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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第三部 ヘンゼルとグレーテル
25/77

かまどの番人 2

その村は全体的に薄闇がかかっており、どことなく死臭が漂っていた。

その6 かまどの番人 2


 その村は、さびれているというのを通り越して、陰惨なほどだった。

 無人駅のホームは粗末な板張りであり、屋根はあちこちがめくれ、穴だらけだった。

 今にも踏み抜いてしまいそうな階段を降りると、舗装してある道が我々を迎えてくれる。ただし、あちこちひび割れており、そこから細い雑草が顔を出しているのだった。

 

 「この道が舗装されたのは、ずいぶん昔のことだな」

 村に降り立つと、ゴルデンはゆっくりと辺りを睥睨した。


 駅は、今は無人駅であるが、遥か昔は有人であった痕跡がある。板が打ち付けられている出入り口らしき部分が改札口だったのだろう。そこから繋がる待合室は、今ではただの物置小屋になっているようで、ぼろぼろの壁からは、旗だの、古いベンチだのが積み上げられているのが見えた。

 その壁の穴から、やけに使い古された肩掛けカバンの紐が見えているところから、物置は、踏切番の荷物置き場としても活用されているらしかった。

 踏切番は――さっきから、番人小屋の小窓から顔を出し、ちらちらと我々を伺っているが――目がぎょろりと飛び出したじいさんである。頭には帽子をかぶっているが、その下は、恐らく綺麗に禿げ上がっていると思われる。

 ホームのすぐ横が踏切になっており、このじいさんが狭い小屋に籠り、四六時中、汽車の番をしているらしい。

 このじいさんの目が良いか悪いかは分からないが、二日に一度しか通過しない汽車を見張るのに不都合はないから、番人をしているのであろう。

 ……最も、この踏切を横切ろうとする者が、そんなにたくさんいるとも思えない。

 今のところ、この踏切番以外の人間を、見ることができないのだ。


 さあっと、午前の空が陰り始める。

 見上げると、大きな雲が頭上を通過するところだった。

 踏切の向こう側は、広々とした畑になっていたが、どうやらもう使っていないらしい。あちこちひび割れ、枯れた草が折れ曲がり、かさかさと音を立てている。遥か向こう側に民家が見えたが、廃屋ではないのだろうか。

 

 コロコロと木琴の音が風の中に混じっている。

 目を細めてその正体を確かめようとした時、肌を突き抜けるような鋭い熱さが一瞬、体を包み込んだ。

 

 (……こど、も)


 闇を纏ったその気配は、いかにも邪悪である。

 わたしは息が詰まりかけながらも、襲い来る感覚と対峙する。

 一瞬通り過ぎた熱さは、たちまち空中に散じ、薄い闇の墨汁をまき散らした。

 それで気が付くが、この村の空気全体が薄闇に汚れている。

 そこここに(こど……も?いや、ちがう……)、薄い闇の気配がこびりついており(……だが、こどもの姿だ……)おかげで昼間なのに、どことなく薄暗いのだった。

 

 (こども、じゃない……)

 (これは、こどもじゃない……)

 (だが、喰える)

 (喰える)

 

 (喰いたい)


 

 「う」

 

 生臭い腐臭が鼻の先を通り過ぎ、わたしはえづいた。

 口を押え、体を折り曲げて地に膝をつく。

 (なんの匂いだ)

 さあっと、また唐突に雲が通り抜け、日が顔をのぞかせる。

 温かなひなたの陽気が、そこらじゅうに這いまわっている闇の気配を、僅かに打ち消した。

 鼻の奥にこびりついてしまったその匂いには、覚えがある。

 もう一度、嘔吐感が押し寄せてきて、わたしは這いつくばった。体を強張らせて苦痛が通り抜けるのを待つ。

 そうだ、この匂いは。


 死臭、だ。


 口を拭いながら立ち上がってみると、ゴルデンはすたすたと歩いてゆき、踏切番の小屋の前まで行った。

 踏切番は、ぎょろりと飛び出た目玉でゴルデンを見下ろし、小窓のサッシに両肘をついた。

 

 「この村に宿はあるか」


 ゴルデンが問いかけている。

 踏切番は表情の読めない顔でゴルデンを眺め、長い間黙りこくってから、ようやく、曲がった指を立てて方向を示した。

 ゴルデンは指の示す方向に従い、こちらを振り向いている。

 わたしも、同じ方向を眺めてみた。

 割れた舗装から草が生えているこの道を、えんえんと歩かねばならない。

 両脇には、かつては駅前の商店街だったらしい跡地が残っているが、店舗はいずれも締まっている。

 立ち並ぶ店たちを通り過ぎた遥か向こうに、こんもりと茂った小山が見えた。

 黒い程濃い緑が生い茂る、森のような山である。

 踏切番は、そこに行けと言っているらしい。


 その暗い小山を見た時、再びわたしは木琴の音を聞いた。

 そして、ちろちろと肌を舐めてゆく炎の感触と(……こどもは、まだか)、餌付きたいほどの死臭が襲い掛かってきて(……こどもではなくても、良い……)、すんでのところでわたしは耐えた。

 

 (こども……うまそうな、こどもが必要だ……)

 (これはこどもじゃない……でも、かまわない……)

 (喰いたい……はやく……)

 (喰いたい)


 ……。


 「おい」

 嘔吐感をこらえているわたしを小突き、ゴルデンが脇を通り抜ける。

 上品な香りがふわっと風に乗り、漂っていた死臭からわたしを救った。

 横顔の紫の目が、じっとこちらを見ていた。

 

 「行くぞ、宿はあそこにしかないそうだ」


 ゴルデンの後をついて歩きながら、わたしはなんとなく振り向いてみる。

 踏切番が、こちらを眺めていた。

 どんよりと濁った目は、何も映していないようにも見える。

 二日に一度の汽車を見張る、寒村の踏切番。

 わたしは彼の体を、もわもわと煙のような闇が包み込むのを見た。


 舗装が壊れかけている道を、黙々と歩く。

 かつては駅前の大通りとして、それなりににぎわっていたのだろう。道の両脇は空き店舗が並んでいるが、もはや廃屋としか見えないそれらは、ひしめいていればひしめいているほど、うすら寒さが増すようだった。

 それでも、時折細い通りから人が現われることがあった。

 細々とではあるが、食堂など飲食店を切り盛りしている村人がいるのであろう。だが、現われては、またスーッと見えないところに歩いて行ってしまう彼らには、生気が全くなかった。

 

 (若者が全く見当たらない)

 わたしはゴルデンの後について歩きながら、周囲を見回していた。

 日に焼けて色が褪せ、破れてしまっている店のひさしや、ぼろぼろの旗、まだ窓辺にメニューが翳してあるが、クモの巣が張っている喫茶などの前を通り過ぎ、何人かの老人たちが歩いてゆくのを見る。

 不思議な程、若者や子供が見当たらない。

 皆、白髪で痩せこけた老人ばかりである。

 あの踏切番と同じように、ぼんやりと焦点の合わない目をしており、歩き方には目的がなかった。

 そして、誰もが薄い闇の気配を纏っているのだった。

 どこか違和感を覚える。

 わたしは更に集中し、道行く老人たちを観察した。

 この寒村には、我々のような旅行者は珍しいはずなのに、誰もこちらに注意を向けようとしない。

 澱んだ闇が空気に溶け込んでおり、この村全体に漂っているようだった。


 ぐう、とまた、嘔吐感がこみ上げる。

 村に踏み込むほどに、死臭が濃くなっているようなのだった。


 (ああ――これ、は)


 わたしは、ようやく「それ」に気づいた。

 老人たちの目にぼんやりと宿る闇。

 そして、村に漂う気配。

 どれもこれも、同じものだ。


 「気が付いたか」

 ゴルデンが振り向かずに言った。

 わたしは頷いた。

 

 そうだ、この村は、闇を纏った、巨大な「なにか」に支配されている。

 その「なにか」は、村人たちの中に宿り、空気に溶け込み、こも村全てを飲み込んでいる。

 

 「こいつらは」

 と、ゴルデンはかすかに顎をあげ、また一人通り過ぎて行った後をさししめす。

 「操り人形だ、みんな」

 ゴルデンは立ち止まると、わたしを振り向いた。逆光になり、黄金の巻き毛の先が銀に輝いている。そして紫の目は不気味なほどに輝いているのだった。

 「俺たちは今、敵の腹の中にいるようなものだ」

 ぐいと腕を掴まれて引き寄せられると、木のワンズを握らされた。すぐ目の上に、ゴルデンの瞳が輝いている。

 よく聞けよ、と、普段と変わらない声と調子で、ゴルデンは言った。

 

 「俺たちは常に見張られていると思え」

 わたしはワンズを受け取り、外套の中に隠すとゴルデンを見上げた。

 「ここから先は、いつでもおまえの封印を解いてやる。だが、その時は自分の身は自分で守る時だと覚えておけ。……とんでもない代物だ、これは」

 ひそひそ話を続けるために、我々は肩を並べて歩き始める。

 空は時々陰るが晴れており、ほのかに温かな陽気であったが、商店街の地面はどことなく冷たかった。空気は日光に温められ、ぬるくなるのだが、そこから死臭が更に漂うようで、こらえきれずわたしは袖で鼻を覆う。

 木琴の旋律も、はっきり聞こえ始めていた。


 ころん、ころ、ころ、ころ……。

 (きゃは、ははは……)

 ころころ、ころん……。


 「ひとつ、わからないことがある」

 子供の笑い声交じりの木琴の旋律を聞きながら、わたしは言った。

 村全体の生気を吸い取り、村人の中に入り込み、支配してしまうほどの魔法を使う者とはいったいなにものか。

 そんなことができるなど、大魔女ほどの存在しか、思いつかない。

 不正な魔法を使ったとしても、これほどまでに大規模な魔力を発動させるには、それなりのベースが必要である。そんじょそこらの魔女の仕事では、あるまい。

 わたしの疑問をゴルデンは黙って聞いていた。

 こつこつと我々は歩き続け、やがて商店街は終わり、左右に畑が広がる農地に出る。

 既に農繁期を過ぎた畑は刈り取られた跡ばかり残っており、ところどころ草花が生えて日差しを浴びている。

 

 ふわり、と、晩秋の蝶が目の前を通り過ぎる。

 ゆらゆらと上下し、定まらない飛び方で畑の上を踊ってゆく。

 それを見送ってから、ゴルデンがようやく、答えた。


 「おまえの言うとおりだ」

 「……」

 「これは、かつての大魔女の仕業であろう」


 わたしは黙って視線をゴルデンに当てる。

 ゴルデンはシルクハットの下で、眉間にしわを寄せていた。

 

 「もちろん、今の代の大魔女ではない。先代か――それより前の、いにしえの大魔女」

 東西どちらの大魔女かは、この際、関係がない。

 ゴルデンはそう呟くと、大きく息を吐き出した。


 「よく見ておけ愛弟子よ。大魔女と言えど、己のなすべきことを踏み外すと闇に落ちる。闇に落ちたから大魔女を廃されたのか、大魔女を廃されたから闇に落ちたのか、そこは分かりようがないが、俺もおまえの師も、常に闇に飲まれる危険と背中合わせなのだ」

 

 紫の目を細めて辺りを見回し、空気のにおいをかぎながら、ゴルデンは少し疲れた様子に見えた。

 眉間にしわを寄せ、苦痛をこらえるように歯を食いしばっている。

 わたしの視線に気づくと、強い目つきで制された。

 わたしはゴルデンから視線を外し、目の前にそびえる、暗い緑の小山を見て歩くことにする。


 きゅぽん、と音がしたので思わず振り向くと、ゴルデンがウイスキーの瓶を開けて口にしていた。

 一口飲み下し、再び冷然とした表情を取り戻すと、ゴルデンはうっすらと笑みを浮かべた。

 

 

 ころころ……ころ。

 (きゃはははははは、おにいちゃん、きゃはははは)

 ころん、ころころ……ころん。

 (きゃはは、きゃは……)


 ……。


 喰いたい。



 増してゆく頭痛に、わたしは唇を噛んだ。

 ワンズを握ることで多少は緩和されるのだが、強力な闇の気配は容赦なくわたしを苛む。

 死臭のする吐息をはきながら、四方から我々を見つめる「なにか」。

 その「なにか」が、呟き続けている。


 こどもが、欲しい。

 こども、イキのよい、元気な、よく太った……。

 

 喰い……たい。



 ごうごうと燃え盛る炎の映像が、ふわりと浮かぶ。

 巨大なかまどだ。

 そこに燃え盛る炎は闇の魔法で燃え続けている。

 そこに投げ込まれるのは、若くて元気な魂。

 肉体を焼くのではなく、精気をこんがりと焼き上げ料理し、闇の胃の腑に収める。

 生気を抜き取られた体は若さを失い、魂も失い、生ける屍となり、村に放される。


 歌がきこてくる。

 細い、少女の声で紡がれる歌は、時折途切れたり、微かな息遣いが混じったりして、台所仕事をしながら歌っているようだった。

 

 焼いて、こんがりよく焼いて。

 汁が滴るほどのものは、まだ生焼け。

 綺麗に焼きあがって、焦げ目がついたら火から取り出して、ちょっとひと手間。

 切って、スープに入れて、お米や野菜と一緒に。

 それか、よく刻んでパイの具にして、オブンで焼き直す。

 ソースをかけて。

 

 焼いて、焼いて、焼いて、焼いて。

 全てきちんと焼いて、残らず綺麗に、召し上がれ……。



 「うう」

 しつこく嘔吐感がこみ上げてくる。

 ゴルデンがウイスキーの小瓶を寄越すので、流し込んだ。

 それでようやく落ち着きを取り戻すと、わたしは額に浮いた冷たい汗の玉を拭う。

 

 「よく焼いたものが、お好みらしいな」

 ゴルデンが嘲笑うように言った。

 我々が向かっている先の、黒々とした小山に向かって言っている。

 

 

 今、わたしの目の前には、ある映像が浮かんでいる。

 巨大なかまどが燃えている台所。

 古めかしいが広々とした、機能的な調理場であるが、そこで働いているのは小さな少女が一人。

 栗色の髪を束ねて邪魔にならないようにして、前掛けをし、その前掛けの間に火かき棒をはさんでいる。

 少女は火かき棒を肌身離さない。いや、決して離してはならない。

 なぜなら、彼女が「かまどの番人」であり、この村を支配する「なにか」の宿った器であるから。

 くるくると忙しく働き続ける少女は疲れを知らぬようであり、常に手を止めない。


 「食材」のストックは、まだ残っている。

 台所の壁にぶら下げられている、肉の塊のようなものが「食材」である。

 よく焼けて、焦げ跡がついているほどのそれは、切られたり刻まれたりして調理されるのを待っていた。

 ……もちろんそれらは、牛や豚などの、実際の肉ではない。

 人間の魂を魔法のかまどで焼き上げ、誠に美味そうな、見事な食材に仕上げたものなのであった。

 

 その「食材」は、未だ救われぬままの魂が閉じ込められており(……タスケテ)、牢獄の中で泣きじゃくり続けている(タスケテ、タスケテ……コワイコワイ)。焼かれたことで「食材」の中に閉じ込められ、喰らわれる時を待つ、哀れな魂たちだ。

 (タスケテ、コワイコワイ、オカアサン、オトウサン、コワイヨコワイヨ……)


 ふいに、我々は足を止める。

 すぐ前の木から、我々を見ている老婆がいた。

 白く膜がかかった生気のない目で、しかし、険のある光がそこには込められてた。

 我々が気づいたことを知ると、老婆はよたよたと場を離れた。

 これまで、通行人たちは我々を見ても興味を示さなかったのに、今はあからさまに見張り始めている――。


 「ご本尊が近いんだろうよ」


 ゴルデンは言うと、また歩き始めた。

 こんもりとした小山は、間近になっていた。

 我々はその、黒々とした森の中に、赤い、尖った屋根を認める。

 

 日の光を浴びて輝く、愛らしい風見鶏のついた、赤い屋根――。


 

 ゴルデンはわたしを見た。

 まるで表情がない。


 「俺の仕事を、よく、見ておけ」


 ざあっと、小山の方から風が吹いてきて、歩く我々の足元を巻くようにし、そこらじゅうに死臭が漂った。

 西とは違う、東のやり方を。

大魔女の末路には、何パターンかございます。

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