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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第三部 ヘンゼルとグレーテル
26/77

かまどの番人 3

風見鶏のついた赤い屋根の館を目指し、木々の茂る山に足を踏み入れる二人。

行く手には、二人を見つめる無数の目があった。

やがて、こじゃれた屋敷が姿を現し、二人は中に招き入れられる。

その7 かまどの番人 3


 深い、黒々とした森の中には、細く長い小道が出来ていた。

それは自然に開かれたような道であり、一見、けもの道と思われるほどだった。

 だが、注意深く見ると、横たわる枯れた大木の一部が切り開かれていたり、長く足に絡まるつる草が、人ひとり通り抜ける分だけは、綺麗にかき分けられているので、人の手が入っていることが分かる。

 梢の間から光が差し、異様に大きな羽根の、奇妙に鮮やかな蝶が舞う森の中を、我々は進む。

 道に沿って歩く我々に突き刺さる視線を、ところどころで感じた。

 振り向くと、黒い影が木の幹に隠れるといった具合である。


 かさ、かさかさ……。

 かさり、かさ。


 「老人の体であっても、こんな山道に潜めるらしいな」

 ゴルデンが皮肉を込めて呟いた。

 わたしは外套の内側で、木のワンズを握りしめた。

 道を行けば行くほど、死臭も闇の気配も増してゆく。

 かまどがごうごうと燃え盛る映像は、いまやそれ自体が熱を持ち始め、体が焼けそうに熱い。

 

 喰い……たい。

 こども……はやく。

 喰いたい……。


 死臭が漂う吐息が呪わしく囁き続けている。

 新鮮な命を渇望しているのだ。

 かまどは、飢えている。


 わたしは汗をぬぐった。

 振り払っても振り払っても立ち上がってくる巨大な映像は、紅蓮の炎が燃え盛る口をぽっかり開けている。

 その口の中に、何か見え隠れしていた。

 ……この、村である。

 かまどはこの村全体を包んでおり、炎の寸前には、あの古く朽ちかけた駅が見えた。

 踏切番の小屋もある。

 ぎょろりとした目を眠そうにさせ、頬杖をついて窓から外を眺めている踏切番人が見える。……今、頬杖の手を入れ替えた。

 もちろん、あの廃屋が立ちならぶ商店街も見える。

 枯れた畑も。

 よろよろと歩く生気のない村人たちも――。


 この村それ自体が、かまどの中に存在している。

 巨大な、邪悪な闇のかまどの、口の中。炎のすぐ側で。


 

 「くそ」


 ゴルデンが歯の間から、蛇が這うような怒りを吐き出した。

 彼もその映像を見たのかもしれない。

 

 がさがさ、がさ。

 かさ……かささ。


 そこここで、我々を見る目がある。

 もはや彼らは姿を見せることをためらっていない。

 大木の幹から、背の高い雑草の中から、しわくちゃに老いた姿の村人たちが、無言でこちらを見つめ、見送り、そのまま動かずに立ち尽くしているのだった。

 それはまるで、生きた木のようだった。

 無数の人間でこの森ができているような錯覚に陥るほど、そこらじゅうに無表情のまなざしがあり、それらは全て我々を見つめているのだ。


 わたしはなんとなく、それらの目を見つめ返してみた。

 生気のない、白く膜のかかったようなまなこ達は、瞬きすらせず、ただ目を見張っているだけのように思われる。

 だが、じっと見返すと、微かな手ごたえがあった。

 ほんの微かだが、叫びの残渣が聞かれる。

 わたしは耳に全神経を集中させた。


 ……くない。

 喰われたく、ない。


 大股で歩いてゆくゴルデンを追いながら、わたしは耳を澄まし続ける。

 微かな命の残渣は、皆、同じことを訴え続けていた。


 

 突然、向かい風が前髪をかき上げる。

 ゴルデンの外套が翻り、紫の裏地が露になる。

 わたしは外套の前を掻き合わせた。

 立ち止まった我々の前は唐突に開けており、そこで森が終わっているようだった。

 ぽっかり木々や雑草が抜けているその土地には、のどかな空を背景に古めかしく立派な館が建っている。

 

 赤いとんがり屋根にはおもちゃのような風見鶏が回っており、キイキイと高い音を立てていた。

 サーモンピンクやエメラルドグリーンのレンガで飾られた外壁、古代遺跡を思わせる洒落た彫刻の扉、そして、鮮やかなカーテンがあしらわれた窓たちは、白いサッシが引き立っている。

 おとぎ話に出てくるような、子供が夢見るような、魔法のお屋敷――。


 だが、救いようのない程濃い死の影と、深く凶暴な飢えた闇の吐息、強大な魔法の気配が、屋敷には漂っていた。

 

 

 ……ぱりん。


 乾いた音がした。

 わたしは、わたしの中心にある黒曜石が、紫水晶の封印から自由になったのを感じた。

 唐突に封印を解かれ、わたしは思わずゴルデンを見上げる。

 こちらを振り向くと、ゴルデンは低く言った。


 「ここから先は、自分のことは、自分で守れ」


 ばさり、と紫の裏地をひるがえし、ゴルデンは再び前を見る。

 「おまえの叶う相手ではない。決して、手は出すな。おまえは、ただ己の身を守ることに専念しろ」

 何があっても、だ。

 強調すると、ゴルデンは大股で歩き始め、屋敷の玄関の階段を上がる。

 わたしは無言でその後に従う。

 

 (返してよ)


 微かに、ゴルデンのポケットから声が聞こえたような気がした。

 紫水晶の欠片に閉じ込められた、「依頼」が、再び叫び始めている。

 ゴルデンは白手袋の手を伸ばし、金めっきのライオンの口から出ている輪を掴み、ノックした。

 すると、音もなく両開きの扉は内側に開き、屋敷はその内部を、我々の前に現した。

 

 赤い、あたたかなじゅうたんが敷き詰められたホール。

 吹き抜けであり、ステンドグラスから色とりどりの光が差し込んでいた。

 ステンドグラスの模様は、様々な動物がモチーフになっており、やはり子供が喜びそうなものである。

 ホールの中央には、滑り台になりそうな手すりがついた、愉快ならせん階段が上へ上へと伸びていた。

 

 (きゃはははは……)

 (うわーい……あはははは)

 ころんころん……ころころ、ころん。

 (あはははは、わあい、あはははは)

 ……ころころ、ころん、ころ……。


 玩具の木琴の楽し気な歌が耳元に取りつき、らせん階段の付近で幼い子供たちが遊ぶ残像が蘇った。

 手すりを滑り台にしても、誰も怒らない。

 お菓子をテーブルで食べなくても、ぶたれることなど、ない。

 子供の城。子供の国。子供の……楽園。


 ゴルデンが前に進み、ホールに足を踏み入れたので、わたしは頭を振ってその残像を振り払うと、屋敷の中に入った。

 我々がすっかり中に入るのを待って、今しがた音もなく開いた開き戸は、また音もなく締まった。

 

 らせん階段の手すりに、花模様で縁取られた便せんに、丸い文字で何か書かれたものが貼り付けられている。

 ゴルデンはそれを引きちぎるように取った。

 我々は同時にその紙を検分する。

 

 「ようこそ、お菓子の家へ」


 という出だしであった。

 

 「ようこそ、お菓子の家へ。おなかがすいているでしょう、かわいそうに。

 お菓子は食堂にたくさん用意してありますから、好きなだけお食べなさい。もちろん、好きなところに持って行って食べてよいのですよ。

 つまらなくなったら、どのお部屋にもいろいろなおもちゃや本がありますから、好きなように遊んで良いのですよ。

 眠たくなったら、好きなお部屋の好きなベッドで眠ってよいのです。

 夜更かしも好きなだけしても良いですよ。

 何をしても自由、何を食べても自由。歯を磨かなくても、服を綺麗にしなくても、だあれも怒りません。

 このお屋敷にいる限り、どれだけお菓子を食べても、玩具で遊んでも、ちらかしても、汚しても、かまいませんよ」


 手紙の終わりには「かまどの魔女より」とある。

 我々は顔を見合わせた。


 ステンドグラスが色とりどりの模様の影を床に落としていた。

 キイキイと風見鶏が回る高い音が微かに聞こえてくる。

 人の気配は、まるでなかった。

 

 「……どうだ、ペル」


 ゴルデンは笑いをこらえるような顔で紙をくしゃくしゃと丸めると、床に放った。

 「おまえ、菓子は好きじゃなさそうだな」

 「甘いものは好きだ」

 わたしが答えると、一瞬ゴルデンは意外そうに目を見開いた。しかしすぐに、人を喰ったような笑いを浮かべる。

 大きく頷くと、白手袋の手でさししめした。

 ホールを囲む円筒状の壁には、白い扉がいくつか並んでいる。

 その中に、皿とナイフ、フォークが彫られた看板のかかった扉があった。どうやらそこが食堂らしい。

 

 「菓子でもよばれに行くとするか」

 ゴルデンは笑いを含んだ声で呟くと、すたすたと扉に近づき、ノブを回した。

 扉はあっけなく開く。

 中には、大きな長いテーブルがあり、花模様の縁取りをしたテーブルクロスがかけられていた。

 その上には、小さな花瓶に野の花が差してあり、無人のテーブルにいくつか配置されていた。

 テーブルの上には、色とりどりの菓子が乗った皿が並べられている。

 ゴルデンとわたしはそれらに近づき、内容を確認する。


 野イチゴのケーキ。

 様々な形に抜かれてこんがりと焼きあげられたクッキー。

 冷たいアップルパイ。

 砂糖漬けのくるみ。

 透明なポットの中には、野イチゴのジュースが満たされている。

 小さな、花模様のグラスも伏せてあった。


 部屋は、清潔が保たれている。

 ちり一つない床は鏡のように光沢があり、我々の姿を映し出している。

 小さなシャンデリアがいくつか下がっており、夜になるとさぞ楽し気な眺めになるだろうと思われた。


 テラスからは、微かな風が吹き込んでおり、小鳥の声も聞こえてくる。

 鮮やかな森の景色が、そこから眺められるのであった。

 

 ゴルデンは無遠慮に手を伸ばすと、焼き菓子を一つつまみあげる。

 わたしもそれに習い、タルトをほおばってみた。

 驚いたことに、まだ温かい菓子である。今しがた焼きあがったようなタルトは非常に美味しく、一つ食べたらまた次のものが欲しくなるようなものだった。

 

 「……かまどの番人は、勤務熱心だな」

 

 菓子を飲み下すとゴルデンが言った。

 わたしは部屋の中やテーブルの菓子たちを眺めた。

 掃除にしても、飾りつけにしても、手抜きが全く感じられない。

 これらの大量の菓子も、作り置きではない。つい今しがた、オブンから取り出したようなものばかりではないか。

 

 誰もいない、こんな山奥の屋敷で。

 客など滅多にないはずなのに。


 これだけのことを、かまどの番人が一人でしているというのか。

 

 

 (どうしたの、坊やたち。遠慮しないでいいんだよ。どんどんお食べなさい)


 不意に、優し気な声が響いてきた。

 文字通り、響き渡ったのである。

 我々は、はっとして身構えた。

 ところが、声の主は姿を現さなかった。

 部屋は元通りの静寂になり、小鳥のさえずりが聞こえている。

 

 わたしは、注意深く辺りに気を配りながら、野イチゴのジュースをグラスについだ。

 口を付けると、野性味あふれる甘さが広がる。

 森の茂みに見つけては、子供が喜びいさんで摘み取り、その場で口に入れる、あの味である。

 俺にもくれ、とゴルデンが言うので、同じようについだものを手渡した。

 ゴルデンは飲み干し、甘すぎると不平を呟いた。

 眉間にしわが寄っている。


 「なんでもいい、食い続けろ」


 ゴルデンは低く言い、紫の目をあちこちに走らせながら、自分も菓子をつまんだ。

 密かに魔法陣を張っている。

 わたしは外套の中でワンズを握る手に力を込めた。

 ゴルデンの描く魔法陣は、ねずみとりである。

 ここにおびき寄せ、捉える――。

 彼は、かまどの番人を、捉えようとしている。


 今、ここで。


 

 わたしはケーキを一切れ、皿に乗せる。

 あつらえたように手元にあったフォークで一口切り取ると、口に入れる。

 咀嚼の間、やけに静かに時間が流れた。

 

 なにかが、起きようとしている。

 ゴルデンは素知らぬ顔で、焼き菓子を食べ続ける。

 なにかが、忍び寄ってくる。

 すり足のような微かな足音が、この部屋に。


 わたしは二杯目のジュースをついだ。

 かまどの番人の目が、今この瞬間も我々を見つめているのを感じながら、飲み、食べる。

 はた目には、我々が菓子に夢中になっているように見えるのだろうか。


 かちり。

 ……食堂の扉のノブが音を立てる。

 そして「それ」は、ねずみとりの中に足を踏み入れ、瞬間、魔法は発動する。


 ばりばりと紫の稲妻が部屋を横切り、整然と整えられたテーブルは、床から突然生え伸びてきた紫水晶の群生によって無残に倒れた。

 せとものの割れる音が繰り返され、シャンデリアはちゃらちゃらと揺れる。

 一瞬にして紫の空間になった部屋に、我々は立っていた。


 「東の大魔女として、宣告する」


 黄金のワンズを握りしめ、「それ」が閉じ込められた紫水晶に向かい、ゴルデンは言う。


 「これは闇を生産する所業。見逃すわけにはいかない。したがって、この魔法は粛清されるべきである」

 

 きゃああああ、と甲高い声が沸き起こり、紫水晶に閉じ込められた「それ」が死に物狂いで身もだえするのが分かった。


 予想外のことが起きた。

 ぴしぴしと紫水晶に亀裂が走り始め、封じ込められたはずの「それ」が、白い腕を突き出した。その手には、鈍く光る火かき棒が握られている。

 ゴルデンは目を見開き、黄金のワンズで拘束の魔法をかけようとした。

 それは、部屋じゅうの紫水晶が悲鳴を上げて粉々に砕けるのと、同時だった。


 

 竜巻のようなものに砕けた紫水晶は巻き上げられ、テーブルや割れた陶器などが舞い上がる。足元のじゅうたんまで浮き上がるほどの魔力に、わたしは立っていられずしゃがみ込む。

 ゴルデンは足を踏ん張り、ワンズを両手で握りしめ、敵と対峙していた。

 シルクハットは吹き飛ばされ、外套の紫の裏地がはためいている。

 こちらに背中を向けたまま、ゴルデンは怒鳴り声をあげた。


 「わかっているだろうな」


 自分の身は、自分で守れ。


 ……。


 わたしは木のワンズをかざし、最大限の防御を使った。

 足元は大きく揺らぎ、わたしは転がされる。

 ばちばちと、そこらじゅうに紫水晶と闇がぶつかり合う音が響いており――やがてわたしは、気づいた。

 

 いつの間にか、わたしは食堂の外に締め出されており、ホールの床に転がっていた。

 食堂は――ゴルデンの張った結界は――いくらノブを回しても入ることができなかった。


 わたしは、辺りを見回した。

 ステンドグラスの彩が落ちる床には、オレンジ色が差し始めている。

 キイキイという風見鶏の音は、依然として続いていた。

 

 ゴルデンと、はぐれた。

 そして、屋敷は、もうじき夜を迎えようとしていた。

吹き抜け、ステンドグラス。

このアイテムは、大好きなホラー「サスペリア」から頂きました。


かまどの番人からのお手紙内容が、ムーミンママっぽい(笑)

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