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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第二部 サンドリヨン
13/77

~閑話~少年と魔法 1

貧しいが穏やかな自給自足の村にたどり着いたペルと東の魔女は、純朴な「依頼」に出会う。

この世界における魔法とはどんなものか。

2話編成の閑話、一話目。

その4 ~閑話~少年と魔法 1


 その村は、かつては温泉の秘境とされ、それなりに賑わっていた。

 だがある時から完全に、人の流れが途絶えてしまった。

 乳白色の、美肌の効能の高い温泉は深緑に濁り、異様な匂いを放つようになった。

 そこには魔法の契約が絡んでいた――。


 「師の、仕事だ」

 と、思う。そう付け加えたわたしを、ゴルデンは横目で眺めた。

 汽車は既にはるか遠くに行ってしまい、無人駅の待ち合いから出たのは我々二人だけ。

 降りるものが他にない村だ。牛糞の匂いがそこらじゅうに漂い、待ち合いから出るや否や、草がところどころ生えた石ころ道を、男に引かれて牛が歩いていった。

 山間の村である。

 空気はどことなく薄かったが、ひどく澄んで研ぎ澄まされており、空は透明に青い。

 早朝の凍り付いた道端が、正午近くなっても名残を残しており、冷たい水玉が光を受けている。

 

 んもぉー。


 間延びした牛の声である。

 いかにものどかであり、牧歌的とはこのことだと思われる。

 その村は、かつでの温泉事業を失ってはいたが、牛を使った農業でなんとか切り盛りをしているらしかった。

 滅多に旅行者は来ないが、自給自足はできているし、時には少し遠めの村に作物を売りに出ることもある。

 ひなびてはいたが穏やかな活気に満ち、人々は柔和である。

 飛び込んで来る思考や「依頼」の類も、他とは異なり、優しげな香りが漂っていた。

 

 「ああ、こんなバカな契約を遂行しやがるのは、おまえと、おまえの師以外にいやしない」

 

 口汚く言いながらゴルデンは牛の糞をまたぎながら歩いた。

 「わたしは関与していない」

 と、思う。また、同じことを付け加えながら、わたしはゴルデンの口汚さに耐えた。師について何かを言う時、ゴルデンは必ず癇に触る言い方を選ぶではないか?

 ほう、とゴルデンは小ばかにしたように鼻で笑った。

 「おまえが、まだ愛弟子として奴の元に来ていない時代の話だということか」

 たぶん、そうだ。

 わたしは無言でゴルデンの後をついて歩く。

 少なくとも、こんな村は、わたしは初めてだ。

 数えきれないほどの「依頼」を選び、師に呈してきたわたしであるが、どうしてもこの村のことは思い出せない。してみるとやはり、わたしが関与しえない遥か昔の契約だったと思われる。

 

 一人の病人を治したいという依頼は、この村の財源になっている貴重な温泉と引き換えに成立した。

 その病人は、村長の息子であったが、身体の病気だけではなく、心もひどく遅れていた。

 魔法の契約では、身体のほうは治すことができたのだが、心のほうまでは等価交換が追いつかなかった。

 精神を置き去りにして頑健になった息子と、濁って悪臭を放つようになった温泉のために、村はかつての栄華を失い一時はひどく困窮したようだ。

 

 「村人全員が同情していたから成立したんだろうな」

 目の前を横切ってゆく、牛の親子を見送ってからゴルデンは言った。

 農夫に連れられた牛は畑の畔道で大きく重たい道具をつけられ、早速肥沃な畑をたがやし始める。

 子牛はあぜ道の木にくくりつけられ、しきりに鳴いていた。

 こんな晩秋でも農作業があるのか、驚いた、とゴルデンは呟く。

 

 わたしは目を半眼にし、澄んだ空を見上げて風を受けた。

 牛糞の匂いに混じり、どこか懐かしい、古い香りが微かに混じる。

 師が、古い昔に、この村で仕事をした。

 (その時の村長は、村人全員から慕われており、ひ弱に生まれついた長男については村全体が憂いていた)

 古い契約の内容が、黄ばんだ巻物をするすると開くように、わたしには読み取れる。

 だから、村のものである温泉を引き換えに、村長の依頼を受けることができた。

 そうでなくては、叶わなかったことだろう。

 

 魔法の契約は、必ず何らかの、手ひどい代償がある。

 だから、人間は魔法とかかわるべきではない。

 魔法は万能ではない上に、本来あるべき自然の流れを狂わせる。定められた方向に正確に回っていた歯車は、瞬間的に回る方向を変えるだろうし、それによって砕けて失われる小さな歯車もある。

 精密で難解で美しい、神の芸術たる、人の運命の図形よ。

 魔法はそれに、無粋な色を加え、しばしば台無しにする。

 人は己を支配する、美しく正確な、過去現在未来を描きつくす運命の図形を知らない。読み解けない。

 その図形を損なわないためには「依頼」など飛ばすべきではないし、知らず知らずに飛ばしてしまったのならば、決して契約してはならない。

 契約可能イコール契約遂行というわけではないのだから。

 だが、今までわたしは契約可能の宣言をした相手が、慎重に考え直して思いとどまった例を知らない。


 ……おろかな。


 やがてわたしたちは石ころだらけの道から、閉店された土産屋の壊れかけた建物ばかりが並ぶ、大昔の温泉街に行きついた。

 土産物屋などは当然もうなかったが、地元の村人向けの小間物屋などが細々と営業している。

 色あせた天幕が山村の冷たい風に揺られた。小さな子供や穏やかな老人が店先に座り、珍しい旅人である我々を迎えた。

 その中の店をひとつ選んで、ゴルデンは交渉に入った。

 宿を求めていることを説明すると、腰の曲がった老婆は一も二もなく快諾した。

 「ようこそ旅の人、どうぞお休みください。明日の汽車が来るまで、ご遠慮なく」

 我々はあっけなく一晩の宿と食事を手に入れた。

 

 かろかろかろかろ。

 風車が回る。

 この村には、いたるところに風車が飾られている。

 店先や、庭などに、刺してある。

 小間物屋の暗い店内から履物を脱いで屋内に上がると、そこが住居になっていた。

 裏庭に面した一間が我々に提供され、ゴルデンはその離れの戸を開き裏庭を見渡す。

 ちいさな花びらをつけた山野草が咲く、ささやかな花畑の中に、真っ赤な風車がさしてあった。

 

 「もぐら除けだろう」

 ゴルデンは言った。

 わたしもゴルデンに並び、その裏庭を眺めた。

 風車が回る音が心地よく、わたしは目を閉じ前髪で風を受けた。

 それは、師がこの村を訪れた遥か昔から変わらぬはずの、穏やかな風とにおいであり、そのことはわたしをとても慰めたのだった。

 

 ふいに、わたしは声を聴いた。

 優しいが悲し気な響きを持つそれは、確かに「依頼」である。

 この村の人々が飛ばす「依頼」は他とは違い、まばらな上に、たわいもなく、穏やかで、決して切羽詰まっていないものばかりなのだが、その依頼はどこか切実だった。

 それでわたしは、その声に耳を傾けてみる。


 魔法使いに、なりたい。


 

 「ぷ」

 ゴルデンが噴出していた。「盗み聞き」したらしい。

 わたしはゴルデンには構わず、耳を澄まし続ける。

 あどけない中に切なる思いを込めて、声は訴え続けた。

 

 魔法使いになって、温泉を昔通りにしたい。

 そうしたらその温泉につかれるし、おばあの腰も良くなるから。


 「……だから、魔法使いになりたい、と」

 ゴルデンはとうとう笑い出してしまった。

 口先だけの願い事なら、魔女の愛弟子までに依頼は届かない。

 どうやら心底そう願っているのだ、この依頼主は。

 わたしは目を閉じ、この依頼について詳細を見ることにする。

 

 かろかろかろかろ……。

 ……かろかろかろかろ。


 少年だ。

 浅黒い肌の、やせた少年。

 とても元気が良い。

 家族がいる。

 母親と、妹と、祖母だ。男はその家で彼だけだから、余計に彼ははりきっている。

 祖母は腰が悪い。曲がったまま伸びなくなった。でも農作業には出て行き、毎晩痛む腰を少年がさする。

 

 「契約成立可能だ、けれど」

 わたしの言葉にゴルデンが目を剥き、またげたげたと笑い転げた。

 本当にかよ、とゴルデンが言った。

 わたしは溜息を着いた。なにがそんなに面白いものか。

 「可能だが、温泉はなおらない。可能なのは、この子が魔法を使えるようになるということだ」

 相変わらず中途半端な契約だよなあ、とゴルデンが茶々を入れたが、わたしは黙殺した。

 「で、代償は」

 「簡単なことだ、祖母の腰痛の悪化、そして骨が異様にもろくなり、歩けなくなる。それが代償だ」

 ゴルデンは腹をかかえて笑い転げ、ついに部屋の中に倒れこむと、ごろごろと板張りの上を転がった。

 ひいひいと息を切らしながら笑い続け、ダンゴムシのように背中を丸めて床をべちべち叩いたりしている。

 ……ちっとも面白い話ではない。

 淡々とわたしが眺めている中で、ゴルデンはついに涙をこぼしながらも笑い続け、喉を鳴らしながら起き上がると、わたしに向き直った。

 「で、おまえそれを遂行するのかよ」

 「成立可能な契約だからな、宣告する」

 「ばっかおまえ、だから西の大魔女は詐欺師なんだよ」

 詐欺師。

 とっさに何を言われたか分からずに、わたしは立ち尽くした。

 だが、笑い転げるゴルデンを見ているうちに、むらむらと突き動かされ、相手の胸倉をつかみ紫の目を覗き込んだ。

 

 「なぜ笑う」

 わたしが言うと、ゴルデンはにやにやしながら見返してきた。

 そしてわたしの手を払うと、透かし模様の入った襟元を直し、ふうと大息を着く。笑いの発作が止まったらしい。

 「東の大魔女について、何も教わっていないようだから、おまえをバカにする気はない」

 ゴルデンは言うと、縁側に出て、柱によりかかり裏庭を眺めた。

 金髪が風に揺れ、風車の音が穏やかに続いた。


 かろかろかろかろ…。


 「西の大魔女が遂行した契約の、監視役が東の大魔女だ」


 監視役。

 黙りこくったわたしを、ゴルデンは憐れむように見た。

 腕を組み、柱に身をもたせかけ、急にゴルデンが大きくなったように感じた。

 もう一度、彼は言った。

  

 「依頼を引き受けて契約を遂行するのが西、その契約が魔法の規則に照らし合わせ、正しいものかどうか裁くのが東。俺は審判者なのだ、愛弟子よ」

 その審判者が、師を詐欺師だと言っている。

 ゴルデンは紫の目を庭に移すと、独り言のように言った。

 「その『依頼』、引き受けるなら、俺は徹底的に妨害するぞ」

 「成立可能は間違いがない。どこが詐欺だ」

 言葉が悪かったな、とゴルデンは珍しく自分の失態を認める。

 紫の瞳はどこか薄暗い。

 「おまえらはおまえらの仕事をしている。確かにそれは正しい。だが、俺は別の目でそれを裁く。おまえたちが魔法の理を貫くならば、俺はその理を踏まえた上で、人間の理屈も合わせて裁く。それは必要な役目だ。そうは思わないか」

 

 ふいにわたしは思い出す。

 あの、温かな静寂に満ちた西の魔女の舘で、師が何気なく口にしたことを。

 「魔法が万能でない理由が、分かるか」

 即座にわたしは答える。

 「魔法は人の上に成り立つから。人間のいないところに魔法はないのです、師よ」

 師は否とも是とも答えず、強く無口な目でわたしを見つめた――。


 かろかろかろかろ……。

 ……かろかろかろかろ。


 魔法使いに、なりたい。

 なりたいんだ。


 少年の訴えは続いている。

 わたしは再び目を閉じ、彼のことを探る作業に入る。

 この家を裏口から出て、山側に伸びたあぜ道をまっすぐ行ったところに、小さな家屋がある。

 平屋建ての貧しい家だ。

 牛が一頭いて、それがそのうちの財産である。

 毎晩少年は、牛が夜間飲むための水を桶に入れるために、一人で外に出る。

 

 その時に、少年と接触する。


 かろかろかろかろ……。

 

 日が暮れかけていた。

 透明な赤い斜光が裏庭を照らし、白い山野草を薄く染める。

 夕食の良い香りが漂い始めている。

 ゴルデンが腕を組んだまま、わたしを冷たく眺めていた。

 

 仕事は、夜だ。

読者様の貴重な時間を拝借しているということを、改めて考えております。

いったん立ち止まり、物語の魔法観を少しだけ紐解きます。よろしくどうぞ。

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