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閑話 幽氷の悪鬼

 突如として戦場と化したアルケイド公爵邸の庭園で息を殺しながら戦闘の行く末を見守り初めて早数分。


 グローリア様からアルケイド公爵邸のお茶会へのご招待頂き浮かれていた頃の私に、叶わぬ事と理解しながら絶対に参加してはならないと伝えたい気持ちが胸に溢れる。


「怖い……」


 震えながらこちらに縋るファティマを安心させるために、背中を摩ろうとするものの体の動きがぎこちない。彼女と同じ位か……それ以上にこの状況に私は恐怖している。


「デミトリ殿! 剣は――」

「要らない! イヴァンとカルロスは引き続き殿下とアルケイド公爵令嬢を守ってくれ、こいつらは俺に任せろ!」 

「私達も守って――」

「動くな!」


 助けを求めたメネンデス家の令嬢を襲った不届き者に放たれた魔法は、そのまま私達が蹲っているテーブルを凄まじい速度で通り過ぎて公爵邸の塀に爆音と共に減り込んだ。


 ――あの一瞬で放った水魔法が、岩を……


 水球が着弾して穿たれた穴から、水と塀の一部と思われる破片が勢い良く流れ出ている。私自身水属性の魔法を使うから分かる……あの魔法の威力と発生速度は異常だ。


 ――あれが私達に向けられたら……!?


 他家の令息令嬢達も言葉にしないだけで気持ちは同じはず。着席したままテーブルを囲む招待客達を見渡すと、一部を除いて全員が体をできるだけ小さくなるように丸めながら自分が標的にならないことを祈りながら息を殺している。


 ――……心が折れていないのは、アルフォンソ殿下とペラルタ様位かしら……


 なぜ公爵家の人間が殿下を襲うのか?

 なぜ私達も巻き込まれなければいけないのか?

 なぜ王家にも公爵家にも縁もゆかりもないはずの亡命者が、殿下と対等に話して戦っているのか?


 何も分からない。分からないことが怖い。


 早くこの悪夢が終わって欲しい一心で目を閉じたい。けれど何が起こっているのか見えないのは余計に怖い。


 ――当たり前だけど、殿下の護衛もあの男も数の暴力で劣勢を強いられているわ……彼等が倒れ、殿下が命を落としたら……


「ナタリア……! に、逃げよう!」

「馬鹿な事を仰らないで――」

「でも……!」


 ファティマは小声でつぶやいているつもりかもしれない。けれども不安と焦燥混じりの声は良く響き、招待客達に動揺が走ったのが分かる。


 ——私も逃げられるのであれば逃げたい……!


「……私達が生かされているのは、襲撃者にも殿下の護衛達にとってもその方が都合が良いからなのよ?」

「えっ……?」

「あの男はアルケイド公爵家の魔剣士相手に五対一で善戦してるのよ? 仮に……私達を巻き添えにしても構わないと判断して暴れれば殿下とグローリア様を救えると思うわ……」

「そんな!」

「それをしないのは……恐らく私達を守るためじゃないわ。犠牲を最低限に押さえて欲しいとでも殿下に言われてるんじゃないかしら……? 賊が私達を狙わないのも恐らくあの男の行動を制限するためよ……」

「よく状況が見えてますね、ナタリア嬢」

「ペラルタ様……!」


 いつの間にかペラルタ様がしゃがみながら私の横に居た。先程も思ったけど、彼は殿下同様この状況に絶望していない。


「ファティマ嬢。さっきメネンデス家の令嬢がテーブルを離れた時何が起こったか見てましたよね? 下手に動くと命取りです、気持ちは分かりますが耐えましょう」

「……はい……」


 ペラルタ様のお声がけでファティマと私が冷静さを取り戻したのもつかの間。亡命者が悍ましい程強力な魔力の揺らぎを放ち始め、対峙している兵士達だけでなく招待客の間にも緊張が走る。


 ――一体何を


「ひっ……!?」


 魔法を放つと宣言したあの男が、走り出したかと思うと無抵抗の襲撃者の命を刈り取った。幾ら罪人と言えど、人としてあるまじき行為に一瞬恐怖を上回る義憤で心が満たされた。


 ――なんて事を――


「――――――――!!!!」

「なぜここにモータル・シェイドが!?」

「「「「いやああああああ!!」」」」

「悪魔だ!!!!」

「死にたくないぃ!!!」 


 周囲から悲鳴が上がる中、亡命者の水魔法に埋もれた死体から闇を凝縮したかのようなおどろおどろしい死霊が産み落とされた事実に私は思考が停止した。


 先程まで心を満たしていたはずの怒りが、再び恐怖に塗りつぶされていく。 


 ーーあ、あれは人が扱ってもいい力ではないですわ……!


 心のどこかで死ぬ事はないだろうと楽観視していたのかもしれない。這い寄る死の予感が、自分の力の無さを再認識させ冷やかな汗が頬を伝う。


 あの禍々しい魔力の揺らぎは純粋な魔力ではない。確証は持てないけど魂が私にそう訴えている。


 亡命者が腕を掲げ、悍ましい気配の混じった濁流が彼の両手から放たれた。瞬く間に魔法が逃げ惑う襲撃者達を捕らえると、まるで意志があるかのように水が集結してゆき庭園に場違いな直径三メートル程の水球が現れた。


 水の檻に囚われた襲撃者達は、悲鳴と思われる気泡を散らしながら逃れようと必死に藻掻いてる。幼い頃、泳げない弟が遊覧船から落ちて水面下で必死に手足をばたつかせていた姿と重なり心が鉛のように重くなる。


 ――何をするつもりなの……?


「……生かしておいた方がいいか?」

「安全を確保してグローリアを治療する事が最優先だ! どうせ捕らえても情報を引き出す前に自害するだろうから始末してくれ!」

「……!?」


 突如として赤黒く染まった水球からは、最早襲撃者達のくぐもった声が聞こえてこない。


 放心状態で公爵家の庭園には不釣り合いな巨大な血の塊を眺めていると、信じられないことに凍ってしまった。氷血の塊が地面に落ち、轟音と共に地面が揺れテーブルの上のカトラリーが音を鳴らした。


 ――死霊と氷を操る……化け物……


「幽氷の……悪鬼……」

「……ナタリア嬢は北部の出身でしたね。幽氷の悪鬼とは、言い得て妙です」


 故郷のヴィラロボス領の氷山に潜み、死霊を従えながら時折人里に降り立っては甚大な被害を出し続ける神出鬼没の魔物。あの男は、その化身と呼んでも過言ではない。


「味方……なんですわよね……?」

「聡明なナタリア嬢ならもう答えは出ていますよね? 彼が形振り構わず暴れていたらと思うとぞっとします。話してみた所面白い思考の持ち主みたいなので、これを機に是非親交を深めたいですね!」


 この惨状を目の当たりにしながら白い歯を見せそう言い切ったペラルタ様に、密かに抱いていた恋心が急激に冷めていく。


 ――……私は、金輪際、関わりたくないですわ……!!

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― 新着の感想 ―
触らぬ神に祟りなしだね。 よさげな二つ名「幽氷の悪鬼」うん「変身のデミトリ」にならなくて良かった?
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