第1話「理不尽」
2015年11月1日 日曜日。
「はぁー」
オレは深い溜め息をつくと共に、目の前にそびえ立つ建物を仰ぎ見た。
この建物を見る度、この場所に来る度、オレは憂鬱な気分になる。それは、この建物の中にいる人物に多少苦手意識を持っているからだ。
オレは今いる場所、それは間島探偵事務所が入っているビルの入り口前だ。
オレの名前は石塚海翔。
二ヶ月半前、オレの知人の女子高生、荒井恵が姿を消し、その際、彼女の父親が殺害されるという事件が発生した。
オレは親友がバイトしている間島探偵事務所の所長、間島新一に荒井恵の捜索を依頼したのだが―――。
『君たちにも手伝ってもらうよ。君たちには行ってもらいたい所があるんだ』
あろう事か、間島探偵は依頼者であるオレと親友に捜索を手伝わせたのだ。自分は父親の殺害の線から捜索するから、彼女が立ち寄りそうな場所を探してくれと言い出したのである。
結局、荒井恵はオレたちが向かわされた場所にいた。そして―――。
これ以上の事はあまり思い出したくない。
何にしても、あの探偵はオレたちに向かわせた場所に荒井恵がいる事を知っていたのだ。
事件解決後、オレたちが事務所に戻ってくると、間島探偵は呑気に珈琲なんか啜っていた。そして、オレたちが事の顛末を説明するまでもなく、あの男はすべて分かっていた。
その間島探偵の態度が癪に障ったオレは、彼に詰め寄った。
『あんた―――最初から何もかも知ってたのかよ!』
『さぁ―――それは海翔クンのご想像にお任せするよ』
あの男はオレの剣幕もなんのそのと言った感じで、笑いながら受け流そうとした。
オレはやり切れない想いをそのまま間島探偵にぶつけようとしたが、それは親友に止められた。
それ以来、オレは間島探偵の事が苦手になった。
ふざけた態度ばかりをとり、飄々としいて、いつも何を考えているかのか分からない表情。そうかと思えば、まるで全てを見透かしたような口振りと、眼をする。
オレは彼のそれらすべてに嫌悪していた。
嫌悪しているのだが、今、オレはその間島探偵の事務所の前にいる。
その理由は、ちょうど一週間前に遡る。
10月25日 日曜日。
オレはその日、親友に呼ばれ、来たくもない間島探偵事務所に来ていた。
「おーい、かずきー、来たぞー」
事務所に入るなり、オレはいるはずの親友に声をかけた。だが、返ってきた声は予想外の人物のものだった。
「あー、やっときたね。遅いじゃないか?待ちくたびれたよ」
「―――」
言葉を返してきたのは、親友ではなく、事務所の主、間島新一のものだった。事務所の中を見渡しても、親友の姿はない。
「おい、一輝はどうした?」
「い、いきなりタメ口でそれかい?」
オレのあからさまな嫌そうな態度に、間島探偵は顔を引きつらせている。
オレからすれば、この男は信用できないし、敬語も使う気になれないのだから当たり前だ。
「そんなことはどうでもいい。一輝はどうしたんだよ?」
「あー、一輝君かい?ちょっと別件があって、今はいないよ」
「な――に!じゃあ、何か?ここにはオレとアンタだけってことか!?」
「うん、そうなるねー」
間島探偵は片目を瞑りながら、そう言った。ウィンクのつもりらしい。正直気持ち悪い。
最悪だ。まさか、この男と二人っきりだなんて―――。
一番あってはならない状況に、オレは頭を抱えた。
「帰る」
オレは短くそう言うと、踵を返し、事務所から出て行こうとした。
「ちょちょちょちょちょ!待ちなって!」
間島探偵は慌てて、オレを引き留めた。
「なんだよ?オレは一輝に呼ばれて来たんだ。あんたには用はないんだよ」
「だーかーら、君に用があるのは、僕の方なんだよ」
「は?」
一瞬、耳を疑った。今、この男はなんて言った?
オレの聞き間違えでなければ、オレに用があるのは、自分だと、この男は言ったようだが―――。
「どういうことだよ?オレは一輝に呼ばれたんだ。なのに、何でアンタの方なんだよ?」
「あー、それは、あれだ。僕が呼んだんじゃあ、君来ないだろ?」
「あ?なんだそれ?つまりあれか?オレをここに呼び出すために、一輝を使ったってことか?」
「そ!そういうことだよ。騙すようなことして悪かったね」
そう言いながら、間島探偵はクスクスと笑っている。
この男は悪いことしたなんて全然思っていない。たぶん。
「やっぱり、帰る」
再び、オレは踵を返し去ろうとする。
「わわ!ごめん、ごめん!悪かった!ごめんなさい!」
間島探偵は事務所から出て行こうするオレを今度は腕を掴み、引き留めた。
今度は先程とは違い、平謝りをしてきた。
「ちっ!何なんだよ!アンタがオレに何の用があるって言うんだ!?」
「おや?僕の話を聞く気になってくれたかい?」
「ちげーよ!ただ、そうやって引き留めらてちゃ帰れないからな!
さっさと用件済ませて帰りたいんだよ!」
「やれやれ―――随分、嫌われたものだね。まあ、自業自得か」
間島探偵は、溜め息をつくと、ボソボソと呟いている。
「で、何なんだよ?オレに用件って」
「ん?ああ、そうだね。君のためにも早く済ましてしまった方がいいね」
「ち―――」
やっぱり、気にくわない。そうやって、わざと憎まれ口を叩いているところも好きになれない。
「実は、海翔君にある調査を手伝って欲しいんだ」
「はあ?調査だぁ?」
オレは予期せぬことに、声を上擦らせて聞き返していた。それに間島探偵は、ニンマリと微笑み、話を続ける。
「そ、調査。簡単なものだよ。街に出て、ある事を人に尋ねていけばいい。所謂、聞き込み調査だ」
「ちょっと待て。何でオレがそんなことしなきゃならないんだ?そんなこと、一輝がいれば事足りるだろう?」
「うーん、本当ならそうなんだけどねー。困ったことに、一輝君は今忙しいんだよ」
「忙しいだぁ?アイツが?大学も休学したって聞いてるぜ」
そう―――オレの親友は、あの事件後、夏休みが終わると同時に大学を休学した。
何があったのかは知らない。正直、あの事件後、まともに話をしたことは、ほとんどなかった。元々、オレは大学に入らずフリーターをやっていたから、正直、アイツが大学をどうこうすることに興味がなかった。
「ま、それについては、今度本人から直接聞くといいよ」
「ああ。そうするよ。で、どうしてオレなんだ?見る限り、アンタは暇そうに見えるんだが?」
「う…きついこと言うね、君は」
間島探偵は少し寂しそうな顔している。暇そうにしているというのが、堪えたのだろう。
実際、このド休日の昼間に、客が来る様子もなく、オレと二人で話をしている時点で、仕事がないのは間違いないはずだ。
「だったら、やっぱりアンタがやればいいじゃないか?」
「いや、僕としては今回の件には興味がないというか、正直どうでもいいんだ」
「はあ!?どういうことだよ!依頼なんだろ?」
「うーん、依頼といえば、依頼なんだけど、正式な依頼ではなくてね。つまりは報酬が出ないんだ。君も知ってるだろ?僕が正式でもない調査依頼を受けないって」
確かに、この探偵がそういうスタンスだったことを思い出した。荒井恵を捜索するの時も、オレが依頼人となって、やっとこの男は重い腰を上げたのだった。といっても、あの後起こった事を考えれば、あれもわざとなのだろうが。
だが、ここでオレはある疑問が思い浮かんだ。
「って、それじゃあ、なんで依頼受けたんだよ!?」
「え?ああ、それは依頼人が一輝君だからだよ」
「は?一輝が?なんだそれ?」
「んー、まあ、話し出すと長くなるから、大まかに話すけどね。今回の件は、一輝君が自分で調べるつもりでいたようなんだ。それがねぇ、今、彼、厄介事に巻き込まれちゃってね。今は調査が出来ないみたいなんだよ。
それで、僕に頼んできたんだけどね。知っての通り、依頼料も支払われない依頼なんて僕は受けない。僕は有名な探偵の孫でも、背が縮んで小学生なった高校生探偵でもないからね。それで、君に白羽の矢がたったってわけだ」
もう色々と突っ込みどころ満載な台詞だが、それよりも聞き捨てならない言葉がある。
「ちょっと待て。なんだ、その厄介事に巻き込まれたってのは?」
「え?ああ、ごめんごめん。ちょっとオーバーに言い過ぎた。君は気にしなくても大丈夫だよ。一輝君の身は僕が保証するよ。詳しいことは本人に会った時にでも聞くといい」
「それはさっきも聞いた!ったく、肝心なところは、いつもはぐらかしやがる!」
「はは!まあまあ、そんなに怒らない怒らない」
間島探偵は笑いながら、ドウドウとまるで馬をなだめるかのような仕草をしている。それが、さらに癪に障った。
「もういい、帰る!」
「わわ!帰らないで!ごめんなさい!」
踵を返そうとした瞬間に、袖を掴まれた。
「はぁ」
オレは脱力感に苛まれ、深い溜め息を吐いた。
オレたちはさっきから何回このやり取りしているんだろう?もう、何もかも、どうでも良くなってきた。このまま、この男を無視して、本当に帰ってしまおうか。
「たとえ、一輝がやろうとしていたことだろうと、オレが代わってやる義理はねぇよ。それに、アイツのことだ。どうせ自分で調べなきゃ、納得なんてしねぇだろ?時間ができたら、自分で調べるさ」
オレはそう言うと、間島探偵の手を振り解き、今度こそ事務所から出ていこうとする。
「んー、ここまでしてもダメかー。仕方ない。奥の手だな」
「あん?奥の手だぁ?」
オレは顔だけ後ろに向けて、間島探偵の言葉に反応してしまった。
「海翔君!」
「な、なんだよ?」
間島探偵は突然大きな声でオレの名前を呼んだ。その顔からは、先程までの薄ら笑いが消え、至って真面目な顔をしている。
「あのね、あんまり言いたくなかったんだけど、ここまできたら仕方ない。言わせてもらうよ?」
「な、なんだよ?突然…」
オレは間島探偵の勢いに一瞬気圧されてしまった。
「君、僕への依頼料はらってないよね?」
「え―――?」
突然の事にはオレは間島探偵が何を言っているのか分からなかった。
「二ヶ月前の一件、僕は君に依頼されたから、あの場所を君たちに教えたんだ。それに対しての報酬をまだもらってない。あれは確か正式な依頼だと僕は認識しているんだけどね」
「お、おい、ちょっと待て!あの時、アンタはオレたちに場所を教えただけだろ!?なんでそれで報酬なんだ!」
「はい?君にね、場所を教えただけとはいえ、あれは荒井恵の家出調査の途中で知り得た情報だ。それをアカの他人である君に教えるなんて、本来ありえないことなんだよ?そこまでしたのに報酬もないなんて、おかしいだろ?」
「そ、それは―――」
言い返せない。まさか、この男から正論を聞かされるとは思っていなかった。
「金にすれば、五十万ってところかな。払ってもらうよ?」
「ご、五十万!?それはいくらんでもぼったくりすぎだろ!!」
「そうかい?ま、ここでは僕の言い値で決まるのが当たり前だしね。仕方ないと思っておくれよ」
「思えるか!そんな額払えるかよ!」
「へぇ~、払えないときたか~」
瞬間、空気が凍り付く。
突然、間島探偵は怪しい微笑みをオレに向けてきた。口元は笑ってはいるが、眼は笑っていない。
「な、なんだよ?」
正直、怖いと感じた。あの眼は、オレが今まで生きてきた中で出会った事がないものだ。言うなれば、蛇に睨まれた蛙のような気分だ。
「それじゃあ、代わりに働いてもらおうじゃないか」
「は―――?」
突如として、間島探偵の顔が先程までの呑気顔に戻る。凍り付いていた空気が嘘のように溶けていく。
オレは口をぽっかりと開け、呆然としていた。
「だからさ、今回の件、君がやってくれたら、目を瞑るって言ってるんだよ。悪い話じゃないだろ?簡単な聞き込みをして、五十万をチャラにしてあげようっていうんだから」
「そ、それは―――いや、待て。そもそも、五十万ってのが―――」
危ないところだった。また、この男の口車に乗せられるところだった。
そもそも、前回の一件と、今回の一件はまったく関係ない。この男も言っていたではないか、今回のは正式な依頼ではないと。
「む、ここまで譲歩してるのに、まだゴネるつもりかい?君、意外と女々しいねぇ?」
「だれが女々しいだ!?そういうことを言ってるんじゃない!
オレは五十万って額にも納得いってねぇし、それを今回の事とごっちゃにしてるのが気にくわねぇだけだ!」
オレが反論すると、間島探偵はニヤリの口元を弛ませた。
「なるほど―――筋が通ってないことは許せないってことかい?」
「ああ、そうだよ!アンタの言ってることは筋が通ってねぇ。だがら、アンタに従うつもりもないね!」
オレは間島探偵の笑みに一抹の不安を感じながらも、反論し続けた。
「そういうことなら―――奥の奥の手だ」
「なに?」
どうやら、まだ何かオレを強請るネタがあるらしい。
なんでもこい。全部、反論して叩き返してやる。
この時のオレは、まだこの男の恐ろしさに気づいていなかった。
この男が頭に売れないがつく探偵であったとしても、探偵であることに変わりがない。その情報量をオレは舐めていた。
「君さ―――今、どこに住んでるんだい?」
「ど、どこって、そんなのアンタの知った事じゃないだろ?」
「フフ―――答えたくないとみた。いやー、正直だねぇ。
知ってるよ。君、あの一件後、実家の家業を継ぐために、実家に戻ったらしいね?」
「ち―――一輝の奴、あのおしゃべりが。ああ、そうだよ。それがどうかしたか?」
確かに、荒井恵の一件以降、オレは社会的自由が認められているフリーターを辞め、実家の家業を継ぐため、実家に戻った。戻ったのだが―――。
「問題はその後だ。それから、一ヶ月後、君は父親と喧嘩して、家を飛び出しているよね?」
「くっ!あいつ、そんなことまで!!」
予想外だ。オレの親友が、親友のプライバシーにここまで緩かったとは。もしかして、親友だと思っているのオレだけか?いや、そんなことはないはずだ。たぶん。
オレは予想外の事を言われ動転していた。
そこに間島探偵はさらなる追い打ちをかけてくる。
「それで、実家を飛び出した君は、その後どうしたんだっけ?」
「そ、それは―――」
「ああ、そうだ!思い出した!君は一輝君が一人暮らししている部屋に転がり込んだんだったよね?」
間島探偵はたった今思い出したかのように、わざとらしく、声を大きくてして言った。
その態度に一瞬殺意を覚えたが、ぐっと我慢した。ここで、キレればこの男の思う壺になる。
「だから―――それがどうしたっていうんだよ!今はそんな話をしているわけじゃないだろ!」
「ああ、そうだとも。今は君がどうしたら仕事をしてくれる気になるかって話をしてるんだよ」
「な――に?」
「君は分かってないかもしれないが、仕事もない金もない君が一輝君の所に飛び込んできて、この一ヶ月間、一輝君がどれだけ迷惑していた事か分かるかい?親友のためとはいえ、一ヶ月も一文無しを養うなんて、できることじゃないよ?それなのに君ときたら、その親友が困っているっていうのに、それを無視するのかい?」
「ぐっ!そういうことかよ!?」
オレはやっと間島探偵が何を言わんとしているのか分かった。この男、人を追いつめることに慣れている。というか、それを楽しんでいるように思える。
「そういうの、筋が通ってないと僕は思うんだけどね?君はどう思う?」
「く―――く、そ、があああ!分かったよ!分かりましたよ!やればいいんだろ!?やれば!」
オレは間島探偵の攻めに陥落した。無意識だったが、その場で地団駄を踏んでいた。
この男、恐ろしすぎる。他人を精神的に追いつめることに慣れすぎている。
この時、初めてオレは自分ではこの男に歯が立たないと思い知らされた。もっとも、本当の恐ろしさを知るのはもう少し後になるのだが。
「やっと、やる気になってくれたね。よかった、よかった」
間島探偵は楽しそうにオレのそんな様子を見ながら、喜んでいた。
正直。もはや怒る気すら起きない。
「あー、もー、ホントにどーでもよくなった。好きにしてくれ」
「まあまあ、そんなに腐らないで。今回の一件をやり終えてくれたら、君への貸しは本当にチャラにしてあげるからさ」
あの五十万は本気で言っていたのか―――どういう金銭感覚をしているのやら。
こうして、オレは間島探偵への借りと親友への借りを返すべく、調査依頼を受けることになってしまったわけである。
そして、今、その調査を終え、オレは間島探偵事務所の前に立っている。
今日はその調査報告をするために、ここに来ている。
正直、二度と顔も見たくなかったのだが、仕方ない。バッグの中に入っている報告書を渡さなければならないのだから。
オレは意を決して、事務所の中に入ってく。
事務所の扉を開けて、中に入っていくと、間島探偵は自分の所定の椅子に座っていた。
こちらに気づくと、向こうから声をかけてきた。
「来たか―――待ってたよ。遅かったね?」
オレは何も答えず、そのまま間島探偵のデスクに近づいていく。
「それじゃあ、聞かせてもらおうか」
間島探偵はニコニコとしながら、オレにそう言った。
こっちとしては、話す内容などない。報告書を叩きつけて、さっさと帰りたい気分だ。
「ほらよ」
オレはバッグから取り出した報告書を無造作にデスクに投げ出した。
「ん?なんだい?これは?」
「調査報告書だよ。いちいち説明しなくても、それに全部書いてある。読めば分かるよ」
「あ、ね。ご苦労様」
間島探偵はちらりと報告書の表紙を見た後、オレの顔を見て微笑んだ。
「な、なんだよ?文句あんのかよ?」
「いやいや、ないよ。ご苦労様。これで依頼達成だ」
「達成って…読まずにそんなこと言っていいのかよ?」
「僕は読む必要ないよ。これが必要なのは一輝君だからね。僕は今回の事に興味はないし」
間島探偵は、報告書を指さしながら、そう言った。その様子は本当に興味が無さそうだった。
「ち―――なんだよ。せっかく。ちゃんと纏めてきたのによ!
じゃあ、それを一輝に渡しといてくれよ!」
オレはそう言うと、踵を返し、事務所から退散しようとした。
「あー、ちょっと待った!」
出て行こうとした瞬間、呼び止められた。
「何だよ?まだ、なんかあんのか?」
「これ、一輝君に届けてくれないかい?今日は彼、ここに来ないらしいから。 はい、これ、一輝君が今いる場所の地図」
間島探偵はそう言いながら、A4サイズの紙を差し出してきた。
「ちっ!分かったよ!」
オレはその紙を間島探偵の手から引ったくる。
「ありがとう。この報告書を届けてくれれば、本当に依頼達成だ。約束した通り、貸しは無しにしとくよ」
間島探偵は本当に楽しそうにそんな事を言ってきた。嫌な性格だ。
なので、ちょっとした仕返しをすることにした。
「じゃあ、届けてくるよ」
今度こそ、オレは踵を返し、事務所を出ていこうする。
「ちょっとちょっと、報告書!」
間島探偵は報告書を手に持ち、ビラビラと振るわせている。
「必要ねーよ!そいつはコピーだ。原本はこっちにちゃんとある。そいつはアンタにあげるよ。どーせ、寝る余裕があるぐらい暇なんだろうから、読めばいいんじゃないか?」
「え―――なんで、寝てたって―――」
間島探偵は面食らった顔をして問い返してきた。
「ハ―――涎、口の周りについてるぞ!」
オレは笑いながら、そう答えると、振り向くことなく、事務所を出た。
その後、オレは間島探偵に貰った地図を頼りに、歩いていくと、一軒の平屋に辿りついた。
「ここか―――ごめんくださーい!」
オレは迷うことなく、平屋の戸の前でそう叫んだ。
だが、返事はなく、誰も出てこない。
「いねーのかよ。ったく、本当にここで当たってんのか?」
オレはもう一度、地図をよく見てみると、小さな文字で『その隣だよ!』と書いてあった。
「や、ヤロー、間違えること読んでやがったな!」
オレはこの地図を描いた本人への恨み節を呟きながら、隣の敷地に目を向けた。
そこには、もう一軒平屋があった。いや、平屋と表現するのは正しくない。これは―――。
「ど、道場?」
そう―――見たことがある。オレが通っていた高校にもあった。柔道部や剣道部、弓道部などが使用していた道場の形に似ている。
オレはその道場に近づいていく。すると、何かがぶつかり合う乾いた音が聞こえてきた。
「―――これは―――」
オレはその音に聞き覚えがあった。随分懐かしい音だ。
感慨に耽っていると、今度は人の声が聞こえてきた。
「やああ!」
その声にも聞き覚えがある。これは―――。
「一輝か?」
オレは吸い寄せられるように、道場へ足を踏み入れていった。




