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潮時

 山の朝と言うのは、たとえ夏でも肌寒い。私は毎朝少しだけ震えて目を覚ましていた。

 ―――が、今朝は違った。

 大人の諸事情で詳しく説明できないけれど、私は暖かい腕の中で目を覚ました。

 大人の諸事情で詳しく説明できないけれど、予言は当たり、私はカパ郎の寝顔を幸せいっぱいに眺めているのだった。

 腕枕だよ、全員集合。

 幸せ。

 カパ郎が寝言で『クワックワックワー』と、小刻みに小さく言った(鳴いた?)のがちょっと引っ掛かったけど、幸せ。

 私は昨夜、カッパが妖怪だと改めて思い知らされた。

 なんかこう、幸せに意識がふわふわしてピンク色でこう……ふんわり少女漫画みたいな感じのああいう風な、そういうリードされっぱなしの時間を過ごすのだと思っていたのだけれど、そうは問屋が卸さぬのじゃとばかりに意識を引っ張り戻されて、燃えろ共同作業な夜になったのだった。

 集約すると、カッパ凄かった幸せ!


 カパ郎が、すり寄る私を寝ぼけながら抱きしめた。

 そうしながら『りおな』と掠れた低音で呼ばれれば、私はもう、彼の胸に頭高速グリグリの衝動を抑えられないのだった。

『りおな』の後に『クワクワククワ……クワワ~』が付いても、くちばし? で頭をクワクワクワ♡されても、全然? 全然ヘーキ……。


『ちょっと待ってよリンリン! 寝言がカルガモみたいなメンズってどうなの!?』


 昨夜、諸事情で詳しく言えないシーン中には息を潜める様に全然登場しなかった正気(ブラック)里緒奈が、今更現れた。


 ―――なに? ふん、昨夜コッソリ陰から『もっとやれ』だったクセに。

『な、何てことおっしゃるのかしら!? 違うわよ! 昨夜は、アレよ……あまりのアレにちょっとビックリしてアレよ……声も出なかったって言うか……』

 ―――うん……カッパは妖怪って思い知ったよ。

『人間業では無かった……。肉食獣の割に経験少ない(実は久死のみ)から、リンリン、アップアップだったじゃない!! 今後アレに耐えられるの!? ファーストインパクト逆出産並だったじゃない!!』

 ―――の、望むトコロよ!! 経験少ないって言うな!! 純情なの!!

『大丈夫なの!? 久死三十人分くらいの濃度だったけど、大丈夫なの!?』

 ―――うるさい! 久死の濃度とかヤメロ!


 カパ郎がまた私の頭をくちばし? でクワクワしてる。


『ほ、ほら、おかしいじゃない! リンリンの頭を藻の張った川底の岩とでも勘違いしてるんじゃない!? リンリンは藻の張った岩女扱いでも良いワケ?』

 ―――ち、違うよ、これは……愛情表現だよ!

『でもなんか髪の中の何かをすっごい探してる感しない?』

 ―――愛だよ、愛を探してるの! もう、一々ケチつけないでよ!

『だってカッパなんだもん……』

 ―――いいの! カッパだけど、カパ郎なんだから!!


 私は寝ているカパ郎にギュッと抱き着き、次の正気(ブラック)里緒奈の応酬に身構えた。

 けれどもう声は聴こえなかった。

 代りに朝の鳥たちの囀りが、静かに辺りを満たし始めていた。

 私の頭をクワクワしていたカパ郎が、『ハッ』と目を覚まし、「藻……り、りおな……なんじゃ、起きとったんか」と蕩けた微笑みを私に向けた。


 藻って言った……。


 ま、まあいいや。藻の夢くらい、誰だって見るよね!?

 寝起きのカパ郎はセクシーだ。

 いつもは丸い大きな目が、眠気の為に少し気だるそうな感じで瞼を被せている様は、目尻がちょっと鋭くなっていて素敵。

 乱れて寝癖のついた髪が、端正な(くちばし? があるけど)顔に掛かっている。その髪を無造作に掻き上げる仕草と、形の良い額にグッと来る。

 起き上がって伸びをした際に露わになる無防備なガッチガチの腹筋に、鼻血が出そうだった。

 夢見心地で自分を眺めている私に、カパ郎はふんわり微笑んで「おはようなのじゃ」と言った。


「なんぞ照れるのぅ……」

「うぇへへ……そうだね。それに、まだ眠たい。ねえカパ郎、ロッジに戻らない?」


 お外でってカッパには普通かもしれないケド、私にとっては結構冒険だったな。そんな事を思いながら、カパ郎をロッジに誘った。

 灼熱ナイトで汗だくだったので、シャワーを浴びたかったのだ。

 私はいそいそとカパ郎にカモカモ浴衣を着せて、自分の浴衣(正確にはばっちゃんの)も超絶適当に着こんだ。

 それからカパ郎と手を繋ぎ、「帰りはこっちじゃ」と、彼が行く方向へとついて行った。


 *


 ロッジに着くと、カパ郎は「汗を流して来るのじゃ(照)」と川へ行こうとした。


「え、カパ郎ロッジにシャワーあるよ?」


 私はシャワーを強くお勧めした。恋愛において浴室ほどセオリーな場所は無いハズだ。

 一緒に汗を流したい。汗を流しつつかいて、また流すのだ。二人で良い汗を流すのだ!!

 里緒奈はまだ足りない! カパ郎との、めくるめく百鬼夜交に怖気づいたけど、気持ち的にはまだ足りない!!

 ただそれだけの純粋な感情と情熱が、私の中で渦巻いていた。

 一緒にシャワー浴びたい。

 しかし、カパ郎は、


「川のが良いのじゃ。ひと泳ぎしたい気分じゃ」

「そ、そう?」

「りおなも泳がんか?」


 カッパだからシャワーより川だよね……じゃあ私も川で、と、妥協しようとしたけれど、川では昨夜盛りに盛った仮面メイクが落とせない。

 カパ郎は恐らくブス専の気があるから、汗で途切れ途切れになった眉毛も、カスカスの唇も、ドロドロのパンダみたいな奥二重のカピバラ・アイでも全然気になって無さそうだけど……カパ郎は優しいから顔に出さないだけかも知れない。目が覚めてから、しきりと私の目元を不思議そうに指で擦っては、しげしげと指に着いた黒いモノを見ていたのだ。そりゃカッパには不思議かも知れない。

 本当は「りおな、抱いたらパンダみとうなりおったぞ……実はパンダ女じゃったのか? 俺は騙されたのじゃろうか?」などと思われていたら堪らない。好感度をジワジワ下げるうえに、在らぬ疑惑を湧き立たせそうなご面相など一刻も早く洗い流したい。

 と、いうワケで、私達は一旦解散を余儀なくされた。

 カパ郎は川へ行って、私は、ロッジでシャワーである。


 さて、洗面室で早速ドロドロのパンダとサヨナラする為に、街から持って来たメイク落としを手に取ると、残りの量が少しになっている事に気が付いた。

 元々半分くらい使い掛けのを鞄に詰めて持って来たので、しょうがない事なのだけど、いよいよタイムリミットか……と重くその事態を受け止めた。

 メイク落としだけじゃない。シャンプーもコンディショナーも、街のコンビニで仕入れて来た小さいボトルの詰め合わせだったから、もうスカスカだ。特にコンディショナーは、スカッスカッと音がする。

 そろそろボトルに水を入れて……の段階だ。

 六さんの万屋に、シャンプーだけ置いてあるのを見た事があるけれど、『ソバージュ』という商品名だったのでちょっと使うの怖い。ソバージュになりたくない。案外似合いそうなのが厭なのだ。生まれた時代の流行顔というのがある。私はソバージュ世代だ。ソバージュ世代中に恋愛適齢期だったら、割かしイケたんじゃないかと思う。

 しかし今は違う。今は違うのだ!! 

 流行は繰り返すと言うなら、今すぐお願いしたいところだ。

 とにかく、必要最低限しか持って来ていなかった弱小美容部隊の危機である。

 弱小美容部隊なんて、普段気にも留めていなかったのに……本当はこんなに大きな存在だったなんて……。

 結局、メイク落としをケチってメイクが落ち切らなかった私、タオルでゴシゴシ擦るという最悪のメイク落とし方法を余儀なくされた。

 そうして、「そろそろ潮時かなぁ」と私は観念し始めたのであった。


化粧水もない……困る

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