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第9話 思わぬ先客

 ブチブチブチブチッ――


 ガン


「……ぐっ!!!!」


 とうとう限界を迎えた糸が一気に切れていき、放心状態のまま身構える事も出来ず背中から地面に落ちた。


 それなりの勢いで地面に落ちたが、幸いな事に巻きついていた糸がクッションの役割を果たし大きな怪我は負わなかった。


 ――とにかくこの場を離れないと!


 今世何度目になるのか分からない自己治癒を行い、身体に大きな異常がない事を確認してから即座に起き上がろうとすると背中側に強い抵抗感を感じる。


 背中から落下したせいで、自分の身体の背面に巻きついていた糸が地面にも粘着してしまったようだ。


 落下するほど糸が柔らかくなっていたので楽に抜け出せるかもしれない、ほんの少しだけそう期待していたがその期待は見事に裏切られた。


 ――やるしかないな。


 息を整えながら、糸を剥がすために身体強化を発動する準備をする。


 魔力の制御を失敗して糸がまた固まってしまったら、今度は地面に縫いつけられた状態でまた魔力が糸から抜けるのを待つ事になる。そんな状態で、あの化け物がまた現れた場合……


 ――余計なことは考えないで、集中しろ!


 逃亡を開始してから一体どれだけの時間が経ったのかは分からない。ただ集中を妨げている疲労感は、決して短くない時間が経っていることを証明している。


 額に汗を浮かばせながら、人生二度目となる魔力漏れの制御と身体強化の同時発動を開始した。


 まずはゆっくりと両腕を引き剥がし、糸が再び硬質化していないことを確認する。続いて、羽織っていた外套を固定する金具を取り外す。


 そのまま起き上がろうとするが後頭部に巻きついた糸が音を立てながら髪を千切り始めたため一旦中断する。


 ――無理やり行ってもいいが、勢いに任せたら頭皮ごと持っていかれかねない。


 背中と外套の間に収まっていたことで糸に絡まずに済んだ鞄から手こずりながらナイフを取り出し、糸と後頭部の間に刃を滑り込ませながら髪を刈り上げて頭を解放する。頭が解放された段階で、上半身を一気に起こし首に巻きついた糸を剥がした。


 外套の上に座りながら両足を固定された状態ではあるが、ようやく起き上がることに成功した。


 腕と同じ要領で足を解放し、地面に糸で固定されたままの外套の上で胡坐をかきながら装備を確認する。幸いなことに長剣も鞄同様外套のおかげで糸に絡まずに済んだ様だ。


 ――……移動しよう。


 いつあの化け物が戻ってくるか分からない。装備の確認も早々に終え、外套の上で立ち上がる。地面の苔が発する僅かな光だけを頼りに、一メートル程先には糸がない事を確認してから外套の上から飛び移った。





――――――――





 糸から解放された後、周囲を軽く確認してすぐさまその場を後にした。


 自分が落ちていたのは半径十五メートル程の楕円形の空間で、空間から外へと続く道は一つだけだった。必然的に今進んでいる道の先にあの化け物が消えて行ったことになる。


 ――あの行き止まりに留るよりも地下から抜け出す道を探した方が生存率が上がる……そのはずだ。


 気は進まなかったが、そう自分に言い聞かせながら歩を進めた。


 あの空間は想像した通り蜘蛛の巣だった。予想に反していたのは巣の主がすでに死んでいた事。宙吊りにされていた位置からは見えていなかったが、空間の隅に何かに食い荒らされた巨大な蜘蛛の死骸が転がっていた。


 ――あの大きさの蜘蛛型の魔獣、ストラーク大森林でも目撃例があるのはクリプト・ウィーバー位だ。それをあんな惨い殺し方の出来る魔物が、なんでこんなところに……


 蓄積された疲労で体力が底を尽きそうなため気付け薬代わりにイワンから拝借した貴重なポーションを飲みながら、先程まで自分を恐怖に陥れていた化け物について考察する。


 ストラーク大森林に生息する魔物についてはそれなりの知識を持っている。遠征で斥候を任せる以上、知識がなければ俺が死ぬだけでなく領軍にも被害が出かねないと父は考えたのだろう。


 積極的に教えて貰う様な事はなかったが、ストラーク大森林に生息する主な魔物やその分布と生態に関する資料を渡され一通り覚えさせられた。


 だがあんな化け物は知らない。


 ――姿形の異様さもそうだが、姿を完全に消せる能力なんて聞いたことがない。


 魔物の中には人間と同じ様に魔法が使えるものが存在する。だが姿を完全に消せる様な透明化の魔法を使える魔物なんて前代未聞だ。


 ――もしこの道の途中で、あの化け物が姿を消して待っていたら……


 嫌な想像に足がすくむが、姿は見えていなかったが呼吸音を含む魔物の発する音は聞こえていたことを思い出す。近づくにつれて妙な圧も感じたので気配位は察知できるはず。


 疲労と未だに続けている魔力漏れの制御で限界を迎えそうな事を無視して、僅かな物音も逃さないように耳を澄ませながら歩き続けた。


 ――とにかく遭遇する前にこの一本道を抜け出そう。


 ポーションを飲んだものの身体を酷使し続けたせいで既に歩くのはおろか、立っているのも辛い。無意識に壁についていた手に預ける体重が、徐々に増えていく。


 暗闇の中で神経を尖らせながら続ける移動が、精神を蝕んでいく。


 ――…………!


 無心になって歩き続けていると、急に身体が横に傾いた。体重を預けていた壁が無くなり、そのまま倒れ込む。


 立ち上がろうとするがその体力ももう無い。倒れた先を見渡すと、苔に照らされていたのは新たな道でも空間でもなかった。


 人が一人通れる程度の割れ目。光る苔に照らされたその先の空間には白骨化した人間の死体が二つあった。壁に身体を預けながら体育座りをしているローブに身を包んだ死体、そして軽装を着こんだ状態で地面に倒れた死体がそこにあった。


 ――……あの空間にあったクリプト・ウィーバーの死骸と違ってどこも喰われた形跡がない……あの巨体ではこの隙間には入り込めなかったのか……?


 極限状態が続いたため感情が枯れたのか、目に入った白骨死体には一切驚く事もなく淡々と状況の整理を続ける。


 ――絶対に安全とは言い切れない……でも休もう……


 万全な状態であれば、安全を確保できない状態で休むなんてあり得ないと考えたかもしれない。心と体が疲弊しきった状態では、そんな考えを抱く余裕すらなかった。


 死体と同じ場所で寝る事にすら一切の抵抗感を抱かず、身体を引きずるように隙間の奥へと入り込んだ。


 そのまま、目を閉じたのとほぼ同時に眠りに落ちた。

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