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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第八部 ラプンツェル
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ラプンツェル 5

いくつもの村や町を経て、ペルは西の大魔女の館のある、西のさいはての村に帰還する。大魔女の館は魔法に守られており、ペルはそこで、亡き師の幻影を見るのだった。

その7 ラプンツェル 5


 わたしは一人になると、黒曜石の異空間に入り込み、そこからゴルデンの扉を探し出す。

 黄金の扉は今も変わらずそこにあり、手を触れると簡単に開くのだ。

 紫水晶の群生は目を見張るほどの速さで成長し、しかも増え続けていた。空間それ自体も広がり始めているし、最初はまばらな紫水晶が張り巡らされているだけだった床や壁面も、今ではくまなく紫の輝きに覆われているのだった。


 ゴルデンの空間に入る度に、彼の力が相当に復活していることを知るのだが、未だに彼の元へ行こうとしても押し戻されるのは変わらない。相変わらずわたしは、彼の元へたどり着くことができずにいるのだった。


 「ゴルデン、聞こえているのだろう」


 わたしは彼に語りかける。紫水晶の空間で声は反響し、不思議に澄んだ響きを持って跳ね返る。ここで発した言葉は必ず彼に届くだろう。

 だからわたしは、いくらかの緊張を持ちつつ、一言ずつ慎重に選んで喋るのだった。

 

 「わたしは、今のあなたを知りたい――どんな姿でも構わない――」

 獣人の姿であっても、小さな黒猫でも、あるいはそれ以外の、何かとてつもなく……醜いものであっても。

 一呼吸、一呼吸が張り詰める。彼は、わたしの言葉を聞いているはずなのだ。


 恐らく、あの紫の瞳を静かに伏せて。


 「あなたを、愛している」


 愛している、愛している――紫水晶の中で反響する。

 今、彼はどんな顔でこの言葉を受け取っているのか。

 呆れて鼻を鳴らしているのか、平然と無表情でいるのか、笑い転げているのか――。

 (どれでも構わない。わたしはただ、この思いのままに、側にいたいだけだ)

 

 黄金の巻き毛をなびかせた、非の打ちどころのない容姿の少年ではなく、その器の中に籠る魂のほうを、わたしは選んでいるのだった。

 (夫よ)

 わたしは何度も呼びかけている。

 そして、ついに口に出して呼びかけた。

 「夫よ――」


 ……。


 ことん、と何かが倒れるような感覚が胸の中であり、わたしは大きなものに思い当たったのだった。

 そもそも、なぜ彼は、人外なのか。

 もともとは人間だったはずである。大魔女になる際の契約が彼を獣人にしたのかもしれないと考えてみたが、なにか納得がいかなかった。

 (契約か――)

 彼の異形は、魔法の契約の結果なのであろう。何者と契約したのか。もしかしたら契約した主はゴルデン本人ではなく、先祖や、彼にまつわる人物のうちの誰かかもしれない。

 その契約を解く術は、今のところ、ない。


 ……。


 (どうしたら、あなたは姿を現してくれるのだ)

 否、そうではない。

 (どうして、あなたは姿を現さないのだ)

 なにか、理由があるのだ。

 

 (姿を現さないのではなく、現せないのだとしたら――)


 やがてそれは、確信となる。

 わたしははっきりと確信する。

 ゴルデンの扉はわたしを受け入れており、旅の途中で彼の気配や囁きを感じることがしばしばあるのだ。

 彼はすぐ側にいるのではないか――。


 ただ、姿を現すことができずにいる。

 (魔力の回復を待っているのか)

 彼自身が納得できるだけの、仮の姿を形作るだけの魔力が、まだ回復できていないのかもしれない。

 かりそめの姿を作り上げ、維持するには相当の力が必要なはずである。それは等価交換の法則では叶わない魔法のはずだ。己の蓄えた力の範囲内で実現するしかない魔法なのである……。


 

 もう一つ、試そうとして失敗したことがある。

 胎児の紫水晶の空間を探そうとして、どうしてもそれができないままになっているのだった。

 血眼になって黒曜石の空間を歩くのだが、その扉は絶対に見つからないのである。

 さんざん試してみて、ようやくわたしは思い当たった。

 

 あの胎児は、未だ生まれていない、この世のものではないのである。

 まだ生まれ落ちていない、存在しない魔女に続く扉は、そもそもあり得ないのである。 

 (はやく、生み出してやらなくてはならない――)

 確かに存在するあの子を、「生きているもの」とするために。


 では、世界に続く白塗りの扉は。

 わたしは胎児を世界に預けたのである。

 当然、扉は見つかった。だが、扉は固く閉ざされており、触れると恐ろしいまでの清浄さが指に伝わるのである。痛みを伴うほど厳格な調べが全身に響き渡り、わたしは世界が強烈な力を持ち、祈り続けていることを知った。

 祈りの間である世界の空間には、入ることが許されないのである。


 世界は完璧なまでに清浄であり、一点の迷いもないのであった。

 扉の向こうでは黄金の髪の少女が一秒の休みもなく、祈り続けていることだろう。

 世界は、すこやかだ。

 

 ……。

 

 結局、黒曜石の異空間からゴルデンや胎児の元へ行くことはできずじまいなのだった。

 やはりわたしはひたすら、西へ向けて旅を続けるほか、ない。

 (さいはての塔へ――)


 

 いくつもの村や町を経た。

 わたしは未だ、何の目的も果たしていない。

 オパールから引き継いだ「母」の仕事である、次期大魔女探しも、候補すら現れないままである。

 ぴんと張り詰めた糸のような神経で、わたしは旅を続けた。だが、その旅もまもなく終わろうとしていることに気づいた時、愕然とし――恐ろしいほどの失望がわたしに襲い掛かってきたのだった。


 ゴトゴトゴトゴト……。

 

 汽車は、あと数時間で最期の駅に到着する。

 西の大魔女の館のある、あの、村へ。

 人のいない車両、その赤い座席に座り、わたしは窓の外を眺める。

 旅立った時、窓の外は枯草だらけの荒野だった。晩秋の、寒々しい風が吹きわたり、灌木が空を突き刺している――。

 だが今は、同じ荒野ではあるが、草は緑に生い茂り、野生の雛菊が黄色い花をあちこちに付けているのだった。

 汽車が通り過ぎる時に巻き起こる風で草花は揺れ、雛菊は花びらを散らしている。

 荒野の地平線はひどく遠く、その向こうに何があるのか全く分からなかった。そして、空は雲一つなく青い。


 ゴトゴトゴトゴト……。


 (師よ)


 わたしは、かつて追い求めていた西の大魔女のことを思う。

 重々しく、寡黙で、全てを見通す強い瞳を持つ、わたしの師。

 彼の突然の出奔から、わたしの長い旅は始まったのだ。


 そうだ、わたしはまだ、その旅の途中にある。

 まだ――。


 (いつまで、続くのだろう)


 汽笛が鳴る。

 車窓から見える風景は、えんえんと広がる荒野。

 やがて少しずつ、人の手の入った部分が見え始めた。人間たちの住む場所が、近づいてきている。


 (ゴルデン、いつまでわたしは)


 


 最後の駅にわたしを降ろすと、汽車はまもなく、東に向けて旅立った。

 蒸気の煙が残るホームから古びた改札をくぐり、無人の駅を出る。

 穏やかな春の日差し、見覚えのある田舎の風景が、わたしを迎えた。……帰ってきたのである。


 畑を耕す農夫が、一瞬顔を上げ、むぎわらの下からわたしを眺めた。

 魔女の愛弟子の姿は、この村の者ならばみな見知っていたはずだ。大魔女トラメの愛弟子、恐ろしく不愛想な、得体の知れないこども――。

 だが彼は、今のわたしの姿から、魔女の愛弟子を思い出すことはなかったらしい。

 よそ者を珍しそうに眺め、すぐにまた畑仕事に戻るのだった。


 スカートのすそが風にそよぎ、わたしは懐かしい匂いを嗅いだ。師の香り、この村の空気。

 西のさいはての村は、なんら変わってはいない。

 石ころ道の両側は野菜や菜の花畑になっており、菜の花畑は花盛りであった。一面の黄色い花が柔らかな日差しを浴びており、そこからは黄水晶に似た無邪気な波動が、ほのかに漂っているのである。


 ……。


 だらだら続く坂道を上がると、じきに西の大魔女の住居が見えた。

 古い館であり、長い間の無人状態だったはずなのに、荒れた様子は全く見られない。師の魔法が未だに館を守っているのである。

 

 すでに、この世を去った師の魔法が――。


 小さな畑には、キャベツの芽が見え始めていた。

 綺麗に耕され、手入れされている畑である。これも魔法の営みによるものだろう。

 わたしはゆっくりと進み、玄関を目指した。すでにここは、師の結界の中である。もういない師の作った、魔法の結界――。

 (師よ)

 師の香りが漂う。

 枯草のような香り。そして、自然の恵みをそのまま瓶にもらった、透明な酒の匂いが満ちていた。

 かつて教えを受けながら生活したその庭を通り抜けながら、わたしは不思議な感覚を覚える。

 今にも師が現われそうな。

 ……。


 赤茶色に塗られた木の扉の前に来る。

 わたしはゆっくりと手を当てた。扉はかすかに軋んで開き、わたしは中に入る。

 穏やかな室内。

 燃え続ける暖炉の火、その中にくべられた鍋。

 木のテーブルの上には師が毎晩読んでいた分厚い書が開きっぱなしになっており、うすぼんやりとした鏡の前にはオレンジ色の照明が灯っていた。

 窓からは陽光が差し込み、部屋の中をほのかに明るく照らしている。

 窓の幅そのままの太い光の帯を浴び、わたしは眩しさに目を閉じる。……そして、静かに目を開く。


 光の帯の中に、黒い人影が見えた。

 痩せた長身を黒衣で包み、赤い髪をひとつに束ねて流している。

 (師よ)

 目を見張るわたしの前で、師の幻想はゆっくりと振り返り、わたしを見返した。強い茶の瞳は活き活きとしており、まるでそこに生きているようである。

 (師が置いていった、魔法か)

 それは魔法が書き残したものだった。既に己が死んだ後のことを想定して残した、伝言である。

 わたしは息を飲んで、師の幻想を見守っていた。


 ……。


 長い沈黙の後、師はゆっくりと向き直り、寡黙な口を開いた。

 「愛弟子、ペル」

 どうん――と、重たげな太鼓が鳴り響く。これは師の調べ、師の魔法。

 久々に聴いた師の声に目を閉じかけながら、わたしは次の言葉を待った。


 「今ここに立っているという事は、おまえは『世界』を知る手前まで来たのだろう」


 ああ、いつ頃、師はこの幻想を作り、この場に据え置いたのだろう。

 これは、遺書だ――。


 「この館は、おまえの家である。おまえの休息を守る場所。いつでも戻ってこれるよう、永久の魔法をかけた」


 (師よ、わたしの、家……)

 温かいものが体の中を巡った。これは、喜び。わたしは喜んでいるのである。

 師がこの館を、わたしの家だと言っている――。


 「おまえは、飛ばねばならぬだろう」


 その強い茶の瞳でわたしを見つめながら、師の幻影は続けた。

 「『向こう側』に行くためには、どうしても崖を飛び越えなくてはならない」


 向こう側。

 わたしは無言で師の言葉を待つ。師は続ける。


 「そこでおまえを待つ者がいるとしたら、それは、運命を共にするもの」

 


 師の幻影は、ゆっくりと近づくと、トラメ石がはめ込まれた黒塗りのワンズを掲げた。

 わたしに向けて魔法陣を描くと、ワンズの先端のトラメ石で、わたしの額に触れた。幻影であるにも関わらず、ワンズはしっかりとした触感を持って、わたしの体に触れたのである。

 一瞬、本当に師が蘇ったのかと思ったのだが――次の瞬間、足元から色が薄くなり、次第に空気中に散ってゆく師の姿があった。

 消えゆきながら、師は言った。


 「おまえに、力を置いてゆこう」

 わたしに残る、あと僅かな魔力の残渣を、おまえに――。


 ワンズに触れられた額から、じわじわと熱いものが体に溶けていく。これは師の魔力だ。師の、置き土産だ……。

 師の魔力の残渣はわたしの中に溶け込み、ゆっくりとまとまり始め、やがてわたしの中心の黒曜石を包むようにした。

 そこには既に、胎児から寄せられた紫水晶の力がまとわりついている。

 わたしの中心部で、黒曜石、トラメ石、紫水晶の三つの力が宿ったのであった。


 ほんのりと温もりを持ち、息衝きはじめた石の力が、告げる。

 (できる――)

 わたしの前に、映像が浮かび上がる。こんもりとした緑の森。

 永久に続くかと思うほどの広大な深い森は、人を寄せ付けない魔の場所である。

 その森は、この世界の結界の行き止まりであり、そこから先は決して行くことのできない場所のはずなのだった。


 しかし、わたしの前に浮かぶ映像では、その深い森を軽々と飛び越え、風に乗り、鳥が翼を広げるような自由さをもってその先を目指している。

 いつしかわたしは顔や髪に冷たい風を感じていた。

 


 (できる――わたしは)


 えんえんと続く森は、しかし終わりを迎えようとしていた。

 森の向こうは切り立った崖であり、そこはこの世界の終わりのはずである。

 だが、わたしは飛翔を止めなかった。

 その結界を通り抜け、青い空を飛び続ける。

 崖の下は白い砂が続き、青い空を映し出した巨大な湖が広がり――そして、その砂と湖の境界には、見覚えのある塔が立っているのだった。


 

 その塔こそ、最後の結界である。

 塔の中では、黒い髪を長くのばし、手慰みにそれを編み続けるわたしの子がいる。

 子は人まち顔で窓から外を眺めている。子の見ている風景は、あの日、ゴルデンが作り上げたあの結界の中の風景のままであるはずだ。不可思議な美しい森の風景を、子はいつも眺めている。そして、「母」を思うのだ。


 「迎えにきて、はやく……」


 だが、塔の外壁はすっかり朽ち果て、今はもう紫水晶の輝きを失っている。

 外から見れば、ただの古ぼけた石の塔だ。

 その塔の最上階、最も天空に近い場所に、あの子はいる――。


 「飛ぶのだ」


 (ゴルデン……)


 わたしは風にあおられる前髪を感じながら目を閉じ、ゆっくりと砂の上に足を降ろす。

 そして目を開く。


 ……西の大魔女の館の中に、わたしは立っているのだった。

 幻想の中から戻ってきたのである。

 

 (これは、導き)

 胸の中心にある黒曜石が、脈打ち始める。

 力強く、血が通っているかのように。

 


 「おまえは、飛ばねばならぬだろう」


 それは、師の最後の教え。

 わたしはそれを、しなければならぬ――。

 

いよいよラストが近づきます。

どうぞ、最後まで見届けて頂けたら幸いです。

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