いばら姫3
金砂水晶は、いばらの中を進むペルに昔語りをする。
はるか昔に、この城で起きた悲劇。
糸車が回り、花が咲き乱れる美しい幻想を、ペルは見せられるのだった。
その6 いばら姫3
日差しを全く通さないほど密集した、いばらの蔓が、アーチ状に通路を作っており、わたしはその長いアプローチを歩く。
いしにえの時代に作られた石の通路は、苔むし、湿気を含んでいる。
木靴を踏み出すたびに、ぐちゅ、と苔が水を吐き出した。
青臭いにおいが充満している。その青臭さの中に、酸っぱいにおいが混じりこんでいることに気づく。
腐臭がする。
わたしは注意深く鼻に意識を向ける。この腐臭は、どうやらいばらの中から発せられている。魔法のいばらの中から。
(腐臭のする魔法……)
だが、これは闇の魔法ではない。
石畳をたどるわたしの前に、ふわり……と、映像が浮かび上がる。同時に、低く穏やかな砂金水晶の声も。
今はいばらに取り囲まれたこの城が、色とりどりの花で飾られていた頃――。
……たちまち目の前の映像は大きくパノラマに広がり、どこまでも続くいばらの暗いトンネルを塗り替えるように、風景が変わった。わたしが歩いている場所は薔薇のアーチの通路であり、初夏の日差しが眩しく差し込んでいる。
足元には薔薇の花びらが散り落ちており、色とりどりの不規則な模様を描いているのだった。
いにしえの頃――大魔女の代を幾回もさかのぼるほど、いにしえの頃に、この石の城は作られた。
この村は、もとは一つの王国であり、城には王と王妃がいた。
国は綿糸で潤っており……豊かで華やかな時代が長く続いた。
やがて時代がめぐり、この国が「村」と呼ばれるようになってからでさえ、王と王妃はその名のままで呼ばれ、豊かな暮らしを続けていた。一族は、いにしえから続く古城を愛し、代々そこに住み続けていた。
(カラカラカラカラ……)
回る糸車。……魔法の風景の中に突如現れたそれは、無人の状態で、軽快に回り続け、糸を紡ぎ続ける。
庭園の花壇の中に。芝生の上に。
糸車の数は増えてゆく……。
(カラカラカラカラ)
(カッコン……)
(カラカラカラ……)
(カッコン、カッコン……)
木を削って作られた、簡素な糸車が軽やかに回り続けている。
無人の糸車の踏み板が、時折踏まれて音を立てる。
糸車のつむには純白の糸が巻き付いていた。この国自慢の、質の良い綿糸だ……。
無数の糸車が回る庭園を横目に、わたしは薔薇のアーチを歩き続ける。
きらめく初夏の風景――。
庭園には噴水も見えた。日差しを受けてプリズムのように輝く飛沫。だが、糸車はどのような風景の中でも、ただひたすら回り、糸を紡ぎ続けるのだった。
砂金水晶の語りは続く。
王には子供がなかなか授からなかった。ようやく生まれたのは姫であったが、それでも大変な喜びようであり、当時は、この村にも大っぴらに存在していた魔女の中から、えりすぐりの魔女を集めて祝わせた。
「……わたしも、そのうちの一人だった」
砂金水晶が、低く穏やかな声で呟く。
わたしは無言で歩き続けた。……ひどく長いアプローチである。この庭園自体が広大なのだ。なかなか城にはつかない……。
集められた魔女たちは、姫が健やかに成長するよう、常に側で見守る役目を負うことになった。
美貌、健康、知性、品性、優しさ――姫は、愛される資格を十二分に持つ女性に育った。
「……姫は無邪気で素直だった」
砂金水晶の声に微かな笑いが含まれる。昔を懐かしんでいるのだろう。わたしの足元から刹那の映像が次々と沸き起こる。
日差しを浴びて輝く金色の髪。
サクランボ色の唇に、きらめく青い瞳。きゃしゃな手足と、薄い緑のドレス。結いあげた髪の毛と、のぞく純白のうなじ、かがやくおくれ毛、そして――微笑み。無上の微笑み……。
「わたしね、お仕事がしたいの」
ある日、突然言い始めた姫。笑顔でねだる様子には勝てず、魔女たちは姫に糸車を使った製糸作業を教えた。
嬉しそうに姫は糸車を回し、何時間でも作業に没頭した。
得意そうな、愛らしい姫の顔――。
「やがて、わたしたちは、愛し合うようになった」
他の魔女たちの目を盗んで、砂金水晶と姫は、思いを通じ合わせる。
(カラカラカラカラ……)
(……カッコン)
(カラカラカラカラ)
(カッコ……ン)
噴水の横を通り過ぎる。
はらはらと薔薇の花びらが舞い落ちて、わたしの肩に落ちた。それをつまみあげ、足元に落とす。
薄桃色の花弁――。
「それは秘密の恋だった」
魔法をつかさどる妖しの者と、一国の姫では、どうあっても結ばれるわけがない。
やがて姫に縁談が持ち上がり、あてのない恋は終わりを迎えなくてはならなくなった。
「……姫は、わたしとの恋を公にしようとし――もちろん受け入れられるはずもなく」
……幽閉された。
心に痛手を負った姫は、癒しの期間が必要となり、魔女たちから勧められて姫のために塔が作られた。
姫は塔の最上階に閉じ込められることになる。
(カラカラカラ……)
毎日、石の窓から覗く、同じ風景。
(……カッコン)
薔薇がいくら鮮やかでも、噴水がどれほど見事でも。
(カラカラカラ……カラ)
……そこには彼がいない。あの人が。
(カッコ……ン)
「もちろん塔には魔法がかけられた。遮断の魔法により、塔には誰にも近づけなくなった」
砂金水晶との逢引きを防ぐための結界である。
ドンドンドン、ドン。
(出して、出して)
……ドンドンドンドン。
(ここから……出して)
だが、砂金水晶はその結界を破り、姫との逢瀬を果たす――。
「姫は、わたしと結ばれることを望んだ。そうして、私はそれに応じた」
ドゴン、と糸車が派手に折れた。
ドゴン、ドゴン、ドゴン……。
次々に糸車は破壊されてゆき、くるくると回っていた車は次々に止まり、つむに巻かれた糸は断ち切られ、急に吹き始めた冷たい風にあおられる。
唐突に辺りは薄暗くなり、明るい日差しは雲に遮断された。
ざわざわと庭園の花が揺れ始め、アーチにからみついた薔薇は、ぼろぼろと花弁をこぼし始める。
わたしは構わず歩き続ける。
「どうあっても、あなたと一緒に生きる。ただ生きているだけ、呼吸をしているだけでもいい。一緒にさえいられるならば」
生きているだけ、呼吸をしているだけ――眠っているだけでもいい。
父も母も乳母も友人も、関係がない。そんなもの、もういらない。あなたさえいればそれでいい。
悲壮な思念は「依頼」となった。
「……それでわたしは、契約を成立させた」
ばさりと、花ごと薔薇が落ちてくる。
ばさり、ばさり、ばさり――。
わたしの行く手には薔薇が降り落ちはじめる。たちまち石畳の通路は、赤や黄、白などの鮮やかな花に彩られる。アーチにはもう、花の姿はない。あるのはただ、深緑の棘のある蔓だけ。
「実際、それしか方法がなかった」
最後のくちづけは、眠りの魔法となった。
姫はそれを受け、がくんと体から力を失い、永久の眠りに閉じ込められる。
薄緑のドレスから露な白い腕が、だらりと下がった。
流れ落ちる金髪。白い喉元。軽く開かれ、微笑みの形となった艶のある唇――。
わたしには、その時、石の部屋にさしこんでいた明るい日差しが見えた。
外では小鳥がさえずり、花が咲き誇り、一年で最も美しい季節の盛りだったはずだ。
だが、姫は暗く冷たい石の部屋で、永遠の眠りを手に入れた。人間とは命の長さが違う、砂金水晶と同じ時間をいきるべく、生きる屍として悠久の時を超える魔法に身をゆだねた。
もちろん、それは王の知るところとなり、村をあげての戦いが始まった。
恋人を天蓋付きの寝台に横たわらせ、砂金水晶は、塔を砦として戦った。
激しい魔法合戦が繰り広げられた。
「わたしは、強かった……」
国王の兵も、あまたの魔法使いも寄せ付けないほどの魔力を使い、砂金水晶は取り返しがつかないほど消耗した。ぎりぎり彼の力が尽きる寸前に、敵たちは戦意を失い、退散する。
あの、鬱蒼としげり、人を寄せ付けないいばらの森は、その時の魔法が作り上げたものだろう。
まさに、いばらの結界である。
その時から、この村は特殊な天候にさらされることになり、財源であった綿の畑も不作となった。
繁栄は過去の話となり、急激に村はさびれ始める。
王と妃は深い嘆きにうちしおれた。滅びに向かう一族を儚み、村の未来に絶望した。そして、姫を思い出させるからといって村人たちの糸車の所持を禁止した。
ガコン、ガコン、ガコン――。
叩き割られてゆく糸車たち――。
壊れてゆく糸車の映像が浮かび上がり、それに被さるように、深い悲しみを含んだ鳴き声が細々と聞かれた。
砂金水晶は、見ていた。
愛娘を失い、村の財源を失い、滅びゆく一族を嘆きながら、やがて亡くなっていった王と妃の全てを知っていた。かつて姫が愛した村の産業が廃れ、「自分も仕事がしたい」と言うほど親しんでいた村人から活気が失われてゆく様を、彼は見ていた。
全てを見て、気が遠くなるほどの時間を、眠り続ける恋人と共に生きていた。
……いばらに閉ざされた、城の中で。
「わたしには、もう、力が残っていない」
深く、心地よい響きの声で、砂金水晶は呟くように言う。
ぼとぼとと落ちてくる薔薇の花を踏みながら、わたしは歩を進める。やがて目の前に、重々しい扉が現われた。
鉄でできたその扉は、明らかにいにしえの昔に作られたものであり、いつ何時敵が襲ってきても、その扉さえ閉めれば城の中は安全だと言えるほどの代物だ。
灰色の石が積み上げられて作り上げられた巨大な城――。
くしゃ、と薔薇の花が木靴の下でつぶれた。
白い花弁がひしゃげた形で泥にまみれる。
わたしは鉄の扉を前に、城を見上げる。
砂金水晶の幻想はまだ続いており、古城は昔の荘厳な様を呈している――。
ただ一つだけ、残っている薔薇の花がある。わたしの手前に、アーチから垂れ下がった蔓にしがみつくように、咲いている黄色の花だ。
ゆっくりと雲が引き寄せられてくる。空はますます陰鬱になり、やがて元の通り、暗雲が垂れ込める。
不吉な風が吹いてきたかと思ったら、黄色の薔薇は飛ばされて落ちた。
……ほと。
わたしの足元にそれが落ちた瞬間、幻想は解ける。
一瞬の後、景色は様変わりした。
薔薇のアーチは腐臭を漂わせる、太く丈夫ないばらの幕になり、光を通さない深緑のトンネルの中に、わたしは立っていた。
目の前に立ちはだかる鉄の門はすっかりさび付き、苔むしている。そして、その上からいばらの蔓が無数に貼りついていた。
ドンドン、ドン。
(出して、お願い……ここから出して)
ドン、ドンドン……。
わたしは、木のワンズを胸に置いて構える。
……何かが起ころうとしていた。
……ぽつり。
いばらの上に雨粒が落ちる音がする。
みっしりと覆い尽くしているいばらのトンネルは、雨すらも遮断する。雨足は次第に強まり、土砂降りとなったが、わたしの頭の上に降りかかることはなかった。
非常に近い場所で雷鳴が鳴り始める――。
と、わたしは背後を振り向いた。
蠢く気配がしたのだ。……今まで歩いてきた、いばらのトンネルが、再び封じられようとしていた。
わさわさといばらの蔓が再び幕を閉じ始め、通路を完全に閉ざしている。封印の魔法が再び作動し、ここは完全な結界となった。
酸っぱい腐臭が強烈になっている――。
わたしは再び閉ざされた扉に向き直った。
そして、扉にかけられている封鎖の魔法が、意図的に弱められていることを見抜いた。
「開いて、入られるが良い」
砂金水晶の声が静かに落ちてくる。
わたしは扉にワンズをかざす。先端の黒曜石に意識を集め、魔法を作動させた。
封印されている状態でも十分に破れるほど、扉の封鎖は薄められている。ぶちん、と生々しい音を立て、いばらは次々にちぎれて垂れ下がった。同時にさび付いた扉はだらしなく軋み、手を触れてもいないのに、音を立てて内側に開いた。
埃と、腐臭が立ち込めている。
扉の中はまさに暗黒だった。光が一切入らないのだ。
いばらで何重にも覆われた石の建物である。
わたしはワンズをかかげ、黒曜石の先端に魔法の灯をともした。少なくとも、これでわたしの足元は照らすことができる。
コツン、と城に足を踏み入れる。鼻をつままれても分からないほどの暗黒だ。
ぼわんと音が耳に反響する空間である。わたしは、灯で四方を照らし出す。
石の壁だ。煉瓦のように削った石を入念に積み上げて作った建物である。
ぽちょん、ぽちょん、と石と石の隙間から水滴が垂れており、足元はぬかるんでいた。非常に湿度が高い上に、ひんやりとしている。……そのくせ、酸っぱいほどの腐臭がこびりついている。
この腐臭は、昨日今日から始まったものではない。
建物自体に染みつき、もう消えない類のものだ。
ぐるりと見回し、わたしはこの建物が円筒状になっていることを知る。
どうやら、わたしはまさに件の塔に導かれたらしい。
目の前には、果てしなく上に伸びる、非常に急ならせん階段が太い柱のように立っていた。
(この最上階に、姫の眠る部屋があるということだろう)
わたしは上を見上げ、目を閉じた。
……ドンドン、ドン。
ドォン、ドンドン……。
籠った音がとどろいている。
音はくぐもり、頭の中でこだまを作るようだ。
白い拳が、石の壁を、鉄の扉を、叩く。叩く。叩く。
(出して、ここから出して)
眠りの箱の中で、姫が悲鳴を上げている。
悲痛な声、恐怖に打ちのめされ、心を破裂させんばかりに狂わせて――。
「姫は、眠りの中で『目覚め』てしまった」
砂金水晶の声がして、わたしは目を開いた。
暗黒の中に、大柄な人物が立っている。闇にまぎれているが、そこには濃い緑の道衣を纏った、砂金水晶の魔女が立ちふさがっていた。
彼の背後に、らせん階段が伸びている。
「眠りの中で、姫は、自由を求めはじめた。無理もない」
苦笑が漏れる。わたしは魔法の灯を正面に掲げた。フードを深くかぶった、砂金水晶の魔女がワンズを手にしている。弦が巻き付いて作られたワンズの先端には、大ぶりの砂金水晶が輝いていた。
無理もない。もう、100年も眠り続けているのだから――。
「姫が眠りから覚めるためには、私との契約を解除しなくてはならないが……」
魔法の契約を解除するのにも、力が必要である。それだけの力が、もう彼には残っていない。
だから。
「……あなたとの契約を上乗せする形で、姫の希望を叶えていただくほか、ない」
「ここから出して自由にして」という「依頼」を叶えるための契約。
それを成就するには、必然的に、姫を閉じ込めているものを抹消しなくてはならない。
それ故、砂金水晶はわたしに、自分を殺せと言うのであろう。
「わたしは『依頼主』の元に行かねばならない」
砂金水晶を見上げて、わたしは言った。
「そこをどけ」
砂金水晶は無言でワンズを構えた。
ワンズの先端の石に、念がこもり始めている。……彼は、わたしを攻撃しようとしていた。
「なぜ、通さない。貴様は、『依頼主』の『依頼』の成就を願い、わたしをここまで導いたのではないのか」
ぼわん、と塔の中に声が反響し、うるさい程のこだまとなった。
こだまが響き渡る中、相変わらず「依頼主」の訴える騒音は続いている。
ドウン、ドンドン、ドン――。
(出して、出して……ここから出して)
「もちろん、お通ししよう。今すぐにでも、姫の部屋の前まで移動してお連れしてさしあげる、が……」
砂金水晶はゆっくりと、片手でフードを外した。
頬にむごたらしい傷跡を残した、いかめしい顔立ちの男である。緑の瞳が闇の中で奇妙に輝いており、その眼はわたしを凝視していた。
「……姫の結界に、魔女の愛弟子以外の者を立ち入れることは、できない」
わたしはとっさに飛びのいた。砂金水晶の魔法が稲妻となり、すんでのところで直撃されるところだった。
だが、いばらの魔女の狙いはわたしではなかった。彼は、わたしの外套を狙ったのである。
飛びのいた時に大きく翻り、内側の布が露になった外套は、その部分に稲妻を受けていた。
外套は大きくちぎれ、そこにしがみついていた、猫の刺繍も、もちろん一緒にわたしから離れた。
(ゴルデン――)
むしり取られた外套の切れ端から、黒猫が飛び出し闇の中に紛れるのを、わたしは見た。
パシンと空気を打つ音がして、わたしと砂金水晶は、緑の結界の中に閉ざされる。
ゴルデンがわたしから離れた一瞬をついて、いばらの魔女は結界を作ったのだ。
ゴルデンは結界の外にいるはずだ。ここからは、声も聞こえず姿も見えない。
「これで、良い」
砂金水晶は緑の瞳をわたしに向ける。
間近で見て、わたしは初めて、彼の体が朽ちかけていることを知った。
遠目では若々しくたくましい姿であるが、肌は皺がより、黴を浮かせ、顔の半分が黒ずんでいた。
彼は、死にかけている――。
腐臭を放ちながら、砂金水晶は静かに言った。
「姫の元にお連れしよう。あなたはそこで契約成立を宣言し……そして」
自分のワンズの先端を、己の首に当てながら彼は言った。
「わたしを、滅ぼすのだな。魔女の愛弟子よ……」
もはやペルの外套の裏地は、ゴルデンの定位置でございますm(__)m




