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第103話 月の書

「俺も魔法については独学だが、基本的な使い方は分かっている。魔力を制御した上で、操作して体外に放出し、魔法に変換するのが通常の魔法だ。さっきヴァネッサがやっていた火の魔法が分かりやすい例だな」

「なんとなく理屈は分かります……」

「逆にヴァネッサの魅了魔法は、魔力自体が魅了の性質を持っているから変換せずに魔力を体外に放出するだけで効果を発揮しているんじゃないか? 酒場では魔法が暴走していると勘違いしていたが、魔力暴走だったのであれば魔力制御の精度さえ上げれば防ぎやすくなる。無意識に体から漏れ出す魔力も、魔力を完全に制御してしまえばいい。魔力制御の精度が上がれば、不意に周囲を魅了してしまう心配もなくなると思う」

「そんなこと……できるんですか?」

「絶対に出来ると断言できる、火魔法を使えるなら基礎はもう掴んでいるはずだ。俺は最近まで魔法を使えなかったから、身体強化と自己治癒を最大限活用できるように魔力の制御と操作の鍛錬ばかりしていたから助言もできる」


 本来であれば断言なんてしない方が良いのかもしれないが、ヴァネッサを安心させる為に敢えて言い切る。今の彼女に必要なのは、何よりも精神の安定だ。


 ――俺も人のことを言えないが、精神の乱れは魔力の乱れに直結するからな……


 少しだけ肩の荷が降りた様子のヴァネッサが、ソファの背もたれに背中を預けた。取り敢えずは大丈夫そうだ。 


 ――月の女神か……


 再び訪れた静寂の中で、ずっと引っ掛かっていた事について思考を巡らせる。


 ――あの月の焼き印が施されていた不思議な本……ヴァシアの森から持ってきてしまったが、もしかして月神と関係があるのか?


 収納鞄に手を伸ばし、久しぶりにあの不思議な本を確認する。予想通りメドウ・トロル、タスク・ボアに加えて死体剥ぎに関する記載が増えていた。


 ――相変わらず、倒した後に読んでも仕方のない情報ばかりだな。


 ざっと内容を確認してから、本を閉じる。そのまま、横に座っているヴァネッサに本を差し出した。


「これは?」

「たまたま見つけた……不思議な本だ。月の焼き印が施されているから、月の女神にまつわる物かもしれないと思ったんだが……ヴァネッサは何か知ってたりしないか?」


 ヴァネッサが本を受け取り、表紙を確認する。


「あまり、ぴんと来ないですね……」


 そのまま本を開いて、ぱらぱらと白紙の頁を捲って行く。


「何も書いて――」


 横から見ていて、自分が開いた時は本の冒頭にあったはずの倒した相手の記載がない事を不思議に思っていると、ヴァネッサが最後の頁で手を止め本を凝視した。


「大丈夫か?」

「……デミトリ、この本は燃やしましょう」

「急に、どうしたんだ?」


 気になりヴァネッサが見ている頁を確認しようと身を寄せた瞬間、本を勢いよく閉じて両手で抱えながらヴァネッサが身を遠ざけた。


「見ちゃだめです!!」


 尋常じゃない様子のヴァネッサの気迫に押され、身を引く。


「……すまない、何を見たのか分からないが、説明してくれないか?」

「デミトリは……デミトリが見た時は本に何か書いてありましたか?」

「今まで、倒した……いや、正確に言うと殺した相手の情報が書いてあった」

「やっぱり……」


 そのまま立ち上がり、ヴァネッサがソファから距離を置く。


「この悪趣味な本は、燃やさないとだめです。デミトリも、絶対にもう中を見ないでください」

「そこまで言うならもう中を見ない。厳密に言うと俺の持ち物じゃないから、持ち主に確認を取ってから処分したいんだが……」


 ――そもそも、あの小屋にあった時点で多分あの本はジステインの持ち物だ。なぜ、俺は持ってきてしまったんだ?


「分かりました。それまで私が月の書を預かります」

「月の書……?」

「この本の名前です。月神の加護を持っている人向けに、最後の頁にこの本がなんなのか説明が書かれてました」


 ――やっぱり、月神に関連する本だったか……


「……ちなみに、どういう本なんだ?」

「狂気に導く軌跡の書、月に照らされた事実が所有者を深淵へと誘う……」

「……意味は良く分からないが、なんとなく危険なのは伝わってくるな」

「難しい言い回しが多いのに、多分ですけど……加護の影響で直感で理解できました。この本の頁を埋めれば埋めるほど、所有者は狂気に囚われます」


 ――神々は何がしたいんだ……


「……碌でもない本なのは分かった、そんなに危険な物なら燃やそう。持ち主は、説明すれば理解してくれると思う」

「よかった……」


 見るからに安堵している様子から、ヴァネッサは俺が本に執着していないか心配だったのかもしれない。それ程危険な本なら、ジステインの許可を得ていなくても処分したほうがよさそうだ。


 ――そもそもジステインは、あの小屋にこの本があった事を知っていたのだろうか……?


「今すぐ燃やしましょう!」

「分かった、確か宿の裏庭に焼却炉があったはずだ。店主に相談してみよう」


 ヴァネッサと一緒に部屋を出て、受付に向かう階段を降りている途中聞き覚えのある叫び声がした。


「だから、デニスさんに会わせてください!!!!」


 手を挙げてヴァネッサに止まってもらい、一階と二階を繋ぐ階段の踊り場で聞き耳を立てた。


「何回も言うけど、うちにはデニスってお客様は泊まっていないよ」

「嘘を付かないでください!! いい加減にしないと後悔させますよ!」

「そんなことを言われても、困るんだけども……」


 ――なぜ、セイジが俺に会いたいんだ……


 踊り場から身を寄り出して、ヴァネッサが受付の方を覗く。


「もしかして……」

「ああ、あれがセイジだ」

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