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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第三部 ヘンゼルとグレーテル
22/77

~閑話~かえるの王女 2

「依頼主」のいる森の奥に向かい、ペルとゴルデンは濃い霧の中を進む。

真実の姿を映す魔法の泉に翡翠の乙女が待っていた。

その3 ~閑話~かえるの王女 2


 農夫の家のすぐ側に、この村全体を包むほどのこんもりとした深い森がある。

 ひどく樹齢を重ねた化け物のような大木が連なる森であり、村人たちは滅多に足を踏み入れない。

 この村の歴史は、森のけものとの闘いの歴史であり、村人たちは森を忌み嫌っていた。

 その恐ろしい森の近くに、農夫は一人で住んでいる。


 

 (かあさん……かあさん)


 彼は幼い時に母親を亡くした。記憶に残る母親は若く、きゃしゃで、この世のものとも思えぬほど美しい肌をした美貌の人だ。翡翠色の服を着て、深い緑の瞳で微笑んでいる――。


 (かあさん、いけない、行かないで、行かないでよ)


 農夫の家は、この村で大昔に敷かれていた身分制では、最底辺に位置する血筋であり、こういった辺境に住まわざるをえなかった。もちろん今は、野蛮な身分制は廃されているのだが、名残はしつこく残っており、暗黙の了解といったふうの差別はいつも付きまとっていた。

 だから、この家は他とあまり交流がなく、相変わらず恐ろしい森の側でぽつんと暮らしているのである。

 

 農夫は幼い時から独りで森の浅い場所で遊んでいた。

 もちろん、森の深い場所まで行くことは禁じられていたが、家が見えるほどの場所なら好きに歩き回ることを許されていた。

 農夫にとって森は恐ろしいものではなく、不思議な姿をした木の幹や、配合が進んだために、元は何の種かわからない奇怪で鮮やかな草花、虫たちが活き活きと生命を紡ぐ、おもちゃ箱のような世界だった。

 

 (やめて、かあさん、だめだ――)


 ある時、森から出た獣が村中の作物を食い荒らし、ひどい被害が出た。

 それは村の財政を揺るがすほどの被害だった。

 村人たちは必死に害獣駆除対策にあけくれた。

 

 どういった経緯で、農夫のうら若い母親が、森の中に足を踏み入れたのかは分からない。

 肝心なのは、それが不本意で残酷な意味を持っていたということだ。少年だった農夫は村人たちを恨んだ。

 

 (大丈夫よ、すぐに戻ってくるわ。だから待っていて、大丈夫……)


 うら若い母親の翡翠色の服が遠ざかってゆく。

 森の深い緑の中に分け入り、溶け込み、見えなくなり――夜になっても母は戻らなかった。

 そして。


 (かあさん、かあさん)


 村を苦しめ続けていた害獣による被害は、ぴたりとやんだ――。


 (かあさんを、探しに行くんだ、俺は。かあさん――)



 「生贄だな」

 渦巻く記憶の逆流から這い上がり、まだあたりが回るような感覚が残っている。

 目を開くと、ゴルデンが振り向いていた。

 ただでさえ暗い森の中は、一昨日までの雨がじわじわと蒸発して、靄がかかり始めていた。

 足元から立ち上る霧の中で、ゴルデンの紫の瞳がこちらを見つめている。

 わたしの見たものを、ゴルデンも読み取っている。

 農夫の、幼い頃の記憶だ。

 ふいに襲い掛かるように湧き上がってきた映像の数々は(あなたが……)、「ヤーデ」と農夫が心で呼んでいた、泉の乙女が見せたものらしい(……好きよ)。

 農夫の幼少の頃の経緯と、今回の「依頼」は関係がある。清浄な泉の中、蓮の花の間からゆっくりと浮き上がり、濡れた黒髪を体に貼りつかせて振り返る、翡翠の乙女――。


 あなたが、好きよ……。


 霧が濃くなってきた。

 もわもわと立ち上る白いものは、急激に深くなってゆき、僅かに差し込む光を閉じ込めた。

 白昼であるのに、あたりは白夜のようになる。

 名もないつる草に足を取られないよう、踏みしめながら進む。

 

 お願い、お願いよ……。


 また、「依頼」の波動が押し寄せてくる。

 祭囃子の笛の音が、せかすように旋律を繰り返す。耳の中に近づき遠ざかり、しつこくまとわりつく音色の中に、しばしば低く重々しい太鼓が混じった。

 

 どう……ん。


 「ゴルデン」

 振り向かず歩を進めるゴルデンの背に、わたしは問いかけた。

 「あなたも、あの少女の姿を見たのならわかるだろう。わたしは、ヤーデに似ていないと思うのだが」

 翡翠の瞳も、きゃしゃなのにふくよかな体も、優しく陽気な笑顔も――。

 ほんの少しの間を置いて、ぶっきらぼうにゴルデンは答えた。

 「僅かな面影というものは、恋い焦がれるものにとっては厄介なまやかしだ。外見が全く似ていなくても、何か重なるものを感じれば、酷似しているように思われるものなのだ」

 見てくれの年恰好はわたしと変わらぬほどなのに、ゴルデンは人の情のすべてを知っているかのような物言いをする。


 ……お願い、よ……。


 「面影……ヤーデの、か」

 「違う」

 相変わらず前へ進みながらゴルデンは答える。

 霧はますます濃く、少し前の足元も怪しい程だ。

 空気の中にミルクを溶かし込んだように、深々と立ち込めている。生暖かい。

 


 「母親の、だ」

 

 全ては、母親の面影から始まっているのだ。

 ゴルデンは呟くように答えると、それきり口をつぐんだ。

 森にわずかに残るけもの道を進んで行く。

 確かに、村人たちはここまで足を踏み入れていない。だが、全くの前人未踏というわけでもない。

 ごく最近、人が通った痕跡があるのだ。

 折れた枝や、踏み分けられてつぶれた苔、なにより人ひとりが通れるほどにむしり取られた草がそれを物語っている。

 村人すべてが忌み嫌うこの森に、ひとり足を踏み入れる者が、いるのだ。

 我々は、微かに残る獣道を辿る。

 その道は我々を、「依頼主」の元へ導いている。

 白く籠る微弱な光の反射の中で(あなたが……)鳥のさえずりや、梢の揺れる音が聴こえてくる(……好きよ)。

 

 その光の反射の中に、ふいにまた映像が躍り上がる。

 同時に祭囃子の音色は高らかになり、わたしは大きく息を吸い込んだ。


 村祭りの晩の、威勢の良いかがり火が夜空を焦がす。

 村の中心で繰り広げられる若者たちの賑わい。

 竹笛があちこちで鳴り、男女入り乱れて踊りを踊る。

 燃え上がる火を囲んで、出会ったもの同士が手を取り合い、結ばれる夜だ。

 年に一度の夜なのに、輪に加わらず、森の側にぽつんと座る男がいる――あの、農夫だ。

 祭囃子は森まで流れていた。

 煩い程星が輝く、夏の晩である。


 「その時に、わたしは変わったの。あの子に再び、会うために」


 なんだろう、人の声ではない。

 動物か、虫か――いずれも違う。

 真夏の泉は生命の宝庫だ。カエルたちがそこここで歓喜の歌をうたい、ここでも嫁とりが行われている。

 蓮の葉の上のかしましい賑わいから、ぽつんと離れているカエル。

 ひときわ美しい、翡翠のような肌を輝かせている。他のカエルより明らかに大きく、気品すら感じられるようだ。

 (違う、これはカエルではない)

 済んだ目で、梢の間から覗く夜空を見上げている。

 祈っているのだ。


 「優しい子に育ってくれたの、あの子は」


 森に自らの体を差し出し、その後はカエルの姿で生き続けてきた女。

 幼い子への未練、執念が彼女を森に引きとどめ、近いようで遠い場所から息子を見守り続ける定めを課した。

 大きく成長した男がある日、森に踏み込んだ。

 ずっと昔に、森に失踪した母の痕跡を探すために、男はしばしば森に踏み込み、やがて不思議に済んだ泉を見つけることになる。

 

 「蓮の上で、見ていたの」


 何度も男は泉までやってきて、淵をぐるぐると探索しては、うなだれて帰って行った。

 その後姿を蓮の上で、カエルは見ていた。

 やがて男は泉の淵にきては休むようになった。澄み切った泉を眺めて思いを馳せ、そして戻っていくのだ。

 

 カエルは蓮の葉から水の中に飛び込み、泳いで淵までたどり着くと、男の靴の甲に飛び乗った。

 男は孤独な暗い目でカエルをみつめ、そっと指を伸ばして掌の上に乗せた。

 すぐ側に顔が来て、まじまじと見つめ、ふっと笑う。

 (きれいだ)

 微かな声だが彼は言った。

 (きれいだな、おまえ……)


 ……。



 「だから、わたしはお願いしたの。人間の姿になって、あの子を慰めたいって」

 

 どう……ん。


 耳を打つ太鼓の音が響き、わたしはこめかみを抑えて立ち止まる。

 ゴルデンが顔をしかめて振り向き、手を差し出した。

 後ろに倒れながら、わたしは息を吐き出し、古い魔法の毒気に当てられた体を緩めようと試みる。強烈な魔力の余韻を受け、わたしの体は硬直し、息を吐くだけ吐いても、吸い込むことができないほどだった。

 ぐるぐると回る白い靄の中に、師の影を見た。

 

 師が、カエルの「依頼」を受けとり(どう……)、契約を成立させた(……ん)。

 「ただし、おまえの本質は人間でもカエルでもない。だから、人間の男と連れそうことはできぬ。それでも、良いのか」

 

 どう……ん。

 ど……


 白い靄の中にトラメ石の粒子が輝いている。

 師の魔法の断片だ。

 ほんの微かな残渣なのに、これほど強力である。霧に混じり、その魔法残渣はわたしの気管を通り、体の中心を毒そうとした。


 ぱん、と頬が鳴り、わたしはそこで、必死になって息を吸った。

 かはっと喉の奥が鳴り、胸がひどく苦しかったが、ひゅうひゅうと吸い続けた。

 また、ぱん、と頬が鳴ったが、そんな平手打ちの痛みくらいでは取り戻せなかった。

 魔法の毒気でおしつぶされそうな胸をかきむしりながらわたしは空気を求め、その結果、なにも吸うことができず、意識が薄れかける。

 ゴルデンは顔をしかめながら、わたしの頬を何度も打ったが、どうにもならないのを知ると、ウイスキーの瓶を口の中に突っ込んだ。強烈な液体が喉を通過し、気管に入ったおかげで、別の苦痛が生まれる。

 げほげほと吐きながら身を起こし、わたしはゴルデンの腕を振り払った。

 喉から鼻にかけて焼けるようだ。


 荒療治にも、ほどがある。

 

 「見ろ」

 わたしが起き上がるのを確認してから、ゴルデンはあごで示した。

 ほんのすぐ前方が、別世界のように明るくなっている。薄くかかる靄の向こうは、くっきりと晴れ渡っているようだ。

 ゴルデンは渋い顔で腕を組んでいる。

 師の後姿が霧の中を行くのが見え、その幻は、明るくなっている方向へ歩いてゆき、薄靄のカーテンを通過すると跡形もなく消えた。

 「ここまでおいで、と、きたか」

 苦々しくゴルデンは呟くと、立ち尽くしているわたしの腕を掴んで大股で歩き始めた。

 「ぐずぐずするな、時間がなさそうだ」

 濃く立ち込めている霧を睨みながらゴルデンは言う。

 「おまえ、気づいていないのか。このうっとうしい靄は、ただの靄じゃないぞ」

 わたしは頷いた。確かに、違和感を覚えていたからだ。

 この立ち込める霧は、森の魔法である。この森は――意思を持っている。森自体が、魔法使いだ。

 「森を怒らせると、厄介なことになるぞ……」


 ざわざわと梢が揺れている。

 そよそよとした風に、過敏に反応し木々は枝を躍らせている。

 ついに霧の終わりの地点に来た時、目にも鮮やかな蝶が横切り、そして我々は鏡のように美しい泉を見た。

 蓮の葉が浮かび、薄桃色の花が咲いている。

 

 青々とした草に靴を踏み入れ、ゴルデンは黄金のワンズを取り出し、胸に構えた。

 何匹もの小さなカエルが、蓮の葉の上や水面で遊んでいる。

 無数の生命をはぐくむ泉では、あちこちで小さな波紋が立っていた。


 祭囃子の音が、泉の上を渡る風に混じり、うっすら静かになる。

 ……静寂が訪れる。

 

 「来るぞ」

 ゴルデンが言った。

 わたしは片手に木のワンズを持ち、もう片方の手で「依頼」の瓶をかざした。栓を抜いた瓶の口から、するすると蓮の花が飛び出し、正常な空気の中に浮かんでくるくると回る。

 泉の中央に、大きな波紋が生まれ、ぽこぽこと泡が生まれ始めた。

 やがてそこから形の良い頭が現われ、白いうなじ、肩、緑の衣をまとったしなやかな体が浮き上がり、我々に背を向けて立った。

 

 ざざ・・・ざ、ざ。


 静寂の中に水音が鳴り渡り、滴を垂らしながら彼女はゆっくりと振り向いた。

 大きな翡翠色の瞳が、ものいいたげに我々を捉える。

 美しい姿だ。

 ……だが、まやかしの姿である。

 ゴルデンは、この森全体が魔法使いだといったが、この泉も例外ではない。

 済んだ水面は、魔法の鏡。真実の姿を映し出す。

 乙女の足元には、その姿は映っていない。

 そこに見えているのは、一匹のカエル――。



 わたしは木のワンズを向けた。

 

 「東の大魔女の代理として、あなたの『依頼』を受けた。この『依頼』は契約可能である。あなたは契約を遂行するのか」


 (お願い……お願いよ) 

 「その意思を確認しにきた」

 (あの子に、わたしを忘れさせて)

 「……本当に?」

 (あの子に、わたしへの思いを、忘れさせて)


 ……。


 契約は成立した。

 泉の乙女は我々に向き直り、翡翠色の瞳を輝かせている。

 ゴルデンは横を向き、眉をひそめた。

 わたしは宣告をする。

 「契約は成立した。東の大魔女の意思を継ぐ魔女の愛弟子が、遂行する」

 

 宙を踊っていた蓮の花が一瞬にして散り、薄桃色の光る粒子になって空気中に散じた。

 首を垂れる泉の乙女に向かい、わたしは大きく魔法陣を描く。

 等価交換の法則に乗っ取った魔法は発動し、古い強い魔法に働きかけ、それを解除した。

 

 カエルを人の姿に見せかけていた魔法は、今、完全に消滅した。

 乙女が立っていた泉の中心から、水柱が立ち上がり、一瞬にして乙女の体を覆った。

 日光を浴び光りながら跳ねる水しぶきの向こうでは、ほっそりとした乙女の影が映っていたが、やがてその影は揺れ始め、ゆがみをきたし――見えなくなる。


 水柱は徐々に勢いを失い、噴水ほどになり、やがて治まってゆき、ぽつんと泡と波紋を残して泉の中に吸い込まれていった。

 泉の乙女は(……ヤーデ)もう、どこにもいない(ヤーデ、ヤーデ……)。

 ちゃぷん、と小さな音がして、見ると、一匹の大きなカエルが泳いでいた。

 ほかのカエルよりも大きく、色鮮やかで美しい。

 翡翠色の肌が日差しを受けて輝いており、優雅な波紋を立てて泳いでいた。

 

 ……けろ、けろけろ、かろ。


 蓮の葉の上にたどりつき、こちらに向いてカエルが喉を鳴らした時、わたしは不意に得体のしれないうねりを感じた。

 これはどこからこみ上げるうねりだろう。

 胸の中心、紫水晶に封印された黒曜石の中から湧き出てくるような、焦げるような思い。

 例えることができない。


 かなしみか。

 怒りか。

 ……否。


 これは、カエルの乙女の、思いだ。

 農夫の中にある乙女への思いは消滅したが、乙女側の思いは未だ消えないのだ。

 カエルの体に閉じ込められ、あふれ出るほどのその思いが、けだるい波になり、わたしに襲い掛かっている。

 ふいに目の奥がじんじん熱くなり、痛みが走った。わたしは信じられない思いで、草の上に落ちてゆく自分の涙をながめた。ぼたぼたと落ち続けてゆく涙は嗚咽を呼び、たまらなくなってわたしは蹲った。

 (師よ、師よ……)


 「ゴルデン」

 わたしは呼んだ。

 顔をあげられないまま、わたしは尋ねた。

 「……これは、なんだろうか。師は――師は、こんなものを味わわせるために、わたしをここに導いたのか」

 

 体をよじりたくなるほどの思い。

 これは魔法の残渣か。

 さみしさに、似ている。

 かなしみに、似ている。

 怒りにも――嫉妬、か。


 嫉妬、なのか、これは。


 胸をかきむしりたいのを抑えながら、わたしは顔をあげた。

 涙で曇った向こうでは、蓮の葉に乗ったカエルが静かにこちらを見つめている。

 嫉妬、それはオパールの魔女が師を連れ去った時に感じた、凄まじい感情、わたしの中に残る「人間」。

 「これは、嫉妬なのか、ゴルデン」

 

 契約遂行の最中、ずっと横を向いていたゴルデンが、ゆっくりと振り向いた。

 紫の瞳が無表情に見下ろしている。

 苦しい。転がりまわりたいほどに、苦しい。いっそ、生きていることを辞めたいほどに。

 「魔法の残渣だな。しばらくすれば治まる」

 ゴルデンは無感情に言うと、紫の瞳をわずかに陰らせた。それは、憐れみだったかもしれない。

 「面倒くさい」

 と、吐き捨てると、ゴルデンは大儀そうにわたしの腕を掴んで引き起こし、引きずるようにして泉の淵まで来た。

 どさりとわたしを放り出すと、すぐそこに透明な水面が広がっている。

 しゃくりあげながら振り仰ぐと、ゴルデンは腕を組んで見下ろしていた。

 豊かな金髪が逆光になり、紫の瞳は影の中で怪しい程輝いている。


 「そこから覗いてみろ」

 ゴルデンは、冷たく言い放った。

 「自分の真の姿を、見てみろ、愛弟子よ」


 焼けこげそうな、破裂しそうな胸に手を当てながら、わたしはしゃくりあげた。

 とめどめもなく流れる涙を払い、ゴルデンの言葉の意味を探ろうとしたが、滅茶苦茶にかき乱される感情に邪魔をされ、うまくいかなかった。

 (……魔女なのに)

 わたしは這いつくばり、水面に近寄った。

 (わたしは、魔女の愛弟子なのに、なのに、こんな感情を)


 ふわっと風がわたり、梢がざわめき立つ。そして、泉全体に穏やかな波紋が立った。

 わたしはそこを覗いた。

 規則正しい波紋が寄せてきて、ゆっくりとおさまってゆく。

 風はしょっちゅう吹いている。

 風と風の合間に、その魔法の鏡は生まれるのだ。

 完全な静寂の中に生まれる、澄み切った水面の鏡……。

 

 水面が、ゆっくりと鏡になる。

 わたしは己の姿を、そこに映した。

 

 (師よ……)

谷山浩子さんの古い名曲「森へおいで」は、美しくも恐ろしい。


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