の内に残りの薪を風上においてくださいませ」

「分かった」


 ナタリアの指示通り風上に薪を積み上げ、風除けとしての機能をより確実なものにするために収納鞄に仕舞っていた天幕の布を被せ四隅に重しの石を乗せた。


「これなら問題はなさそうですわね」


 及第点の評価を貰えたのかナタリアが風魔法を解除し、三人で風除けを背にしながら焚火を囲む。ぱちぱちと音を立てながら燃え盛る炎の熱が冷え切った頬を撫でる中、寄り添うようにヴァネッサと地面に座り込んだ。


「……殿下は伝書鷹を出したと言っていたが――」

「ボルデから使いが来るのは、日が暮れてからになると思います」


 乾いた空気と同じ位熱を帯びていない抑揚のない声でナタリアがそう答えると、俺とヴァネッサから程遠い位置でしゃがんで焚火を見つめ出した。


「挨拶もろくにできずにいたが、急な依頼だっただろう? 同行してくれて感謝する」

「……王名に従い臣下の任を全うしているだけです。わざわざ感謝して頂くのは恐れ多いですわ」


 ――取り付く島もないというのはこういう事を言うんだろうな……


 慇懃無礼とまでは言わないがナタリアの態度にはこちらに対して一定の壁を感じる。茶会の件もあるので、殿下と近しい間柄の得体の知れない危険人物に対する接し方としては間違っていないのかもしれないが……


 ――手はず通り進めばこのままボルデを素通りしてアムールに向かい、入国を果たしたらベルガモの街で別れる予定だ。必要以上に親交を深める必要も無いか……


「私もまだご挨拶をできてませんでした。よろしくお願いします、ヴァネッサです」


 相手が一線を引いて接してくるのであれば無理に話す必要も無いと勝手に自己完結していた矢先、少し険のある声色でヴァネッサがナタリアに自己紹介した。


「……よろしくお願い致します。改めて、ヴィラロボス辺境伯家のナタリアです」

「えっと、さっき聞いてどうしても伝えたいと思ったんですけどご婚約おめでとうございます!」


 今までも彫刻の様に固い表情しか浮かべていなかったナタリアの顔が完全に硬直してしまい、無邪気を装いながらそう言い放ったヴァネッサの腕を軽く肘で突く。


「ヴァネッサ……!」


 視線をヴァネッサの方に移すと、こちらと目を合わせずジト目でナタリアを見つめながらヴァネッサが身を寄せてきた。


「……共通の話題がなかったから、社交辞令を言っただけだよ?」

「分かってて言っているだろう……」


 瞬時に俺がトリスティシアにした願いの不備に気づける位ヴァネッサは頭の回転が速いだけでなく観察眼が優れている。リカルドとのやり取りを見た上で、ナタリアが彼との婚約に関して思う所があるのに気づいていないはずがない。


「……ありがとう……ございます」


 案の定眉間にしわを寄せながらナタリアがヴァネッサに返答した後黙り込んでしまった。居た堪れない空気に耐えきれず、何とか話題を変えようと無い頭を捻る。


「あー、俺はヴィラロボス領についてもアムールについても詳しくは知らないんだが……そうだな、北部に位置するドルミル村の様な集落は時折アッシュ・ワイバーンに脅かされると聞いた。ボルデに程近いこの森でアッシュ・ワイバーンに遭遇するとは考えにくいが、後学のためにヴィラロボス領で出る魔物について教えてくれないか?」


 苦し紛れで話題を変えようとしたが、話せば話すほどナタリアの顔が青ざめて行く。


 ――何か不味い事でも聞いたのか……?


「申し訳ありませんでした!!」


 直角に頭を下げたナタリアの姿にヴァネッサと顔を見合わせる。


「言い訳にしかなりませんが、まさか不意に呟いた名があなたの二つ名になるなんて考えてもいませんでした!」

「二つ名……? あー、いや、そういうつもりは……」


 確かあの二つ名の由来はヴィラロボス領に出現する怪物にちなんだもののはずだ。嫌味のつもりで言ったわけではないが、追及されたと勘違いしたナタリアが恐縮しきっている。


「幽氷の悪鬼の事? ナタリアさんが付けた名前なの?」


 ヴァネッサは単純に好奇心から聞いた様だが、彼女の発言を聞き地面に頭を擦り付ける勢いでナタリアが頭を下げた。


「すみません、わざとじゃないんです!!」

「ナタリア様。気にして……ないから頭を上げてくれ」


 それなりに気にしてはいたが、収拾が付かなくなる前に事態を収束させるために気持ちを吞み込む。


「先程の発言も嫌味で言ったのではなく、俺なりに話題を提供しようとして失敗しただけだ……」

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